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#3779 オウム地下鉄サリン事件:被害者の脳幹や延髄が溶けていた July 10,2018 [8. 時事評論]

 オウム真理教の教祖の死刑が執行された。昨日東京府中で骨になったがその引き取り先でもめているようだ。
 地下鉄サリン事件で13人が死亡しているが、脳幹や延髄がドロドロに溶けていたという。検死解剖をした元東大教授石山昱夫氏から直接聞いた話を、(遠い昔に東大野球部員だった)甥のkoderaさんがブログにアップしている。

 サリンという神経ガスが体のどこにダメージを与えたのか、わたしは今まで知らなかったし、ほとんどの人が知らないだろう。オウム真理教の教祖と幹部の信徒たちはサリンを70トン*作って東京の空からばらまく計画であった。ウィキペディアによればそのための薬品材料はすでに手に入れていた。

*地下鉄サリン事件 ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/地下鉄サリン事件

 koderaさんのブログの当該記事のURLを貼り付けるので、ご覧いただきたい。
*「オウムの被害者を想う」
https://blog.goo.ne.jp/badmintonmusume/e/0207fa0e519f75beb3798cbecc2e1b72

<脳震盪は脳幹に傷をつけ、認知症の発症素因となる>
 彼が叔父さんの石山氏から聞いたことで、聞き逃してはならぬことがある、それは脳震盪に関する下記の記述である。
彼曰く、脳幹の障害はMRIで見つからないほどの微かな傷でも、酷い認知症をすぐに発生するそうです。遺体解剖でしか、その傷は見えないそうです。短い脳震盪ですら脳は傷ついている可能性があり、認知症の発生の可能性を高めるため、危ないそうです。
 ボクシングで顔面を殴られると衝撃でその都度脳震盪を起こす。頭部の骨格が揺れるのと脳が揺れる速度が異なるからだろう。ボクサーは老年まで生き延びられたら、認知症を起こすということ。知らずにやっている人ばかりではないだろか。フルコンタクトの空手もあふない。

<余談:科学鑑定と臨床検査>
 鑑定にはさまざまな理化学測定機器が用いられており、この『科学鑑定』にのそれらの測定方法や技術が紹介されている。DNA検査だけでも電気泳動法白血球の血液型による方法(HLA検査)サザンブロット法PCR(Polymerase Chain Reaction)法などが紹介されている。最初の2つはずっと以前からSRL八王子ラボでやっていた検査法だが、後者2つは1980年代後半に導入している。ちょうどその時期にラボの機器購入担当をしていたので記憶がある。
 HLA主要組織適合抗原、いわゆる白血球の血液型)検査は免疫に関する検査であり、クラスⅠ抗原、クラスⅡ抗原、クラスⅢ抗原に分かれ、それぞれが数個から40ほどのタイプに分岐するので、その組み合わせは数万を超える。だからDNA検査が世に普及するまではこれが個人の特定に最強の検査だった。臓器移植や白血病治療のための骨髄移植の際にドナーとレシピアントの組織適合性判断に使われていた。1980年代終わりごろのSRLのこの検査分野の国内シェアーは8割ほどあった。米国でこの検査は親子鑑定に数千件需要があったが、日本では親子鑑定が目的でSRLに検査依頼があったことは一度もなかった。米国からのラボ視察に訪れたドクターにそう説明したら、びっくりしていた。文化が違うのである、育てたら自分の子どもであるというのが千数百年前からの日本人に共通した価値観だった、じつにおおらか。

 万葉集802に「瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲(しの)はゆ いづくより 来りしものそ まなかひに もとなかかりて 安眠(やすい)しなさぬ」「銀(しろかね)も 金(くがね)も玉も なにせむに 優れる宝 子にしかめやも」(山上憶良)とある。育てることで愛情がわいてくる、子に優る宝はないというのが日本人の情緒である。種が誰であろうと育てりゃ自分の子どもという感覚は今の日本人には理解しがたいかもしれぬが、この感覚は日本人の伝統的な性風俗と分かちがたく結びついていた。

