#3639 落葉樹の対義語は? Nov.12, 2017 [47.1 読み]
中3の学力テストに落葉樹の対義語を問う問題があったが、「できなかった、習っていない」とある生徒、なにやら不満顔。ああ、意識の差があるんだと気がついたしだい、今回はそれについて書いてみる。
試験には習ったことしか出ないものだと思っている様子、なるほどそう思い込んでもしかたのないような状況が根室市内の中学校にあるのも事実。定期テスト問題には教えたことしか出題しない先生がほとんどだろう。国語を教えている先生が最近、定期テストで半分くらい初見の問題を出題したが、その先生は例外、見上げたもの。他の教科でもそういう先生が一人いらっしゃる、教え方に自信がなければそういうテスト問題はつくれない。ebisuが知りうるのは狭い範囲だから、他の学校でもそういう先生が10-20%くらいいるのかもしれぬ。しかし、ほとんどの先生が教えたことだけを出題している。しかも教科書準拠問題集からそのまんまのケースが散見される。これでは成績上位層の生徒はつまらない。
だが、学力テストは教えている先生が出題するわけではないから、習っていないことが出るのは当たり前と考えるのが普通ではないか。
団塊世代が中学3年生の時に全国一斉学力テストがあった。社会の問題で国際機関名が略号で6個ぐらい出題されたが習っていなかった。北海道新聞を読み、これらの略号が出てくるつど元の正式名称を辞書で確認していたから全部正解できた。だから、1学年550人中で社会の点数が一番高かったことがある。習っていない問題で差がついただけ。参考書や問題集をいくら消化しても、同じ学年に550人もいれば、学年一位はまぐれでしか取れない。実力差でもぎ取るには、そういうレベルと超える勉強をふだんからしておけばよい。それが北海道新聞を読み、国語辞典と漢和辞典と英和辞書を引くことだった。試験の成績を上げたくてやっていたわけではない、面白いからやっていただけ。新聞を読めば地図帳で場所を確認もする。歴史も地理も公民も国語も英語も計算も科学も、ひとつの新聞記事でつながってしまう。教科横断的な思索あるいは各教科のクロスオーバがしょっちゅう生じる。役に立たない勉強はない。世の中で何かが起きたら、それを総合的に理解するには中学・高校で習うすべての教科の知識が必要になる。
落葉樹の対義語は常緑樹であるが、迷った生徒が多かったのではないか。たとえば、「針葉樹・広葉樹・落葉樹」と並べると、頭一文字だけが違っているから、同じものを三つに分類したようにも見える。
漢字の字義から判断すると、落葉樹とは葉っぱが落ちる樹種をいう。乾燥期を生き残るために葉っぱの大きい樹種は葉を落とし休眠状態になる。そうしないと枯れてしまうからだ。自然とはじつに精妙にできているものだと感心する。針葉樹の葉っぱはとがって面積が小さいから、乾燥期でも葉っぱからの蒸散量が少ないから、葉を落とす必要がない。しかし、針葉樹でもカラマツのように葉っぱを落とすものがあるからこれらの用語の相互関係はややこしい。用語を整理すると次のようになるだろう。
① 常緑樹 ⇔ 落葉樹
② 針葉樹 ⇔ 広葉樹
葉っぱが落ちるか落ちないかを基準に分類すると①になり、葉っぱの形状に注目すると②の分類ができる。
そして、この両方の分類には関係がある。落葉樹は広葉樹の真部分集合である。数学記号を使うと紛れがない。
落葉樹 ⊂ 広葉樹
ややこしいのは、針葉樹の一部にカラマツのように落葉樹があること。専門用語や概念は対義語を一緒に覚え、別の基準での分類や上位・下位概念との関係もしっかり押さえておきたい。これがごちゃごちゃだと論理的な議論が成り立たない。中学生になったら、用語の定義とか概念についてはこういう整理を常日頃から心がけたいもの。
国語の問題として出題されたが、わたしが社会科の教師なら、針葉樹林帯や広葉樹林帯の地図記号が出てきた時に、常緑樹や落葉樹の説明もついでにしておく。理科の教師なら裸子植物と被子植物のあたりで言及するかもしれない。
生徒たちのボキャブラリーが貧困化している。教科書を独力で読み、予習できない生徒が国立情報研究所の最近の調査でも25%いる。根室の中学校では20-35%である。学校学年によってばらつきがあるのは当然だが、小学6年生用の語彙力テストで50点以下がそれくらいいるということ。
<朗読授業のススメ>
学力の基礎は「読み・書き・そろばん(計算)」にあり、三つの技能は重要な順序に並べられている。
小学校で朗読授業を週に1時間でいいからやってもらいたい。朗読は語彙力を拡張するのに役立ち、日本語読解力を大きく伸ばす。朗読は小学校の時期が旬である。『赤毛のアン』を読んでいたら、隔週金曜日に小学校で朗読授業のあることが書いてあった。
「それから金曜日は、一週間おきに、暗唱の授業があって、みんなで詩を吟唱したり、芝居や小説の対話劇を演じたりするんですって。ああ、考えると華やかな気持ちになるわ。」 p.274
Every other Friday afternoon she has recitations and everybody has to say a piece or take part in a dialogue. Oh, it's just glorious to think of it. p.153
松本侑子訳は日本語の格調が高く原文のもちあじと釣り合っているように感じた。原文は小学生が読むような語彙レベルのものではなく、大人の読み物である。
週一ぐらいで、英語の朗誦授業があってもいいのではないか。例えば、小学生ならマザーグースを、中学生なら1500語レベルぐらいの短編小説や詩という風に。
70% 20%
