#4052 白内障手術体験記(1) Aug. 2, 2019 [36-1 白内障手術とその後]
<最終更新情報>
8月3日朝7時30分
左右の視力はバランスがとれていたのですが、数年前から左目の視力が0.1くらいに低下していました。本を読むときには視力0.6の右目で読んでいたのです。はじめのころは右目からしか文字情報が入らないので、脳の働きに影響が出ました。なんとなく、もわっとするのです。次第に慣れてきて、右目から入った情報がうまく処理できるようになり、違和感が小さくなりました。脳梁部での情報の受け渡しがスムーズになったのでしょうか、本を読むときに脳全体が以前よりは動かせるようになりました。どうやら視力は脳の働きに関係があるようです。
一昨日(7/31)白内障手術しましたが、右目よりも手術をした左目の方が視力がよくなりました。プラスチック・レンズのほうがクリアに見えるのです。光の透過度が違い、右目の方は薄く茶色がかって見えていることが分かりました。白い壁をみると、左目の方が真っ白に見え、右目の方で見るとくすんだ色に見えます。おそらく、右目の水晶体がくすんで見えるように色がうっすらついているのでしょうね。老化とはこういうことかもしれません。身体の部品の一つ一つが、ポンコツになっていくのです。心臓や腎臓、肝臓などの生命維持に直接かかわる臓器がポンコツ化したらたいへんです。腎臓だけは、人工透析でなんとかなります。心臓もペースメーカーがあります。そのうちに携帯型の透析装置とか、人工肝臓が開発され、ついで小型化されるのでしょう。細胞培養技術で心筋梗塞を起こしている組織を交換することができるかもしれませんね。医療技術開発の恩恵で、人間の長寿化が進みます。生きる意味が問われる時代がきっときます。
入院している間、暇なので、数学Bの数列の入試問題を解いていたのですが、今朝午前中にこの三日間で二十数頁使ったノートを、解法手順に焦点を当てて診ていくと、脳がスムーズに動くのが知覚できました。両目でしっかり見ることが脳全体の働きをよくするようです。
術後の2日目(今朝)、検査で視力測定をしましたが、左目の方は眼鏡矯正で一番下の文字までくっきり見えました。矯正視力1.5です。高校時代は左右ともに裸眼で1.5でした。矯正視力で18歳のときと同じレベル、現代医療はありがたい。視力が上がると世界が違って見えてきます。脳の機能が活性化して溌溂(はつらつ)としているのがわかります。目を通じて入力される情報量に大きな違いが生じて、脳の働きが活発になっているのでしょう。目に焦点を当てて老化を考えると、老化とは視力が落ちて、情報の入力量が減少し、それに比例して脳の働きが落ちていくことのようです。たんに、入力された情報の処理機能が落ちるだけでなくて、脳全体の働きが不活発になる。認知症や記憶障害もそういう脳機能全体の低下現象として出てくるのでしょう。
市立根室病院に7月30日から3日間入院しました。白内障の手術をしてもらうときに、車いすに乗って、手術室へ入るのにうっかり靴下をはいていたら入る前に、脱ぐように言われました。雑菌を持ち込まぬためでしょう。これから白内障の手術を受ける方、靴下は脱いでいきましょう。(笑) 足は1時間ほど前にタオルでしっかり清拭しておきます。抗菌剤入りの目薬をつけるのに「除菌できるウェットテッシュ」を使うので、それを4枚ほど使って、除菌するくらいのことは、次に右目の白内障手術があればやるつもりです。手術を受ける側のマナーですね。
手術室の空調はしっかり利いており、寒いのですが、脚にバスタオルをかけてくれたので、寒くありません、大丈夫ですよ。実は咳が出ることを心配してました。根室高校を卒業してから東京で35年間暮らしていたので、気管支喘息の気があるのです。団塊世代が進学で東京へ出て行ったころから、東京は車が増えて大気汚染がひどかった。27歳の時に公害病に認定できると病院で言われたことがありました。肺も長年のそうした大気汚染の影響を受けて、石灰化し、ポンコツになっています。2月に咳がひどかったので、主治医へ咳をとめる相談をしたら、「レルベア吸入用30日用」を処方してくれました。これが劇的に効きました。だから、白内障の手術の日の朝も久しぶりにレルベアを吸入して咳の予防をして臨みました。
白内障の手術とスキルス胃癌の手術のときとはパンツが自前だけの違いです。スキルス胃癌の手術のときは全身麻酔でおしっこが垂れ流しになるので、オチンチンに管を通しますから、パンツは手術用の使い捨て紙パンツでした、もう13年も前だったので忘れていました。あれは2006年7月20、6時間の手術で低体温症を起こし、術後に身体が痙攣して、集中治療室で、まるでエビのように体が跳ねていました。縫い合わせたばかりの腹部が開くのではないかと心配でした、体温を取り戻すために身体が反応していたのだろうと思います。数人の看護師さんがベッドから体が落ちないように押さえつけてくれてました。生命力ってすさまじいものです。文字通り身体が大きく跳ねていました、本能で渾身の力で死にあらがっていたのだと思います。大きな声で一人が「電気毛布もってきて!」と叫ぶ声がしました。電気毛布で体を包まれて、身体が温まり始めると痙攣がおさまったのです。麻酔で意識がないはずなのに、痙攣がおさまって、ああ、これで助かるんだと思いました。意識が自分の身体にスーッともどりました。上から見ていたのです。なにか、明るいところが見えてました。そちらへいってもいいかな、身体は低体温症で跳ねているのに、そして6時間の手術後なのに、ちっとも苦しくないし痛くもないのです。なるほど、死というのはこういう自然なものなのかと、恐れなくていいのだとわかったのです。2度目が来たら体の状態がどうであろうとも、きっとこころ安らかに死にます。せっかく何人もの人たちに助けていただいた命です、そう思って日々生きています。
白内障の手術に使う機器はドイツの工学機器メーカ、ZEISS製です。視野検査に使っている機器もZEISS製でした。ツァイスは世界最高の光学機器メーカで、特にそのレンズの優秀さは定評があります。
