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#3500 北方領土の日 Ferb. 7, 2017 [21. 北方領土]

 1855年2月7日の日露和親条約締結日をもって北方領土の日とすることが1986年1月6日に閣議了解で決まった。ソ連が択捉へ侵攻した8月28日にすべきだという意見もあったという。

 今朝の道新釧路根室版によれば、札大大学院生の佐藤さんが、ソ連侵攻時の島の状況を当時の島民が記録した資料を読み修士論文にまとめている最中だという。
 北方領土返還運動団体のなかでは千島歯舞諸島居住者連盟が最大で、元島民の回想ビデオを団体ホームページで公開しているが、資料の編纂や聞き取り調査をして本にまとめたという話を聞かない。
 元島民を多数抱えているのだから、資料編纂をして後世に残す義務があるのではないか。できたら本にして出版してもらいたい。この団体のメンバーには柏原栄先生(元根室高校社会科)や岩田広一先生(花咲小学校)など元教員がいる。きついだろうがいまなら若い人と協力してやれないことはないと思う。

 2月2日道新夕刊に次の記事が載っていた。
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ロシア軍医と元島民の友情
 激動の体験一冊に
  逗子市の通訳・不破さん
   11年かけ自費出版
 ロシア語通訳・翻訳者の不破理江さん(52)=神奈川県逗子市=が択捉島蕊取(しべとろ)村の元島民・山本昭平さん(88)=埼玉県行田市=の体験談を記録した「セルツェ(心)」を自費出版した。足掛け11年、何度も聞き取りを重ねた労作。父親を亡くした根室空襲、ソ連分の島への進駐、同居したロシア人軍医との友情を中心に、廃線をはさんだ数年間の体験談が短編小説のような切なく、美しい語り口でつづられている。(編集委員 本田良一)
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 山本昭平さんは医者になるために択捉島蕊取村から旧制旭川中学へ進学した。戦争がひどくなり大学入試が中止、卒業後も旭川へ滞在。1945年7月17日に根室町役場と交渉ごとのあった父親と根室で落ち合って択捉島へ向かう船に乗った。出航してすぐに突然の空襲に見舞われ魚雷と機銃掃射により船は沈没、父親は魚雷で即死、妹と一緒に甲板へあがり海へ投げ出され、重油まみれで岸辺に泳ぎ着き九死に一生をえた。その後島へ帰り終戦を迎える。医者志望だった山本さんの家へ同居したのがソ連の軍医イワン・ゴロフコ少尉である。不思議な縁だ。
 ジャパンタイムズが山本昭平さんから聞き取った記事を10年位前に掲載したことがある。弊ブログに書いたかもしれない。「語り部おばさん」の一人である叔母に頼まれて翻訳したことがあった。

 返還団体がまとまった記録を残す最後のチャンスだろうと思う。ebisuは元島民2世。母親が択捉島で生まれ育った。山本家とは縁がある。柏原先生には光洋中学時代歴史を教えてもらった、恩師である。岩田先生に教えてもらったことはないが、私の家の裏手に住んでいたことがあるのでよく知っている。千歳の叔母が択捉で幼馴染と聞いている。
 記録を本にして残すなら、ボランティアの一人として少しの間協力できるだろう。

〈 余談 〉2月9日午前9時追記
 昭平さんの祖父の兄弟は山本忠令、黒田清隆の副官である。事情を何も知らぬ根室町長は何か交渉ごとがあってきたお爺さんを粗略に扱ったことがある。怒った爺さんはそのまま道庁へ出向いた。すぐに根室へ汽車で戻ると、町長、助役以下町役場の幹部が並んで出迎えたという。当時の町長は任命制で、開拓使長官の覚えがめでたくなければ簡単に首が飛ぶ。ずいぶんとあせっただろう。
 蕊取村の村長もそのお爺さんが兄弟を通じて根回しして決めていた。
 山本家は薩長雄藩の出身ではない、どういう経緯で兄弟が黒田清隆の副官になったのかはわからぬ。山本家のお婆さんが東京山の手の品のよい標準語を使えた人。あの時代の政府高官たちは芸者さんを嫁にしたのが流行である。自宅でさまざまな人を接待する必要があったのだろう。山本家のお婆さんもそういう人。択捉の漁師の長女として生まれたおふくろは事情があって山本家で暮らしたお袋は完璧な東京山の手の品のよい言葉と行儀作法を身につけていた。漁場の権利は母の旧姓で登記が残っている。母方の爺さんは「根室の3倍の漁があった、(択捉島は)宝島だった」と話していた。秋になると川に竹竿が立つくらいびっしりと鮭が遡上していた。
 40歳ころに用事があって帰郷した折に、市役所へ電話するのを聞いていて驚いた。オリンパス宇津木台研究所が電話の全国コンクールで何度も優勝したことがあるが、それと比べても遜色のない電話の掛け方だったのである。改まった席に出ると言葉と行儀作法が見事だった。山本家のお婆さんの躾けがすばらしかったのだろう。残念ながら、子どもは誰もそれを受け継いでいない。(笑)



*#3475 ロシアに対抗して根室にダミーのミサイルを設置しよう Dec. 5, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-12-04-1

 #3304 補助金もらって寝て待つ2島返還論:楽するとろくなことがない  May 28, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-05-28



*#195「少し過激な北方領土返還論」MIRV(多核弾道ミサイル)開発・組み立て・解体ショー
ロシアをぎゃふんといわせ北方領土を返還させるための具体論
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-06-07

 #465「"Japan sent uranium to U.S. in secret"は北方領土返還運動の好機か?」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-12-30

  #1401「ロシアがフランスから新型軍艦を購入し北方領土へ配備、対抗措置はあるか」
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-03-1

 #1892 映画「マーガレット・サッチャー」と北方領土 Apr. 6, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-04-06

 
#1965 ビザなし交流=通過型観光旅行? June 8, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-08

 #1969 北方領土問題コメント(欄)対話(1): ビザなし交流の虚実  June 11, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-11

 #1973 ビザなし交流in択捉島 住民交流会:もちつもたれつ  June 14, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-14

 #2050 竹島と北方領土 :韓国大統領の竹島上陸にどう対抗する?  Aug. 10, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-10-2

 #2053 マーガレット・サッチャーと領土問題(2) : 北方領土・竹島・尖閣列島 Aug. 14, 2012
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-14



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