#3960 英語の教科書を読むトレーニング Apr. 12, 2019 [62-1 個別指導の実際]
<最終更新情報>
4/14 午後5時25分
昨日、高3の教科書をつかって読解トレーニング中の高2の生徒から質問があったので、どういう読み方をしているのか分析してみた。当該箇所の段落まるごと引用する。
4/14 午後5時25分
昨日、高3の教科書をつかって読解トレーニング中の高2の生徒から質問があったので、どういう読み方をしているのか分析してみた。当該箇所の段落まるごと引用する。
Having performed all over the world, Togi sees no deference between the reaction of Japanese and non-Japanese audeiences. Both Japanese and non-Japanese people feel the same way. People say Togi's music sounds familiar and makes them feel nostalgic.
VividⅢ p.82
日本人が書いた英文は、受験英語の影響でこういう分詞構文の使い方が多い。前後関係からhaving~以下の句のほうが時間的順序が先だから、これでいいのだが、ジャパンタイムズを読んでいるとあまりこうした事例にはお目にかからぬ。順序が逆のケースがほとんどだ。主節が先に来て分詞構文が後に来る例が圧倒的に多い。時間的順序を考慮すると使用法としては正しいので、あるいはネイティブの手になる文かもしれない。
この章は雅楽の東儀さんが話題になっている。この段落の no deference の部分を「東儀は日本人にも日本人ではない人たちにもリアクションは共通していると思っている」と生徒が訳したのだが、意訳のし過ぎと注意した。逐語訳は感心しないが、意訳のし過ぎはときに書き手の意図を無視しかねない。段落全体が視野に入ればこの訳が適切でないことがわかる。no deference と the same way が呼応しているのである。その点を考慮した適切な訳を別途考えるべき。
「世界中を講演して回っているので、日本人も日本人ではない聴衆もその反応に違いはなく、日本人も日本人ではない人もどちらも同じように感じていると東儀は承知している」
これはレトリック(rhetoric)である。
生徒は文章の尖端から齧って逐語的に消化して読んでいるようだ。コンピュータ言語ならBASICのようなもので逐次処理方式である。なれてくると段落全体にさっと目がいき、レトリックに気がつく。塊で読むようになるのだが、その域までまだいっていないということ。たくさん読めば、段落全体にさっと目がいき、適切な訳ができるようになる。
the same way は文脈から「同じような」という自然な日本語が浮かぶ、そのあとで辞書を引き確認すればいい。辞書にはそういう意味が載っている。学校で英単語暗記に利用している『ユメタン』の知識でwayを「方法」や「道」と覚えていると、それにこだわって適切な日本語語彙がでてこない。
中学校の英語授業では英語の辞書を使わない、そして高校生になると1年生の時から『ユメタン』が英単語暗記トレーニング教材として使われ、毎週テストが実施されている。そうした指導法の弱点が如実に現れていると思う。英文精読トレーニングはそうした「悪い癖」を矯正することにも効果が大きい。平易な日常語への書き換えや、「大和言葉落とし」がトレーニングの重要項目として設定されている。
もう一つ、この生徒の苦手な部分がでてきた。それは一つ段落をおいた次のような文だ。
Togi stresses gagaku's perfection. He says, "The classical gagaku numberes may all sound the same, but they appeal to the cells in our body. Each note correspond with a particular color, season, and direction, and is structured to express something far beyond human emotions. Gagaku tries to caputure the soul of the universe."
