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#3865 教育講演会②:大館市の公教育の目的と目標 Nov. 28, 2018 [70.秋田県大館市教育長講演会]

 釧路市立図書館7階で11月25日に秋田県大館市教育長高橋善之氏の講演会があった。講演会記録の2回目をいま書こうとしている。

 高橋さんはTシャッツに犬の帽子をかぶって現れた。大館市はハチ公のふるさと、きりたんぽで有名な町だと説明を始めた。全国各地で講演するときに冒頭で大館市を宣伝することになっている、市長からも釧路に行ったら宣伝よろしくときつく言い渡されたと、おどけて見せた。一通り説明が終わると、犬の帽子をとりTシャッツを脱ぐと、ワイシャッツにしっかりネクタイを締めていた。
 釧路で講演をすることになった前釧路市議会議長月田さん(釧路の教育を考える会副会長)とのいきさつは前回書いたので端折るが、自身の口から簡潔に述べられた。
 高橋さんは宮沢賢治の教育を目指しているという。
*賢治とシュタイナー
https://www.tokyokenji-steiner.jp/about/kenji-to-steiner/
 宮沢賢治の授業
https://plaza.rakuten.co.jp/jifuku/9002/

<大館市の教育の本質>
 数字的な学力、たとえば全国学力テストの正答率は重視はしているが、学力向上が大館の教育の目標ではない。公教育は人間を育てることが目標、大館で生き抜く力をつけるということ。もっと具体的に言うと、人口減少による地域崩壊は医療崩壊から始まる(根室市がまさしくそういう段階にある)ので、それを食い止めるあるいは緩和することのできるのは教育、余所からきて何とかしてもらおうといったって、おいそれとはいかない。だから大館市では自前の医師を育てる、市の未来に必要な人材は自前で育てなけらばならない。学力が高くないと医師にはなれぬ、だから学力も大事だが、それが教育の目的ではない。

 fact1:昭和43年に終わった第1期の全国学力テストでは秋田県は全国43~45位であった。
 fact 2:第2期の全国学力テストでは初回から全国1位だったので、その時には過去問などないから、テスト対策がやりうるはずもない。過去問を繰り返しやらせているから全国1位というのは都市伝説である。

 では、なぜ秋田の学力が高いのか?
 fact3:大館市の子どもたちの家庭学習時間は全国平均以下
 fact4:学習塾への通っている率は全国1低い
   小学生18.3%、中学3年生17.4%⇒全国平均61.5%

 どこが違うのか?「授業のクォリティーの高さと子どもたちの集中力」が違う。
 東京の成城、白百合、学習院、学芸大附属から大館市のサマースクールへ毎年各校十数名の生徒と先生が来る。そこで地元の子どもたちと一緒に授業を受ける。お母さんたちにも見てもらったら、授業のクォリティーと先生たちの情熱がぜんぜん違う、というのが彼女たちの率直な感想である。首都圏の中高一貫の有名私立校の保護者がおどろくクォリテーを実現している。

 高橋さんの説明によれば、ピッカピカの新入生(小学校)が5月には様変わりするのだそうだ。わずか一月で授業を聴く姿勢ができてしまう。なぜそういうことが起きるのかというと、就学前教育を重視しているからという。何をやっているかというと、小学校の先生たちが保育所や幼稚園の授業を参観に行く、保育所や幼稚園の先生たちが小学校1年生の授業を見に行くのだそうだ。そうして相互に意見交換をする。こういうことを当たり前にやっていると保育所や幼稚園と小学校1年生のギャップがなくなる。何をどうやるかは現場任せ。そういう現場任せを総称して「百花繚乱」と表現していた。だが、現場に丸投げして全国学力テストでトップを走り続けることはできないだろう。だから、授業の質を高めるための組織的なそしてシステマティックな工夫があるはず。例えが悪いが、防犯のための鍵なら一つではなく、複数のロックがあるはず。玄関ドアだけでなく、窓にも防犯装置がついているというような。
(4回目で書く予定だが、修学旅行も生徒の自立性を信じ、共感的協働作業の場に転化する。どの場面も決まったやり方を押し付けるのではなく、生徒たちの共感的協働の場となる。それぞれ工夫しながらやっているようだ。注意して聴いていたら、もうひとつのロックが話のついでに出てきた。話を聞いてわかったつもりでやったら、猿真似になるだろう。教育技術レベルが上の先生・地域なら見えないところも工夫しながらちゃんと真似られるだろうが、そうでなければ猿真似になる。技術とはそういうもの、大館市の教育は奥が深そうだ。)
 根室でも花咲小学校と啓雲中学校がそういう教員の交流をやっていた。荒れていた啓雲中学校を正常にもどした佐藤校長のころの話である。
 学校の「荒れ」はふだんの授業態度に鮮烈にでるものだ。授業を聴かずに平気で私語をするから、先生の話が時々聞こえなくなる。そうするとその前後の話の脈絡がつかない、つまり先生の説明十の内、三つ四つが理解できないということになる。こうして「中の上」のランクの生徒たちの学力が一斉に低下してしまう。下方に偏った分布ができあがるから、平均点もはっきりと下がる。
(学校の「荒れ」は学力低下と正の強い相関関係があることが十年前の柏陵中学校の生徒たちの急激な平均点低下から分かっている。)
 大館市は、就学前教育を上手に対処することで、勉強する姿勢を小学生1年生になった1か月間で躾けているのである。そしてそれは義務教育の9年間、しっかり維持される、大館ではそういう仕組みができあがっている。

