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#4111 枯れゆく秋のアジサイ Oct. 22, 2019 [A8. つれづれなるままに…]

 極東の町根室に咲くアジサイは気温が5度に下がってもまだがんばっている。咲き始めたのは7月下旬だ。3か月、枯れたまままだ花弁が落ちない。立ち枯れているアジサイは盛りのときとは違った趣があっていいものだ。咲き始めたことはあんなにきれいだったと思い出して感慨にふけるのもいい。

10/22撮影 散り萎(しお)れたる…
極東の町のアジサイはなかなか散らない(笑)
SSCN3154.JPG

7/29撮影 まだ染まり切らぬ初々しいアジサイ
SSCN2954.JPG

8/11撮影 花は盛りに見るべきものかは…
  でも、盛りの花はうつくしいね。今を盛りと色まで活き活きしている。
SSCN2960.JPG
徒然草第137段
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 花は盛りに、月は隈(くま)なきをのみ、見るものかは。雨に対(むか)ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛(ゆくへ)知らぬも、なほ、あはれに情(なさけ)深し。咲きぬべきほどの梢、散り萎(しを)れたる庭などこそ、見所多けれ。歌の詞書(ことばがき)にも、「花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ」とも、「障(さは)る事ありてまからで」なども書けるは、「花を見て」と言へるに劣れる事かは。花の散り、月の傾(かたぶ)くを慕ふ習ひはさる事なれど、殊にかたくななる人ぞ、「この枝、かの枝散りにけり。今は見所なし」などは言ふめる。
 万
(よろづ)の事も、始め・終りこそをかしけれ。男女(をとこをんな)の情(なさけ)も、ひとへに逢ひ見るをば言ふものかは。逢はで止(や)みにし憂さを思ひ、あだなる契(ちぎ)りをかこち、長き夜(よ)を独り明(あか)し、遠き雲井を思ひやり、浅茅(あさぢ)が宿に昔を偲ぶこそ、色好むとは言はめ。望月の隈(くま)なきを千里(ちさと)の外(ほか)まで眺めたるよりも、暁近くなりて待ち出でたるが、いと心深う青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる、木(こ)の間(ま)の影、うちしぐれたる村雲隠れのほど、またなくあはれなり。椎柴(しひしば)白樫(しらかし)などの、濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身に沁(し)みて、心あらん友もがなと、都恋しう覚ゆれ。
 すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜
(よ)は閨(ねや)のうちながらも思へるこそ、いとたのもしうをかしけれ。よき人は、ひとへに好(す)けるさまにも見えず、興ずるさまも等閑(なほざり)なり。片田舎の人こそ、色こく、万(よろづ)はもて興ずれ。花の本(もと)には、ねぢより、立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌して、果(はて)は、大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手足さし浸(ひた)して、雪には下(お)り立ちて跡つけなど、万(よろづ)の物、よそながら見ることなし。
 さやうの人の祭見しさま、いと珍らかなりき。「見事いと遲し。そのほどは桟敷
(さじき)不用なり」とて、奥なる屋(や)にて、酒飲み、物食ひ、囲碁、双六(すぐろく)など遊びて、桟敷には人を置きたれば、「渡り候ふ」と言ふ時に、おのおの肝(きも)(つぶ)るゝやうに争ひ走り上(のぼ)りて、落ちぬべきまで簾(すだれ)張り出でて、押し合ひつゝ、一事(ひとこと)も見洩(もら)さじとまぼりて、「とあり、かゝり」と物毎に言ひて、渡り過ぎぬれば、「また渡らんまで」と言ひて下(お)りぬ。たゞ、物をのみ見んとするなるべし。都の人のゆゝしげなるは、睡(ねぶ)りて、いとも見ず。若く末々(すゑずゑ)なるは、宮仕へに立ち居(ゐ)人の後(うしろ)に侍(さうら)ふは、様(さま)あしくもおよびかゝらず、わりなく見んとする人もなし。
 何となく葵
(あふひ)懸け渡してなまめかしきに、明けはなれぬほど、忍びて寄する車どものゆかしきを、それか、かれかなど思ひ寄すれば、牛飼(うしかひ)下部(しもべ)などの見知れるもあり。をかしくも、きらきらしくも、さまざまに行き交(か)ふ、見るもつれづれならず。暮るゝほどには、立て並べつる車ども、所なく並(な)みゐつる人も、いづかたへか行きつらん、程なく稀(まれ)に成りて、車どものらうがはしさも済(す)みぬれば、簾・畳も取り払ひ、目の前にさびしげになりゆくこそ、世の例(ためし)も思ひ知られて、あはれなれ。大路(おほち)見たるこそ、祭見たるにてはあれ。
 かの桟敷の前をこゝら行(ゆ)き交
(か)ふ人の、見知れるがあまたあるにて、知りぬ、世の人数(かず)もさのみは多からぬにこそ。この人皆失(う)せなん後(のち)、我が身死ぬべきに定まりたりとも、ほどなく待ちつけぬべし。大きなる器(うつはもの)に水を入れて、細き穴をあ明(あ)けたらんに、滴(したゞ)ること少(すくな)しといふとも、怠る間(ま)なく洩りゆかば、やがて尽きぬべし。都の中(うち)に多き人、死なざる日はあるべからず。一日(ひとひ)に一人・二人のみならんや。鳥部野(とりべの)舟岡(ふなをか)、さらぬ野山にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし。されば、棺(ひつぎ)を鬻(ひさ)く者、作りてうち置くほどなし。若きにもよらず、強きにもよらず、思ひ懸けぬは死期(しご)なり。今日(けふ)まで遁(のが)れ来にけるは、ありがたき不思議なり。暫(しば)しも世をのどかには思ひなんや。継子立(ままこだて)といふものを双六(すぐろく)の石にて作りて、立て並べたるほどは、取られん事いづれの石とも知らねども、数へ当てて一つを取りぬれば、その外は遁(のが)れぬと見れど、またまた数ふれば、彼是(かれこれ)間抜(まぬ)き行くほどに、いづれも遁れざるに似たり。兵(つはもの)の、軍(いくさ)に出づるは、死に近きことを知りて、家をも忘れ、身をも忘る。世を背(そむ)ける草の庵(いほり)には、閑(しづ)かに水石(すゐせき)を翫
(もてあそ)びて、これを余所(よそ)に聞くと思へるは、いとはかなし。閑(しづ)かなる山の奥、無常の敵(かたき)(きほ)ひ来(きた)らざらんや。その、死に臨(のぞ)める事、軍(いくさ)の陣に進めるに同じ。
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