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#3832 化学のモルの計算がわからないので教えて Oct. 10, 2018 [51. 数学のセンス]

 「化学基礎」という科目を高校1年生が履修している。Z会の問題を解いていてなにをやっているのかわかわからなくなったので、モルのところ教えてほしいと先週金曜日に要望があった。言うことが振るっている。
  「先生、化学は専門外だろうけどお願いします」
と殊勝なことをいうから、めんこくて無碍(むげ)に断れぬ。「専門外だから、化学の本を読まないといけない、月曜日ね」そう応じた。

 そこで土日に、東京書籍「化学Ⅰ」(平成14年検定済み)教科書の数章に目を通し、準拠問題集『ニューグローバル化学Ⅰ+Ⅱ』と市販問題集『化学Ⅰの点数が面白いほどとれる』のモルに関する数章の50題ほど実際に解いてみた。専門外だから、ちゃんとおさらいしました。(笑)
 モルは原子番号にも分子量にも物質量にも体積にも粒子数にもモル濃度にも、化学反応と熱にも、「1mol=6.02×10^23」というアボガドロ数を通じてつながっている、いわばハブのようなもの。関係する概念の種類が多いので複雑になるからむずかしいことがわかった、なるほど!だが一度理解してしまうと自由自在、それだけにこの概念が捕まえられないと計算を繰り返しなぞってやってみても大きな森の中をさまようことになる。そして突然叫ぶ、
  "Where am I?"
  "Who am I?

 「森からでられない?」「学力は高いのにモルが理解できない」ということにあいなった。
 教科書や準拠問題集の計算を実際にやってみて、解説に目を通したが、受験参考書が計算テクニックの点でずっと優れていた。実際に科学技術用のプロブラマブル計算機HP-35sを使って鉛筆片手に紙に書いてやってみたのであるが、これが結構楽しい。(笑)
 遅い授業時間帯に来た他の生徒に確認したら学校の授業はとっても遅れていて、まだ習っていないところだとわかった。
 月曜日に生徒が来たのでZ会の化学問題のわからないものをピックアップさせて概念の関係と計算の仕方を解説したら、「な~んだ、そういうことだったの」とにっこり。原子量や分子量がそのまま1モルのときの物質量であることが理解できていなかったのと、単位をつけてやる計算が関係が複雑になったので迷いが生じ混乱していた。
 「距離・時間・速度」や「食塩・食塩水・濃度」そして「得点合計・人数・平均」は計算操作という点では同一パターンの問題である、この生徒は小6と中1で単位をつけて計算練習を十分積んだのだが、モルでは関係する概念が倍になったので応用にまごついたのである。
 高校生の中には「3桁×3桁の掛け算」のできない生徒が少なからずいる。成績が上位の生徒の中にもいるから驚きだ。なぜかというと小学校でも中学校でもやっていないからだ。「2桁×2桁」まで、まれに「3桁×2桁」はやることがあるようだが、練習量が十分ではないということだろう。桁数を拡張しても計算の方法は同一だから、一桁増やしてもできると小中学校の先生たちは思っているのだろうが、実際はそうではない。同じ計算法なのに桁数を拡張できない生徒が少なからずいる、高校生に3桁×3桁の乗算をやらせてみたらわかる。珠算を習ったことのある生徒なら、桁数がどれだけ増えても問題なしだ。桁数が増えても操作が同じことを体(指)で覚えているからだろう。
 この生徒は成績がよくて呑み込みが早いから、隘路になっているところを押し流して広げてあげたらあとは自分でやれる。わたしの役割は堰を切って流れをよくしてやるだけ。

