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#3879 長文読解:生徒からの質問(2) Dec. 11, 2018  [62-1 個別指導の実際]

<最終更新情報>
12/12夕方 太宰治の古典のリライト物に関する追記
      同時進行で中3と中1の数学解説が始まる


 高1の生徒が4時15分に来た。いつもより早いので、何か質問ができたのだろうとピンときた。土日にやったZ会の英語長文問題をもってきて質問があるという。問題本文はB5版に1ページの分量、さっぱりわからないという。じゃあ、一緒に読んでみようかと言って、理解できないところに焦点を当てながら読み始めた。1896年開催の第1回アテネオリンピックが題材。

 例えば、こんな文の意味が分からないという。
 The game was nearly over.

 どうしてか問うと、nearlyの意味がわからないからと答えた。知らない単語に焦点が合って、それ以外の知っている単語、簡単な文全体が見えなくなっている様子、試しにnearlyをカットして、黒板に書いた。
 The game was over.
  こうするとわからない単語は一つもない。付き合っていた女が男にあるいは男が女に別れを告げる場面をわたしは想像してしまうが、生徒が脳裏に描いたのはぜんぜん違ったシーンだろう。すぐに意味がわかったのである。わたしはnearlyを外しただけ。
 大人の恋をしたことのある人とそうでない人はこの文を読んだ時に湧き上がる情感やシーンがまるで違うだろう。高1でも女の子たちの1割は大人の恋の領域に踏み込んでいるが、男の生徒は子どもた多い。テレビ観戦していたサッカーの試合が終わった場面を思い浮かべるくらい。(笑)
 つぎに、nearの意味を訊いた。この生徒は先週行われた定期テストで英語は2科目とも満点だから、もちろんよく知っている。
 
中2の教科書Sunshineの11頁に、「We visited the Korean Folk Village near Soul.」という文がでてくる。家で教科書の音読を徹底していたからしっかり覚えている。

 nearly=near+ly

 水分子が水素と酸素に分解できるようなものだ。文意は「オリンピックゲームは終わりに近かった」である。すでに終りに近づいているのに、開催国のギリシアには金メダルがまだなかった。ギリシア国民は残念で、悔しくて、地団太を踏んでいるのである。ギリシア国民の一人になったつもりで読むと、共感できる。つねに登場人物になったつもりで読むとたのしくなる。

 lyは副詞語尾、形容詞にlyをつけると副詞になる。
 具体例を挙げていく。
  beautiful+ly
  bright+ly(明るく、輝いて、鮮明に)
  dark+ly(暗く、黒ずんで、陰気に)
  wise+ly(賢明に、ぬけめなく)
  clear+ly(はっきりと、疑いなく、わかりやすく)
  sad+ly(悲しそうに、悲し気に、残念なことには)
  silent+ly(静かに、黙って)
  noisy+ly=noisely(大きな音をたてて、騒々しく)
  convenient+ly(便利よく、好都合に)
  light+ly(軽く、ちょっと)
  heavy+ly=heavily(激しく、多量に、重そうに、濃密に)
      fluent+ly(流暢に、すらすらと)
  complete+ly(完全に)
  extreme+ly(極端に、とても)
  absolute+ly(完全に、まったく、絶対に)
  honest+ly(誠実に、まじめに
  un+healthy+ly=unhealthily
   彼は不健康な暮らしをしている⇒He lives unhealthily.

 よく知った単語ばかりだろう。副詞語尾lyに限らず一つの単語に接頭辞や接尾辞を付加することで一群の派生語が生ずることについては何度も解説しているが、長文試験問題のなかに組み込まれたときに、にわかにわからなくなるようだ。知っているのであるが、使えない。どうすれば使えるようになるのか、これらの知識を実践で使うトレーニングが足りないだけ、つまり長文をたくさん読めばいいだけのこと。

 この文章に限っては、次のセンテンスを読めば、コンテキスト(前後関係)からも意味が類推できる。文脈読みができるようになると、なんてことはないのだ。

 もう一つ事例を紹介しよう。この文はアテネの羊飼いスピリドン、そして沿道で応援しているアテネの村人になったつもりで共感しつつ読んでもらいたい。スピリドンの高揚感や応援するアテネの農民のドキドキ感が伝わってきたらすばらしい。

 Several minutes later, Spyridon Loues jogged by. Small and thin, Spyro was a 25 year-old shepherd from the hills near Athens. "Faster!" the anxous villagers urged him on. "The foreigners are far ahead." he said calmly.

