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#3632 窓ガラスが割られた:器物損壊罪 Oct.29, 2017 [64. 教育問題]

<更新情報>
10/31 夜11時追記<連日の窓ガラス損壊> 
11/1 朝9時 放火事件記事URLおよび他追記

  市内のある中学校で窓ガラスが割られて職員会議が開かれたという。割られた枚数は確認していないが、数枚程度のことだろう。8年前の「事件」を思い出した。たとえ1枚でも、器物損壊罪に問われる犯罪だからいたずらでは済まないことを知っておくべきだこういうことをふだんから教えておくことも犯罪予防上大事なことだ。教科なら公民だが、1・2年生も知っておくべきだから、ホームルーム担任が折に触れて解説しなければならない。放火が殺人罪に匹敵するほど罪が重いことも教えるべきだ。罪の重さを知らずに、腹いせにいたずら程度の認識でやることがある。そう遠くない過去に根室のある水産加工会社で放火事件があり弊ブログで取り上げた。会社の人事管理のまずさと放火が殺人罪以上の重罪(刑法第9章現住建物等放火罪 第108条:死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する)であることへの無知によって引き起こされた事件だと思う。窃盗と強盗の違いも教えておきたい、罪に雲泥の差がある。やはり根室もコンビニで過去にそういう事件があった。どんなにまじめな中学生でも将来何らかの理由で犯罪を犯す可能性がある。だから刑罰の軽重に差が大きいものだけは、具体的に教えたおきたい。いざそういう場面にでくわしたときら、思い出すことができれば、重犯罪を思いとどまることができるかもしれぬ。
 無知から犯罪あるいは重犯罪を犯さぬように中学生にはしっかり社会のルール(刑法)のポイントを教えておきたい

  別の観点から見てみたい。2009年11月下旬に、柏陵中学校で窓ガラスが41枚も割られたことがあり、北海道新聞が報じて根室市民の知るところとなった。柏陵中学校は市街化地域で学力テストの平均点が一番高かったが、下がりだしたときにこういう「事件」が起きた。

*#819 器物損壊罪「窓ガラス41枚」にみる中学校の荒廃  Dec.2, 2009
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2009-12-02

<通貨偽造罪の重さについて>
*#3401 高3 :'Thinking outside the box' を読む(1) Aug. 28, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-08-28

 #3402 高3 Thinking Outside the box (2):本文 Aug. 29, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-08-28-1

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*#2028 水産加工場 放火事件の顛末  July 27, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-07-26-1

 #2025 根室の水産加工会社で3度の火事:放火の疑いアリ  July 24, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-07-24

 #2040 不可解な寄付 :被災企業が根室市に400万円寄付?  Aug. 5, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-05



  学力が下がると学校が荒れる、学力低下と学校が荒れる現象の間に因果関係ないしは相関関係がありそうだ。
  生徒ばかりではない、精神的に不安定な人が増えている事情は民会会社と変わらないから、そのあたりの対応もしなければならぬ。1学年60人足らずの小規模校で他の先生がフローするということ、燃え尽きなければいいが。学校管理職はそのあたりのマネジメントをどう考えているのだろう?かなり無理がありそうだ。
  赴任1年以内にでやめる先生や突然来なくなる先生がいるが、4月まで補充はないのだという。いつからそういうことになったのだろう?昔はそうではなかった。ebisuは40年位前に6月頃に、1週間後に留萌高校赴任が可能か打診されたことがあった、だから4月でなくても道立高校はそうした突発的事情が起きた時には臨機応変に対応していたのではないか?
  無断欠勤が1週間も続けば民間会社は業務規程違反で解雇事由になるし、職務放棄は無責任だから実際に解雇される。公務員の場合はそうではないようだ。強い人間ばかりではないから、温情はあっていいと思うが、あまり非常識な場合は、バランスもある。
  それにしても、精神面で問題を抱える先生が増えている。同じ学区の小学校でも、初任の先生が数か月でおやめになっている。採用の時に適性のチェックはもっと効果的にできないものか?