 HIV(Human Immunodeficiency Virusいわゆるエイズ)検査はスクリーニング検査と確定検査の2段階でなされていた。スクリーニング検査で陽性反応が出るとウェスタンブロット法で確認検査をしていた。スクリーニング検査には擬陽性が含まれているので、確定検査が必要だった。あの当時で毎日1-2検体(年間500)の割合で陽性が出ていた。検査報告書は封緘されて病院へ届けられて、ドクターと患者本人以外は見ることができないようになっていた。封筒に検査報告書をいれて封をするのは単調な作業なので、この検査の報告書のためだけにフェニックスというメーカの自動封緘機を導入した。「エイズ検査室」は陰圧になっており、室外に空気が出ないようになっていた。空気感染はしないが、ワンランク上の安全装備をするというのがSRLのラボではあたりまえの思想だった。エイズ検査室では陽性検体が混ざっているという前提で取り扱っていたから、そこで働く社員たちは「ここが一番安全」と言っていた。HIV検査のための検体でなくても、その中にはHIV陽性のものが混ざっているかもしれないのである。他の検査室はHIV陽性の検体があるという感覚で検体を取り扱ってはいない、漠然とした不安はあったかもしれぬが。とにかく、検体の取り扱いは標準作業手順書に従って安全にそして慎重に行わなければならない。HIV検査を受託しだしたのは1987年ころのことである。
 サザンブロット法とウェスタンブロット法の2つがあるが、HIVの確認検査に使用されていたのはウェスタンブロット法である。ノーザンブロットとかイースタンブロット法というのは当時は耳にしたことがなかったが、いまはノーザンブロット法がある。元々は開発者の名前にサザンに由来する。そのうちにイースタンブロット法も出現するのだろう、ネーミングから検査方法を想像することはできない。(笑)
 PCR法は温度を一定時間上げ下げしてDNAを数時間で1,000,000倍に増幅する方法であるが、検査機器はいたってシンプル、温度を精度よくコントロールできればいいだけの装置である。1980年代後半とは事情がだいぶ違っているようで、性能のよいDNAポリメラーゼが開発され最近の装置では増幅時間はわずか2時間。

 統合システム開発が84年12月に8か月で終了、並行して予算編成と予算管理と固定資産管理を担当していた。1986年11月に検査試薬の価格交渉で社内出向、その後1月1日付で購買課に異動辞令がでて、機器購入担当となり、仕事柄ラボ内検査課へはしょっちゅう出向くから、すべての検査室にフリーパスで出入りができるようになった。用事があるついでに現場の係長クラスにいろいろ質問して、その人の担当している検査の要点を現物を前にしながらヒアリングしていた。使用している機械のカタログを集め目を通したし、取引業者に頼んで関連論文の写しをもってこさせた。現場で説明を聞く利点はある、モノがあると理解しやすいし、何しろ具体的な作業の様子がわかる。ラボは検査課あるいは検査係ごとに専門の職人で構成されており、検査の種類が多い(3000項目)から、検査課を横断したコミュニケーションは使う言語(専門用語)が異なるので少なくなる。だから縄張り意識も強くなり、他の検査課に立ち入ることができない。入れば、「何の用ですか?」とぶぜんとした表情でとがめられること必定、しかし、機器担当のわたしだけは例外で、どの検査課とも機器購入で購入協議書の内容を確かめたり、時に書き直しの文案を作成してあげているから。現場まで出向いて、用途やニーズを確かめたり、設置に立ち会ったり、トラブルがあると業者との間に入って調整するから重宝がられていた。検査機器開発の失敗のしりぬぐいもいくつかやってあげた。本社で統合システム開発と予算編成を担当する傍ら、固定資産台帳も担当して、自分の手で本社とラボの設備と機器の実地棚卸をして、検査管理部のH間さんに協力してもらって固定資産分類コードをつくり、投資案件も入力できるように固定資産管理システムを全面的に作り直した。ラボへ異動する前に検査機器と設備は固定資産台帳と突き合わせて全点チェックがすんでいた。固定資産台帳に5000万円で載っている特注の検査機器にブルーシートがかぶっているなんて例があった。使い物にならなかったのである。上場前に不良資産は全部処分する方針を本社経理担当役員に説明して了解をもらって、廃棄協議書を提出させて全部処分した。ラボ副所長がかかわっているものがいくつかあった、現場の担当者は大迷惑。使わない危機が狭い検査室にどんと置かれたままになって困っていた。仕様書も書かずに口答だけでやっていたら大きな案件は失敗することになる。RI部と染色体検査課に失敗した機器があった。ラボ側は本社側に失敗の報告をしたくない、開発案件に失敗はつきものだが、ちゃんとした仕様書も取り交わさずに数千万円単位の開発に着手してしまう杜撰さは上場準備上解消しておかなくてはならなかった。ちゃんとして手続きを踏んでやっていたら失敗してもいいのである。そのままでは上場審査で資産管理の不手際が問題になりかねない。購入協議書を整備し、決裁権限を定め、責任の所在を明確にした。たくさん儲けていれば、開発費に資金を潤沢に投入できる、そのころのSRLは売上高経常利益率が12%の高収益会社だったから、開発に失敗しても責任を問われることがなかった。失敗は構わぬが、上場企業に濫費は許されぬ。
 ニコンの子会社との染色体がぞ解析装置の開発は見込みがないので2000万円ほど投入したところだったが中止させた。その直後にIRSという英国企業が染色体画像解析装置を開発して虎の門病院に導入されたという話を検査管理部の機器担当者O形さんが聞き、業者を通じて染色体課長I原さんと一緒にサンプルを持ち込み実機でテストさせてもらった。開発目標にしていた1検体10分がクリアされていた。5検体を20分で処理できたのである。レンズにこだわったのが間違いだった、CCDカメラで画像で取り込むと後処理が簡単なようで、なんと自作のボードコンピュータ3枚ほどでデータ処理していた。ニコンは日本で最高の技術をもつレンズメーカであるからレンズにこだわり、レンズで画像を取り込み、当時画像解析用のミニコンでは最高性能のDECの製品を使い試作機を作ろうとしていた、開発は最初の構想から隘路に入り込んでいたのだ。英国メーカIRSの染色体画像解析装置に採用されていたプリンターも品質の高いものだった。染色体を大きさの順に自動的に並べ替えて印刷する。二十数種類のプリンタをテストして、これがベストだったとスコットランドなまりの強い英語でエンジニアが説明してくれた。自作のボードコンピュータを見て、このエンジニアの技術レベルがすぐに判断がついた、こういう人材がニコンの子会社にはいなかった。産業用エレクトロニクスの輸入商社で勤務していた時にマルチチャンネルのマイクロ波計測器の販売価格が2000万円もするので技術部で開発しようということになった。N中さんという優秀な技術者がいたのでかれに白羽の矢が立った。半年余りをかけて半田ごてでマッピングして試作機が完成すると、2台目からはプリント基板に変更、製造原価は200万円ほどに低下した。販売価格が1000万円ならマルチチャンネルアナライザーは市場を席捲できる。半田ごてで線をつないでいくマッピングでは手間がかかるから、製造はプリント基板でやるのがあたりまえ。スコットランド人のエンジニアがN中さんと同じレベルのコンピュータ技術者だと感じた。製品への信頼度がそれで一気に固まった。ドイツ人が話すようなごつごつした英語だったので余計に親しみがわいたのかもしれない。(笑)


