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#4255 北の勝で帆立を刺身に晩酌 May 23, 2020 [85.サイクリング]

 3時の気温8.3度、南風4.5m/s、曇り空。お昼頃に太陽が出てきて気温が上がった、朝7時は5.4度だった。極東の町はあいかわらず寒い。
 牧の内T字路まで走っていてから、航空自衛隊分屯地を一周してロードバイクから降りたら足がふらつきヨロめいた。去年はこんなことなかったから体力低下を実感した、13㎞でやめておいた方がいい、納沙布岬周りの、「太平洋⇒納沙布岬⇒オホーツク海コース」45km走破はトライアルする気にもならぬ今年の気分。
 床暖房がついているので、水分補給に青汁を飲み横になったらとたんに30分ほど眠っていた。まるで死んでしまったかのような深い深い眠りだった。
 どうやら五月は昨年の1/3も走れない、無理する気力もないからそれが速度にも出る、最大速度は38km/hだった。全速力でペダルをこげば50km/hを超えるだろうが、25~35km/hで平地をしばらく走れたらそれで十分、心の在り様が違ってしまっている。牧の内T字路往復10㎞走るのに26分かかっている。往路を無理していないから復路が案外速いことに気がついた。わずかな坂ともいえない登りのときは軽いギア(4段目)に切り換えて走った。昨年は3段目を使っていた。南から風が吹いていたので、往路も復路も横風で走りやすかった。国道なら秒速10mを超える横風は危険だ、強く吹いてくると1mほど走行ラインがブレることがあるからだ。横風のときは右から風が吹いていたら、路側帯と車道の間に引かれた白線上は走らない、ラインよりも50㎝ほどセンター側を走るようにしている。時速30㎞で側溝に突っ込んだら、怪我しかねない。たぶん、身体を空中に飛ばしてとっさに回転しながら受け身はできるだろう、しかし落ちた草叢(くさむら)に石があったらアウト。光洋町の自衛隊近くのT字路で車線をはみ出して右折してきた車に進路をふさがれてフルブレーキしたら、自転車ごと一回転し受け身をしたのはいいが左大腿部を縁石にしたたかに打ち付けたことがあった。
 ランニングしている人が一人と歩いている人が一人いた。荷台の囲いの高いダンプカーが何かを運んで数台通り過ぎたから、どこかで土木工事をしているのだろう。人気のない原野に鳥が囀り、路肩にはフキが伸び始めていた。

 夕方6時ころだったろうか、近所に高校の同級生が住んでいるが、奥さんがホタテ貝をもってきてくれた。殻がついたまま、おすそ分けと言いながらたくさんいただいた。
 それで今夜はホタテの刺身を肴に北の勝を飲んだ。美味しかったのですぐに食べたから刺身の写真は撮りそこなった。お酒は2週間に一度かもっと間が空く。飲みたいと思ったときだけいただくことにしている。