 計算については橋爪健作著『決定版センター試験・化学Ⅰの点数が面白いほどとれる』中継出版社の解説がとってもよいから、購入してトライするように伝えた。
 わかっただけではダメで、計算トレーニングをある程度こなすことで、諸概念のネットワーク全体を俯瞰できるようになる。
 ついでにいうと『資本論』を読んでも理解できない経済学者が多いのは、マルクスがこの本の中で展開している経済学的諸概念の関係を理解できていないからだ。経済学の基本諸概念の展開がユークリッド『原論』と類似の演繹的体系構成をもっている。ヘーゲル弁証法にとらわれてマルク氏自身が晩年まで気がついていなかった。ヘーゲル弁証法が使えない代物とわかってからマルクスは沈黙を守り続けて亡くなった。プルードンはヘーゲル弁証法が経済学体系の叙述に使えないことをわかっていたようだ。かれはヘーゲル弁証法と言わずに「系列の弁証法」と書いている。
 世間に流布している『資本論第3版』はエンゲルスの手になる編集で、マルクスそのそれではない。存命なのにマルクスが沈黙したまま亡くなったので、死後にエンゲルスが遺稿をかき集めて編集したのである。『共産党宣言』以後、共産主義は世界中に広がりつつあった、その現実を前にしてどうしてよいのかわからなくなったのだ。まさか、いまさら間違いだったとは言えぬから、沈黙し続けた。それまで積み上げたものが足元から崩れ去ったのだから学者としては気の毒な晩年であった。次の叫びは晩年のマルクスの心の叫びでもある。
  "Where am I?"

 参考に問題例を一つお目にかける。
<チェック問題3>…p.64より
---------------------------------------------------
 グルコース(分子量180)18gを水に溶かして250mLとした水溶液のモル濃度[mol/L]を少数第2位まで求めよ。

(18g×1mol/180g)÷(250mL×1L/10^3mL)=0.40[mol/L]
---------------------------------------------------

 実際の表記は分子と分母に分けて書いてあり、単位を約分して消していくと、答えの単位[mol/L]になる。求める答えの単位になるように、分子分母の単位を選んでやればいいのである。
 最初の( )内はグルコース18gが何molになるか換算計算している。時間を分や秒に換算するのと同じである。gとgが分子と分母になっているので消え、molが残る。次の( )内のはmLをLに換算しているだけの式、分子と分母のmLが約分されて消えてLが残る。
 mLをLに換算するときは「1L/10^3mL」を掛ければいい、逆にLをmLに換算するときはひっくり返して「10^3mL/1L」を掛けたらいいのである。時間を分に、分を時間に、あるいは時間を分に換算するのと同じ操作に過ぎない。単位をつけて計算しているだけ、中身は簡単な話であるのだが、molとかアボガドロ数という新しい概念が導入されると、何か特別なことをやっているような気分になってしまい、迷路に踏み込むことになる。
 最初の括弧で残ったmolが分子、2番目の括弧で残った単位のLが分母である。モル濃度の単位はmolをLで除した[mol/L]であるから、これで計算終了。

 この生徒は、距離・時間・速度の問題や食塩水(食塩・食塩水・濃度)の問題を中学生の時にほぼ完ぺきにマスターしたので化学の計算も問題ないだろうと思っていた。計算操作は同じだが、概念の関係が複雑なだけ。概念の関係が複雑になると、普段できているレベルの計算が道に迷ったようになることがわかった。でも、もうだいじょうぶ。


 面白いのでしばらくの間、教科書準拠用問題集『化学Ⅰ+Ⅱ』と『化学Ⅰ』の両方を解いてみることにする。


<化学諸概念と単位換算系・単位変換系のネットワーク構造>

 秒・分・時・日・年への時間単位換算に困難を感じる高校生は少ない、せいぜい1-2割である。これらはどれも時間という概念で括(くく)れるからだ。
 ところが、距離・時間・速さは三つの異なる概念がそれぞれ他の二つの概念の計算式で表すことができる。概念が三種類になっただけで、この分野が苦手という高校生は半数程度はいるだろう。
 そして化学では1mol=6.02×10^3個という関係をベースにして原子量や分子量、そして物質量、体積、物質の密度、溶質と溶液、化学反応式という具合に、6種類の概念のネットワークが形成され、相互に変換系が存在している。3つが6つになって相互関係が生じるから、構造はとっても複雑になる。
 ほとんどの高校生がmolのところで一度は躓(つまず)くのは無理のない話に思える。概念の関係を整理し、計算トレーニングを積んで克服してください。
  「学問に王道なし」
 わからなくなったら基本に戻って学習すれば理解できます。基礎基本トレーニングをないがしろにしないこと。