 メーカが新しい検査機器を開発すると早い段階で教えてくれるという特別なルートも数本あったから日本初導入の機器をいくつか扱った。会社の上層部に貸しのできたところは外部にまだオープンになっていない新製品開発情報を教えてくれた。だから市販予定の大型検査機器の最終調整を八王子ラボでやってやる代わりに、半年間の独占使用を認めさせる交渉もできたし、していた。半年間の独占使用権で一気にその分野の外注検査シェアを確保してしまう。1987年ころだったと思うが、ラテックス凝集法の大型分析器LX3000の開発情報を入手できたので、市販前の問題点の確認とクリアを目的としてSRLでのインスタレーションテストをメーカ側に提案した。半年間の独占使用が条件である。快く受け入れてくれた。
 従来の方法で測定済みの検体を流してデータ比較をするとともに、電源投入直後の立ち上がりから1時間に同じ検体を再度測定してデータの再現性もチェックする。LX3000 はデータの再現性に問題を生じ、暗礁に乗り上げ、使えないという話が現場から聞こえてきたので、間に入って調整することにした。輸入商社にいたときにオシロクォーツ社の時間周波数標準機が火入れしてから1か月しないと規定の精度がでないという話を思い出した。ヒアリングしたら朝立ち上がり1時間ぐらい再現性が悪いということだったので、検査2時間前にタイマーで電源を入れてスタンバイするように変更をお願いしたら、問題がなくなった。立ち上がりの精度の悪い機械だったのである。その間にできた3か月ほどの時間を使って再現性の問題を根本的に解決するようにメーカ側にお願いした。どのように根本的に解決したのかは聞いていないが、栄研化学はSRLで数か月のインスタレーションテストでえられたデータから、問題点をすべてクリアした信頼性の高い新製品を予定通りに市販している。同じタイプだが病院で導入できるような小型のものもシリーズで出し、ずいぶん売れたようだ。RI標識の検査に比べてラテックス凝集法は特別な管理区域で実施する必要がないし、検査精度が飛躍的にアップする。検査データを利用して診断しているドクターたちとその恩恵にあずかる患者のためにも、精度の高い検査の導入努力を日々怠ってはならない。業界ナンバーワンのラボはそういうことに積極的に協力する社会的な義務を負っていると考えていた。
 栄研化学から取引契約書を取り交わしたいと申し入れがあった、何年も取引していて急な要請で、すぐに上場準備中だとわかった。同じ作業をSRLも3年前にやっていたからだ。「上場準備中だから、契約書が必要だろう?」そう告げると、「顔色を変えて、外部に言ってはいけないことになっています」と慌てていた。そのご上場準備でなにか困ったことが持ち上がり、話が聞けた。解決策を教えてあげたら、それからあとは新製品開発に関する情報が入手できるようになった。だから、インスタレーションテストを提案できた。試験が終わった後3台導入した。数年たってからラボに用事があって各検査部をまわって歩いたら、LX3000が7台くらい並んでいた。大型検査機械であれだけの台数が一つの検査室に並んでいるのはめったにない。人工透析患者に必要な血中アルミニウムの測定に使われていた原子吸光高度計とRIA検査室のRIカウンターくらいなもの。RIカウンターはアロカ社のものがそろえられていたが、ファルマシアLKBに日本仕様(10×10ラックあるいは5×20ラックだったかも、とにかく100本/ラック)のRIカウンターを製造・市販するように勧めたら、すぐに作ってくれた。SRLの社内規格(100本ラック)が実質的な日本標準規格であった。HP社の社内規格である双方向のインターフェイスバスHP-IBが国際規格GP-IBになったケースと似ている。LKBの製品はデザインがとっても見栄えのするものだった。1台だけ入れたが、数年後に見たら、全部LKBのRIカウンターに置き換えられていた。真っ白で余分な飾りのないデザインが、機能美の極致を表現しているようで美しかった。こういう美的感覚もラボの機器選定には大事な要素なのである。性能がよくて美しいものがいい、年間数千人のラボ見学者を受け入れているのだから。日本製品はこういうシンプルで美しいというところへの配慮に乏しい。