SRLのウィルス検査部には蛍光顕微鏡はZEISS製が十数台並んでいました。1980年代終わりころ、オリンパスが180-200万円くらい、ニコンが250万円前後だったが、ZEISSは300万円を超しいた。見え方がはっきり違うとは当時のウィルス検査担当者の弁。ラボ見学の目玉になるので、独断でウィルス検査室の蛍光顕微鏡は全部ZEISS製に入れ替えました。こういう予算はわたしが決めれば本社の予算管理担当部門も副社長の谷口さんが全部OKを出してくれました。自由に動けるようにバックアップしてくれてました。ラボに異動する直前まで全社予算の統括管理責任者でしたから、わたしがゴーサインだしたものに社内でノーを言える人はいませんでした。東証Ⅱ部上場要員として統合システムのサブシステムと他のシステムとのインターフェイス仕様書を作成して、8か月で本稼働、そのご検査試薬の20%コストダウンを提案して、提案したお前がラボの購買へ行って指揮しろと検査試薬コストダウンプロジェクトの本社側担当者として、20%のコストダウンに成功すると、そのまま異動通知が出されました。数年間毎年やれというのです、中途入社2年目でした。
大学検査室から見学に来られると、「さすが、技術が高いSRLさんは、使っている機器も世界最高のものだ」とZEISSの蛍光顕微鏡が十数台並んだウィルス検査室はなんども褒められました。検査担当者は迷惑だったと思います。蛍光をみているのに、ラボ見学で入室するときにドアが開きますから光が入ります。見えなくなるのです。仕事していて作業の流れがみだされるのは嫌なものです。でも、検査に使う蛍光顕微鏡を全部ZEISS製に替えたのはわたしですから、いやな顔はできないのです。世界最高のZEISSの顕微鏡で検査するのは仕事に大きな誇りをもてるのです。迷惑は分かってましたから、なるべく関係のなさそうな見学者は蛍光顕微鏡の部屋は外してました。阿吽の呼吸です。見せ所は他にもたくさんありました。
海外からのお客様のラボ見学のご案内がわたしの担当でしたが、学術情報部の3人では間に合わないことがありましたから、たまにピンチヒッターで国内の大学病院の先生たちのラボ見学のご案内もすることがありました。ラボ見学が終わった後で、応接室で「ところでebisuさん、どの検査部におられたのですか?」と訊かれたときが困るんです。「予算の統括管理と、統合システム開発をしていました、専門は経済学と経営管理です」そうお応えするしかありません。「え、…」、たいてい絶句なさいます。
ラボ見学対応の技はSRLでは歴代ナンバーワンだったと思います。これには理由があります。産業用エレクトロニクスの輸入商社でマイクロ波計測器を中心にマイクロ波やミリ波や光をディテクターに使った計測器、質量分析器、オシロクォーツ社の時間周波数標準機など、欧米50社の世界最先端の理化学機器を扱っていたので、6年間「門前の小僧習わぬ経を読む」式に知識が増えてました。毎月海外のメーカからエンジニアが来て新製品の説明会を開催してくれますし、東北大学の助教授が営業マン(理系大卒)と技術部員向けに計測原理に関する講義をしてくれました。全部出席してました。理化学機器はどんなものでも、基本的にディタクター部と制御と計算処理用コンピュータの部分と、インターフェイスの三つの部品から構成されています。わたしはその会社に中途入社して、すぐにプログラミング言語を3言語マスターしましたから、制御や計算処理用コンピュータを中心に理解できたのです。それらに比べると、臨床検査機器は制御や計算処理部分、そしてインターフェイスがずいぶん遅れてましたから、理解が簡単でした。ある小さいメーカと結石前処理ロボットの共同開発を検査部門がやっていましたが、ラボ管理部の尾形君が誘ってくれたので、タッチすることができたし、自動分注機の開発にも購買側の機器担当者としてタッチできました。SRL仕様を教えて、海外メーカー・ファルマシアLKBにRIカウンターを作らせたこともありました。LKBは紙フィルター式の液体シンチレーションカウンターをSRL向けに開発してくれました。それまで検査室の中は液体シンチレーションカウンターようのバイヤル(ガラス瓶)が山のように積まれて、少し太めの検査担当者がその間を縫うように動いて仕事してました。20㎝×15㎝ほどの紙フィルターに96検体を自動分注機で分注すれば、あとは静かに処理してくれます。バイヤルの山はなくなり、2台の紙フイルター方式の液シンで検査室は急に広くなりました。液体シンチレーションカウンターもエレクトロニクスの輸入専門商社の取扱品目でしたから、日常、見ていました。技術部門が下のフロアにあり、仲の良いのが数人いたので、何か新しいものが入ってくると入りびたりでした。愉しかった。
ラボを離れて数年後にRI部を覗いたら、真っ白でデザインのいいLKB製のRIカウンターがずらり並んでいました。ダサいデザインの日本製のものがなくなっていました。ちょっとうれしかった。栄研化学に提案して酵素系標識の精度のよい大型検査機器LX3000の最終インスタレーションテストを半年くらいして、半年間の独占使用契約をむすんだことがありましたが、これも数年後にラボで見たときにはずらりと並んでいました。RI検査機器に比べて、3桁検査精度が上がるんです。栄研化学の担当者が「契約書」を作るのでと挨拶に来た時に、ああ、上場作業中だなとすぐにピンときました。「どうして知っているんですか、会社からは外部に言うなと言われてます、内緒にしてください」と慌ててました。それでいくつか相談に乗ってやったのです。上場準備で暗礁に乗り上げそうなところにピントを絞って。栄研化学のある部長さん、喜んでました。その返礼に新規開発中の大型検査機械が、間もなく市販できる体制にあることを教えてくれたのです。市販してから何か技術的なトラブルが生じたらたいへんですから、SRLの臨床検査部で市販前に他の検査機器をつかったデータと比較テストを提案して、実施することになったのです。SRLで数か月間インスタレーションテストをすれば、市販するときには完璧な製品になってますから、栄研化学側にも大きなメリットがありました。あのような最終段階での大掛かりな性能テストは業界で初めてのケースでした。データの再現性に問題が見つかりました。朝の立ち上がりが悪いのです。2時間ほど動かすとデータが安定してきます。理由の解明は別途するとして、予備の温めを2時間することでクリアしました。時間周波数標準機は規定の性能がでるまで「火を入れてから」1か月間かかるなんて製品もありましたから、そういう問題が生じても当たり前と思ってました。要は問題点をクリアできればいいだけのこと。臨床検査部とメーカとの間で再現性でトラブルが生じ、一時険悪になったので、間に入って当面の処理のしかたをメーカ側のエンジニアに指示しました。エレクトロニクスの輸入商社の経験と専門知識がなければとてもできない仕事でした。