<ebisの専門分野:学問と仕事の2分野に分けてみた>
 ebisuの専門分野をおさらいしてみると、大学院での専攻は経済学、それも経済学の体系構成という特殊な分野である。学部は商学部会計学科で簿記と会計学と原価計算が専門、これらは根室高校商業科の時代から「専門家」になるべく公認会計士2次試験参考書・問題集で独学で勉強した延長線上の分野、ほとんど高校時代の蓄積で用が足り、大学で付け加えたものはほとんどなかった。この分野で面白かった講義は茂木虎雄先生の『近代会計学成立史論』だけだった。記憶があやふやなところがあるが、大福帳が複式簿記の帳簿で、戦国時代に宣教師を通じて入ってきて、豪商がそれを理解して商売に利用した。当時の日本人の計算力はダントツに世界一、だからこそ日本で複式簿記が普及しえた。当時は斬新な研究だった。数冊この分野の本を読んでいるので、記憶が混ざっているかもしれない。しかし、会計学が単なる実務技術として公認会計士受験勉強科目にとどまるものではなく、学問として成立していることを知った。こちらへ進む選択肢もあったが、好奇心から経済学を選んだ。
 商学部に居ながら『資本論』や『経済学批判要綱』を読み漁って「学問の体系構成研究」に没頭した。面白かったのである。公認会計士2次試験程度のお受験勉強には学部1年生の中ころに興味をなくしていた。経済学の体系構成という研究テーマは学部で片が付くほど軽いものではなかったので、商学部会計学科から大学院経済学研究科へ進学することになった。異例のコースであるが、好奇心がそうさせるのだからしかたがない。

 仕事では経営分析と経営管理、経理財務、企業買収、経営そのもの(赤字企業の黒字化)、コンピュータシステム開発、2種類の産学共同研究プロジェクトの企画及びマネジメント。ひとつは臨床病理検査項目コードに関する臨床病理学会項目コード委員会と大手六社の共同研究で、数年かかって出来上がった「臨床検査項目コード」は日本標準となった。現在も全国の病院で使われている。コンピュータシステムの内部コードとして使用されている。もうひとつは出生前診断トリプルマーカ基準値(MoM値)に関するプロジェクトで、数年前までデファクトスタンダードであった。新しい検査法が開発されて、そちらへ変更された。

 話が前後するが、臨床検査センターであるSRLへ転職する前に、産業用エレクトロニクス専門輸入商社に1978年から84年1月まで勤務していた。そこでは取扱商品の主力であったマイクロ波計測器を中心に測定原理の勉強はした。営業マンは全員が理系大学出身あるいは国立高専出身者だったが、彼らや技術部の専門家たちに交じって社内勉強会や海外メーカのエンジニアによる新製品説明会に欠かさず6年間出席した。海外メーカのエンジニアによる新商品説明会はもちろん英語でなされるから、英語だけでなくて、測定原理や機器制御用コンピュータ、データ処理とインターフェイス等について周辺知識がなければ理解できない。最初の内は1割程度の理解だったが、制御とデータ処理に使われていたのがHP社のコンピュータだったから理解が楽だった。そこを中心に理解を広げていった。ディテクターの周波数が異なるだけで、構成がほとんど一緒であることに気がつくと、理解は一気に進んだ。しかし、「門前の小僧習わぬ経を読む」の類であるから、この分野に関しては専門家とはとても言えぬ。知らないことを学ぶのが楽しかっただけ。
 欧米50社のメーカの総代理店だったから、世界最先端のさまざまな理化学計測器については、実際のところ制御用コンピュータを中心にいくらか理解していたという程度である。自分の手で機械をいじったことはないので気持ちが悪かった、ハードウェアを自分の手でいじらないとわかった気にはなれない。優秀な技術屋さんが二人いたので、彼らの仕事を観察させてもらった。5プロジェクトで忙しかったので、残業が続くと、息抜きに技術屋さんの作業をみせてもらった。そういうわけでハードウェアのほう経験はなかったが、ソフトウェアは3種類のタイプのコンピュータ言語をマスターした。対象業務の異なるシステムを三つ開発し、それらの統合システムの外部設計をしたたことはあった。システム開発はソフトハウスの腕のよいSEと組んで経験した。オービックと日本電気のソフト会社のSEである。オービックのS沢SEは腕がよかった、その後開発担当役員になった。日本電気のソフトハウスのT島SEは関社長が、統合システム開発をするのでナンバーワンSEに担当させることという条件を付けて、NECの小型汎用機を導入した経緯があった。わたしは外部設計と実務設計を担当したが、一緒に仕事することでかれら2名のSEから技術を吸収できた。仕事運がよかった。
 業種の異なる会社へ転職する都度、取扱商品については勉強させてもらったから、これもありがたかった。
 1984年2月から16年間勤務した国内最大手の臨床検査センターの開発部門では大学医学部や臨床病理学会ドクターとの産学共同研究や製薬メーカと検査試薬の共同開発もしたことはあるが、たしかに化学は専門外。
 学術開発本部で仕事していた時は、直属の上司で取締役のI神さんが、青山学院大学で有機化学を教えていたことのある専門家だった。ラジオアイソトープに関する学会の宿泊研修に行けなくなったので代理出席しろと前日突然に上司のI神さんから依頼されたことがあったが、あれだけは苦痛だった。開発部課長のF波さんは京大理工学部出身だからかれに指示すればいいのに、わたしへお鉢が回された。たぶんF波さんも理系ではあっても放射線医学は専門外だったのだろう。この学会セミナーには20名くらいのワークショップがあった。I神さん、わたしには何でもやれると誤解して様々なタイプの仕事を次々に回してきた、学術開発本部の三部門である学術情報部、開発部、精度保証部、それぞれの仕事で問題のあるものばかり担当させてくれた。仕事を指示するのに大胆な上司であったが、幸いにご要望にはもれなく応え解決した。しかし、化学分野は例外だった、この分野はI神さんのテリトリーで、青山学院大で有機化学を教えていた人の学会セミナー代理出席は荷が重かった。(笑)
 高校生に教えている数学も英語も専門外といえば「専門外」である。数学科や英文学科出身ではないのである。化学に関する学部も大学院も出ていないのだから、そういう意味ではまったくの「専門外」、生徒の言う通りである。(笑)