  どこが理解できないのか訊いてみた。最初の文のbyがどうしてここに置かれているのか理解できないという。思考の焦点がbyにあってしまって、他が見えないのである。文意をつかむことが二の次になってしまっている。#3877で書いたが、一度焦点が絞られると、その周辺が見えなくなる、そういうときはbyへの焦点を外してしまうのがいい、「消す」のである。これも黒板に次のように書き換えて意味がわからないか訊いてみた。

  Spyridon Loues jogged by Several minutes later

 語順を元に戻して見せただけである。「S+V+...+場所+時間」が英語の基本語順、この文は時間を表す句が倒置された文なのだ。この文をみればbyの正体がはっきりわかる。
 byのこの用法は英字新聞ではよくお目にかかる。株価が24000円から24200円にアップすると「200円だけ」あがったという言い方をする。'by 200 yen' である。スピリドン・ルイスは数分遅れで走ってきたのである。runを使わずjogを使っているところにも注目してほしい。スピリドンは落ち着いてマイペースで悠然と走っている、この時点で勝利を確信していることがrunではなくてjogを使ったことで明確になる。このように書き手は言葉を選んでいる。そこも英文を読む楽しみの一つである。

 2番目の文はすんなり読んだ。3番目の文の「the anxous」が訳せないという。簡単な名詞句をつかまえそこなっていた。「the villagers」という名詞句に形容詞 anxious が挟まっただけ。定冠詞はvillagersを限定している。アテネ近郊の農民である。農民は都市の市民の奴隷だった。日本のような自作農はいない、村も自治権がない。スピリドンもそうした農民の一人である。優勝は名誉、農民たちはおらが村のスピリドンに何が何でも優勝してもらいたい。先頭をフランス人が走っており、2番手には外国人3人が続いていた。スピリドンはその数分あとを走っているのである。

"Faster!" the anxous villagers urged him on. "The foreigners are far ahead." he said calmly.

 この文中の「urged him on」のonは圧力のonである。台の上に丸い大石が載っている場面を想像してもらいたい。重くて天板が曲がり始めている、そういう「圧力」がonである。村人たちは「もっと頑張れ、急げ!なにがなんでも優勝してくれ!」ち絶叫している。ギリシアにはそれまで金メダルがひとつもない。スピリドンは声援に応える、「外国人たちはずっと前を走っている」と。勝ちを確信して冷静なのである

 芥川龍之介は日本の古典文学を題材にしてリライトしている作品がいくつもある。語彙が豊かで文章が上手だから、原典よりも良い。『鼻』は宇治拾遺物語巻第二「七 鼻長き僧のこと」がオリジナルである。「昔、池の尾に善珍内供といふ僧住みける。…」ではじまるが、芥川のほうがずっとたのしい。吸血鬼女『クラリモンド』も一人称を「わしが…」と繰り返し訳出しているのには閉口するが、それをのぞくと文はすばらしくいい。フランス語原典をラフカディオ・ハーンが英訳したものを学生時代の芥川が翻訳したようだ。それで、学生っぽい翻訳だと感じたわけだ。
 太宰治にも古典のリライト物がある。『御伽草子』から「瘤取り」「浦島」「カチカチ山」「舌切り雀」の4編が『太宰治全集7』(昭和33年筑摩書房初版)に収載されている。空襲のさなか、防空壕に退避して子どもたちに即興で昔話をするという、趣向である。これが傑作で、リライト物というよりも太宰のオリジナル物と言ってもよいぐらいに改作されている。文庫でも出ているだろうから、一度読んでみたらいい。この太宰全集は根室の古書市で手に入れたものである。「定価290円」と印刷してあり、ボランティアで運営している古書市だから定価の1割の価格で販売していた。安すぎるので数千円寄付させてもらった。最終日に古書市をのぞいたのだが、太宰全集が売れ残っていた。全集がわたしを呼んでいるような気がして、全部抱えてレジ担当のところへ運んだ。古書市の収入は市立図書館の書籍購入代の足しになる。2度、本を持ち込んだ。単行本の時代小説を50冊ほど処分した。数年のうちに3000冊くらい処分しなければならない。
 文豪も高校生も、文意を理解したら、自分の語彙の中から言葉を選んで文を作る、ようするに語彙の豊かさと作文の巧さが訳文に明瞭に出てくるのである。だから、英文を読むには日本語語彙が豊かな方が、いいにきまっている。世界文学全集で英米文学者の訳した作品がしっくりこないのは、その多くがものかきのプロではないからだ。