そんなわけで、分析機器やさまざまなタイプのコンピュータやソフトウェアやインターフェイスに詳しかったので、ラボ見学の性の説明内容が専門的で具体的だったようです。八王子ラボへ異動して全部の検査機器を一人で担当した2年間の間に自分がタッチしたものが多かった。精度保証部が世界で一番厳しい品質管理基準の米国CAPライセンス取得の際にも、仕事でタッチしてましたし、学術開発本部へ異動してから、3000項目の標準作業手順書を閲覧できたので、気になる検査については、標準作業手順書で確認していました。学術開発本部内の3部門、学術情報部、精度保証部、開発部の仕事をそれぞれ抱え、産学共同プロジェクトの責任者もしてました。本部内の部署を横断的に仕事していたのはわたしのみ。だから必要な書類は部署を問わず自由に閲覧できました。だから、検査手順にも詳しくなっていったのです。
学術開発本部の学術情報部の三人がラボ見学担当でしたが、担当取締役の石神さんは開発部案件で海外メーカからのラボ見学対応の担当者として、わたしを指名しました。異動して1か月もしないうちにです。他部署からの異動で学術情報部にきても、ラボ見学を一人で担当できるまで3年間ほどかかります。検査部の数は多いし、検査項目も膨大です。いい加減な説明をしたら、会社の信用にかかわります。見学に来るのは重要顧客のケースが多いですから。そして見学に来る人たちは、それぞれ何かの分野の専門家で、半数以上がドクターの学位保持者でした。いい加減な説明が通用するはずもない。こういう10個ほどの検査部門を横断して、解説ができるマルチな能力の人材を育てるというのは、いまでもむずかしいでしょう。たまたま、わたしは学術開発本部へ異動したときに、ひつような専門知識は全部持ち合わせていました。
検査部と業務部とシステム部を全部回ると5時間かかります。実施している検査項目が3000もあるのですから、ラボは広いし、検査部の数も多いのです。
市立根室病院眼科は専門医である大谷先生一人で頑張ってくれています。ZEISSの手術機器はもちろん世界一ですが、この分野では標準機になりつつあるそうです。極東の町根室でも、都会の大病院で使っている最高の機器で手術を受けられるというのは幸せなことです。眼科医は高度な技術を駆使する職人、使う道具も精度が高くて使いやすいものがいい。
欧州の一流メーカは開発する技術者の魂が違います。ドイツ電子天秤メーカ、メトラー社は世界最高の製品を作り続けているのでしょうが、1980年代終わりころに、展示会で話をしたことがあります。フードの開閉に使っているモータは日本製のマブチのステップモータだという説明でした。「100万回テストをしたが、ガタつかない、世界中でそんなモータが造れる日本のマブチだけ」のはそういっていました。困るどものころ、模型の部品に使われていたのが、マブチでした。おもちゃでしたよ、いつの間にか世界最高レベルの小型モータメーカーになっていたんです。
これも1980年代終わりごろのこと、染色体画像解析装置を開発した英国のメーカIRS社は、培養後の顕微鏡下の染色体をCCDカメラで取り込んで、コンピュータ処理して、自動的に大きさの順番に並べ替えた後、画像のプリント処理をしますが、そのために最良のレーザープリンタを採用したくて世界中のプリンターを20製品をテストしたと言ってました。プリントはきれいでした。スコットランド訛り強い英語(まるでドイツ訛りのような英語)でしゃべる技術者でした、品質の追及は徹底していました。
こういう風に、欧州の技術屋さんたちは妥協せずにとことんいいものを追いかけるようです。もちろん、自分のところでとってもユニークな技術を核にもっていての話しです。
手術室のスタッフは2名の女性の看護師さんと1名の男性看護師さんの3人。大谷先生を入れて四人のチームで編成されていました。手術室に入ると、歯科医院にある治療用椅子よりももっとごつい椅子座り、ヘッドレストに頭をつけます。両手は椅子の脇の湾曲したバーを握れるようになっています。最初の内は思わず手に力が入りましたが、次第に力を抜いていきました。生徒がひどい目の物貰いで瞼の巣術をしたときに、「先生、目に直接麻酔薬打つんだよ、痛かった」と笑いながら脅すんです。だから最初はどうなることかとちょっと緊張してました。
左目の治療だから、左目の周りに目の部分だけが開いたラバーを顔に貼り付けます。歯科医でも最近は口を開けたままにしておくのに、ラバー製のシートを口の周りに貼り付けて、開いた口が動かぬように固定しますが、同じ材料だと思います。東京の聖蹟桜ヶ丘駅前の林歯科医院で使っているものと感触が一緒でした。結構な力で引っ張られていました。
ラバーでの目の固定が終わると、麻酔液を眼球にかけます。手術照明灯を見るように指示されました。明るくてまぶしいのですが、光の洪水の中に「CI」を右に90度回転させた文字が銀色に輝いて見えます。手術が始まって、眼球を切開してジーという音がしてきます。水晶体を切って小さくして超音波でさらに細分化して吸い上げていくようです。途中で「残量290」という声がしました。水晶体の残りのことなのか、何かの薬剤の残りなのかよくわかりません。光が見えなくなり、自分の眼球がどの方向を向いているのかわからない状態がしばらく続いて、突然また光と「CI」の字が戻ってきました。それで、プラスチック・レンズが入ったことが分かりました。手術開始のときよりもくっきり見えるのが不思議でした。終わりましたと言って、照明が消えたら、大谷先生の顔がはっきり見えました、びっくりです。眼球の真ん中の角膜を切開していると思っていたので、手術直後にはきれいな像が見えないと思い込んでいたからです。そうではありませんでした。
目を圧迫しないブルーの眼帯を装着してもらって、手術室をでました。「水晶体が、少し硬かった」と大谷先生。切り出し処理に時間がかかったようです。