文学的な表現が入り混じるとやっかいだと感じるようだ。この生徒は文学作品や恋愛物語、推理小説には興味がない。多少興味のある私も、文学作品を英語で読むのはとっても厄介だ、使用語彙数が多くてうっとうしいばかりでなく、日本語の美しい文に置き換えることができるほどの情緒豊かな作文ができないからである。ラフカディオハーンの翻訳で夙(つと)に有名な平井呈一は永井荷風の異能の弟子であるが、彼の訳文を読むとそのすごさが伝わってくる。翻訳とは思えない、そしてその場の情景が脳裏に異様な迫力をもって再現されるような迫真の文が現れる、まさに名人芸と呼ぶにふさわしい。友人の遠藤が著書『明治廿十五年九月のほととぎす』(未知谷、2010年刊)「第二章 ラフカディオ・ハーンの見た日本」で平井の翻訳を引用している。引用された訳文に出遭った瞬間にその力量のほどが了解できた、そして平井の手になる翻訳を数冊買い求めて読んだ。
平井の師匠の永井荷風の文体は「切れる日本語」と表現するとわたしにはよくわかるのだが、件の生徒にそう言っても、「日本語でなにかが切れるわけはない」ということにでもなろうか。日本文学は深くて豊かな対話を成り立たせるための不可欠な教養なのだ、いつかきっとわかるときがくる。
閑話休題、件(くだん)の生徒はこの段落の二つ目の単語、stressesのところで躓いた。ストレスという日本語を知っていることが仇となる。目的語になっている perfection という単語もなじみがないので余計に混乱したのだろう、慣れてくれば、つまり量をたくさん読むと動詞と目的語はセットで日本語訳を考える習慣がつく。この生徒は「強調する」という意味を知らなかった。このあたりは電子辞書しか使わぬ生徒と、紙の辞書を使う生徒では大きな差がでてくるのではないだろうか。紙の辞書には冒頭にその単語の意味の概要リストを並べているものがあるので、その全体が視野に入る、つまり記憶の片隅に残るということだ。電子辞書ではスクロールしないとでてこない。
記憶している単語の意味では文意が通らない、あるいは文脈上適切ではないと思えた時は、紙でも電子辞書でも引けということ。辞書を引く前に文脈からどういう日本語が自然なのか推定しろ、それもトレーニングである。文脈をつねに考慮しながら意味を精確に読むトレーニングをふだんからしていないと、「おかしい!」という勘が磨けない。そういうアンテナの精度をアップするようなトレーニングをした生徒とそうでない生徒は訳文を見たらその学力の違いは一目瞭然である。「ぼーっと読んでいるんじゃねえよ!」と、チコちゃんに叱られます。
これはレトリック(rhetoric)である。
生徒は文章の尖端から齧って逐語的に消化して読んでいるようだ。コンピュータ言語ならBASICのようなもので逐次処理方式である。なれてくると段落全体にさっと目がいき、レトリックに気がつく。塊で読むようになるのだが、その域までまだいっていないということ。たくさん読めば、段落全体にさっと目がいき、適切な訳ができるようになる。
the same way は文脈から「同じような」という自然な日本語が浮かぶ、そのあとで辞書を引き確認すればいい。辞書にはそういう意味が載っている。学校で英単語暗記に利用している『ユメタン』の知識でwayを「方法」や「道」と覚えていると、それにこだわって適切な日本語語彙がでてこない。
中学校の英語授業では英語の辞書を使わない、そして高校生になると1年生の時から『ユメタン』が英単語暗記トレーニング教材として使われ、毎週テストが実施されている。そうした指導法の弱点が如実に現れていると思う。英文精読トレーニングはそうした「悪い癖」を矯正することにも効果が大きい。平易な日常語への書き換えや、「大和言葉落とし」がトレーニングの重要項目として設定されている。
もう一つ、この生徒の苦手な部分がでてきた。それは一つ段落をおいた次のような文だ。
Togi stresses gagaku's perfection. He says, "The classical gagaku numberes may all sound the same, but they appeal to the cells in our body. Each note correspond with a particular color, season, and direction, and is structured to express something far beyond human emotions. Gagaku tries to caputure the soul of the universe."