  生徒が先生を殴ったという「事件」もこの数年だけで何度か耳にしている。逆だったらすぐに全道ニュースとして報じられただろう。
  体罰禁止が頭をかすめて、生徒に殴られても殴り返さない先生が増えているのではないか。あるいは生徒のほうが強くて殴り返せない。ワルの中には変わり種もいて、そういう手合いに体罰は通用しない、中学時代はそういうやつがいた。喧嘩をしても殺すつもりがない限りは負け。中学生でそんな喧嘩をする奴は同学年550人の光洋中学校一期生でただ一人。知っている社会人の弟だった。一緒のクラスになったのは偶然のいたずらである。当時の光洋中学3年生は10クラスもあったのだから同じクラスになるの確率は1/10である。1年間同じクラスの友人の一人だった。人懐っこく気のいいところもあったが、いったん喧嘩になると凄惨なことになる。一度だけ教室内で喧嘩したことがあった。相手は仲のよかったN田で、運動神経抜群の筋肉マン、釧路・根室管内100m走トップ、筋力は一番あっただろう。中3で背筋力が200kgあった。しかし喧嘩は腕っぷしの強さだけではない、相手をつぶすまでとことんやる覚悟があるかどうかの差が出ることもある。こんなタイプの男がいるのかと認識を新たにしたが、まあ、そんな中学生はめったにいない。
  友人にもビリヤードのお客さんにもさまざまなタイプがいたが、社会人になった時に、周囲にいた人間の幅の広さが役に立った。知らない間に、彼らから人間には様々なタイプのあることを学んでいた。何か事が起きた時に人間の反応はじつに様々で、それを自分の目で見て耳で聞いた、そして話したという経験から学べたことは大きい。学校ではそういうことは教えてくれない。若い時には、自分とはまったく違うタイプの人間とも付き合ったほうがいい。一見違っていても、行動を共にしていると共通項が見つかるものだ。まったく異質に見える人間にも自分と同じ部分があり、似た者同士のようでも相当違っている部分があることを経験値としてもっていたら、何があっても動じないし、人間不信にはならぬ。

  さて、殴りかかってくる生徒がいたら先生たちはどうしたらいいのだろう?体罰禁止をやかましく言い、正当防衛の反撃の権利すら取り上げるなら、学校に警察を入れるしかないが、それは教育の放棄につながりはしないか。そういう背景もあってか、警察関係者が各学校を巡回している。
 「いかなる場合も体罰は禁止」と教育評論家は簡単に言うが、いかがなものか?テレビに出ていた尾木ママのことだが、ずいぶん無責任に聞こえる。そんな甘ちゃんの教育論、すくなくとも根室では通用しないよ。


