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#4064 来年は高校生が8割になる:師事した三人の一流の学者 Aug. 16, 2019 [55. さまざまな視点から教育を考える]

<最終更新情報>
8/17 朝9:50

<少子化と学力低下という時代の流れ>

 根室西高校が今年3月で閉校になった。入試は3年前から根室高校のみ。統合したのはいいが、大幅な定員割れで、全員が根室高校に入学できるので、中学生で塾通いをする生徒が激減した。時代の流れだろう。
 根室高校から、道外私立大学進学者が激減している。平成28年度はたった12名だったが、平成30年度は5名になった。5名の中に岐阜協立大学が一人あるので首都圏の大学進学者は4名、早稲田と法政は推薦枠があるので、一般入試は最大3名ということ。
 10年前、首都圏の大学へ進学する生徒は30人はいた。
*根室高校進路決定状況
http://www.nemuro.hokkaido-c.ed.jp/index.php?page_id=31

<東京の大学へ進学のススメ>
 何か特別の事情がない限り、進学するなら東京の学校を勧めている。理由ははっきりしている、それぞれの学問分野でトップクラスの先生がいるからだ。
 わたしは専修大学商学部会計学科で勉強した。高校時代から公認会計士二次試験の勉強をしていたので、ゼミは小沢先生の原価計算を選ぶつもりだったが、たまたま突発イベントで帰省し、申込期間が過ぎていた。そこへサルトルやヘーゲル研究で当時日本でナンバーワン市倉宏祐教授(哲学)の学部を超えた「一般教養ゼミ」のゼミ生募集要項が掲示板にあった。すぐに小論文を書き応募、拾っていただき、3年間学んだ。哲学科の教授がマルクス『資本論』全巻と『経済学批判要綱』全冊を通読するというのだ、経済学部の本ゼミでもなかなかやれないビックな企画だった。先生は、ほんらい東大に残る予定の人だった。たまたまポストが空いていないので、すぐに戻すことを条件に専修大学へ数年行ってほしいと言われたそうだ。言ったのは、倫理学の泰斗、和辻哲郎先生だったのではないだろうか。何の手違いか、東大へは戻られなかった。それはわたしたちには僥倖だった。本来は東大へ入学しなければ師事できないレベルの先生である、その先生に専修大学で師事できる。同期の哲学科の方の本ゼミ員の一人であった伊吹克己は母校の哲学科の教授である。当時長髪だった彼の顔をいまもはっきり覚えている。
 専修大学には経済学史の内田義彦先生もおられ、1年間講義を聴いた。経済学史では日本で3指に入る学者である。わたしは内田先生がNo.1だと思っている。著書を読めば、どれほど研究を積み重ねたかよくわかる。品のよい先生だった。大学院の学内試験と口頭試問のあとでお世話になった内田先生は大学院経済学研究科の院長だった。商学部会計学科から大学院経済学研究科、それも理論経済学というのは異例、そして大学院学内入試ではトップだった。口頭試問のとき、指導教授になる予定の人の第一声「君は経済学を知らんね」で、カチンときて、議論を挑んだ。「答案を見て仰っているのでしょう、どうぞ該当箇所を挙げてください」、ゆっくり長い呼吸に切り換えて、H教授の言葉をじっと待つ。「貨幣としての貨幣の規定とはなんだね?」、薄笑いしながら言った。言葉を選びながら、原典の当該箇所を明らかにして反論した、「グルントリッセでの貨幣論に貨幣の第三規定として、「貨幣としての貨幣」とマルクスが書いています」手加減できなかった。富の蓄積手段として貨幣をマルクスはグルントリッセで「貨幣の第三規定、貨幣としての貨幣」と書いている。経済学を知らなかったのはNo.2のH教授。商学部会計学科の学生に30人の先生が居並ぶ中で、完敗したのである、周りの教授からは失笑が漏れた。H教授の顔が見る見るうちに真っ赤になった、口頭試問はそれで終了。『資本論』や『経済学批判』は読んでいても、『経済学批判要綱』全冊を読み通している教授はあまりいない、マルクスの思考過程と研究の試行錯誤がそのまま出ていて、難解なのである。まさか、商学部会計学科の学生がそんなものを典拠にあげて反論するとは夢にも思っていなかったのだろう。『経済学批判要綱』を読んでいるということは『資本論』全巻4000頁を通読していることが前提になる。資本論よりもかなり難解なのである。東大経済学部でも、そんな学生はいなかっただろう。(笑)高校時代に公認会計士二次試験受験参考書で勉強していた。当時は経済学も受験科目になっていたから、近代経済学だけでなく、マルクス『資本論』にまで手を伸ばした。100頁ほど読んでちんぷんかんぷんだったので、その構造を理解しようとずっと勉強していた。方法論が問題だったから、哲学にまで手を伸ばさざるを得なかった。市倉先生に師事できたのは、天の配慮としか思えない。
 あいにくとH教授は経済学部では序列No.2、合否判定の権限はあるから、学内入試は合格者無し。「君の後輩は苦手だよ」とH教授がぼやいていたと戸塚先輩。Hさん、気の毒に、No.1のわたしを落とすからには、自分のゼミ員も落とさざるを得なかった。