 話をLX3000に戻すが、製薬メーカ単独でこういう密度の高いインスタレーションテストは不可能である。従来の精度の低い方式での測定と新製品での並行テストを大量にやり、問題が起きるかどうかを見守ることができる。そして問題が発生すれば市販前にそれらをクリアできるのだ。メーカと国内最大手の臨床監査会社のラボとの間には共同で大きな成果を上げられるプロジェクトがいくらでも見つかる。市販してからトラブルが続出したら、次に新製品を出すときにユーザが二の足を踏む。信頼性の高い機器を発売するというのはメーカにとって重要なマーケティング戦略なのであるそこを理解して交渉すればいいだけ。もちろん機械の原理、測定方法の要点は資料見て話を聞いただけで理解できる力がなけらばならない。産業用エレクトロニクス輸入商社で五年間欧米50社の世界最先端の製品の技術的説明(海外メーカのエンジニアによる英語での新製品説明会)を毎月2製品ほど聞き続けたからできるのである。最新のマイクロ波計測器の測定原理についても技術営業向けの社内講習会が東北大学の助教授がきて毎月1回開かれていた。予算編成、経営分析と経営改革、そして統合システム開発を同時に担当していたが、面白そうなので新製品や計測技術に関する社内講習会には片っ端から参加した。そのときの専門知識の蓄積がSRLで臨床検査機器の理解にたいへん役に立った。ラボの職人さんたちとはそれぞれ数回コミュニケーションしただけで、お互いの専門知識の程度がわかってしまうので、とってもやりやすかった。
 とくに予算がらみになると、わたしがOKだすと、本社の予算管理担当役員I本さんも管理担当副社長のY口さんも「ebisuがOKを出したのなら」と一度もダメと言ったことがなかった。本社からラボへ異動したときにラボ部門の仕事が理解できない本社役員がわたしを自分たちの目や耳の代わりに利用したのである。原価低減のために検査試薬の価格交渉が必要で、ラボの購買課に任せていても埒(らち)が明かないので、価格交渉を提案すると3か月間という「社内出向」で価格交渉担当として派遣された。予定通りの価格交渉をやって検査試薬原価をカットして見せたら、そのまま異動辞令が出された。本社側の意向通りにラボを動かすには便利だったのだろう。わたしのほうも利用した、「予算についての話は本社に通しておくから任せてくれていい、通常通り検査管理部を通してやってください、そちらにも根回しはしておきます」と検査課長たちに言い切れた。金額に応じて決裁権限に差がつけられているが、このように設備投資予算や予備費からの予算振替の実質的な権限があったから、本社とラボの風通しがよくなった。ラボ側にとってはありがたいことだっただろう。


