#4469 (3) 復員③ 『遺稿集 田塚源太郎』より Jan, 30, 2021 [22-1 田塚源太郎遺稿集]
北支河南省からの復員の途次にしたためた歌。
うかららの兵より汚れ来るなり埠頭に陽溜りを避けて寄り添う
煙草売る女ふ頭を縫うごとしひそかに日本語に兵をねぎらふ
鍋釜を背負ふからと病兵と埠頭に共にいたはりてゐき
「うかららの兵」とは、敗残・引揚の旅を共にする兵たちを指すのだろう。風呂にも入れない洗濯もできぬ引き上げの旅、陽射しが当たり暖かくなれば臭うのだ、だから、陽だまりを避けて寄り添う。
目立たぬように中国人の女が日本兵に近寄り、煙草を売るふりをして、ひそかに日本兵たちにねぎらいの言葉を掛ける。その様子を「女埠頭を縫うごとし」と詠んだ。この女性がどのような経緯(いきさつ)があってのことかは不明である。そこにこの歌の余韻を感じる。あえて書かなかったのか、敗残の兵をいたわる中国人の女性がいたという事実だけを伝えたかったのか。
三つめは軍医としてのまなざしで兵たちを見ている。重い鍋釜を代わりに背負って傷病兵をいたわり、いたわられる。軍医に敬意を払いねぎらいの言葉をかける兵がいることがわかる。
田塚先生の残された歌を繰り返し口ずさむことで、引き上げ時の情景と心情のひとかけらが、じんわりと伝わってくる。
<余談:オヤジと戦時中のこぼれ話>
小学生のときから高校卒業までビリヤード店の店番を手伝っていた。田塚先生は常連客のお一人であったが、戦争の話や引き上げ時のお話をされるのを一度も聞いた記憶がない。
択捉島蘂取村の出身であるお袋の兄が満州の荒野で、突然侵攻してきたソ連軍と戦って死んでいる。
オヤジも朝鮮と支那へ従軍している。その時に落下傘部隊へ応募して転属したから、引き揚げの経験はない。旭川の連隊で徴集されて、新兵として人並みの苦労はしている。仲のよかった船水という人がいた。いいところのお坊ちゃんで、外語大卒で戦争が終わったらサイパンで貿易業をしたいと言っていたそうだ。そのサイパンで死んでいる。よくお菓子を送ってきたので、オヤジに声をかけて便所へ行って二人で食べて、余ったものを古兵に。笑ってよく話してくれた。古兵は新兵をよく殴ったそうだ。理由もなしに理不尽に殴る話は、市倉宏祐先生の『特攻の記録 縁路面に座って』にも出てくる。
オヤジはボクシングをやっていたから殴られ方を知っていた。身体を引くと余計に何度も殴られるから、歯を食いしばって拳が当たる瞬間に顔を突き出すんだそうだ。素手だから殴る方も痛い。いいとこの坊ちゃんは気弱で身体が逃げるから余計にひどく殴られてかわいそうだったと言っていた。
ずいぶんと新兵いじめをした古兵がいたんだそうだ。イジメられた中には、「戦場へ行ったら、後ろ弾であいつをやってやる」とオヤジに言い切って戦場へ行った兵もいたそうだ。戦場の混乱のどさくさに紛れてなら仕返しできる。遺骨の代わりに石ころをつめて送った兵もいたそうだ。遺族はそれを受け取って、何があったのかわかっただろう。そういう理不尽さが現在の軍隊である自衛隊には受け継がれていないことを祈る。いや、しっかり受け継がれてしまっているのではないか。
落下傘部隊の特殊訓練の話は面白いのがいくつかあるので、おいおい綴ってみたい。
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うかららの兵より汚れ来るなり埠頭に陽溜りを避けて寄り添う
煙草売る女ふ頭を縫うごとしひそかに日本語に兵をねぎらふ
鍋釜を背負ふからと病兵と埠頭に共にいたはりてゐき
「うかららの兵」とは、敗残・引揚の旅を共にする兵たちを指すのだろう。風呂にも入れない洗濯もできぬ引き上げの旅、陽射しが当たり暖かくなれば臭うのだ、だから、陽だまりを避けて寄り添う。
目立たぬように中国人の女が日本兵に近寄り、煙草を売るふりをして、ひそかに日本兵たちにねぎらいの言葉を掛ける。その様子を「女埠頭を縫うごとし」と詠んだ。この女性がどのような経緯(いきさつ)があってのことかは不明である。そこにこの歌の余韻を感じる。あえて書かなかったのか、敗残の兵をいたわる中国人の女性がいたという事実だけを伝えたかったのか。
三つめは軍医としてのまなざしで兵たちを見ている。重い鍋釜を代わりに背負って傷病兵をいたわり、いたわられる。軍医に敬意を払いねぎらいの言葉をかける兵がいることがわかる。
田塚先生の残された歌を繰り返し口ずさむことで、引き上げ時の情景と心情のひとかけらが、じんわりと伝わってくる。
<余談:オヤジと戦時中のこぼれ話>
小学生のときから高校卒業までビリヤード店の店番を手伝っていた。田塚先生は常連客のお一人であったが、戦争の話や引き上げ時のお話をされるのを一度も聞いた記憶がない。
択捉島蘂取村の出身であるお袋の兄が満州の荒野で、突然侵攻してきたソ連軍と戦って死んでいる。
オヤジも朝鮮と支那へ従軍している。その時に落下傘部隊へ応募して転属したから、引き揚げの経験はない。旭川の連隊で徴集されて、新兵として人並みの苦労はしている。仲のよかった船水という人がいた。いいところのお坊ちゃんで、外語大卒で戦争が終わったらサイパンで貿易業をしたいと言っていたそうだ。そのサイパンで死んでいる。よくお菓子を送ってきたので、オヤジに声をかけて便所へ行って二人で食べて、余ったものを古兵に。笑ってよく話してくれた。古兵は新兵をよく殴ったそうだ。理由もなしに理不尽に殴る話は、市倉宏祐先生の『特攻の記録 縁路面に座って』にも出てくる。
オヤジはボクシングをやっていたから殴られ方を知っていた。身体を引くと余計に何度も殴られるから、歯を食いしばって拳が当たる瞬間に顔を突き出すんだそうだ。素手だから殴る方も痛い。いいとこの坊ちゃんは気弱で身体が逃げるから余計にひどく殴られてかわいそうだったと言っていた。
ずいぶんと新兵いじめをした古兵がいたんだそうだ。イジメられた中には、「戦場へ行ったら、後ろ弾であいつをやってやる」とオヤジに言い切って戦場へ行った兵もいたそうだ。戦場の混乱のどさくさに紛れてなら仕返しできる。遺骨の代わりに石ころをつめて送った兵もいたそうだ。遺族はそれを受け取って、何があったのかわかっただろう。そういう理不尽さが現在の軍隊である自衛隊には受け継がれていないことを祈る。いや、しっかり受け継がれてしまっているのではないか。
落下傘部隊の特殊訓練の話は面白いのがいくつかあるので、おいおい綴ってみたい。
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2021-01-30 00:20
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