午後4時10分に病室を出たが、戻ってきたのは4時50分でしたから、正味30分くらいの時間でした。通常は20分くらいとおっしゃっていました。
四人のチームワークのよいこと、指示が次々に飛ぶのですが、間髪入れずに目に指示した薬液がかけられます。ふだんの目の検査のときに、1分でも開けたままでいるのは目が乾いて辛いのですが、あれだけいいタイミングで薬液を次々にかけられたら、眼球が乾く心配などありませんよ、術前には目を開けていれるかが心配でしたが、杞憂でした。
翌日(8/1)、午前中に診察を受けました。眼帯を外して視野検査をして結果は良好。よく見える。右目と変わらない。右目の水晶体がすこし茶色がかかっていることが分かった。左目で見ると、白が真っ白に見えるが、右目だとくすんで見える。プラスチックレンズはクリアなのだ。いま、右目を閉じて左目でタイピングしている。
ところで、角膜を切開して水晶体を切り、砕いて吸いとったはずだから、角膜が傷ついたはずなのに、手術直後に先生の顔がはっきり見えたり、眼帯を外したもらって、像がゆがまないのはどういうわけか訊いてみました。脇のところから切開して手術するので、視野に入る角膜は傷がつかないのだそうです。ZEISSの手術機器は優れもの。
今朝(8/2)10時に視力検査をした。術前は裸眼で一番上の記号すら判読できなかったのに、上から1/3くらいは判別できました。眼鏡をかけて度の調整をしたら、1.5、実によく見えます。
<病院食>
胃と胆嚢がないので5分割食にしてもらいました。10時と3時におやつ、ヨーグルトとプリンです。
「胃切分割食」とプレートに貼り付けてありました。2006年にスキルス胃癌と巨大胃癌の併発で釧路医師会病院に入院したときの食事に比べて、器の保温性能が格段にアップしています。分厚くて軽いから、冷めない。器自体も温められているのでしょう。もちろ配膳カートも保温機能付きです。胃がないので食べ終わるのにほぼ30分かかりますが、冷めきらない。最後まで温かいまま食べられます。おかずは魚類が多かった。肉は一度もでませんでした。鰈の煮つけだけでなく、干物だが焼き魚もだされましたた。魚を焼ける設備はもっていないところが多いが市立根室病院にはあるようです。おいしくいただきました、もちろん毎食完食。ご飯は「胃切分割食」150gと表示されていました。
大谷先生とチームの3人の看護師さんたちどうもありがとうございました。
<病棟看護師さん>
看護学校を卒業して、2年目のTさんとベテランのHさんがついてくれた。点滴用の管を挿入しに、Tさんが来た。わたしはTさんの同級生を数人知っていました。
「自分の手だとは思わない、人の手だから、思い切ってぶっすりいれたらいい」
わたしの血管はよく見えるのだが、遠慮しがちに穿刺すると血管が逃げることがある。釧路医師会病院のベテラン看護師さんが18Gだったかな、太めの針で3度やって3度とも外して、「自信を無くした」と細い針でやってもらったことがあった。ためらうとますます血管が逃げるようだ。
Tさんの穿刺は思いっきりがよかった。一発で成功、こんな思いっきりのよい刺し方ははじめてでしたね。どんどん上手になってください。術後、点滴の管を抜いた後3分ほど軽く押さえておいたら、内出血ゼロ。
3年目のある看護師さんは、小学生の時から体力がなくて、中学校へ入学してから吹部、疲れて、授業中寝落ちすることがたまにあった。我慢して勉強しようとするのだが、次第に頭がぐらつき、ストンと寝落ちする。寝つきがよかった。(笑) 個別指導だから15分間そのまま寝かせておく、15分経ったらすっかり元気いっぱい。回復力のある子だった。好い看護師さんになった。なんだかとっても嬉しかった。
岡田先生が看護師の奨学金増額を提言してくれて、それが市議会で賛成多数で可決され、月3万円だった奨学金が10万円になったので、たくさんの根室高校生が看護学校に進学できるようになった。毎年15-18人くらい看護学校に進学しているから、四人に一人しか戻ってくなくても、根室市の各病院は看護師さんを確保できる。
根室はつい数年前まで、正看護師の足りない地域だったのである。制度をいじっただけで、長期的には看護師を自前で確保できる町になった。高い年収で、好い職場があれば、根室に戻って来たい根室っ子はじつは多いのだ。受け皿があれば若い人たちが戻ってくるから、根室の人口が減ることはないのである。
次は医師の番である。毎年3人くらい、医学部の進学できそうな生徒がいる。まずは、実績を創ることだ。育て方次第、長期戦略の立て方次第で根室市は医師不足を解消できる。
8月3日朝7時30分
左右の視力はバランスがとれていたのですが、数年前から左目の視力が0.1くらいに低下していました。本を読むときには視力0.6の右目で読んでいたのです。はじめのころは右目からしか文字情報が入らないので、脳の働きに影響が出ました。なんとなく、もわっとするのです。次第に慣れてきて、右目から入った情報がうまく処理できるようになり、違和感が小さくなりました。脳梁部での情報の受け渡しがスムーズになったのでしょうか、本を読むときに脳全体が以前よりは動かせるようになりました。どうやら視力は脳の働きに関係があるようです。
一昨日(7/31)白内障手術しましたが、右目よりも手術をした左目の方が視力がよくなりました。プラスチック・レンズのほうがクリアに見えるのです。光の透過度が違い、右目の方は薄く茶色がかって見えていることが分かりました。白い壁をみると、左目の方が真っ白に見え、右目の方で見るとくすんだ色に見えます。おそらく、右目の水晶体がくすんで見えるように色がうっすらついているのでしょうね。老化とはこういうことかもしれません。身体の部品の一つ一つが、ポンコツになっていくのです。心臓や腎臓、肝臓などの生命維持に直接かかわる臓器がポンコツ化したらたいへんです。腎臓だけは、人工透析でなんとかなります。心臓もペースメーカーがあります。そのうちに携帯型の透析装置とか、人工肝臓が開発され、ついで小型化されるのでしょう。細胞培養技術で心筋梗塞を起こしている組織を交換することができるかもしれませんね。医療技術開発の恩恵で、人間の長寿化が進みます。生きる意味が問われる時代がきっときます。