 3年間ラボの機器購入とメーカとの検査機器共同開発を担当した後に学術開発本部に異動した。本部スタッフとして開発部の製薬メーカとの検査試薬のとの共同開発案件2つを担当する傍ら、学術情報部のラボ見学のうち海外からのお客様を担当したから、その時にもラボツアーの都度、見学希望の検査課をお客様を連れて回って解説しており「門前の小僧習わぬ経を読む」のに慣れていたのである。八王子ラボで仕事をした四年半はとってもたのしく、好奇心を満たしてくれた。
 ラボの後は社内公募された新設部署である関係会社管理部へ異動したが、このときは公募の書類を人事に送付した翌日に本社から副社長のY口さんが八王子ラボまで来て「話がある」と応接室へ誘う。Y口さんは管理部門担当の副社長だから、八王子ラボには年に一度来るか来ないかの人。応接室は社内の打ち合わせに使わない、取引業者はお客様との打ち合わせのためにある、そこで話があるというのだ、異例のことだった。学術開発本部担当役員のI神さんが異動に強硬に反対して、異動できないことになるので人事異動が公表されるまで絶対に報告するなとキツイお達し。あとで公示直前に人事部門からの通知で知ることになったI神さんからキツイお叱りを受けた。副社長から口止めされていましたとは言えない。「すみません」としか言いようがなかった。学術開発本部には開発部と学術情報部と精度保証部の三つの部門があったのだが、開発部の検査試薬開発のマネジメントをできる任癌がいなかった。属人的な仕事になっていたが、PERT chartを利用して、仕事の手順を標準化して相互に進捗具合が確認できるように変えた。慶応大学病院のドクター数人と出生前検査MoMの日本人基準値の共同研究のマネジメントもしていたし、臨床病理学会の櫻林先生と検査項目コードの日本標準制定のプロジェクトにも異動の前からかかわっていた、かかわっていたというよりも、臨床診断システム事業化案をつくり、10個のプロジェクトに分解、そのうちのひとつが臨床検査項目コードの日本標準制定で、臨床病理学会の臨床検査項目コード検討委員長の櫻林先生を大手6社の項目コード検討会に引っ張り出したのはわたしだった。海外のお客様のラボ見学対応もあったから、これらの仕事を一人でできる人材がいなかった。だから、副社長は上司のI神取締役に社内公募に応じたと話してはならないと口止めしたのである。この新設部門である関係会社管理部への公募については別途経緯があるが、別のところで書いた。やむにやまれぬ事情がわたしのほうにはあった。
 新設部署にとってわたしのスキルは二つの点で重要だった。一つは経営管理系情報システムの開発経験者としてのスキル、もう一つは経営分析と経営改革スキルだった。この部署へ異動してから子会社の経営分析と臨床検査会社の買収や資本提携のための資料分析と経営改革案作成と実際の交渉を担当して、資本提携先へ役員出向することになるのである。このときは5ディメンション25経営指標のレーダチャートによる総合偏差値評価方式を開発して、画期的な子会社業績評価システムを作った。一つの経営改革モデルと言って差し支えないだろう。関係会社管理部にいたおかげで千葉の子会社のラボシステム開発も親会社側という立場で担当できた。生産性を2.5倍にアップする目標をクリアした。システム開発スキルと経営計画のシミュレーションスキルがこの仕事で役に立った。この経験を通して国内の赤字の臨床検査会社はどこでも黒字化できるノウハウが身についた。生産性を3倍にアップできたら業績は劇的に改善できる。赤字会社は高収益会社へ化ける、実績が出るとボーナスが跳ね上がるからそれを手にした社員のやる気もまるで変ってしまう。こういう時は5年の長期計画シミュレーションを稟議書に添付しており、実績が初年度からそれを上回るので、社員に自信と安心感が生まれる。
 関係会社管理部で北陸の臨床検査会社の買収と福島県の臨床検査会社への資本提携交渉を担当し、福島県の会社へ役員出向することになった。3年の約束のはずが、黒字化の経営改革案をつくって親会社社長と副社長の了解をとり実行しようとしたら、15か月で本社に呼び戻された。F田社長は福島県の臨床検査会社を高収益会社にしたくなかったのである。そうなれば子会社化してその会社の社長をSRL本社役員に据えなければならなくなる、それが嫌だったのだろう。毛色が違っていた。出向解除と引き換えに異例の3部署(社長室、経営管理部経営管理課、資材部)兼務異例が出た。後にも先にもほかに3部署兼務の例はなかった。意に添わぬ人事があったので、半年ほどで無理やり本社勤務を解いてもらい、一番古い子会社東京ラボへ出向した。本社の仕事が楽すぎてつまらなかったこともある。SRL東京ラボへは経理部長として出向したが、すぐに経営企画の仕事も兼務することになった。ラボ建物が老朽化していて危険だったのでラボ移転を計画し、親会社を含めたラボの再編構想を練り、あと3か月ほどで具体案に練りあがってから東京ラボのM輪社長と一緒に親会社のK藤社長に相談に行こうとしていたところだった。そこへ突然の異動発令があった。帝人との合弁会社の立ち上げが新聞公表スケジュール通りにいかなくなったので、担当しろと本社社長のK藤さんから直接の指示。東京ラボのM輪社長、社長室にわたしを呼んで「K藤社長の直接の指示だからノーと言えない」とがっくりした様子。東京ラボの移転も親会社を含む首都圏のラボ再編構想も雲散霧消となった。
 そういう経緯で11月から合弁会社立ち上げのプロジェクトに参加することになった。帝人との合弁会社は1月のスタート・スケジュールだったから立ち上げまで3か月。半年前からプロジェクトが走っていたが、暗礁に乗り上げ、メンバーの一人、W辺が、「スケジュール通りにやれるのは社内にはebisuさんしかいない」と発言したと本人、それでお鉢が回ってきたらしい。「そういうときは事前に相談しろ」と叱っても手遅れ、「SRLグループ企業全体の未来を左右する大きな構想の仕事が走っていたんだ」と笑うしかなかった。臨床治験の合弁会社で、帝人と出資比率は半々、役員も半々、K藤社長の指示は三つ、じつに明快だった。
 ①赤字部門の合弁会社だからその黒字化、そして②帝人の臨床検査子会社の買収、③合弁解消しSRL100%とするという三項目、これを3年間でやり遂げること。「やれるか」と念を押すので、「合弁会社経営に関して全権をいただきやりかたを任せていただけるなら、期限内にクリアします」と応えると「わかった、任せる」と二つ返事。これが最初のプロジェクトミーティングに参加するために本社建物のエレベータ前で外出しようと出てきたK藤社長との会話である、決断の速い人だった。
 そういうわけで11月にプロジェクトに参加、両社の保管しているファイル資料の棚卸をすぐにやりながら、不動産会社に物件を大急ぎで探してもらって、予定通り1月に日本橋本町のビルに本社と検体の分離ラボを設置、稼働した。3年の約束だったが、これも期限前(二年目)にすべてクリアした。合弁解消の時に、帝人のI川常務から「いままで合弁会社がうまく行ったためしがなかった、赤字が膨らんで帝人側が引き取っていた、こんなケースは始めてだよ、次の社長はebisuさんがやれ」と言われた。わたしは帝人の本社役員からいくらか経営手腕を買われていたようだ。
 三つ目標をクリアしてすることがなくなった、あとは誰でもできる、そういう時に、再度誘いを受けた。以前から老人介護・医療に興味があり、病院を中心に老健施設・ナースステーション・有料老人ホームなどを配置したシームレスな介護を夢見ていたので、首都圏の300ベッドの老人病院の病棟建て替えの仕事を依頼されたのを機会に、常務理事として10年間仕事をする契約で引き受けた。年収1800万円で10年契約、転職に当たっては契約書を取り交わした。16年間のSRLでの仕事にこうして終止符を打った。人生の残りの1/3は儲け仕事ではなくて、故郷に戻ってなにかするつもりであったが、まだきっかけがなかった。人生を勉学の時期、一生懸命に働く時期、社会的な貢献の時期と漠然と三つにわけていたから、50歳くらいで故郷に戻るようなきっかけがでてくるような気がしていた。それは少し遅れてやってきた。

