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#4253 公務員定年延長法案にびっくり:役職定年制を導入したらいかが? May 22, 2020 [8. 時事評論]

<更新情報>5/22 朝10時追記多数あり

 国会論議をあまり聞いた記憶がないが、公務員の定員が60歳から65歳に延長されるらしい。
*高橋洋一の霞が関ウォッチ
https://www.j-cast.com/2020/05/14385939.html?p=all

 役職定年制くらいは考えているのかと思ったが、そのまま延長のようだ。
 JR北海道職員だった同期は50歳代前半で給与が1/3くらいに切り下がったと十数年前に嘆いていたのを思い出した。
 民間企業の役員だが60歳を過ぎたら数分の一に給料が下がったけど仕事上の責任も肩書も同じと言った同期もいた。

 一部上場企業同士で臨床治験の合弁会社をつくり、出向役員として経営を担当したが、百年を超える歴史のある相手企業では平取締役が60歳定年、専務や常務が63歳まで、社長が65歳だったと記憶する。なぜそうなったかはその会社の苦い歴史に端を発する。業績の悪化した会社を立て直した凄腕の社長が26年間君臨して経営多角化に邁進して屋台骨が揺らぎ、大手町本社ビルの隣のビルを借りて、リストラ対象者約200名を集め仕事を与えず辞めていくのを待つというひどいことをした。しだいに精神を病む社員が続出したから、同期で残った社員もそういう同僚の姿を見て苦しい思いを抱いたのだ。二度とそのようなことを起こさないようにしようという反省から、役員の役職定年制が敷かれたと聞いた。
 どんな会社でも、公務員でも似たようなもの。若いときに抜群に優秀だった人の中から、ひどい老害を撒き散らすような人がでる。60歳を過ぎたら、若い人のサポート役でいい。

 会社に残れても役職定年で60歳を過ぎたら、新入社員並みの給料という民間企業が多いのではないか?
 予算を足し算してばらまくのは好きだが、引き算はしないらしい。ある部分で予算を増やしたら、他の部分で減らす努力をするのが当たり前と思うが、そういう努力はまるで見えないから、不思議だ。感覚がおかしくなっているのではないか?

 根室高校生徒会でも実績を上げた部の予算を増やしたら実績に乏しい他の部の予算を予算を減らさざるを得ない、2年生の時から先輩の各部部長と同期の副部長を生徒会室に個別に呼び、予算の割り付けをした。減らす部もあるから合理的な理由が必要で公平にやらなければならなかった。減らす部と予算折衝のときは、その部に属している友人たちの顔が浮かぶ。減らす部の部長と副部長へは「今年実績を上げたら、来年はアップできる」そう伝えた。会社でも転職の都度、当初は予算編成と予算管理を担当することが多かったが、売上を増やす算段と経費を減らす算段を必ずした。そうしないと売上が急増する見込みの分野へお金をつぎ込めないからだ。銀行との折衝もちゃんとしておかないと大きな借り入れができない。それには急伸する見込みのある分野に常に目配りをして、予測を担当銀行員に伝えなけらばならない。言ったとおりに推移しないと信用がなくなるので、商品について専門知識を深くする努力が必要だった。それが民間企業では当たり前の感覚。
 