 ベッドで就寝前に幸田文全集を読むのが癖になっている。そこから酒の話をピックアップ。
父は亡くなる二三日前に、ビールが飲みたいと云った。さう云はれたとき、病室の緊張がゆるんでみんな明るかった。当時酒類は自由販売でなかったから、ビール二三本のことに今思えば嘘のような苦労をした。ようやく手に入れて、吸引でそれを飲ませると、父は酔った。そのことはビールばかりでなく、肴も米も入手に苦労したが、それだけに又膳にのぼせたあとはほっとする思ひで、ビールのときには、よかったという思ひがいっそう濃かった。あんなに酒をたしなんだ人が、わづか一杯のビールを酒の最後にしてゐなくなってしまった。亡くなって喪の通知をすると、だれもが生前の好物を思ひだしてくだすったのだろう、方々から霊前へ清酒とビールが集まった。酒壜(サカビン)の並んでいるのは景気のいい眺めであったが、わたしは変な気がした。」幸田文全集第3巻「父の七回忌
 露伴は終戦後2年たった昭和22年7月30日に亡くなっている。戦時統制の名残で米は配給制だったし、酒を手に入れるのはとってもたいへんだっただろう、酒造メーカーにも原料米は配給制だったのだろう、だから「三増酒」などという言葉まで生まれた。需要に見合った生産量を確保するために水で3倍に薄めてアルコール添加や糖類の添加をした酒をそう呼んだから、日本酒はひどくまずいものになった(国民は米穀通帳がなければ買えなかったので、根室高校を卒業して東京へ行って東京のお米屋さんで米を買おうとしたら、米穀通帳の提示を求められて、お袋に電話して送ってもらった。実質的に1969年ころに自由化されて米穀通帳なしでコメが買えるようになった)。
 1867年8月22日生まれの露伴は終戦前から病気で床に就いて疎開し転居を繰り返し、1947年に亡くなっている。漱石も同じ年の2月9日生まれだ。明治の文豪と言っていいのだろう。露伴の最初の妻は明治45年にインフルエンザで亡くなっている。昔はインフルエンザで簡単に人が亡くなった。世界中を震撼させているCOVID-19は感染者が激減しているので、数日中に緊急事態宣言が解除される。東南アジア各国の感染者は欧米に比べてとても少ないし、死亡率も桁が小さい。死亡率が低いのは日本だけではない、東南アジア各国に級通している事実である。

 地元のお酒の宣伝を兼ねて、お酒の写真だけアップする。これも頂き物の高級品。北の勝の庶民の酒辛口の「大海」も地元の魚貝類にはよく合う。まったく趣が違うから比べながら味わえるのでありがたい。

①極東の町自慢の銘酒「北の勝大吟醸」
 毎年1月中旬に幻の酒「搾りたて」が出るが、即日完売だから市民にとっては文字通り幻になりつつある。作り始めのころは、醸造用糖類か醸造用アルコールの添加表示があったはずだが、結局何も足さないのがいいということになったのだろう、保管してある「搾りたて」を確認したが、添加物の表示はない。味もすっきりしている。当初の数年間は甘かった。最東端の造り酒屋「北の勝・碓氷商店」製造の幻の銘酒。呑むのは半年後だろうか?
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 露伴先生だって、こんな銘酒を晩年に飲む機会はなかった、それが呑めるのだから...時代がいい。(笑)
 このグイ呑みに8分目で80cc入る。2006年にスキルス胃癌の手術をしたので、爾来(じらい)、呑むとすぐに小腸で吸収が始まり、すぐに5合飲んだくらいお酒が効いてくる。だから家飲みするときはたったの一杯で満足なのだ。ゆっくりと味わうから、それぞれの酒の好さが以前よりもわかり、飲みすぎて体を壊す心配もいらぬ。好い気分になって小一時間で酔いが抜けていくのも愉しい。ありがたいことに二日酔いという字がわたしの辞書からなくなってしまった。スキルス胃癌と巨大胃癌併発という天からの贈り物のお陰だ。悪いことの裏には好いこともある、ぐい飲みで酒を一杯呑むたびに人生の妙を感じ、おだやかな時が流れる。(笑)

 ロードバイク、今日の走行距離17㎞、累計走行距離5303km



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*根室の地酒がネットで注文できるお店
酒泉館https://www.shusenkan.com/


 旧仮名遣い、漢字制限なし、原典に忠実で、製本のしっかりした好い本です。語彙や表現採集して遊ぶのも一興、いまは絶滅してしまっためずらしい昆虫がページのあちこちで見つかります。
 幸田文の文章は戦後急速に失われてしまった日本語語彙と表現の宝庫です。さすが露伴の娘ですね、言葉遣いのセンスは受け継いじゃってます。三島由紀夫の文章がはるかかなたに霞んで見えてしまいます。世代の差を感じる作品です。
幸田文全集〈第3巻〉草の花・黒い裾

幸田文全集〈第3巻〉草の花・黒い裾

  • 作者: 幸田 文
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2020/05/24
  • メディア: 単行本

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