 SRLでのスタートは上場準備のための統合システム開発担当と全社予算編成と管理の実務担当責任者だった。こういう一見してめちゃくちゃな異動は前にも後にもない。3分野あるいは4分野にわたる専門家は社員が千人いても一人しかいない。そして現実の経営上の難問題はつねにいくつもの領域にまたがっている。難易度の高い仕事がしたかったら、いくつもの専門分野をもて!

 実際の科学鑑定はつねにあたらしい検査方法と技術の習得との戦いでもあり、そういう視点でこの本『科学鑑定』を読むのも楽しい

*サザンブロット法
https://ja.wikipedia.org/wiki/サザンブロッティング

 PCR法 ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/ポリメラーゼ連鎖反応

 HLA検査 SRL検査案内より
http://test-guide.srl.info/hachioji/test/detail/01284A101
 HLA検査 ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヒト白血球型抗原



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 石山昱夫著『科学鑑定』文春新書


科学鑑定―ひき逃げ車種からDNAまで (文春新書)

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  • 作者: 石山 いく夫
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1998/11
  • メディア: 新書



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コメント 6

tsuguo-kodera

 凄い記事だと思いました。内容のいか程を理解できたか自信がありませんが、面白く一気に読めました。
 私はやっと教育と言うものが分かってきたように思えます。遅すぎですが。孫と会員の子供にしか役立つことはありません。(笑)
 一言で言えば、日本はひとつのテーマに力を入れて勉強しすぎです。少なくとも4つほどの得意分野が無いと仕事もできず、創造性もない人に育つとです。
 ebisu先生は得意分野が玉突き、剣道、検査、ビジネス、書籍などなど様々です。
 これが石山先生の考え方に納得できる理由なのかもしれません。
 私も将棋、映画、コンピュータ、野球など得意でした。ある新しいテーマを何れかの知見で考えられ、アナロジーで解決策の発想ができると思います。
 やはり、野球だけではアカン、サッカーもラグビーもできるべき。水泳も。そして英数国もほどほどに。そのような考え方ができる先生が必要なのでしょう。
 何でも義務とか、目標とかではなく、楽しむためにやるので良いのでしょう。
 このような観点から、今の日本の現状についてめちゃくちゃなことを書いていくつもりです。
 何時もコメントをありがとうございます。
by tsuguo-kodera (2018-07-11 19:21) 

ebisu

koderaさん

ひとつの専門分野にたけている人は大企業なら社内にたくさんいます。沿おういう人はそれぞれの分野でいい仕事をしてくれます。
二つの分野になるとがくんと減ります。三つになると希少価値です。難易度の高い仕事はほとんどが3分野以上にまたがっていました。
だから、複数の専門分野をもってさまざまな専門家と専門用語で話ができると仕事が通常の1/10以下の時間で、しかも誤解なく意思を伝えられますから、仕事が高速で進捗します。

