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#3905 市倉宏佑著『特攻の記録 縁路面に座って』p.10~12 Jan. 24, 2019 [1. 特攻の記録 縁路面に座って]

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3.一つの伝聞
 
NHKから再三の出演依頼を受けながらも、誓子は難聴を理由に辞退してきた。九十歳のとき、やっと平成三年に自宅の句会の生中継に応じた折りのことである。「先生のこれまでの莫大な作品から、お好きな句を三句挙げて下さい」と乞われて、皆が固唾を呑んで注目していると、彼の口からまず出たのは、この句であった、という話が伝わっている。
 
これは一つの伝聞である。誓子自身がこの間の経過を明確に語っているわけではない。あるいは、彼自身はいつしか知らぬまに木枯らしの悲哀に特攻を重ね合わせていったのかもしれない。いやそれ以上に読者たちがこの悲哀と絶望感を結びつけて納得していったというほうが、事実に近いかもしれない。じっさいにこうした解釈を提起している人もいないわけではない。
 
が、特攻を木枯らしとすれば、特攻は確かに帰るところがないかもしれない。が、神風特攻隊は単なる木枯らしでしかないのか。戦後、特攻が虚しい木枯らし程のものとしか考えられなくなってきた時代が来たとき、この句が深く注目されたのかもしれない。
 
そのとき、読者たちが、戦後の特攻の見方をそのままこの句によせたのではないのか。あるいは、また誓子みずからがそう信じこんだことがあったのかもしれない。誓子自身が特攻とこの句との関わりを何かしら感じとっているかに見える言葉が、彼自身に全くないわけではない。
 
搭乗員の虚しい死にのみ注目して、彼らの心情に無縁であれば、特攻の事実のみをみて、その奥を洞察しないことになりはしないか。事態だけを見て、その事態を実際に生きていた人間そのものを、見ていないことになりはしないか。
 
木枯らしが(あるいは、特攻隊員が)全く帰るところがないとは、恐らく生きる道がないということであろう。つまり、死しかないということであろう。が、ではじっさいの搭乗員たちは死をどう考えていたのか。いやまた、搭乗員には帰るところは本当にどこにもなかったのか。彼らはそもそもいったいどこへ往ったのか。死とは一体どこであるのか。
 
もともと、この句が広く受け容れられたのは、隊員たちを単なる左右のイデオロギー解釈(あるいは尽忠の士と誉め称え、あるいは無駄死にしたにすぎないと無視する解釈)を踏み越えて、特攻に投じた搭乗員たちの人間の悲哀に踏み込んでいるからなのだ。イデオロギー解釈は、いずれも自分の好悪利害から特攻の事実のみに注目し、その事態の本質を素通りする。その事態を生きた人間を見過ごしている。
 
が、この誓子の句にして尚奥底の人間そのものを見ていないとすれば、人間のどこを見ていないかが問題となるであろう。外から搭乗員の非運と、悲しい廻り合わせを詠嘆し、見ているだけではないか。本当に絶唱であるのか。イデオロギー解釈より事態を捉えているが、特攻の本来の姿を見ていないところでは、同じかもしれない。何かが欠けている感がする。何が欠けているのか。
 
何よりも、人間の哀歓の観点に焦点をおいて、搭乗員たちの言葉に接してゆくことにしたい。



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