<余談:反抗期 戦うなら強いものとやれ 受験勉強は単なる芸>
  ebisuは高校生の時に数学のテストの解答が間違っていたので、教壇のところへ行き、教卓を挟んで数学のO先生と話をした(昔は30cmくらいの高さの教壇があり、先生はその壇上から授業をした、あれは教師の権威の象徴だったかもしれない)。配点の高い箇所だったのででたらめは許さない。ところがO先生は言を左右にして間違いを認めようとしない、カチンときたので、「なに!」と声を荒げた。O先生はとっさに眼鏡を外した、屁理屈でごまかそうとしていることは自覚していただろうから、殴られると思ったのだ。ざわついていた教室内が数秒間シーンとなった。「ここで殴れば非はO先生にあっても、悪くすると退学処分、こんないい加減な先生と差し違えるのはあほらしい」と思い、踵を返して席に戻った。羅臼のヤスベ(昨年、癌で逝去)が「ebisu、殴ると思った」そう言って心配してくれた。危なかった、かっとなって殴るところだった。拳骨で殴れば大怪我になるだろうし、平手で殴ってもすっ飛んでいく。小学生低学年から素手で「焚きつけ割り」をして鍛えていたから加減ができない。生乾の木でもたたき折る力の入れ方を体が覚えてしまっていた。打撃のショックをある程度殺せる格闘家は別だが、素手で人を殴ったら、大怪我をさせるか殺してしまう、少年鑑別所か刑務所行きだ。危ういところだった。
(母親から「同じレベルで人と争うな」と日ごろ言われていた、喧嘩するのは相手が大きい時だけ。団塊世代は大学紛争真っただ中だった、あるときこんなことを言った。「やるならやったらいい、角材を貨車で一台送ってやる」、あれには参った。そういう覚悟があるのかということ。)
 わたしはこの先生が普段の授業で、「自分が指した将棋は全部覚えている」というたぐいの自慢話を頻繁にして、雑談の多い人だったので嫌いだった。授業の手を抜いて基本問題しかやらないので実につまらない。やる気がないならさっさと先生の職をやめてくれと思っていた。当時の根室高校にはそういう鼻持ちならぬ先生が数名いた。
  もちろん、いい先生はそれよりもずっと多かった。1年間だけだったが低音でいい声をしていた英語の沢井先生(後に釧路高専へ転任)、昨年亡くなられた担任の富岡先生、2年前に亡くなったショッチャンことN先生、郷土史研究会顧問を長年されて根室の土となった山田先生、いまも元気に西浜町会長をやっている柏原原先生、ふるさとの北見へ赴任したのちに独立起業したバッキーシラカタこと白方先生、ラグビー部をつくるから顧問への就任をお願いしたら快く了解してくれた村田先生は明大ラグビー部出身で根室高校が最初の赴任先だった…、他にもいる、個性的で魅力のある先生がたくさんいた。
  2年生になるときにクラス替えがあった。ソリが合わなかった国語教師の担任N沢先生は、黒板に書いたとおりに答案用紙に書かないから、現代国語は評定50がついた。定年間近のコチコチ頭の教師の解釈と15歳の感受性豊かな年ごろの生徒では作品理解はまるで違って当然だったから、自分が感じたとおりにテストのたびに答案用紙に書いたのである。テストの点数をアップしたくて思ってもいないことを書くのは嫌だった。莫迦につける薬はない、ただそれだけのことであったから、その先生のつける評定に文句を言ったことは一度もないが、毎回先生の解釈とは異なる自分の理解を答案に書いたから文句を言っているのも同然、反抗的だった。成績の査定は先生の権利だから好きなようにつけたらいい、下らぬ奴だと蔑(さげす)んでいた。以心伝心、そういう心はオーラとなって外に出るから、先生は感じていただろう。全科目の2/3はクラストップだったから、現代国語と古典だけ50の成績評価はつける側がストレスだっただろう。3年間そういうことをやったら、N沢先生のほうが問題になりかねない、手に負えぬと思われたのだろう。数学の先生はそういうことはしなかったが、扱いにくいと思ったのだろう。クラス替えで、クラスナンバーワンはそれぞれのクラスに残すルールになっていたが、わたしは出された。