 前年に同じゼミから戸塚先輩が商学部⇒大学院経済学研究科へ合格していたので、余計に注目を引いたのだろう、口頭試問の夜、市倉先生へ内田先生から電話があり、いくつかサジェッションをいただいた。哲学のゼミ員で、所属は商学部、そして進学先は大学院経済学研究科というコースは、通常あり得ない。市倉ゼミは何をやっているのかと、驚いたようだ。内田先生は好意的だったが、その年の3月の入試も合格者無し、よほど嫌われたらしい。(笑)
 そういうわけで、母校の大学院には縁がなかった。4月に慌てて日経新聞を見て就職、3年間働いてから、やり残しているテーマを片付けたくて、1月末で職を辞して、大学院受験。2校合格して東京経済大学大学院経済学研究科へ。院生わずか6名、開設以来10年間合格者無しで、前年初めて4名の合格者をだした。文部省からクレームが入っていたためだ。開設認可したのに10年間合格者無しとはどういうことだ、合格者無しなら認可取り消しとでも言われたのだろうか。当時の試験問題の難易度は慶応大学大学院経済学研究科と同レベルであり、早稲田よりも難易度は高かった。だから10年間も合格者がいない。50人ほど受験して2人合格、地方の国立大出身者が多かった。倍率が高くてもようするに成績が一番なら合格できるのである、専修大学とは違って一人は必ず採るからね。一番で合格できる勉強はしていたから、この中から何人合格できるのかなとぐるりと周囲を見渡した、平常心だった。予定通りの結果だった

 運のよいことに一橋大学長だった増田四郎先生がちょうど来られたところで、院生3人で特別講義をお願いした。増田先生は快く引き受けてくれた。このとき講義に参加した3人のうちの一人は首都圏の大学で教授をしている。一橋大大学院ではこんなに小人数で増田先生の特別講義を聴くことはできなかっただろう。増田四郎先生が当時、西洋経済史の分野では日本でNo.1の学者であることに異論のある人はいないだろう。
 一橋大が国立市にあり東京経済大学は国分寺市、隣同士である。中央線の駅では西国分寺駅を挟んでいる。井汲学長が直接招聘したのだが、一ツ橋大の隣という立地条件が決め手ではなかったか。大学院の入り口に腰を下ろして、4歳くらいの男のお孫さんを遊ばせていることがあった。好々爺を絵に描いたような姿でした。リスト『経済学の国民的体系』を読んだのだが、緊張感のある授業だった。大学院に入学するとすぐに渋谷駅前の進学教室で専任講師をしていたので、周辺の本を10冊ほども読んで中身の濃い議論がしたかったが、できなかった。院生はバイトをしてはいけない、研究に専念すべきである、これはわたしの反省。
 大学院の授業のレベルは院生が決める。どれほど勉強してきて、教授と議論するのかで、授業の質が決まる。渾身の力を出し切るべきだったのに、巨匠の増田先生には申し訳ないことをした。
 日本でトップレベルの3人の先生の謦咳に接することができたのは、東京の大学だからこそのこといま振り返ると、奇跡のようなめぐりあわせである。わたしは「先生運」が特別に良いのだろう。結果から見ると、東大と一橋大学で勉強したようなもの。
 残念だが、北海道には文科系でこういうレベルの先生がおられない、北大ですら例外ではない。
 だから、根室高校の生徒たち、そして道産子に言いたい。進学するなら、道内ではなく、東京の大学を目指せと。
 それぞれの分野で一流の先生に師事するというのは大事なことだ、「触発される」ということもあるし、学風に触れて感化を受けるということもある。人柄が一番だろうな。
 市倉先生は学徒出陣のゼロ戦乗り、そして特攻兵の生き残り、ずっとそれを引きずっておられた。晩年に『特攻の記録 縁路面に座って』を書かれ、ebisuと同期の、伊吹克己教授(専修大学哲学)へ遺稿の出版を託した。弊ブログのカテゴリーを検索してもらえば、同名のものがあるので、クリックしたら、全文を読むことができる。非売品だが、貴重な記録である、哲学者が書いた特攻の記録はこれしかない、是非お読みいただきたい。
 内田義彦先生は学究肌、密度の濃い文章を書くとっても品のよい方だった。増田四郎先生は親分肌の人、だまっていても周りに増田先生を慕う子分が増えていく。予断をもたずに丹念に実証研究を積み重ねて結論を出す、あの学風にはすっかりまいってしまった。わたしのブログにはそういう匂いがあればうれしい。