入院している間、暇なので、数学Bの数列の入試問題を解いていたのですが、今朝午前中にこの三日間で二十数頁使ったノートを、解法手順に焦点を当てて診ていくと、脳がスムーズに動くのが知覚できました。両目でしっかり見ることが脳全体の働きをよくするようです。
術後の2日目(今朝)、検査で視力測定をしましたが、左目の方は眼鏡矯正で一番下の文字までくっきり見えました。矯正視力1.5です。高校時代は左右ともに裸眼で1.5でした。矯正視力で18歳のときと同じレベル、現代医療はありがたい。視力が上がると世界が違って見えてきます。脳の機能が活性化して溌溂(はつらつ)としているのがわかります。目を通じて入力される情報量に大きな違いが生じて、脳の働きが活発になっているのでしょう。目に焦点を当てて老化を考えると、老化とは視力が落ちて、情報の入力量が減少し、それに比例して脳の働きが落ちていくことのようです。たんに、入力された情報の処理機能が落ちるだけでなくて、脳全体の働きが不活発になる。認知症や記憶障害もそういう脳機能全体の低下現象として出てくるのでしょう。
市立根室病院に7月30日から3日間入院しました。白内障の手術をしてもらうときに、車いすに乗って、手術室へ入るのにうっかり靴下をはいていたら入る前に、脱ぐように言われました。雑菌を持ち込まぬためでしょう。これから白内障の手術を受ける方、靴下は脱いでいきましょう。(笑) 足は1時間ほど前にタオルでしっかり清拭しておきます。抗菌剤入りの目薬をつけるのに「除菌できるウェットテッシュ」を使うので、それを4枚ほど使って、除菌するくらいのことは、次に右目の白内障手術があればやるつもりです。手術を受ける側のマナーですね。
手術室の空調はしっかり利いており、寒いのですが、脚にバスタオルをかけてくれたので、寒くありません、大丈夫ですよ。実は咳が出ることを心配してました。根室高校を卒業してから東京で35年間暮らしていたので、気管支喘息の気があるのです。団塊世代が進学で東京へ出て行ったころから、東京は車が増えて大気汚染がひどかった。27歳の時に公害病に認定できると病院で言われたことがありました。肺も長年のそうした大気汚染の影響を受けて、石灰化し、ポンコツになっています。2月に咳がひどかったので、主治医へ咳をとめる相談をしたら、「レルベア吸入用30日用」を処方してくれました。これが劇的に効きました。だから、白内障の手術の日の朝も久しぶりにレルベアを吸入して咳の予防をして臨みました。
白内障の手術とスキルス胃癌の手術のときとはパンツが自前だけの違いです。スキルス胃癌の手術のときは全身麻酔でおしっこが垂れ流しになるので、オチンチンに管を通しますから、パンツは手術用の使い捨て紙パンツでした、もう13年も前だったので忘れていました。あれは2006年7月20、6時間の手術で低体温症を起こし、術後に身体が痙攣して、集中治療室で、まるでエビのように体が跳ねていました。縫い合わせたばかりの腹部が開くのではないかと心配でした、体温を取り戻すために身体が反応していたのだろうと思います。数人の看護師さんがベッドから体が落ちないように押さえつけてくれてました。生命力ってすさまじいものです。文字通り身体が大きく跳ねていました、本能で渾身の力で死にあらがっていたのだと思います。大きな声で一人が「電気毛布もってきて!」と叫ぶ声がしました。電気毛布で体を包まれて、身体が温まり始めると痙攣がおさまったのです。麻酔で意識がないはずなのに、痙攣がおさまって、ああ、これで助かるんだと思いました。意識が自分の身体にスーッともどりました。上から見ていたのです。なにか、明るいところが見えてました。そちらへいってもいいかな、身体は低体温症で跳ねているのに、そして6時間の手術後なのに、ちっとも苦しくないし痛くもないのです。なるほど、死というのはこういう自然なものなのかと、恐れなくていいのだとわかったのです。2度目が来たら体の状態がどうであろうとも、きっとこころ安らかに死にます。せっかく何人もの人たちに助けていただいた命です、そう思って日々生きています。
白内障の手術に使う機器はドイツの工学機器メーカ、ZEISS製です。視野検査に使っている機器もZEISS製でした。ツァイスは世界最高の光学機器メーカで、特にそのレンズの優秀さは定評があります。
SRLのウィルス検査部には蛍光顕微鏡はZEISS製が十数台並んでいました。1980年代終わりころ、オリンパスが180-200万円くらい、ニコンが250万円前後だったが、ZEISSは300万円を超しいた。見え方がはっきり違うとは当時のウィルス検査担当者の弁。ラボ見学の目玉になるので、独断でウィルス検査室の蛍光顕微鏡は全部ZEISS製に入れ替えました。こういう予算はわたしが決めれば本社の予算管理担当部門も副社長の谷口さんが全部OKを出してくれました。自由に動けるようにバックアップしてくれてました。ラボに異動する直前まで全社予算の統括管理責任者でしたから、わたしがゴーサインだしたものに社内でノーを言える人はいませんでした。東証Ⅱ部上場要員として統合システムのサブシステムと他のシステムとのインターフェイス仕様書を作成して、8か月で本稼働、そのご検査試薬の20%コストダウンを提案して、提案したお前がラボの購買へ行って指揮しろと検査試薬コストダウンプロジェクトの本社側担当者として、20%のコストダウンに成功すると、そのまま異動通知が出されました。数年間毎年やれというのです、中途入社2年目でした。
大学検査室から見学に来られると、「さすが、技術が高いSRLさんは、使っている機器も世界最高のものだ」とZEISSの蛍光顕微鏡が十数台並んだウィルス検査室はなんども褒められました。検査担当者は迷惑だったと思います。蛍光をみているのに、ラボ見学で入室するときにドアが開きますから光が入ります。見えなくなるのです。仕事していて作業の流れがみだされるのは嫌なものです。でも、検査に使う蛍光顕微鏡を全部ZEISS製に替えたのはわたしですから、いやな顔はできないのです。世界最高のZEISSの顕微鏡で検査するのは仕事に大きな誇りをもてるのです。迷惑は分かってましたから、なるべく関係のなさそうな見学者は蛍光顕微鏡の部屋は外してました。阿吽の呼吸です。見せ所は他にもたくさんありました。