<<受験勉強は単なる芸、頭の良さは関係なし>>
 2年の担任の富岡先生は「ebisu、何をやったんだ、お前はほんとうは元のクラスのはず、ずいぶんと嫌われたようだ」といぶかしがっていた。「捨てる神あれば拾う神あり」だが、そのT岡先生は授業中にわたしにチョークをぶつけたことがある。肩に当たったがよけもしなかった。授業中のわたしの一言(「それ、そうなりませんよ」)を茶化したと誤解したのである。計算実務の応用計算で桁が大きかったので、指導用の大きな算盤でにわかにやってみせるには先生には荷が重かった。わたしは手助けするつもりで一言発したのである。「ebisu、代わりに教壇に上がってやってくれ」と言えばよかった。自分でやる必要はないのだ、生徒を使えばいい。珠算全道競技会では計算実務1級の応用計算10題を5分間でやらなければならない部門があり、それができるのは根室高校でebisuだけだった。複利計算や年金現価の計算、定率法の減価償却費の計算、方程式の応用問題、開平(平方根を求める)や開立(立方根)を求める問題もあったかもしれない。開平九九や開立九九を覚えていたのはこのためだった?そういう10桁の計算を繰り返し算盤でやるのである。電卓が20万円もした時代である。問題を読み、計算して答えを書くまで30秒かかったらアウト、それよりも短い時間でやらなければならない。パターンを覚えてしまえば、考えなくても体が反応してパターンに当てはめて、問題文を読み終わったとたんに計算がはじめられる。反射神経のようなものだった。だから、高校数学だって300パターンほども暗記してしまえば、高速で計算できるから、受験勉強がいくらできても頭が良いとは思えない、単なるトレーニングの成果で頭のよさとは関係なしのケースが含まれるから。珠算実務検定1級の問題を半分の時間で解くようなもので、それは一つの芸であるからだ。
 大学院時代はR渋谷駅前の進学教室で専任講師をしていたが、四谷大塚の試験で全国2位の生徒を個人指導で教えたことがある。最初に教えたY武先生(東京教育大卒)が速すぎて教えきれないと悲鳴を挙げて、替わって教えることになった。初回に観察した結果は、解法パターンを熟知しているのと計算が速いだけ、特別頭がよさそうにも思えなかったが、模試では全国2位であったことは事実。パターン解法が通用しない新傾向の問題では鉛筆が止まりよく質問が出た。母親の希望で問題集は400ページほどもある文章題だけのもの、それを3か月間で消化した。もっと他に勉強の仕方というものがあるだろうと思った。105分の授業で毎回20ページやり終えるほど速かったから、「高性能のお受験マシーン」、たしかに芸の極みに達していた。中学受験で教えただけだが、東大には軽く合格できただろう。しかしパターン練習で受験勉強に秀でただけでは頭が良いとはちっとも思えない、パターンを使って解いている間は脳はほとんど働いていないからだ。いくら芸を磨いても頭はよくならぬ。仕事では高学歴の人にそうした例が多かったように思う。課長職まではとても優秀なのだが、部長職になり守備範囲が広がるとアウト、仕事がこなせない例をいくつも見た。仕事のマネジメントができない。仕事の重さにパニクッて「幼児化」現象を起こす人さえいた。そういう人はパターン練習方式で受験勉強を切り抜けてきたのかもしれない。もちろん、高学歴で仕事でも優秀な人はいた。すぐに挙げられる三人はなぜか慶応大学あるいは慶応大学大学院の出身者である。一人は慶応大学医学部卒、三人とも社長だった。(トロンというオープンなOSを提唱された坂村健一東大名誉教授も慶応出身、高校から大学院まで慶応だったから、慶応大学の工学博士。世界中の家電や携帯がこの規格で動いている。ときどきコメント欄に投稿してくれるkoderaさんは富士通時代に坂村氏と接点があったとどこかで書いていた。慶応大学というところは人材輩出の場としてユニークな位置を占めているように見える。)
 わたしは高校3年間一度も珠算部員ではなかったが、全道大会の都度、生徒会会計のN野先輩から「この部門は人がいないからebisu出場しろ」と命令されて1年生の時から「助っ人」として参加していた。富岡先生はずっと珠算部顧問だったが算盤が苦手、でも珠算を教えられる先生は他にいなかった。だれかが引き受けなければならなかった。算盤は下手でも人柄は良かった、お名前は「良夫」と書く、ご本人は「良い夫」とよく言っていた。指導技術はなかったが、良い先生だった。簿記の白方先生は、用事があって出かけるときはやらせるプリントを用意して、「ebisu、来週用事があっていなからこれみんなにやらせてくれ」と頼まれた。簿記検定試験ではいつも学内トップだったからだろう。2年次の工業簿記は、新学期が始まる直前の春休みの1週間毎日10時間ほど予習して問題集1冊を消化していたし、2年次の半ばから公認会計士2次試験参考書兼問題集もやり始めていたから、簿記を教えている白方先生から見たら特別な生徒だったのである。なにをやっていたかを言ったことはなかったが、検定試験の成績からわかっていた。常に2番だった同級生の友人、H勢は短大を卒業した年に税理士試験に合格して、いまも東京有楽町で事務所を構えている優秀なやつだ。高校時代のあいつとわたしの差は勉強のやり方、使っている参考書や問題集のレベルの差に起因する。あいつは高校生対象の問題集を使っていたが、わたしは大学生対象の公認会計士2次試験受験参考書や問題集で勉強していただけのことで、潜在能力に差があったわけではない。毎日家業のビリヤード店を手伝っていたから、まとめて勉強時間がとれるのは、春休みと夏休みと冬休みくらいなもの、面白くて楽しくて狂ったように勉強した。普段は学んだことを暇を見つけては頭の中で反芻して、消化を確かなものにしていた。脳内にため込んだ知識をもう一度脳内で再現して、さまざまな用語や概念の関係をサーチして、関連付けて整理してまたそれぞれ脳内の引き出しにしまった。そういう思考法がひとつの鋳型になった。だから、高校2年生で公認会計士受験科目の経済学をやっていた時に、近代経済学では飽き足らなくてマルクス『資本論』を百ページほど読み、深い森に迷い込んだ感覚がした。マルクスが『資本論』で展開する経済学的諸概念が一つの構造物として見えてこなかったのである。数年考え続ければ見えてくると思っていたが、その通りになった。だれも見たことのない景色(=経済学諸概念の構造物)が大学生の時に見えてしまった、だから、大学院への進学を決めた。商学部会計学科に在籍していたが、大学院は理論経済学へ専攻を変えた。
  話を高校時代に戻すと、クラス替えで放り出されたおかげで、ありがたいことに国語も数学も2年時には担当の先生が替わった。それはそれでハッピーだった。同じ担任だったら、国語はその先生の担当になるから、3年間確執を繰り返しただろう。2年次の国語は新谷先生、函館の人で、空手の有段者、拳ダコができていた。この人とは馬が合った。柔道部顧問だった石間先生も空手の有段者だった。

