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#3866 教育講演会③:授業の骨格は共感的協働にあり Nov. 29, 2018[ [70.秋田県大館市教育長講演会]

 秋田県大館市教育長高橋善之氏(以下、高橋さんと書く)の講演会要旨とebisuの感想、3回目である。
 いよいよ、大館市が10年間やってきた教育の根っこのところと実際の部分を書くことになる。

<共感的協働とは?>
 教員の側からの一方的な説明は最小限(5分以内)に抑えること、そういう教育長通達を出したそうだ。宮沢賢治の教育思想に忠実なのである。
 一方的な講義は生徒に「共感」を生み出さないし、「協働」も起きない。共感と協働はセットになって現れる
 講演前に授業風景のビデオが流れていた。先生が手短に説明した後、生徒同士で学び合いが始まる。生徒の学力は大館市だってピンからキリまである。違いは、「一人も置き去りにしない」という姿勢、もっとかたい言葉で表現するなら指導方針あるいは学習哲学にある。やっている単元が理解できない生徒には、理解できた生徒が説明していた。もちろん先生もそれぞれのグループに入り込んで教えていたから、生徒の中に入り込んでしまってどこにいるのかよくわからない。いくつもの学び合いのグループができている。理解の速い生徒は理解の遅い生徒に共感をもって働きかけており、協働して困難を乗り越えているように見えた。こういうことを日常的に繰り返したら、生徒の心の中に共感的協働が習慣となり、小学校6年間でそういう共感的協働的性格が思考や行動の鋳型として形成されるのではないか。心の成長を促す授業だ。どんな名講義も共感的協働授業にはかなわないと高橋さんは言い切っていたのは10年間の積み重ねがあるからだ
 筋ジストロフィーの生徒の事例を出して説明された。学校祭で準備作業をみんなでしていた時のこと、女の子が筋ジストロフィーの生徒に近づいて行った。セロファンテープをはがす作業を一緒にするために、手足がほとんど動かせなくても作業ができるように何かセロテープに仕掛けをして一緒に作業を始めたという。筋ジスの生徒にも学校祭で役割が与えられる。一人も置き去りにしてはいけない。一つ上手に剥がれたら、耳元で「うまくいったね、やればできるね」、作業が巧く行く毎にそう耳元でささやくのだそうだ。誰に言われたわけでもなく自発的にやっている、そこに共感的協働の輝きをみたんだそうだ。その場面を思い出したのか、高橋さん、言葉に詰まっていた。

 なぜ共感的協働を授業でやるのか、その大切さをみなさんにも考えてもらいたい。教育長ははっきり言い切りました。「一人も置き去りにしない街づくりがしたい」からだと。義務教育の9年間、障害のある生徒や学力の劣る生徒、非行に走る生徒、家庭崩壊という状況で暮らす生徒を一人も置き去りにせずに、共感的協働を実践してきた子どもたちが大人になって町を支えるときに、足手まといになるからと誰かを置き去りにすることはないだろう。そのための教育なのである
 宮沢賢治の教育理念は、子どもたちを自立した人間と認めて、共感的協働ができる存在ととらえるところにある。大館市教育長の高橋さんは、そういう理想を現実の教育の中で追い求めているのだ。そのために彼は自分の部屋にいることがほとんどない。74000人の町の小中学校の授業を見て回っているからだ。そのあたりの事情は第五回目に書くことになるだろう。

 どんなに頭がよくっても、その頭を私利私欲を満たすために使う人と、能力は小さくても他人のために使う人がいる、大館の教育が目指すのは後者である
 私欲の権化のごときカルロス・ゴーン、ああいう経営者は大館市の教育システムからは出てこないだろう。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」という伝統的な商道徳とも親和性の高い教育理念である。

 次回は郷土愛を育む修学旅行を紹介したい。小学生は函館へ、中学生は東京へ行く。ただ見学するだけではない、根室に住む私たちが考えもしないすごいことを実際にしている。自分の町が好きだ、住み続けたいという高校生は3人に2人だそうだ。パトリオット覚醒事業と名付けたい。



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