文学的な表現が入り混じるとやっかいだと感じるようだ。この生徒は文学作品や恋愛物語、推理小説には興味がない。多少興味のある私も、文学作品を英語で読むのはとっても厄介だ、使用語彙数が多くてうっとうしいばかりでなく、日本語の美しい文に置き換えることができるほどの情緒豊かな作文ができないからである。ラフカディオハーンの翻訳で夙(つと)に有名な平井呈一は永井荷風の異能の弟子であるが、彼の訳文を読むとそのすごさが伝わってくる。翻訳とは思えない、そしてその場の情景が脳裏に異様な迫力をもって再現されるような迫真の文が現れる、まさに名人芸と呼ぶにふさわしい。友人の遠藤が著書『明治廿十五年九月のほととぎす』(未知谷、2010年刊)「第二章 ラフカディオ・ハーンの見た日本」で平井の翻訳を引用している。引用された訳文に出遭った瞬間にその力量のほどが了解できた、そして平井の手になる翻訳を数冊買い求めて読んだ。
平井の師匠の永井荷風の文体は「切れる日本語」と表現するとわたしにはよくわかるのだが、件の生徒にそう言っても、「日本語でなにかが切れるわけはない」ということにでもなろうか。日本文学は深くて豊かな対話を成り立たせるための不可欠な教養なのだ、いつかきっとわかるときがくる。
閑話休題、件(くだん)の生徒はこの段落の二つ目の単語、stressesのところで躓いた。ストレスという日本語を知っていることが仇となる。目的語になっている perfection という単語もなじみがないので余計に混乱したのだろう、慣れてくれば、つまり量をたくさん読むと動詞と目的語はセットで日本語訳を考える習慣がつく。この生徒は「強調する」という意味を知らなかった。このあたりは電子辞書しか使わぬ生徒と、紙の辞書を使う生徒では大きな差がでてくるのではないだろうか。紙の辞書には冒頭にその単語の意味の概要リストを並べているものがあるので、その全体が視野に入る、つまり記憶の片隅に残るということだ。電子辞書ではスクロールしないとでてこない。
記憶している単語の意味では文意が通らない、あるいは文脈上適切ではないと思えた時は、紙でも電子辞書でも引けということ。辞書を引く前に文脈からどういう日本語が自然なのか推定しろ、それもトレーニングである。文脈をつねに考慮しながら意味を精確に読むトレーニングをふだんからしていないと、「おかしい!」という勘が磨けない。そういうアンテナの精度をアップするようなトレーニングをした生徒とそうでない生徒は訳文を見たらその学力の違いは一目瞭然である。「ぼーっと読んでいるんじゃねえよ!」と、チコちゃんに叱られます。
「東儀は雅楽の完全性を強調している」
この文だけでは意味がはっきりしない。英語は抽象的なことを述べたら、次の文でそれを敷衍するような論理運びになっているから、意味を具体的につかむために次を読め。次を読むことで「雅楽の完全性」がどういう具体的な内容をもっているかがわかる。
noteも引っかかった。知っている単語ほど危ういものだ。音符や楽譜がnoteと知らない生徒が多い。日本語化されて使用頻度の高い単語ほど危うい場合がある。たくさん読めばそういう事例に引っかかるから、勘が働くようになる。Blue Note Recordsという有名なジャズのレーベルがあるのを年配の方ならたいがい知っている。ここでは「音」と訳した。
*blue noteの意味は下記のURLを参照してください、面白いですよ。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1018719540
「それぞれの音が特定の色や季節や方向性に対応しており、人間の情緒をはるかに超えたものを表現するようにつくられている」「雅楽は宇宙の魂をとらえようとしている」
このことが東儀さんが言う雅楽の完全性の意味である。完全なものは普遍的であり、人間の情緒の範囲すら超えて遍く(あまねく)存在しているものということ。
こういう具体的な解説はトップクラスの学力の生徒には好奇心のわく愉しいものとなるだろう。愉しい解説をもう少し続ける。
深く読むと論理的だが、表面をなぞるだけの読みしかできなければ、非論理的かつ文学的な表現に見えてしまう。文学的な比喩表現はまだこの生徒には馬の耳に念仏である、そういう分野に興味がないからだろうと思う。「宇宙に魂があるなら証明してもらいたい」なんて理屈がでてきそうだ。数学者の岡潔先生がどこかで森羅万象には普遍的な魂があるということを言っていたような気がする。根源的にあるものは魂のほうではないのか、森羅万象はその表れという考え方もできる。森羅万象の存在を素粒子レベルまでさかのぼっていくと、ある確率で現れたり消えたりする不安定なものであることが物理学で明らかになっている。どこから現れどこに消えていくのかあるいはなぜ現れたり消えたりするのかと疑問を呈している。確固たる基礎をもつようにあらわれている森羅万象の存在そのものがその根本をみると不確かなのである。森羅万象はたしかなものではない、無常(常ならぬ)もの、そういうことを繰り返し説くのは哲学である仏教のみ。だからこういうことを話題にするときには大数学者である岡潔先生は表現手段として仏教専門用語に頼らざるをえない。わたしには難解すぎる道元『正法眼蔵』が頻繁に引用される。