遊びはとっても大事です。貴兄は将棋、映画、野球を例に挙げて、「アナロジーで解決策の発想ができると思います」と書いておられますが、その通りです。
おそらく仕事に役に立たぬ趣味はありません。ビリヤードは理論だけ知っていても実技が伴わないとだめです、あたりまえのことです。理論でこういう撞き方をすればこうなるはずと撞いた後の玉の配置をグリーンのテーブル上に30㎝ほどの楕円のゾーンをイメージしてトレーニングします。素振りもいくつかのボールの配置を頭に描いて振ります。
そういうことが仕事のやり方にも影響しています。あらかじめシミュレーションした通りに現実をコントロールするのは同じ呼吸です。感覚的なところでつながっているように感じます。
瞑想時の呼吸の仕方も身についているので、心のコントロールに役に立ちます。これも仕事の際に無意識に利用していました。大事な判断をするときには、深いゆったりとした呼吸を数回しています、それで無心になれます。私欲が混じると判断を誤りかねません。
深くゆったりした呼吸ができると無心になれるので、ビリヤードの試合のときにそれが役に立ちました。
何時もそうできるとよいのですがね。(笑)

仕事も娯楽も趣味もどこか深いところでつながっているようで、それが創造力の源になっているのは実感としてよくわかります。
koderaさんの市民サークルでバドに親しんだ子どもたちが行儀がよくなり、学力も高くなるというお話がよくわかります、ものごとはそういうものですから。
ようするに仕事(学生は勉強)、趣味、娯楽とこれら三つは同じで、無心に楽しんでいるだけでよい、結果は後からついてくるのでしょう。

こうして関g萎えると、無心に遊ぶということは何かの極意に通じているのかもしれませんね。
無心に遊べる子どもはきっと無心に勉強できます。そして大人になったら無心に仕事ができます。
by ebisu (2018-07-11 23:50) 

tsuguo-kodera

 素晴らしいコメントバックだと感服しました。ありがとうございます。
by tsuguo-kodera (2018-07-12 04:32) 

ebisu

koderaさん

貴兄に褒められてなんだか気はずかしい気がします。(笑)
わたしのほうはあなたが根室のK雲中学校の体育館でバドミントンのトレーニング法を具体的に指導してくれた時の生徒たちの目の輝きが忘れられません。子どもたちは素直です。指導技術が高くても、優れていればいるほどすっと吸収してくれます。
あのシーンを見ていて、わたしも中学生になってバドミントンをやってみたくなりました。
あの折はありがとうございました。

ところで変換ミスが二つあったのに気がついたので、訂正しておきます。

2行目
「沿おういう人」⇒ 「そういう人」

後ろから5行目
「こうして関g萎えると、」⇒ 「こうして考えると」

by ebisu (2018-07-12 08:35) 

ebisu

koderaさん

貴兄のおじさんの東大教授の法医学者石山昱夫先生がこんなことを言っていたと本欄に書き留めておきましたが、最近の研究で軽い脳震盪でも脳に長期的影響が出ることが明らかにされています。

サッカーのヘッディングやボクシングは非常に危険ですね。加齢とともに認知症などの脳障害を起こす可能性大です。

貴兄が石山先生から聞いた話を次のように本欄に記してありました。
「短い脳震盪ですら脳は傷ついている可能性があり、認知症の発生の可能性を高めるため、危ないそうです。」

最近の研究のタイトルは、
「軽い脳震盪ですら脳を「再配線」してしまい、長期的な影響をもたらすとの研究成果」
趣旨は石山先生の言とまったく同じです。
https://www.msn.com/ja-jp/news/techandscience/%E8%BB%BD%E3%81%84%E8%84%B3%E3%81%97%E3%82%93%E3%81%A8%E3%81%86%E3%81%A7%E3%81%99%E3%82%89%E8%84%B3%E3%82%92-%E5%86%8D%E9%85%8D%E7%B7%9A-%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%84%E9%95%B7%E6%9C%9F%E7%9A%84%E3%81%AA%E5%BD%B1%E9%9F%BF%E3%82%92%E3%82%82%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%99%E3%81%A8%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6%E7%B5%90%E6%9E%9C/ar-AA1b0bjV?ocid=msedgntp&cvid=c6ab275583314e569d886ba0ca2dfad6&ei=19

数年たつと記事はなくなることが多いので、貼り付けます。
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脳は豆腐のように柔らかい組織であるため、ヘディングした回数が多いサッカー選手ほど認知機能が低下しやすいことなど、スポーツ中に発生するような比較的軽い衝撃でもダメージを受けかねないことが分かっています。ケンブリッジ大学の専門家らが行った新しい研究により、軽度の外傷性脳損傷(TBI)、つまり脳しんとうを経験した人の脳では「過結合(hyperconnectivity)」という現象が発生していることが確かめられました。 Acute thalamic connectivity precedes chronic post-concussive symptoms in mild traumatic brain injury | Brain | Oxford Academic https://doi.org/10.1093/brain/awad056