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決定版 センター試験 化学Ⅰの点数が面白いほどとれる本

決定版 センター試験 化学Ⅰの点数が面白いほどとれる本

  • 作者: 橋爪 健作
  • 出版社/メーカー: 中経出版
  • 発売日: 2011/07/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
<HP35s>
 計算式を紙に書いてから、この科学技術用計算機を使って計算すると便利です。amazonで12620円(日本語マニュアル付き)です。ずいぶん安くなりました。
 この元になっているプログラマブル計算機HP-67は1978年に11万円、プリンター付きのHP-97は22万円もしました。産業用エレクトロニクス輸入商社に就職した時に、経営分析や利益管理、収益構造変革のために統計計算が必要で両方の計算機を使っていました。入社して1か月目に、社長の関周さんが米国出張の折に買ってきて、プレゼントしてくれました。会社の命運を左右する財務構造と収益構造変革を目的とした5つのプロジェクトを抱えて忙しかったからです。役員と部長クラスの5プロジェクトで、仕事は全部わたしがやり、メンバーはその分析と提案を聴いて、委員会として実行に移す。自分で経営改革案を提案して、やるのも自分ですから、仕事を省力化するためにコンピュータを使わざるを得ません。電卓で統計計算していたのでは埒があきませんでした、それを見ていた社長の関さんは2か月後にはプリンタ付きの高級機を買ってきてくれました。朝8時半ころには出社していますが、机の上に載っていました。向かいに座っている社長秘書のH金さんに訊いたら、「社長が米国出張から戻ってebisuさんにと置いて行きました」、うれしかった。プログラミングのできる科学技術計算機はHP社とTI社(テキサスインスツルメント社)しかなかった。HP社は取扱マニュアル(英文)が断然すぐれていました。2冊あり800頁を超えていました。パソコンがまだおもちゃだった時代です。業務を省力化するために次々にシステム開発を行い、オフコン、汎用小型機を使いました。パソコンが仕事でつかえるような代物になるのは1980年代半ば過ぎ、EXCELが使えるようになるのは1990年ころのことでした。
 SRLへ1984年に転職したときには、統合システム開発のために、当時国内最大の規模の大型汎用コンピュータを使うことになりました。
 スタートがHP-67で経営分析のために作ったプログラミングでした。高校生は数学や化学、物理学を学ぶときに使ってみたらいい。米国では大学入試に持ち込みが許可されています。もちろん、高校数学の教科書もこれらの計算機を使うことを前提に書かれています。



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