この生徒は文学作品も恋愛小説にも興味がないから、先ほど段落ごと転載したような文章表現に慣れていないので、なんとなく苦手になっているのだろう。少しは文学作品も読めよと言いながら、いやいや解説した。(笑)
ハラリの『Sapiens』を読んでもそのあたりの弱点は解消できない、でもいいのだ。完璧を目指す必要なし。この生徒はロジックをしっかりとらえ、平易な日本語に訳せたらいいのである。
高校の英語教科書3年分を使い、教科書の英文をノートの左側に視写させて、右側に日本語訳を書かせ、圧縮された句は生成英文法でシンプルセンテンスへ還元して意味をつかむというような精読トレーニング中である。熟語や重要部分にはノート左ページの英文にアンダーラインや単語を円で囲み付番させている。もちろん対応する番号でコメントをつけるためである、システム開発技術の応用だ。英文はあとからの書き込みのために1行ごとに空けて書かせている。ときどき「大和言葉落とし」という技のトレーニングもしている。「is structured to express something far beyond human emotions」のアンダーライン部分がそうである。「構成されている」という漢熟語でもいいが、すこし硬い。madeでは格調の高さがでないので、ハラリは文章語であるstructuredを選んだのだろうか。
高1、高2の教科書をすでに終了し、ようやく高3の教科書の82頁、全部で150頁ある、夏休みが終わるころには、きっとハラリを読み始めている。いまはじっくりでいい。読む速度を上げるのは半年先になるだろう。生徒の様子を見ながら、成長段階ごとに設定目標は変わる。
<余談:苦手の英語を克服しよう>
高校2年生は最近2人入塾したので7人になった。1月の進研模試で学年5番以内が4人いる。7人中6人は10番以内だから、数学はよくできる。ところが英語ができるのは英語の偏差値も学年トップの一人だけ。食わず嫌いで10点以下の生徒もいるので、偏差値を60にアップする英語学習を開始したい。
全国平均が33点、標準偏差は18点ほどだったはずだから、52点を超えたら偏差値60だ。それほど大きなギャップではない。英語が苦手で塾に来てもさっぱり英語の勉強をしなかった生徒たち数人が、どのように変わるのか、そして何人が偏差値60を超えられるか楽しみだ。
数学と英語の偏差値の両方が60を超えたら、進学先は結構選べる。意欲のある生徒たちにを別の世界に誘(いざな)いたい。
<桜の木の上で降りられずに凍えそうになっていた猫の顛末>
100mほど離れたところに住む人が猫を十数匹飼っているが、猫を連れて散歩しながらその家の前までいくと、空いているリビングのガラス戸から中に入っていった。似た柄の猫たちとくつろいでいたので、間違いないだろうと判断した。
今日わかったことがある。猫は数日行方不明になっており、どこかで死んだと思っていたらしい。猫が帰ってきたので飼い主がたいへんに喜んでいたとのこと。
*#3957 猫騒動 Apr. 10,2019
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2019-04-10
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遠藤さんは国際学院大学を卒業してから、早稲田大学大学院哲学科で哲学を専攻した。そのあとテレビ番組のディレクターをしていたことがあるようだ。国学院大学で教えているがそろそろ定年だろう。この本は正岡子規について書いた本である。哲学者が書いた本だから中身が濃いし視点がユニークだが、彼の文体はリズミカルで読んでいて気持ちがいい。
もう2冊紹介しておきます。福沢諭吉について書いた本。これも名著ですよ。
この文だけでは意味がはっきりしない。英語は抽象的なことを述べたら、次の文でそれを敷衍するような論理運びになっているから、意味を具体的につかむために次を読め。次を読むことで「雅楽の完全性」がどういう具体的な内容をもっているかがわかる。
noteも引っかかった。知っている単語ほど危ういものだ。音符や楽譜がnoteと知らない生徒が多い。日本語化されて使用頻度の高い単語ほど危うい場合がある。たくさん読めばそういう事例に引っかかるから、勘が働くようになる。Blue Note Recordsという有名なジャズのレーベルがあるのを年配の方ならたいがい知っている。ここでは「音」と訳した。