世界では年間推定5000万件のTBIが報告されており、高齢化による転倒事故の増加や低・中所得国における交通事故の増加を背景に、TBIの症例数は年々増加傾向にあります。これを受けて、科学者らはTBI患者への治療を改善することを目的としたプロジェクトである「CENTER-TBI」を立ち上げました。 このCENTER-TBIのデータを分析したケンブリッジ大学のレベッカ・ウッドロウ氏らの研究チームは、2023年2月に神経学の学術誌・Brainに掲載された論文で、「6カ月以内の完全回復が見込まれる軽度のTBIであっても、6カ月以降も問題が続く事例が多いことが判明した」と発表しました。研究結果によると、ほぼ半数に当たる45%で脳の損傷に起因する症状が出ており、TBI患者らは疲労や集中力の低下、頭痛などに悩まされているとのこと。 ウッドロウ氏は科学系ニュースサイトのLive Scienceに、「私たちは、転帰が悪いTBI患者がいかに多いかに驚かされました。ほぼ半分の人で影響が見られました」と話しています。
特に問題視されているのが、軽い脳しんとうとして片付けられることが多い軽度のTBIです。中~重度のTBI患者には相応の治療が施されますが、軽度のTBI患者に対するケアは限定的であり、サポートもほとんど行われません。 こうしたTBI患者の脳が受けた損傷について理解を深めるため、研究チームはCENTER-TBIで脳の検査を受けたTBI患者108人と、健康な対照群78人のデータを比較する研究を行いました。特筆すべきは、CENTER-TBIでは脳の構造を調べる標準的なMRIやCTスキャンのデータだけでなく、脳の機能を調べる機能的MRI(fMRI)のデータも収集されている点です。普通、軽度のTBIではfMRIまで行われません。 分析の結果、CTスキャンやMRIではTBI患者の脳の構造的な変化は見られませんでしたが、fMRIでは健常者と比較して「視床と他の領域との結合が有意に強い」ということが示されました。 視床は、脳の信号を中継する通り道としての働きがあるため、しばしば「脳のリレー」と表現されます。Live Scienceによると、TBIによって視床と他の部分の結合が強まるのは、そうすることで脳のさまざまな場所の損傷を補おうとししている可能性があるとのこと。 また、ウッドロウ氏は「視床は脳の中心に位置しているので、どの方向からの衝撃でも傷つきやすい部分です。ですから、視床そのものの損傷に対応しようとした結果、結合が強まっている可能性もあります」と指摘しました。
先行する研究では、中~重度のTBIで脳全体の結合が高まることがすでに確認されており、研究チームは論文に「過去の複数の研究が、脳の結合を高めることで損傷に対応しようとしている『適応的過結合仮説』を支持しています」と記しています。 今回の研究では軽度のTBIによる脳の結合の変化だけでなく、過結合が最も顕著な領域が、感情的な症状や認知的な症状など、特定の症状と関連性があることも示されました。また、こうした結合の変化は、脳の領域における神経伝達物質の濃度とも相関を示しました。そのため、これらの神経伝達物質を調節して軽度のTBIを治療する薬が開発できるのではないかと、研究チームは考えています。 研究チームは今後、スポーツでよく見られる反復性の脳しんとうの影響について調査し、TBIが累積的な影響を及ぼすかどうかや、脳が衝撃を受ける度に脳しんとうの影響が深刻になっていくのかどうかなどについて究明する予定です。
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by ebisu (2023-05-11 10:56) 

ebisu


2000年12月30日に起きた世田谷一家惨殺事件の犯人(20代)の血液DNA鑑定をしたのは小寺さんの母方の叔父である石山昱夫氏でした。
DNAのミトコンドリアの鑑定から、犯人は中国人と西洋人の混血であり、日本人である可能性はほとんどゼロでしたが、警視庁は捜査に先入見を与えるという理由でその事実を極秘扱いにしました。それが迷宮入りになった大きな原因だと言えるでしょう。
石山先生いい仕事なさっています。
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 元捜査一課幹部によると、事件発生から5か月後、警視庁初の“DNAプロファイリング”が極秘で実施された。DNA鑑定の権威だった帝京大学医学部の石山昱夫教授(当時)に、犯人の血液から採取したDNAサンプルを警視庁科学捜査研究所幹部(当時)が持ち込み、分析を依頼した。
「当時の技術でもDNAの遺伝子情報から、母系からのみ伝わるミトコンドリア、父系からのみ伝わるY染色体多型などを抽出し、その塩基配列型の系統を詳しく分析すれば、白人、黄色人種などの人種的特徴を判別することができた。事件直後は母系のミトコンドリア(DNA)のみを分析した。その結果、『アンダーソンH15型(ヨーロッパ系の白人)』だとわかり、仰天したよ。日本人の母親という確率は0.01%以下だ。だが、捜査に先入観を与えてはいけない、と当時の捜査一課幹部が判断し、この情報は極秘扱いとなった」(当時の科捜研幹部)
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https://dot.asahi.com/dot/photoarticle/2018123000002.html...

by ebisu (2023-05-11 11:33) 

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