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#4374 情緒の同調について:高樹のぶ子著『小説伊勢物語 業平』 Sep. 21, 2020 [44. 本を読む]

 9/19(土)に釧路まで行ってきた。イオンで女房殿が買い物をしている間に「くまざわ書店」に寄ると、標記の小説が平積みされており、手に取ってみたら高樹のぶ子氏の著作、数ページ読み、とっても面白そうなので買ってきた。
 日経新聞に掲載された小説のようだが、2002年の秋に根室へ戻って来てから、日経新聞にはほとんど用がなくなった。2006年ころに理系の娘から日経新聞の記事を読んでわからないところがあると、毎週新聞の切り抜きに赤線を引いたものを数枚送ってきた。1年間ほどそれにこたえているうちに、A4判100枚程度の経済記事解説集ができあがってしまったことがあっただけ。ほかには釧路でホテルに宿泊したときに日経新聞を読むが、そのときだけ連載物を読んでもつまらないからパス。そういうわけでほとんど日経新聞をよまない。東京でサラリーマン生活していたころは必要があって多いときは4紙(日経新聞、日経産業新聞、日刊工業新聞、電波新聞:産業用エレクトロニクス輸入専門商社在職中)読んでいた。朝8時20分ころ会社へついて、9時過ぎまで小一時間読み、経営戦略上気になる記事の切り抜きを役員へ回覧していたのだが、報道や解説の視点が異なるだけで類似の記事が多いのでそう手間はかからない。
 根室へ戻ってからは小4のときからなじんだ北海道新聞のみを読んでいるが、熱心に読むのは連載小説のみ。最近は島田雅彦の連載小説『パンとサーカス』がとっても面白い。詳細なプロットを積み重ねており、それぞれ必要な専門知識をよく調べ、そして整理して開示してくれる。宗教についてもよく調べ彼の視点で整理していた。今日はCIAの人材採用についてSF86という様式の調査票用紙に言及していた。どこまでが取材に基づいているのか、どこからがフィクションなのか切れ目がまるで見えない。素晴らしい職人仕事である。福島第一原発事故についての政治風刺もとっても利いている。ところで落語家が政治風刺をあまりやらないのはどういうわけだろう。江戸時代はそうではなかっただろう。落語家であって噺家ではなくなったのか。
 島田雅彦『ぢんぢんぢん』は整形手術を繰り返す女の長編小説、あれも整形手術に走る女性たちへの警告を含んでいた。『退廃姉妹』も戦後をたくましく生き抜いた叔母たちの過去を当時の経済事情をベースに描き切っていた。それなりの生きざまがあったが、それは仮面の下に隠してツンと澄まして生きる、姪たちは知らない。似たような過去を背負った女たちは多かっただろう。『パンとサーカス』ではますます腕に磨きがかかったように感じる。無駄に歳を食っていない。島田雅彦氏はわたしよりも一回り年下。


 さて、3つ年上の高樹のぶ子の手になる『業平』の冒頭を紹介する。大胆不敵な試みの小説。


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 在原業平と憲明(のりあきら)主従が出てくる。憲明は狩りで業平が勇みすぎるのをとがめる。憲明は業平と乳兄弟で5歳年上、業平は乳母の元で育てられた。冒頭の章のタイトルは「初冠」(ういこうぶり)とルビが振ってあったが、旧仮名で振ると「ういかうぶり」、どうやら高樹さんは新仮名でルビを振ることに決めたようだ。当時の用語は言の葉を大事にして旧仮名を採用してほしかった。それでは売れ行きに影響しかねぬと編集側が主張したのだろうか?
 初冠とは元服のことである。この儀式を済ませると乳母の長兄で業平と兄弟同然に育ったとしても、初冠の儀式を境に身分の関係がその行動や口調に出ざるを得ない。乳のみ兄弟から主従の関係への分岐点が初冠、5歳年長といえど、憲明は業平を主と認め言葉を選んで穏やかにたしなめている。
 読み手のわたしは、時に業平になり切り、考え、その情緒を自分の心の内に再現してみる。同じように憲明にもなり切り言葉を選ぶ、その心情や思考そしてその場面を自分の心と脳裏に再現しながら読む。頭の中では二人の人間が同時にそれぞれの立場や心情で具体的なシーンの中で関係を切り結ぶ。馬副(うまぞい)四人は息を切らせてあえぎながらようやく追いついてくる。その心中も高樹は書き込んでいる。二人の心情の移ろいを会話文を読みながら味わい、シーンを具体的に想像することは小説を読む醍醐味の一つである。


 初冠は大人になる儀式だから、とうぜんセックスの手ほどきもされる。乳母の妹が初冠の夜に夜具に滑り込んできて業平を導くのである。元服にはそういう性風俗に係る一面がある。大人の女に手ほどきされて一人前の大人になる、貴人はそうだが、庶民には別のシステムがあった。宮本常一の著作を読むと日本の伝統的な性風俗がわかる。日本の性風俗史を日本人はすっかり忘れてしまっている。成人式を過ぎても、いまだチェリーの男子のなんと多いことよ。一人前の男としては認めがたい。自分で探さなきゃいけないのだから、明治以前の日本人とは性風俗に係る社会システムのキャップが大きすぎる。(笑)
 第四章の「蛍」が秀逸である。思いを寄せて業平に想い焦がれてある高位の娘が死に逝く。睦あう機会のなかった恋も、それゆけ純粋な想いはさらに深くなる。限りなく美しいものを描いてみたいという美意識の塊と言える章、高樹のぶ子の面目躍如だ。作家というのはすごいね。