*blue noteの意味は下記のURLを参照してください、面白いですよ。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1018719540
「それぞれの音が特定の色や季節や方向性に対応しており、人間の情緒をはるかに超えたものを表現するようにつくられている」「雅楽は宇宙の魂をとらえようとしている」
このことが東儀さんが言う雅楽の完全性の意味である。完全なものは普遍的であり、人間の情緒の範囲すら超えて遍く(あまねく)存在しているものということ。
こういう具体的な解説はトップクラスの学力の生徒には好奇心のわく愉しいものとなるだろう。愉しい解説をもう少し続ける。
深く読むと論理的だが、表面をなぞるだけの読みしかできなければ、非論理的かつ文学的な表現に見えてしまう。文学的な比喩表現はまだこの生徒には馬の耳に念仏である、そういう分野に興味がないからだろうと思う。「宇宙に魂があるなら証明してもらいたい」なんて理屈がでてきそうだ。数学者の岡潔先生がどこかで森羅万象には普遍的な魂があるということを言っていたような気がする。根源的にあるものは魂のほうではないのか、森羅万象はその表れという考え方もできる。森羅万象の存在を素粒子レベルまでさかのぼっていくと、ある確率で現れたり消えたりする不安定なものであることが物理学で明らかになっている。どこから現れどこに消えていくのかあるいはなぜ現れたり消えたりするのかと疑問を呈している。確固たる基礎をもつようにあらわれている森羅万象の存在そのものがその根本をみると不確かなのである。森羅万象はたしかなものではない、無常(常ならぬ)もの、そういうことを繰り返し説くのは哲学である仏教のみ。だからこういうことを話題にするときには大数学者である岡潔先生は表現手段として仏教専門用語に頼らざるをえない。わたしには難解すぎる道元『正法眼蔵』が頻繁に引用される。
この生徒は文学作品も恋愛小説にも興味がないから、先ほど段落ごと転載したような文章表現に慣れていないので、なんとなく苦手になっているのだろう。少しは文学作品も読めよと言いながら、いやいや解説した。(笑)
ハラリの『Sapiens』を読んでもそのあたりの弱点は解消できない、でもいいのだ。完璧を目指す必要なし。この生徒はロジックをしっかりとらえ、平易な日本語に訳せたらいいのである。
高校の英語教科書3年分を使い、教科書の英文をノートの左側に視写させて、右側に日本語訳を書かせ、圧縮された句は生成英文法でシンプルセンテンスへ還元して意味をつかむというような精読トレーニング中である。熟語や重要部分にはノート左ページの英文にアンダーラインや単語を円で囲み付番させている。もちろん対応する番号でコメントをつけるためである、システム開発技術の応用だ。英文はあとからの書き込みのために1行ごとに空けて書かせている。ときどき「大和言葉落とし」という技のトレーニングもしている。「is structured to express something far beyond human emotions」のアンダーライン部分がそうである。「構成されている」という漢熟語でもいいが、すこし硬い。madeでは格調の高さがでないので、ハラリは文章語であるstructuredを選んだのだろうか。
高1、高2の教科書をすでに終了し、ようやく高3の教科書の82頁、全部で150頁ある、夏休みが終わるころには、きっとハラリを読み始めている。いまはじっくりでいい。読む速度を上げるのは半年先になるだろう。生徒の様子を見ながら、成長段階ごとに設定目標は変わる。
<余談:苦手の英語を克服しよう>
高校2年生は最近2人入塾したので7人になった。1月の進研模試で学年5番以内が4人いる。7人中6人は10番以内だから、数学はよくできる。ところが英語ができるのは英語の偏差値も学年トップの一人だけ。食わず嫌いで10点以下の生徒もいるので、偏差値を60にアップする英語学習を開始したい。
全国平均が33点、標準偏差は18点ほどだったはずだから、52点を超えたら偏差値60だ。それほど大きなギャップではない。英語が苦手で塾に来てもさっぱり英語の勉強をしなかった生徒たち数人が、どのように変わるのか、そして何人が偏差値60を超えられるか楽しみだ。
数学と英語の偏差値の両方が60を超えたら、進学先は結構選べる。意欲のある生徒たちにを別の世界に誘(いざな)いたい。
<桜の木の上で降りられずに凍えそうになっていた猫の顛末>