産業用エレクトロニクス輸入商社のときはマイクロ波計測器、時間周波数標準機、質量分析器、液体シンチレーションカウンター、軍事用シミレーターなど取引先である欧米50社からエンジニアが毎月1人は東京本社へ来て世界最先端の製品の説明をする。理系の営業マン対象の講習会が開かれていたが、6年間全部出席した。お陰で「門前の小僧習わぬ経を読む」ようになった。管理部門では私一人だけだった。
 臨床検査会社に転職しても同じことだった、やはり最初は予算編成と予算管理を丸ごと任された。ラボの様子がわからないので、機器から理解しようと、日本最高水準の八王子ラボの全固定資産の実地棚卸をした。台帳記載の固定資産名称がぐちゃぐちゃだった。孵卵器がフランキー、腐乱器、恒温器、などとなっていた。機械に詳しいラボ管理部の担当者H間さんと名称を統一し、大項目・中項目・小項目・細目の4段階分類を採用した。会計システムのマスターファイルである勘定科目や組織コードがそういう構成にしたからそれに倣った。ついでに、固定資産管理システムも作り直した。上場要件で減価償却費予算制度をアップしなければならなかったからだ。1億円もブレていたのでそれを10%以下にする目標値を設定して、投資予算を固定資産管理システムに組み込んだ。1年後には全部終わっていた。実施棚卸の手順も明確にした。
 個体資産管理台帳上で固定資産種別分類をやった。たとえば冷蔵庫や冷凍庫は温度帯で分類した。冷凍庫は-20°・-40°・-80°・-150°の四つに分けた。途中の温度帯を区分したければ間にいくらでも追加できるような固定資産種別分類マスター構成にしておいた。マスターファイルの作り方が重要なのだ。トランザクションファイルはどうにでもなる。-80°の冷凍庫は1987年ころにラボ内に50台くらいあった。-150度の冷凍庫は日立製品、この温度帯になると冷媒の開発がむずかしい。当時は国内で日立製品だけ。検査機器はディテクターとデータ処理部のコンピュータでできているから、輸入商社のときに専門知識を蓄えていたので、理解が速かった。医療機器はデータ処理部(コンピュータ)とインターフェイスがずっと遅れていた。1886年当時で双方向のインターフェイスバスをもつものはゼロだった。原価計算システムの手直しをするためにも、機器やラボの検査手順に関する知識は不可欠だった。ラボ内で進行する検査機器とミニコンをつないだ自動化計画を審査するためにも、世界最先端の検査機器導入のためにも、検査手順や機器に関する専門知識が不可欠だった。とくに最先端の製品は既存製品とどこが違い、生産性がどれくらいアップするのか、見極めが必要だ。染色体画像解析装置は自社開発での失敗例を見ていて、中止させたので、どこに問題があるのかよく承知していたから、英国で開発された染色体画像解析装置のいいところ(CCDカメラとボードコンピュータによるデータ処理を組み合わせたことで、生産性が10倍)がよく分かった。染色体画像解析検査は顕微鏡写真撮影、染色体の大きさの準での並び替え、世界最高性能レーザプリンタでの並び替えた染色体プリントアウトで、生産性が3倍くらいにはなっただろう。培養工程があるので、全体での生産性はそれでも5割はアップしたはず。
 LKBの紙フィルター式の液体シンチレーションはバイヤル式の旧型液体シンチレーションカウンターエオ輸入商社で現物を見て、修理作業を観察していたので、紙フィルター式の生産性の高さが、一目瞭然で判断できた。検査コストは数分の一に低下した。栄研化学のKX3000 は市場に出す前にインスタレーションテストを提案して、半年間のSRL独占を飲んでもらった。そのまま市場に出していたらあの製品はつぶれていただろう。再現性が悪いという重大な欠陥がインスタレーションテストで判明し、欠陥を克服してから、販売となった。win-winだった。それまではRI法での検査しかなかったが、酵素法での測定は精度が3桁違っていた。10年くらいしてからラボを見学したら、大型検査機器だったが8台くらい並んでいた。検査精度を3片アップしつつ検査コストはかなり下がっただろう。