 半ばまで一緒に読んだところで、4時45分に中3と中1の生徒、そして高1の生徒がもう一人現れ、それぞれ数学の問題をやり始める。中3の生徒が顔をあげてニコニコしているのは、質問のサインだ。11月から来ている、円周角と中心角、そして平行線と相似の問題をやっているのだが、苦手だから、3題に2題は解説の必要がある。こうしてやっているうちに独力でやれる問題が増えていく。学校の授業が分かるようになってきたと嬉しそう。わからない授業を聴くのはつらい、勉強がつらいものになったら、成績は負のスパイラルで下降し始める。結局、内容が理解できて、独力で問題が解けるようになれば勉強は楽しいものだと体験させてあげることが塾先生の役割。
「質問した問題はチェックマークつけるの忘れないように、マークを付けた問題は今日か明日、必ずやってみて、一週間後にさらにもう一度ね。そこまでやれば試験でできるようになっているから。」
 中1の生徒にも質問がないか訊く、
「質問はあるかな?」
「ありません」
 作図問題をやっているので、3タイプの作図法(①角の二等分線、②線分の垂直二等分線、③点Pから直線lへの垂線、それと正三角形の作図)を解説しておく。基本を繰り返しやらせて完璧にしておくのが第一段階の狙いである。学力テスト問題は二つ組み合わせて解く問題が多い。だから、3種類の作図は考えなくてもやれるようにしておく、頭でなくて手で覚える。頭はどのやり方を組み合わせたらいいのかに使えと伝える。
 あとから来た高1の生徒は三角比の問題をやっている。単位円での一般角の解説はまだ学校の授業ではやっていない段階、この生徒はまだ慣れないので昨日質問のあった問題の類似問題で再度質問あり。辺の長さを計算する問題だが、準拠問題集の解説通りだとピンとこない生徒が多いので、方程式にしてしまうと、考えないで簡単に計算できるので、再度、黒板でやって見せる。この段階だと、三平方の定理を使いたくなるが、三角比でsin、cosになれなければならない。2年生でやる三角関数の序曲なのだから。この生徒はピアノの名手である。11月の進研模試では偏差値を大幅にあげた。予定していたライン(全国偏差値50)へなんとかとどいたが、さらに同じだけ偏差値をアップしたい。2段階でそこまでもっていくというのが、生徒との約束だ。1月に進研模試がある。冬休みは苦手の英語の勉強で大わらわになる。やった分だけ結果となってでてくる。

 他の生徒の質問に答える合間に、Z会の長文問題をもってきた高1の生徒に言う。
「残りは自分でやってみたらいい、やれそうだろう?」
「はい、できそうです、やってみます」
 いい返事だ。(笑)
 べったり教えてはいけないのだ。依存心を植えつけることになる。目標は独力で予習し、難易度の高い問題を考え抜くことができるようになること。

 長文読解を通じてこの生徒につかんでもらいたいことが三つある。
①すでに知っている知識を使うことに慣れること
②意味不明の時は焦点を外し、もう一度先入見なしに文を眺めること、そしてわからなければ先を読み進むこと
③登場人物に共感をもって読むこと

 この生徒は小説や文学作品の類はつまらないと言って読まない。たとえばこういうこと。
 「枯れ枝に 烏の止まりたるや 秋の暮」
 この芭蕉の句を読んでも、「それで?」という反応なのである。秋の夕暮れに葉っぱを落とした枯れ枝に真っ黒いカラスが一羽とまっている、そういう日本的情景に感受性がない。自然の移ろいに共感するという日本的情緒が薄いのである。
(短歌や俳句や古典文学、古典芸能にになじみが薄くなっている。落語、講談、人形浄瑠璃、能、浪花節、こういったものから子どもたちがどんどん離れている。60年前とは世の中がまるで変ってしまった。テレビがある、コンピュータが個人で使える、スマホがある。団塊世代が10歳のころは、ゲルマニウムラジオで落語や講談、浪花節を聴いていた。人情噺で日本的情緒に包まれるようにして心が育った。いまは一つもなくなってしまったが、映画館が根室に6つもあって、よく見に行った。8割は時代劇だった。朝日館、北映、根室劇場、中央劇場、銀映、東映の6つ。朝日館では小学生の時にベンハーをみた。ヒッチコック作品に怖いシーンが記憶に残っている。階段につけられた昇降用の電動椅子がスーッと降りてきて1階で止まると、その瞬間に首がゴロンと床に転がったシーンは衝撃だった。「愛と死を見つめて」は根室劇場、彗星が地球に向かっているので、地球の軌道を変えるために南極に巨大ロケット噴射装置をつくるなんてSFは宝田昭主演で、北映に来て上演前に挨拶していた。60年で日本はまったくかわってしまった。だれもいまを想像できなかっただろう。)

 この生徒は5年間で12冊の音読トレーニングを消化しているから、論説文読解には大学生並みの読解力があるが、なにぶん読んでいる量が少ない。
(最近は福沢諭吉『福翁自伝』を読み終わり、山本義隆『近代日本150年』を読み始めた。一流の物理学者である山本のこの著作は、知の職人としての著述の技術を如何なく発揮したものである。)
 登場人物に共感をもって文学作品や小説を読むようになればと思いながら、文を味わえるように英語長文の解説をしている。楽しみ方がわかれば英文も日本語で書かれた文学作品も同じであるのだが、こちらの思ったようにはならぬ、それでいいのである。塾先生は折に触れ、機会をとらえて文章の楽しみ方、味わい方を伝授するのみ。

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