<高校生が増えた>
 ところで、ニムオロ塾はいま高校生が6割である、そして来年は8割、いつのまにか高校生対象の塾に変わりつつあるが、それでいい。高校生を受け入れている塾は根室に三つあったが、そのうちの一つが2年前にやめて、現在二つしかないから、そうなってしまった。高校生の大学進学者が激減しているが、それでも高校生対象の塾のキャパが足りない。
 「先生、3年前に塾を自宅へ移したときに、縮小していくって言ってたけど、生徒増えてない?」
 たしかに、週4日に減らしたが、高校生が増えているから、中学生が減っても全体の数はさっぱり減らない、なかなか予定通りには行かぬものだと大笑い。夏休み明けに2人増えるので、そろそろ満杯。空いている水曜日と土曜日をどうするか、四月までに結論を出さねばならぬ。今年の中3はだれも地方へ進学しないから、卒塾するのは高3の一人だけ。月火木金の週4日間ではまもなく新規の生徒受け入れができなくなる。


 70歳になって、高校卒業まで根室で18年、故郷に戻ってきてから17年だから、根室生活通算35年、18歳で東京の学校へ進学してから東京生活が35年、ちょうど真ん中の分岐点に立っている。オヤジが大腸癌の転移で平成5年に亡くなって、お袋も平成23年に逝った。息子としては一人になったおふくろの介護義務は果たしたから、もう根室にいなくていいし、そろそろ東京へ戻らなくっちゃと思ってはいた。ところが、「早く戻ってきてほしい、一体いつになったら戻ってきてくれるの」とお冠だった娘が、「お父さん、根室が愉しそうだね、いいよ根室に居ても」、この頃そう言うようになった。スキルス胃癌と巨大胃癌の併発で胃の全摘をしているわたしは、東京の暑さでは、水分補給が追い付かず、衰弱死する可能性が大である。水分を補うために余分に水を飲むと、下痢をして、脱水症状が起きる。娘はわたしが東京へ戻るのは無理だとわかっているのだ。年に1・2度娘と孫の顔を見に行くだけで十分、根室でこうしているほうが愉しい。

 いま、週4日授業をしている。体力が落ちたから、月火木金の四日間だけ。問題は来年だ。なるようになるさ。

<英語特別講義10回>
 7月から休日である水曜日を10回だけ、英語高3教科書を使った特訓に充てている。対象は2年生が5人、1年生が2人である。
 対象の2年生は数学の進研模試の成績が全員学年10番以内、ところが中学英語で落ちこぼれてしまって、すっかり英語学習アレルギーになっている。埒が明かないので、「2時間×10回の特訓」で、なんとかしようと思う
 英語ができる生徒は学年トップの一人だけ。この生徒にはハラリの”Sapiens”を原書で読む授業をしているから、特別講義の対象外。
 せっかくやるのだから目標設定をしよう。3人の生徒が進研模試の英語偏差値が60を超えてくれたらやったかいがあろうというもの。特別講義の授業料はタダ。(笑)
 2年生の1月の進研模試英語の2年生の平均点は19点だったかな、全国平均は33点前後だったと思う。標準偏差を18点とすると、全国偏差値60(上位16%)は得点51点以上である。根室高校2年生で英語の偏差値が60を超えているのは5人くらいなもの。
 ずいぶんと中身が濃くて楽しい授業になっている、わたしが高校生になって受講したいくらいだ。授業を作っているのは7人の塾生、高校の授業とはまるで違ったテイスト(味)。どんな授業か知っている塾生がいたら訊いてみたらいい。やってるわたしが一番楽しいのかも。(笑)
 英語の勉強の仕方がわからないという生徒たちばかりだが、10回の授業が終わったら、それぞれが独力で英語の勉強できるようになっているはず。授業の目的はそこにある。
 大人は結果でものをいう、さてどうなるか、お楽しみ
 授業内容は最初の2回分のみアップ済み。英語の勉強の仕方を教えているのだろうな。

*#4036 英語短期特訓開始:2時間×10回 July 17, 2019
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2019-07-17


 #4044 英語短期特訓授業(2nd) July 25, 2019
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2019-07-25




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