海外からのお客様のラボ見学のご案内がわたしの担当でしたが、学術情報部の3人では間に合わないことがありましたから、たまにピンチヒッターで国内の大学病院の先生たちのラボ見学のご案内もすることがありました。ラボ見学が終わった後で、応接室で「ところでebisuさん、どの検査部におられたのですか?」と訊かれたときが困るんです。「予算の統括管理と、統合システム開発をしていました、専門は経済学と経営管理です」そうお応えするしかありません。「え、…」、たいてい絶句なさいます。
ラボ見学対応の技はSRLでは歴代ナンバーワンだったと思います。これには理由があります。産業用エレクトロニクスの輸入商社でマイクロ波計測器を中心にマイクロ波やミリ波や光をディテクターに使った計測器、質量分析器、オシロクォーツ社の時間周波数標準機など、欧米50社の世界最先端の理化学機器を扱っていたので、6年間「門前の小僧習わぬ経を読む」式に知識が増えてました。毎月海外のメーカからエンジニアが来て新製品の説明会を開催してくれますし、東北大学の助教授が営業マン(理系大卒)と技術部員向けに計測原理に関する講義をしてくれました。全部出席してました。理化学機器はどんなものでも、基本的にディタクター部と制御と計算処理用コンピュータの部分と、インターフェイスの三つの部品から構成されています。わたしはその会社に中途入社して、すぐにプログラミング言語を3言語マスターしましたから、制御や計算処理用コンピュータを中心に理解できたのです。それらに比べると、臨床検査機器は制御や計算処理部分、そしてインターフェイスがずいぶん遅れてましたから、理解が簡単でした。ある小さいメーカと結石前処理ロボットの共同開発を検査部門がやっていましたが、ラボ管理部の尾形君が誘ってくれたので、タッチすることができたし、自動分注機の開発にも購買側の機器担当者としてタッチできました。SRL仕様を教えて、海外メーカー・ファルマシアLKBにRIカウンターを作らせたこともありました。LKBは紙フィルター式の液体シンチレーションカウンターをSRL向けに開発してくれました。それまで検査室の中は液体シンチレーションカウンターようのバイヤル(ガラス瓶)が山のように積まれて、少し太めの検査担当者がその間を縫うように動いて仕事してました。20㎝×15㎝ほどの紙フィルターに96検体を自動分注機で分注すれば、あとは静かに処理してくれます。バイヤルの山はなくなり、2台の紙フイルター方式の液シンで検査室は急に広くなりました。液体シンチレーションカウンターもエレクトロニクスの輸入専門商社の取扱品目でしたから、日常、見ていました。技術部門が下のフロアにあり、仲の良いのが数人いたので、何か新しいものが入ってくると入りびたりでした。愉しかった。
ラボを離れて数年後にRI部を覗いたら、真っ白でデザインのいいLKB製のRIカウンターがずらり並んでいました。ダサいデザインの日本製のものがなくなっていました。ちょっとうれしかった。栄研化学に提案して酵素系標識の精度のよい大型検査機器LX3000の最終インスタレーションテストを半年くらいして、半年間の独占使用契約をむすんだことがありましたが、これも数年後にラボで見たときにはずらりと並んでいました。RI検査機器に比べて、3桁検査精度が上がるんです。栄研化学の担当者が「契約書」を作るのでと挨拶に来た時に、ああ、上場作業中だなとすぐにピンときました。「どうして知っているんですか、会社からは外部に言うなと言われてます、内緒にしてください」と慌ててました。それでいくつか相談に乗ってやったのです。上場準備で暗礁に乗り上げそうなところにピントを絞って。栄研化学のある部長さん、喜んでました。その返礼に新規開発中の大型検査機械が、間もなく市販できる体制にあることを教えてくれたのです。市販してから何か技術的なトラブルが生じたらたいへんですから、SRLの臨床検査部で市販前に他の検査機器をつかったデータと比較テストを提案して、実施することになったのです。SRLで数か月間インスタレーションテストをすれば、市販するときには完璧な製品になってますから、栄研化学側にも大きなメリットがありました。あのような最終段階での大掛かりな性能テストは業界で初めてのケースでした。データの再現性に問題が見つかりました。朝の立ち上がりが悪いのです。2時間ほど動かすとデータが安定してきます。理由の解明は別途するとして、予備の温めを2時間することでクリアしました。時間周波数標準機は規定の性能がでるまで「火を入れてから」1か月間かかるなんて製品もありましたから、そういう問題が生じても当たり前と思ってました。要は問題点をクリアできればいいだけのこと。臨床検査部とメーカとの間で再現性でトラブルが生じ、一時険悪になったので、間に入って当面の処理のしかたをメーカ側のエンジニアに指示しました。エレクトロニクスの輸入商社の経験と専門知識がなければとてもできない仕事でした。
そんなわけで、分析機器やさまざまなタイプのコンピュータやソフトウェアやインターフェイスに詳しかったので、ラボ見学の性の説明内容が専門的で具体的だったようです。八王子ラボへ異動して全部の検査機器を一人で担当した2年間の間に自分がタッチしたものが多かった。精度保証部が世界で一番厳しい品質管理基準の米国CAPライセンス取得の際にも、仕事でタッチしてましたし、学術開発本部へ異動してから、3000項目の標準作業手順書を閲覧できたので、気になる検査については、標準作業手順書で確認していました。学術開発本部内の3部門、学術情報部、精度保証部、開発部の仕事をそれぞれ抱え、産学共同プロジェクトの責任者もしてました。本部内の部署を横断的に仕事していたのはわたしのみ。だから必要な書類は部署を問わず自由に閲覧できました。だから、検査手順にも詳しくなっていったのです。
学術開発本部の学術情報部の三人がラボ見学担当でしたが、担当取締役の石神さんは開発部案件で海外メーカからのラボ見学対応の担当者として、わたしを指名しました。異動して1か月もしないうちにです。他部署からの異動で学術情報部にきても、ラボ見学を一人で担当できるまで3年間ほどかかります。検査部の数は多いし、検査項目も膨大です。いい加減な説明をしたら、会社の信用にかかわります。見学に来るのは重要顧客のケースが多いですから。そして見学に来る人たちは、それぞれ何かの分野の専門家で、半数以上がドクターの学位保持者でした。いい加減な説明が通用するはずもない。こういう10個ほどの検査部門を横断して、解説ができるマルチな能力の人材を育てるというのは、いまでもむずかしいでしょう。たまたま、わたしは学術開発本部へ異動したときに、ひつような専門知識は全部持ち合わせていました。
