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#3933 所得税申告、納付 Feb.18,2019 [つれづれなるままに…]

 朝9時前に根室税務署へ行ってきた。相談室のほうは満席だったが、申告書提出・所得税納付窓口は二つともだれもいない。前に立つと気がついた職員が来た。提出書類を調べてから、「青色申告決算書はお持ちでないのですか?」と訊く。EXCELで作成したシートが挟んであるので、「その中にありますよ」と告げた。税務署所定の用紙を出してきてこれでないといけないようなことを言う。毎年受け取ってもらっているというと、「そうですか」とようやく受け取ってくれた。「(決算書で)わからないところがあれば電話します」と言われた。
 確定決算書に決まった様式なぞない、正規の簿記の原則に従って作成された決算書というのが青色申告確定決算書の要件である。田舎の税務署で、上場企業で経理部門の管理職経験のある老人が個人事業の決算書類を出すなんてことはなかろうから、EXCELでつくられた簡素な決算書を見て、作成は大丈夫かと不審に思ったのだろう。

 すべては根室高校生徒会会計から始まった。帳簿をつけて決算書類を作る。予算編成も2年生の時から3年生の部長と副部長を生徒会室へ順に読んで折衝して生徒会全体の予算を決めていた。上場企業の経理部門ではそれが大掛かりになるだけのこと。1年上の商業科のF先輩が副会長をしていて、普通科のH谷副会長と二人そろって応援演説をやるから、次の会長はお前がやれと命令された。否やはないので、生徒会顧問に生徒会会長に立候補する旨告げたら、数日後に校長がノーだという。生徒会会計をやっているからダメという変な理屈だった。生徒会顧問の先生は困った顔、板挟みである。丸坊主の校則改正をしていたし、共産党青年組織のメンバーとも総番長とも仲が良かったので校長からも公安からも危険人物視されていた。妙な立ち位置だったが成績が群を抜いてよかったので、味方をする先生もすくなくなかった。やれば大ごとになるが自分の意志は通る。でも、生徒会顧問の先生の表情を見てやめた、気の毒だった。「説得もできないのか」と校長に叱られる。屁理屈で説得できる相手でないことは生徒会顧問自身がよくわかっていた。三人の顧問がいたはずだが、どなたに言われたか記憶にない。郷土史研究会のY田先生もそのお一人だったが彼ではない。校長のかばん持ちだったK林先生は生徒会顧問ではなかっただろう。その先生が言いに来ていたら、潰しただろう。
 二人の副会長には事情を話して会長候補から降りることを了解してもらい、代わりにH勢を副会長にしたいので応援演説してくれと頼んだ。H勢は昆布漁師の息子で、夏から秋にかけては家業を手伝いながら勉強していた。人物も穏やか、能力も高かったから、ひのき舞台に押し出してどう変貌するか見たかった。
 生徒会長職にこだわりはなかった、校則改正の一件で生徒会会計でも生徒会を自由に動かせることを知ったからだろう。当時の生徒会会計は指名制だった。現職が後任を指名できた。同期の生徒会役員の中では一番古い、2年半やらしてもらった。もちろん最後の1年間は実務をやるのは指名した後輩である。生徒会会長候補を降りたので、生徒会会長は友人のH作になった。オサムはいまでも友人、好い奴だ。経緯を知らなかったから、なんで生徒会が会計を中心に動くのか理解できなかっただろう。実際には生徒会長の上に会計が君臨していた。しかたがなかった。男子丸刈り坊主頭の校則改正は会長と副会長の三人の先輩たちが私の提案を認め、言い出しっぺのお前がやれということで仕事を任せてくれた。保護者へのアンケートから全校集会まで校則改正の仕事をデザインしてやり遂げた。修学旅行の3か月前に予定通りに改正案を通し、長髪にして東京・京都を闊歩した。改選前からの役員たちがわたしのリーダシップを認めていたから、何か事があると生徒会はわたしの意思で動かせた。あの時代は大きな問題がいくつも起きた、そういう時代だった。2年後に荒れ狂う大学紛争の序盤戦を闘っていたようなもの。

 H勢は優秀な男だったが簿記は3年間わたしの後塵を拝していた。1年生の時に同じクラスだった。全科目合計点でも一度も負けなし。2番手でもどれくらい有能かというと、短大卒業の20歳で税理士試験に合格して、それ以来東京有楽町でずっと税理士事務所をやっている。優秀な奴が友人として同じクラスにいたのは幸いだった。
 F先輩は、もう10年前に室蘭税務署長を最後に退職して岩見沢で税理士をやっている。優秀な先輩だったから、高卒で税務署長になれた。税務署から推薦されたのか東京の税務大学校へ通ってたことがあった。先輩二人からは弟を意味する「オンチャ」と呼ばれていた。50歳くらいになってからFさんが東京へ遊びに来たことがある。何年たっても呼び方は「オンチャ」である。生徒会会計の先輩だったN野さんも来て、F先輩が根室から届いたばかりの秋刀魚を捌いて刺身にしてくれて一緒に食べた。50歳くらいで副所長になると、国税庁からキャリアが2年くらいの期間税務署長で赴任してくる。50歳の副所長は顎でこき使われる、そういう世界だ。ちょっとの間我慢してなくてはならない。なかなかたいへんな仕事だと思った。
 F先輩は50代後半に腎臓病を患い、いまも週に2回人工透析をしている。奥様の介護もしていると年賀状にあった。老老介護が周りに増えている。
 同級生にも癌仲間が増えている。同期の友人の一人は数年前に手術したメラノーマが肺転移して、内視鏡で手術、いまオプジーボで治療中だ。来週には北大病院から退院してくる。もうひとり仲のよい同級生が、慢性骨髄性白血病だと新年会で告白、発症はしていないが、5年以内には発症する可能性があると主治医に告げられている。抗がん剤治療は辛い。なんだか、湿っぽい話になったので、これくらいにしておこう。

 申告書提出と同時に所得税も納付した。2万円でお釣りがきた、食べるもの以外にはほとんど買うものがない老人には十分な所得だが、根室の学習塾は若い人が担うビジネスとしてはもう成り立たない。進研模試数学で偏差値50を超える生徒が学年に3人しかいないのでは、ニーズがない。
 都会から高学歴の根室人が戻ってきて年金収入で10年くらい学習塾をやってもらいたい。難関大学志望の高校生に数学と英語両科目の指導ができる人が必要だ。ふるさとの子どもたちを育てて、恩返ししてもいいではないか。欲の塊の「ふるさと納税」よりはほっぽどスマートだ。



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