 まとめると、大館市の教育の目的は、大館市で生き抜く力をつけること、そして大館を支える人材を育てることにあるそれを保障しているのは授業のクォリティーの高さである
 次回は郷土意識の醸成と、授業のクォリティーをどうやって高く維持しているのかを書こうと思う。授業のやり方がまるで違うのだ。

<余談:根室高校からだって毎年2人くらいは医者になれる>
 11月3日実施の進研模試の結果が昨日出ている。根室高校のトップの数学の得点は95点全国偏差値は86である。もう、進研模試の難易度ならいつでも数学は百点が狙えるくらい学力がアップした。受験者が正規分布していれば偏差値86は計算上「10万人中15番」の成績ということになる。国語が崩れたのが響いて、前回に比べて、3科目合計点での偏差値が2下がった。3科目合計点の標準偏差は41点だから、3科目合計であと20点アップすれば進研模試は卒業。
 読書量が足りないのははっきりしていたから、難易度が高い本をその都度選んで5年間音読指導してきたが、高得点のときと崩れたときのギャップが大きすぎる。弱点のわかった国語についての今後の勉強の仕方を確認した。この生徒は根室高校の国語の先生に相談していまやっている長文記述式問題集をやめて、別のものに切り換えることにした。数学と英語はいまのままでいい。
 進研模試は偏差値が高い領域はあてにならない。問題の難易度が低いから95-100点のあたりにトップクラスの生徒たちがひしめき、学力差があらわれない。ケアレスミスの有無を競うだけ。
 河合塾や数台模試なら問題の難易度が高くなるので偏差値60あたりだろう。根室では受験できないから札幌で受けるしかない。それで医学部受験生の中でどれくらいの位置にいるのかわかる。

 根室の地域医療崩壊を食い止めるためには、自前で医師を育てるのがベスト
 医学部進学はお金がかかるので学力が高くても医学部進学を選択肢から外してしまう生徒がいる。でも、お金のことはなんとかできるものだ。たとえば、千葉県は4000万円まで医学部進学者に奨学金を出すそうだ。県立病院へ5年勤務すれば奨学金の返済義務がなくなる。さらに5年首都圏でいい病院を選んで腕を磨いてから、ふるさと根室へ戻ってくれたら最高である。
 そのためにも受け入れる根室の側、市と市立病院そして地元企業経営者がかわらなければならない。オープン経営へ切り替えないと、若者が戻ってこずに、際限のない人口縮小が続くことになる。時間はある、湿原を流れる川のごとくに蛇行しながらゆっくりいこう。いずれは広い海へ出る。

*標準正規確率分布表
 標準偏差3.6のところが偏差値86に該当します。
https://staff.aist.go.jp/t.ihara/normsdist.html

<授業参観でみた最高の授業と学力テストの平均点>
 あるときC中学校の授業参観に行った。数学と英語と国語の授業を見たくて行ったのだが、社会科授業も見た。とっても授業の上手な先生がおられた。DVDも使うし実物投影機の使い方もとってもうまい、それら二つの装置を使わないときの授業もじつに分かりやすかった。たとえば、「温暖湿潤」という用語が出てくると、漢字一つ一つの意味解説まで丁寧にやる。8割の生徒たちの語彙はとっても貧弱だから、「オンダンシツジュン」では意味がつかめないのである。脳内で漢字に置き換えられないだけでなく、板書しても意味のつかめない生徒が半数程度いる。
 これだけ上手な授業=名講義なのだから学力テストの社会科平均点が20点ほど高いのではないだろうかとデータを調べてみたら、有為な差が認められなかった。わたしはこの先生の授業を授業参観に行く都度観させてもらった。うまいのである。
 別の学校の理科の先生が、小テストを繰り返して記憶の定着を図ることで、他校に比べて学力テスト平均点20点アップを実現していたのをモニターしていたので、この結果は意外だった。小テストを繰り返す以上の成果を期待したが、そうはならなかった。生徒たちは、名講義に聞きほれて聞き流してしまっていたのだろうか。繰り返し同じ先生の授業を観させてもらって、名講義というものが生徒の学力を上げることができない場合もあることを知った。
 教師の授業スキル向上は大事なことは言うまでもない。だが、それだけでは学力をあげられない場合があることも事実だ。五段階評価をつけたら、その先生の授業はまぎれのない’5’だった。


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