検査部と業務部とシステム部を全部回ると5時間かかります。実施している検査項目が3000もあるのですから、ラボは広いし、検査部の数も多いのです。
市立根室病院眼科は専門医である大谷先生一人で頑張ってくれています。ZEISSの手術機器はもちろん世界一ですが、この分野では標準機になりつつあるそうです。極東の町根室でも、都会の大病院で使っている最高の機器で手術を受けられるというのは幸せなことです。眼科医は高度な技術を駆使する職人、使う道具も精度が高くて使いやすいものがいい。
欧州の一流メーカは開発する技術者の魂が違います。ドイツ電子天秤メーカ、メトラー社は世界最高の製品を作り続けているのでしょうが、1980年代終わりころに、展示会で話をしたことがあります。フードの開閉に使っているモータは日本製のマブチのステップモータだという説明でした。「100万回テストをしたが、ガタつかない、世界中でそんなモータが造れる日本のマブチだけ」のはそういっていました。困るどものころ、模型の部品に使われていたのが、マブチでした。おもちゃでしたよ、いつの間にか世界最高レベルの小型モータメーカーになっていたんです。
これも1980年代終わりごろのこと、染色体画像解析装置を開発した英国のメーカIRS社は、培養後の顕微鏡下の染色体をCCDカメラで取り込んで、コンピュータ処理して、自動的に大きさの順番に並べ替えた後、画像のプリント処理をしますが、そのために最良のレーザープリンタを採用したくて世界中のプリンターを20製品をテストしたと言ってました。プリントはきれいでした。スコットランド訛り強い英語(まるでドイツ訛りのような英語)でしゃべる技術者でした、品質の追及は徹底していました。
こういう風に、欧州の技術屋さんたちは妥協せずにとことんいいものを追いかけるようです。もちろん、自分のところでとってもユニークな技術を核にもっていての話しです。
手術室のスタッフは2名の女性の看護師さんと1名の男性看護師さんの3人。大谷先生を入れて四人のチームで編成されていました。手術室に入ると、歯科医院にある治療用椅子よりももっとごつい椅子座り、ヘッドレストに頭をつけます。両手は椅子の脇の湾曲したバーを握れるようになっています。最初の内は思わず手に力が入りましたが、次第に力を抜いていきました。生徒がひどい目の物貰いで瞼の巣術をしたときに、「先生、目に直接麻酔薬打つんだよ、痛かった」と笑いながら脅すんです。だから最初はどうなることかとちょっと緊張してました。
左目の治療だから、左目の周りに目の部分だけが開いたラバーを顔に貼り付けます。歯科医でも最近は口を開けたままにしておくのに、ラバー製のシートを口の周りに貼り付けて、開いた口が動かぬように固定しますが、同じ材料だと思います。東京の聖蹟桜ヶ丘駅前の林歯科医院で使っているものと感触が一緒でした。結構な力で引っ張られていました。
ラバーでの目の固定が終わると、麻酔液を眼球にかけます。手術照明灯を見るように指示されました。明るくてまぶしいのですが、光の洪水の中に「CI」を右に90度回転させた文字が銀色に輝いて見えます。手術が始まって、眼球を切開してジーという音がしてきます。水晶体を切って小さくして超音波でさらに細分化して吸い上げていくようです。途中で「残量290」という声がしました。水晶体の残りのことなのか、何かの薬剤の残りなのかよくわかりません。光が見えなくなり、自分の眼球がどの方向を向いているのかわからない状態がしばらく続いて、突然また光と「CI」の字が戻ってきました。それで、プラスチック・レンズが入ったことが分かりました。手術開始のときよりもくっきり見えるのが不思議でした。終わりましたと言って、照明が消えたら、大谷先生の顔がはっきり見えました、びっくりです。眼球の真ん中の角膜を切開していると思っていたので、手術直後にはきれいな像が見えないと思い込んでいたからです。そうではありませんでした。
目を圧迫しないブルーの眼帯を装着してもらって、手術室をでました。「水晶体が、少し硬かった」と大谷先生。切り出し処理に時間がかかったようです。
午後4時10分に病室を出たが、戻ってきたのは4時50分でしたから、正味30分くらいの時間でした。通常は20分くらいとおっしゃっていました。
四人のチームワークのよいこと、指示が次々に飛ぶのですが、間髪入れずに目に指示した薬液がかけられます。ふだんの目の検査のときに、1分でも開けたままでいるのは目が乾いて辛いのですが、あれだけいいタイミングで薬液を次々にかけられたら、眼球が乾く心配などありませんよ、術前には目を開けていれるかが心配でしたが、杞憂でした。
翌日(8/1)、午前中に診察を受けました。眼帯を外して視野検査をして結果は良好。よく見える。右目と変わらない。右目の水晶体がすこし茶色がかかっていることが分かった。左目で見ると、白が真っ白に見えるが、右目だとくすんで見える。プラスチックレンズはクリアなのだ。いま、右目を閉じて左目でタイピングしている。
ところで、角膜を切開して水晶体を切り、砕いて吸いとったはずだから、角膜が傷ついたはずなのに、手術直後に先生の顔がはっきり見えたり、眼帯を外したもらって、像がゆがまないのはどういうわけか訊いてみました。脇のところから切開して手術するので、視野に入る角膜は傷がつかないのだそうです。ZEISSの手術機器は優れもの。
今朝(8/2)10時に視力検査をした。術前は裸眼で一番上の記号すら判読できなかったのに、上から1/3くらいは判別できました。眼鏡をかけて度の調整をしたら、1.5、実によく見えます。
<病院食>
胃と胆嚢がないので5分割食にしてもらいました。10時と3時におやつ、ヨーグルトとプリンです。