100mほど離れたところに住む人が猫を十数匹飼っているが、猫を連れて散歩しながらその家の前までいくと、空いているリビングのガラス戸から中に入っていった。似た柄の猫たちとくつろいでいたので、間違いないだろうと判断した。
今日わかったことがある。猫は数日行方不明になっており、どこかで死んだと思っていたらしい。猫が帰ってきたので飼い主がたいへんに喜んでいたとのこと。
*#3957 猫騒動 Apr. 10,2019
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2019-04-10
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遠藤さんは国際学院大学を卒業してから、早稲田大学大学院哲学科で哲学を専攻した。そのあとテレビ番組のディレクターをしていたことがあるようだ。国学院大学で教えているがそろそろ定年だろう。この本は正岡子規について書いた本である。哲学者が書いた本だから中身が濃いし視点がユニークだが、彼の文体はリズミカルで読んでいて気持ちがいい。
もう2冊紹介しておきます。福沢諭吉について書いた本。これも名著ですよ。
2019-04-12 13:47
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コメント(3)
正直に申し上げますと、とりわけ最難関大学を目指すとなると「suggest=提案する」のような英単語の丸暗記や、センター試験で出されるような文法問題に必要な知識をストックするだけは不十分で、(センター試験では9割を容易くとれるようでないとスタートラインに立てません)「頭の使い方」や「教養の広さ・深さ」で勝負がつくような気がします。まず「頭の使い方」ですが、「この単語は文中でどの品詞として使われているか」「未知の単語だが前後の文脈から推測するとどういう意味か」などの「推論能力」や、「この単語を自分の知っている訳語にあてはめると違和感があるので更にいい訳語はないか」「出来るだけ日本語の意味を崩さずに自分の持っている知識で最適な英訳はどうなるか」といった「突き詰めて考え抜く力」は、文系理系や今後生きていく世界に依らず非常に重要になります。
次に「教養の広さ」です。「自然科学、人文科学などのあらゆる学問や、時事問題に対するある程度の理解をベースにした別の切り口からの英文」や、「筆者の巧みな比喩的表現を読み取る問題」は非常によく出題されます。その際に上手に対応できるかどうかは、「頭の中にどれだけ引き出しがたくさんあるか」が大きいです。受験に限らず、ある問題で行き詰まった際に別の分野の知識や経験が突破口となることは非常に多いです。
その素養があるかどうか、英語という受験科目を通じて大学側は選抜したいのだという視点を持って学習すれば伸びが違ってくると思います。
また、医学部を目指すとなると東大や京大の理系に進学し研究職などに就く場合よりも「余命いくばくもない患者にどのような治療を施すか」などの明快な答えが存在し得ない倫理的問題に直面したり、さまざまな社会階層の人とのコミュニケーションが求められたりする場面は多くなります。
ですので、極端な話賢い人とお金持ちばかりの進学校で育ってきた人の多い医師の中で、自身の環境をマイナスとばかり思わずに、以上のことを踏まえながら自身の興味関心を大事にして高校時代を過ごしていけばもっとトータルでより良くなるのではないかと感じました。
by 麒麟 (2019-04-13 09:23)
麒麟さん
同感ですね。
>「頭の使い方」や「教養の広さ・深さ」で勝負がつくような気がします。
受験問題だけやっているようではたかが知れている。
氷山みたいなもので、水面下に隠れている部分の大きさがモノを言う。難易度の高い大学は優秀な学生を確保するために、英語の入試問題でも水面にでている部分だけではなくて、水面下まで見ようとしているところがあるのかもしれません。優秀な学生をとろうと思ったら、そういう視点にならざるをえません。
高校、大学、大学院、職業人あるいは研究者と進むにしたがって、その水面下の大きさがモノを言う。
だから、テストの難易度が高くなるほど水面下の差がはっきり表れてしまう。
by ebisu (2019-04-13 10:39)
根室は僻地、教育環境は大学すらないし、大きな本屋もない、高校の図書館も市立図書館も蔵書がすくない。
けれど、
>極端な話賢い人とお金持ちばかりの進学校で育ってきた人の多い医師の中で、自身の環境をマイナスとばかり思わずに、以上のことを踏まえながら自身の興味関心を大事にして高校時代を過ごしていけばもっとトータルでより良くなるのではないかと感じました。
生徒へのエールありがとうございます。しっかり伝えます。
by ebisu (2019-04-13 10:55)