試験には習ったことしか出ないものだと思っている様子、なるほどそう思い込んでもしかたのないような状況が根室市内の中学校にあるのも事実。定期テスト問題には教えたことしか出題しない先生がほとんどだろう。国語を教えている先生が最近、定期テストで半分くらい初見の問題を出題したが、その先生は例外、見上げたもの。他の教科でもそういう先生が一人いらっしゃる、教え方に自信がなければそういうテスト問題はつくれない。ebisuが知りうるのは狭い範囲だから、他の学校でもそういう先生が10-20%くらいいるのかもしれぬ。しかし、ほとんどの先生が教えたことだけを出題している。しかも教科書準拠問題集からそのまんまのケースが散見される。これでは成績上位層の生徒はつまらない。
だが、学力テストは教えている先生が出題するわけではないから、習っていないことが出るのは当たり前と考えるのが普通ではないか。
団塊世代が中学3年生の時に全国一斉学力テストがあった。社会の問題で国際機関名が略号で6個ぐらい出題されたが習っていなかった。北海道新聞を読み、これらの略号が出てくるつど元の正式名称を辞書で確認していたから全部正解できた。だから、1学年550人中で社会の点数が一番高かったことがある。習っていない問題で差がついただけ。参考書や問題集をいくら消化しても、同じ学年に550人もいれば、学年一位はまぐれでしか取れない。実力差でもぎ取るには、そういうレベルと超える勉強をふだんからしておけばよい。それが北海道新聞を読み、国語辞典と漢和辞典と英和辞書を引くことだった。試験の成績を上げたくてやっていたわけではない、面白いからやっていただけ。新聞を読めば地図帳で場所を確認もする。歴史も地理も公民も国語も英語も計算も科学も、ひとつの新聞記事でつながってしまう。教科横断的な思索あるいは各教科のクロスオーバがしょっちゅう生じる。役に立たない勉強はない。世の中で何かが起きたら、それを総合的に理解するには中学・高校で習うすべての教科の知識が必要になる。
落葉樹の対義語は常緑樹であるが、迷った生徒が多かったのではないか。たとえば、「針葉樹・広葉樹・落葉樹」と並べると、頭一文字だけが違っているから、同じものを三つに分類したようにも見える。
漢字の字義から判断すると、落葉樹とは葉っぱが落ちる樹種をいう。乾燥期を生き残るために葉っぱの大きい樹種は葉を落とし休眠状態になる。そうしないと枯れてしまうからだ。自然とはじつに精妙にできているものだと感心する。針葉樹の葉っぱはとがって面積が小さいから、乾燥期でも葉っぱからの蒸散量が少ないから、葉を落とす必要がない。しかし、針葉樹でもカラマツのように葉っぱを落とすものがあるからこれらの用語の相互関係はややこしい。用語を整理すると次のようになるだろう。
① 常緑樹 ⇔ 落葉樹
② 針葉樹 ⇔ 広葉樹
葉っぱが落ちるか落ちないかを基準に分類すると①になり、葉っぱの形状に注目すると②の分類ができる。
そして、この両方の分類には関係がある。落葉樹は広葉樹の真部分集合である。数学記号を使うと紛れがない。
落葉樹 ⊂ 広葉樹
ややこしいのは、針葉樹の一部にカラマツのように落葉樹があること。専門用語や概念は対義語を一緒に覚え、別の基準での分類や上位・下位概念との関係もしっかり押さえておきたい。これがごちゃごちゃだと論理的な議論が成り立たない。中学生になったら、用語の定義とか概念についてはこういう整理を常日頃から心がけたいもの。
国語の問題として出題されたが、わたしが社会科の教師なら、針葉樹林帯や広葉樹林帯の地図記号が出てきた時に、常緑樹や落葉樹の説明もついでにしておく。理科の教師なら裸子植物と被子植物のあたりで言及するかもしれない。
生徒たちのボキャブラリーが貧困化している。教科書を独力で読み、予習できない生徒が国立情報研究所の最近の調査でも25%いる。根室の中学校では20-35%である。学校学年によってばらつきがあるのは当然だが、小学6年生用の語彙力テストで50点以下がそれくらいいるということ。
<朗読授業のススメ>
学力の基礎は「読み・書き・そろばん(計算)」にあり、三つの技能は重要な順序に並べられている。
小学校で朗読授業を週に1時間でいいからやってもらいたい。朗読は語彙力を拡張するのに役立ち、日本語読解力を大きく伸ばす。朗読は小学校の時期が旬である。『赤毛のアン』を読んでいたら、隔週金曜日に小学校で朗読授業のあることが書いてあった。
「それから金曜日は、一週間おきに、暗唱の授業があって、みんなで詩を吟唱したり、芝居や小説の対話劇を演じたりするんですって。ああ、考えると華やかな気持ちになるわ。」 p.274
Every other Friday afternoon she has recitations and everybody has to say a piece or take part in a dialogue. Oh, it's just glorious to think of it. p.153
松本侑子訳は日本語の格調が高く原文のもちあじと釣り合っているように感じた。原文は小学生が読むような語彙レベルのものではなく、大人の読み物である。
週一ぐらいで、英語の朗誦授業があってもいいのではないか。例えば、小学生ならマザーグースを、中学生なら1500語レベルぐらいの短編小説や詩という風に。
70% 20%
Anne of Green Gables (Norton Critical Editions)
- 作者: L. M. Montgomery
- 出版社/メーカー: W W Norton & Co Inc (Np)
- 発売日: 2007/01
- メディア: ペーパーバック
2017-11-12 12:30
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