「胃切分割食」とプレートに貼り付けてありました。2006年にスキルス胃癌と巨大胃癌の併発で釧路医師会病院に入院したときの食事に比べて、器の保温性能が格段にアップしています。分厚くて軽いから、冷めない。器自体も温められているのでしょう。もちろ配膳カートも保温機能付きです。胃がないので食べ終わるのにほぼ30分かかりますが、冷めきらない。最後まで温かいまま食べられます。おかずは魚類が多かった。肉は一度もでませんでした。鰈の煮つけだけでなく、干物だが焼き魚もだされましたた。魚を焼ける設備はもっていないところが多いが市立根室病院にはあるようです。おいしくいただきました、もちろん毎食完食。ご飯は「胃切分割食」150gと表示されていました。
大谷先生とチームの3人の看護師さんたちどうもありがとうございました。
<病棟看護師さん>
看護学校を卒業して、2年目のTさんとベテランのHさんがついてくれた。点滴用の管を挿入しに、Tさんが来た。わたしはTさんの同級生を数人知っていました。
「自分の手だとは思わない、人の手だから、思い切ってぶっすりいれたらいい」
わたしの血管はよく見えるのだが、遠慮しがちに穿刺すると血管が逃げることがある。釧路医師会病院のベテラン看護師さんが18Gだったかな、太めの針で3度やって3度とも外して、「自信を無くした」と細い針でやってもらったことがあった。ためらうとますます血管が逃げるようだ。
Tさんの穿刺は思いっきりがよかった。一発で成功、こんな思いっきりのよい刺し方ははじめてでしたね。どんどん上手になってください。術後、点滴の管を抜いた後3分ほど軽く押さえておいたら、内出血ゼロ。
3年目のある看護師さんは、小学生の時から体力がなくて、中学校へ入学してから吹部、疲れて、授業中寝落ちすることがたまにあった。我慢して勉強しようとするのだが、次第に頭がぐらつき、ストンと寝落ちする。寝つきがよかった。(笑) 個別指導だから15分間そのまま寝かせておく、15分経ったらすっかり元気いっぱい。回復力のある子だった。好い看護師さんになった。なんだかとっても嬉しかった。
岡田先生が看護師の奨学金増額を提言してくれて、それが市議会で賛成多数で可決され、月3万円だった奨学金が10万円になったので、たくさんの根室高校生が看護学校に進学できるようになった。毎年15-18人くらい看護学校に進学しているから、四人に一人しか戻ってくなくても、根室市の各病院は看護師さんを確保できる。
根室はつい数年前まで、正看護師の足りない地域だったのである。制度をいじっただけで、長期的には看護師を自前で確保できる町になった。高い年収で、好い職場があれば、根室に戻って来たい根室っ子はじつは多いのだ。受け皿があれば若い人たちが戻ってくるから、根室の人口が減ることはないのである。
次は医師の番である。毎年3人くらい、医学部の進学できそうな生徒がいる。まずは、実績を創ることだ。育て方次第、長期戦略の立て方次第で根室市は医師不足を解消できる。
末尾になりましたが、病棟看護師のみなさん、スタッフのみなさん、3日間お世話になりました。これから、よくなった目でサイクリングしてきます。(笑)
<大谷先生は超忙しい>
眼科はいつも混んでいます。2時半の予約があって診察を受けたときには、会計済ませたら6時でした。大谷先生は、毎日6時ころまで診察業務をしておられます。とにかく患者が多いのです。眼科の受付を済ませたら、受付番号が紙にプリントされるので、その番号で順番を判断しましょう。予約のある人と予約のない人で番号が違います。どちらかが、9で始まる4ケタの番号です。下3桁が順番になっていますから、午後になりそうなら、眼科受付の人に一言いって、家へ戻って午後に来た方がいいようです。
患者は老人が多いので、免許を返上してバスで来る人もいます。簡単に自宅へ戻ってまた来るということができない患者もいます。具合が悪い状態で、長時間待つのは実際にはなかなかつらいのです。いちど、10時半から待っている男性の老人が怒鳴り始めたのをお見かけしました。4時に近くなっていましたがまだ患者は十数人いました、責任者を出せと、30分ほど怒ってました。病院スタッフの人が言い分を聞いて、病院側の事情も伝え、なだめてました。喫茶コーナーや食事のできるコーナーがあればよかったのですが、ありません。
高齢化が進みこういうケースが増えるのでしょうね。何かいいやり方があれば、ご投稿ください。
*#4026 眼科受診:白内障術前検査小話 July 4, 2019
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2019-07-04
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2019-08-02 13:11
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コメント(2)
大事にしてくれ。
高齢者問題はどこの病院でもある。
しかし根室は誰のための病院という処?
誰だこんな設計した奴らは
だから人間は面白い!
チャオ!
by 石動惣一 (2019-08-03 08:25)
石動惣一さん
投稿ありがとうございます。
市立病院は当初設計ではカフェテリアがありましたが、途中で消えました。その結果でしょうね。
こういう設計上のミスのツケを払うのは、結局利用者ということ。
あそこは強固な岩盤なので病院建物は、耐震設計の必要がなかったのです。そちらの予算をすこし回すだけで、カフェテリアは設置可能でした。カレーと珈琲だけでよかったのです。一般市民と対話をせずに、市長の諮問委員会方式でやるとこういう問題が必ず後から出てきます。
地質調査もせずに耐震設計を建築仕様に入れた、かかわった人たちは学力不足、そして欲深。まさに誰のための設計かという問題を惹起してしまいました。W建設会社のためでしょう。1番札を入れたJVを幹部会を開催して強引に外して、2番札のW建設のJVにもって行きました。あきれてものが言えません。これならなんでもやれます。
学力低下あるいは学力不足は根室の子どもたちだけの問題ではありません。大人がもっとひどいだから、不要な仕様をつけて、必須の仕様を削るような愚かな設計仕様がまかり通りました。
結局、建て替え総事業費に70億円以上を費やしてしまいました。
今日も30度を超えそうです、高齢のみなさん、熱いお茶を飲んで、熱中症にならないようにしましょう。救急車でこんな日に運ばれるのは嫌でしょう?
by ebisu (2019-08-03 10:20)