 結石前処理ロボットは当時検査管理部の担当者の発案で始めたものだが、セイコー社へアームロボットの見学に一緒に行った。腕時計の組み立てラインには十数台のアームロボットが並んでそれぞれにパーツフィーダが着けられ、無人で時計が組み立てられていた。数十個作ると、別の時計の組み立てが始まる。1分程度しか休止時間がない。細かい作業の結石前処理作業への導入に適していた。取引先の技術屋さんと共同開発した。いまでもラボで使われているだろう。結石を粉砕して金属のブレードで受け側の台の穴から剥がして、アームロボットで五円玉状の穴の開いた金属に結晶状に固めて貼り付ける。そのあと赤外分光光度計にかけるのである。これも生産性が飛躍的にアップした。検査コストは劇的に下がった。1987年ころの話だ。2年半ほどそんなことをやって遊んでいた、愉しかった。
 子会社の千葉ラボの自動化を関係会社管理部のスタッフとして1991年ころ担当したことがあった。生産性アップに重点を置いて、業務システムとラボシステムを一気に作り替え、その損益への影響をシミュレーションした。稟議書には予測損益計算をを添付して、赤字から大きく黒字転換することを予告した。生産性は2.5倍以上になる旨記されていた。4月に稼働したとたんに営業はラボ側の処理量制限がなくなったので、受注を増やしてくれたので、生産性は予定を上回った。簡単に黒字になった。1億円ほどの投資で、黒字転換できたのである。SRL八王子ラボとはまったく異なる思想・設計だった。2年ほど後で、SRLの練馬にある一番古い子会社に吸収された。そこは巨大八王子ラボの思想を引きずっていたので、生産性が悪かった。あれは分離したままにしておきたかった。親会社よりもずっと採算のいい会社になったはず。せっかくの努力が水の泡だった。わたしは、その当時北陸の臨床検査会社の経営分析と買収を担当していた。その途中で東北の臨床検査会社の経営分析依頼が舞い込み、店頭公開予定だが赤字経営になっていたそちらも1億円の資本提携話をまとめた。まとめたら、東北の会社から資本提携に当たってわたしの役員出向要請が提携相手の社長Tさんからでて、そちらに出向したので、千葉ラボの吸収が防げなかった。関係会社管理部にそのままいたら、反対して合併話は潰せただろう。練馬の子会社ラボの経営改善案を書くのは簡単だった。千葉ラボで実験済みだから、それをコピーすればよかっただけ。赤字の子会社を黒字、それも売上高経常利益率っを12%超にすれば、グループ全体での売上を増大させつつ、採算は大幅に改善できる。そうした努力は民間企業では毎日やっている。わたしが中途入社した1984年2月までの過去5年間のSRLの売上高経常利益率は12%だった。わたしは子会社の経営改善でそれを超えることを目標にしていた。目標値は15-20%だった。どの臨床検査子会社でも達成できる水準だった。そういう方向へもっていくために、25ゲージ5分野の経営指標レーダチャートと総合偏差値評価のできるシステムを開発していた。関係会社管理部に2年間ほど所属していたが、そのシステムで全子会社の経営状態を評価していた。沿おう郷偏差値の低い会社はどこが問題なのか、5つの分野にブレイクダウンでき、それをさらに25項目へ展開できたから、何をどうすればいいのか、経営指針の手掛かりになりうるシステムだった。1978年に産業用エレクトロニクス輸入商社で経営改善のための経営分析をしたときに開発したシステムを1991年にEXCELに載せ替えただけ。42年たったいまでも、そのまま使えそうだ。25ゲージのレーダチャートと総合偏差値評価を組み合わせた経営状況判断ツールなんて世の中にはたぶんまだありません。(笑)


 予算をある部分で増やしたら、その分を生産性をアップすることでコストを吸収したり、他の優先度の低い分野で削る努力をするのはあたりまえという話だった。話を元に戻そう。

 定年延長するよりも、60歳で辞めてもらって、年金を支払った方が支出総額は小さくなる。

 何より問題なのは60-65歳までがそのまま残れば若い人の職が失われる。60歳過ぎたら、役職定年はもとより、週3日まで、待遇は新入社員の6割と決めたらいいのではないか。空いた分で若い人たちを雇ってあげたらいい。
 このままでは世代間の不公平と官民格差がますます拡大してしまう。ちょっとはバランス感覚を持ちたい

<余談>
 国会議員は率先して70歳定年制導入を議論してもらいたい。やりっこないか、70歳超の議員はいったい何人いるのかな?


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