<<やっていいこと、悪いこと>>
  わたしがこの数年間で何度か聞いた「生徒が先生を殴る」事件はどれも生徒が悪い、普段から問題行動の多い、いわゆる「札付き」の生徒であることは周りの生徒たちがよく知っていた。
  先生がワルの生徒に舐められているケース、これは殴り返していい。だが、大怪我させないくらいの手加減は必要だ。先生たちは優等生で、小・中学生のときに取っ組み合いや殴り合いの喧嘩をしたことがないのではないだろうか?根室市教委はアンケートをとってみたらいかが?

  「いかなる場合も体罰禁止」なんてことを言い出したら、学力の低下した学校は荒れ放題になるだろう。中学校では体罰禁止に加えて、停学処分もないから生徒は反省する機会もない。お咎めなしでつけあがった生徒が卒業するまで待つか?それもいいだろうが、統廃合で生徒たちは一人残らず根室高校へ入学できるから、問題はそのまま高校へ持ち越される。高校生になったらもう治らないだろう。問題行動が生徒自身の性格になってしまっている。社会人になってから、職に就けないとか、首になるとか、そういう痛い思いをして社会のルールを知ることになる。
  ふだんからことあるごとに、ダメなことをダメとはっきり言いきり、それ相応の処分をすることも大事な教育だとわたしは思うのだが、そうではないのか?
  やってはダメなことをダメだとはっきり言わない風潮が学校にもふるさとの町にもある。いじめにも共通した問題が潜んでいるようにわたしは思う


  弱い者いじめをしてはいけない
  弱い者いじめは卑怯者のすること

  卑怯者は人間の屑だ
  卑怯者にはなるな

 
*#2055 四島返還願い史実を伝承:K先生  Aug. 17, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-17

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<連日の窓ガラス損壊> 10/31 夜11時追記
 今日も数枚ガラスが壊され、警察の捜査とテレビの取材が入っていたそうです。

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