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#3906 市倉宏佑著『特攻の記録 縁路面に座って』P.14~16 Jan. 24, 2019 [1. 特攻の記録 縁路面に座って]

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1.搭乗員たち
 
誓子が詠ったように、搭乗員たちは全く帰るところはなかったのであろうか。搭乗員の思いは確かに共通するところはあるが、細かく彼らの心情を推し量るとき、各人によってまちまちである。また、それぞれの場合のこととなると、異なる心情を覗かせていることさえある。あるいは、同じ言葉が別の意味を垣間見せていることさえもある。
 
ただ、共通していえることは、誰もが死に対面したときのそれぞれの思いを静かに伝えようとしているということであろう。遺書や手紙の文字の背後にあるものを感じとってほしい気がする。


2.軍令部の特攻への提言
 
まず、特攻作戦の採用について、よく知られている歴史的なことを簡単に述べておかねばならない。次のような経過が知られている。
 
昭和十八年三月に、竹間忠三大尉が人間魚雷に関する書簡を軍令部に進言。六月には、城英一郎大佐が二五〇キロ爆弾を搭載突入する艦爆艦攻の特殊航空隊の編成を開陳。これは練度の不足を人間で補うことであり、ほんとうは練度を上げたり、兵員を補充すべきことが本筋であるが、もはや軍令部、あるいは戦争指導部が現実の戦況を直視する能力を失って、敗戦の実態を自覚していないことを示している。 
もともと、特攻が殺人行為であって戦争行為でないことが自覚されていない。この海軍将校団の見解はどこに由来するのか。少なくとも日露戦争の東郷平八郎は、人命が絶対的に保証されない作戦を認めていない。この海軍上層部の頽廃がどこに起因するのかは、正確に結論するほどの資料はない。今はこの作戦に参加した人々の経験から、せめてそのかすかな兆候側面を類推するほかはない。
 
七月には、黒島亀人、中沢佑大佐が特攻兵器採用を求めている(公刊戦史)。八月には、モーターボート爆弾、戦闘機衝突戦法などの突飛な方法が模索されている。黒島は昭和十八年八月六日に軍令部で、今後の海軍戦備を決める会議で、「突飛意表外の方策によって、必殺の戦を行う必要がある」と強調している(別冊歴史読本『玉砕戦と特別攻撃隊』三二頁 注4 )。
 
こうした議論を背景として海軍では全軍の企画としてさまざまの特攻兵器が作成されることになってくる。
  
桜花(マルダイ)  
航空機から落とす爆弾に、人間が搭乗して目的物に突入するもの。いくどか作戦に使用されたが、この爆弾を運ぶ航空機が低速のため大きな効果を出せなかったようである。
  
回天 
人間が魚雷に搭乗して、敵艦船に突入する兵器。初めは泊地停泊の艦船が目標となったが、後には泊地が警戒厳重となり、潜水艦が洋上で発見する艦船が目標となった。
  
震洋 
爆薬を装備したモーターボート。米軍のフィリッピン上陸作戦には少なくともおよそ千隻に及ぶ震洋が玉砕している 注5 。正確な戦果は不明である。
  
蛟竜 
乗員五名の小型潜水艦。戦果は不明。

海竜 
二人乗り小型潜航艇。建造数二二四隻。実戦無し。
  
伏竜 
酸素ボンベを背負って海中を歩行して、上陸せんとする敵艦艇を棒機雷を用いて爆破する。兵器としての完成度不十分なところあり。取り扱いが難しく実戦には使われていないようである。訓練事故も多かったと聞いている。
 
何でこんな気違いじみた兵器が軍令部全体で採用されることになったかが、何よりも問題であろう。


3.考察不十分
 
もともと、「突飛」とは何を意味するかを真剣に考えていない。さらにどうしてこの必殺動員が許されるのか。また本当に日本軍を勝利に導くのか、どうかも十分に勘案していない。必殺であっても、必ずしも勝利を保証するとはいえない。練度や兵器の性能や兵力の多寡が比較されなければ、必殺は単に心構えの強調にとどまり、実効ある戦術とはいえないであろう。
 
この見識を持たないことが、最後まで特攻に固執し、しかもこれを救国の特効薬と信じ込んでいたふしがある。参謀命令者みずからは搭乗せず、結局は兵員兵器を一度限りのものとして消耗してゆくだけのこととなった。戦況の進展と共に兵器の不足が痛切な問題になってゆくことになる。



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