 業平を描くのだから、セックス描写をどうやるかは、小説の方向を決める重要な部分だ。最初の3章を読んだが、過もなく不足もなく、きわどい領域へ踏み込みながらも品よくまとめている。書き手が女だとはっきりわかる書き様である。どこにそれを認めるかは本を読んでもらいたい。恋の多い作家が40歳で書くのと、60歳になって書くのでは、小説の趣も相当違ってくるだろう。
 『和泉式部日記』をベースに、知的レベルが高くてお金がある程度自由に使える男たちと恋を重ねた女性作家の手になる、『小説和泉式部日記』を読んでみたい。そのでき如何で、日本で50万部、英語版では1億冊のベストセラー、実現できる力のある作家と編集者と出版社が現れたら面白い。


 主人公の情緒や他の登場人物の情緒に同調するとか共感するのは小説を読む愉しみの一つだろう。短歌や俳句はどうだろう。
 「古池や 蛙飛び込む 水の音」、森閑とした山奥のお寺近くに池があり、そこにたたずんでいると、蝉がピタッとなきやみ、しんとした瞬間にぽちゃんと水音がする。ああ、カエルが飛び込んだ、というのがこの俳句の提供する情景である。この俳句を読み目をつぶると、時空を超えて芭蕉がたたずんだ池の縁にわたしも佇むことができる。芭蕉の感じたものを心の中に再現して味わうのである。生徒の一人がこの句を読んで、「それでどうしたの?」と首をかしげた。集団的無意識の中核にある日本的情緒が育まれていないようにみえる。共感も同調もできない。なるほど、そういうタイプがいるのだと驚いた。戦後数年間までは万葉の短歌が国民の教養の一部だったから、こういうタイプはほとんどありえなかっただろう。いまでは、3割ほど存在しているのかもしれぬ。日本人とは何かを考えさせられる。
 大数学者の岡潔先生は、心のセンターにあるものを情緒と定義する。そしてその情緒を日本民族の情緒と個人の情緒に分類し、これら二つが融合している人は稀だと書いている。(岡潔著『日本人のこころ』日本図書センター1997年刊)


 人の心に共感するとか同調するというのは、組織マネジメントにとっては重要な能力である。人は論理でも動くが、論理の射程は極端に短く、現実の変数は無限大である。届かないのだ。
 人は基本的に情緒で動く。情緒に共感出来たら、少々の自己犠牲はいとわない。人とはそういうモノのようだ。
 目先利益や自分の利害を四六時中考えている人が、論理で人を動かそうと思うと、利益で釣るしかない。それでは、組織は腐っていくし、仕事のできる者の中には利害損得では動かぬ人もいるから一つの組織全体を動かすことは出来ぬ。自分の利害損得、目先の利益に目がくらむと、長期的には身動きが取れなくなるのがモノの道理だ。夢を語り、それを実現して見せるのがマネジメントの役割である。
 「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」
 日本人が数世紀にわたって育んできた商道徳やマネジメントの底流にはそうした日本的情緒や価値観が流れている。そういうものを体現する経営者も政治家も稀になった。情緒の濁りがいけない。


 小説冒頭の文章を吟味して、筆を擱こう。
 地の文が「ですます調」であるところが気になった。
 「勢いよく駆け出してきた若い男ひとり、額を輝かせ汗で濡らした様が、若木の茎を剝いたように匂やかでみずみずしい」
 生硬ではあるが著者独特の表現、「額を輝かせ汗で濡らした様が、若木の茎を剝いたように匂やかでみずみずしい」に出遭うのも楽しい。若い業平の狩りの様子がよくわかる。この地の文に後続する、次の二つの文は「である調」のほうがわたしには切れがよくリズミカルに感じる。高樹のぶ子さんは、なぜ地の文を「ですます調」にしたのだろう。同じ疑問をもったはずで、そのうえで「ですます調」を選択しているのだろう。著者に訊いてみたい。

「走り出てきます⇒走り出てくる」「声をかけました⇒声をかけた」
 こちらの方が勢いはあるし、切れもいい。
 西行の生きざまを小説にした辻邦生の『西行花伝』を二十数年前に読んだ、あれ以来である。くまざわ書店でタイトルを見ただけで興味がわいて、手が伸びた。

 『業平』の登場人物のこころのセンターに渦巻いているものを自分の心の中に再現しながらじっくり読みたいと思う。こういうことを贅沢と言うのだろう。高樹のぶ子さんに感謝...m(_ _)m

 




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小説伊勢物語 業平

小説伊勢物語 業平

  • 作者: 髙樹 のぶ子
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版
  • 発売日: 2020/05/12
  • メディア: 単行本



西行花伝 (新潮文庫)

西行花伝 (新潮文庫)

  • 作者: 邦生, 辻
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1999/06/30
  • メディア: 文庫
すらすら読める伊勢物語

すらすら読める伊勢物語

  • 作者: 高橋 睦郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2004/12/11
  • メディア: 単行本
ぢん・ぢん・ぢん〈上〉 (祥伝社文庫)

ぢん・ぢん・ぢん〈上〉 (祥伝社文庫)

  • 作者: 花村 萬月
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2001/03/01
  • メディア: 文庫
退廃姉妹 (文春文庫)

退廃姉妹 (文春文庫)

  • 作者: 島田 雅彦
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2012/09/20
  • メディア: Kindle版
忘れられた日本人 (岩波文庫)

忘れられた日本人 (岩波文庫)

  • 作者: 宮本 常一
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/04/20
  • メディア: Kindle版

 

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