#3490 勉強と研究はどうのように違うか:生物物理化学の先端 Jan. 6, 2016 [55. さまざまな視点から教育を考える]
「釧路の教育を考える会」で12月28日に会員限定の講演会がありました。
講師は九州大学大学院農学研究院教授の角田佳充(かくたよしみつ)氏です。生命機能科学部門生物機能分子化学講座生物物理化学研究室がご担当。
いまご自分が取り組んでいる研究テーマを専門外である「釧路の教育を考える会」会員にわかるように説明してくれましたが、どの程度理解できたのか不安です、しかし生命化学分野の研究が楽しいことは聴いていた人たちによく伝わりました。
遺伝子操作した蚕をつかって生糸の代わりに目的蛋白質を作らせ、それを沈殿させて結晶化する。ついで、その結晶構造をX線回折(X‐ray diffraction、XRD)を利用して調べ、基質の結合部位の構造にぴったりの反応物質を見つけるのだそうです。話題になっていたのは真菌でした。たとえば水虫です。真菌とはカビのことです。細胞膜の糖鎖に結合する部位を埋めてしまえば真菌でもウィルスでも細胞への感染をブロックできます。細胞内に進入できなければウィルスは増殖できません。
ネットで関連する学術論文を記事を見つけたので、貼り付けます、こちらをご覧いただけばわたしの下手な説明よりもずっとわかりやすいでしょう。
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<ウィルス感染における糖鎖の役割>
一方、宿主細胞膜上の糖鎖は、極めて多様であると同時に、極めて高い種特異性を持っている。また、全てのウイルスは、宿主細胞中でのみ増殖するため、必ず宿主(細胞)域、宿主特異性を持っている。ウイルスが宿主特異性を発揮する機構を調べていくと、それが、宿主細胞膜糖鎖の特異性、多様性を反映している場合が極めて多いことに気付く。我々は、その表現系として、多くのエンベロープウイルスが宿主細胞膜の糖鎖を特異的受容体として認識・結合する事実を明らかにしてきた1-6。さらに、極めて抗原決定領域の変異が起こりやすい、例えば、インフルエンザウイルスの場合でも、受容体糖鎖への結合に関わるスパイクタンパク質上の受容体結合ポケット内の変異は起こりにくいことも見いだしてきた7。これらの事実は、受容体糖鎖の疑似化合物による受容体結合ポケットのブロックは、変異を克服出来る画期的抗ウイルス薬のシーズとなり得ることを意味している。従って、様々なウイルス感染において、糖鎖の役割は極めて大きく、且つ多様であり、糖鎖を標的とした抗ウイルス薬の開発は非常に有効であると位置づけられる。
<糖鎖ウィルス学>より引用
http://glycoforum.gr.jp/science/glycomicrobiology/GM01/GM01J.html#III
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目的真菌や病原ウィルスの構造の解析までが大学でやる基礎研究で、そこから先は製薬メーカの仕事になります。
農学はバイオの先端分野を含んでいます。生命科学分野を志望する高校生諸君は農学部も視野に入れていいのです。この分野は医学部と農学部と工学部のどこからでも入り込める研究分野です。
X線は波長が短いので、X線回折データを利用して原子レベルの結晶構造を3次元画像として表示できます。これが驚きでした。コンピュータの性能向上があったからこのようなX線回折データから3次元画像処理が可能になったわけでして、DNAの螺旋構造もそのまま見れます。X線電子顕微鏡の分解能は原子レベルなのです。
鞭毛の根元のところに生物モータがあって、歯車の構造をしており、それが回転することで鞭毛が動く、そういう構造の稼働状況を3次元画像で見ることができる時代なのです。生物物理化学とはそういう分野なのです。高校生がこういうことを知ったら、理系に進もうという生徒が増えるに違いありません。
釧路湖陵高校出身ですから、母校から要請があれば、角田教授は1時間の講演に応じてくれるでしょう。「釧路の教育を考える会」の角田会長のご子息です。
ebsuは1984年に国内最大手の臨床検査センターに上場準備要員として入社して、統合会計情報システム開発をやる傍ら、2年間は300億円の予算編成統括業務と予算管理業務、固定資産管理台帳の整備および上場要件を満たす固定資産管理システム開発を担当していました。全固定資産チェックのために八王子ラボの検査機器を全点実地棚卸ししました。プリントアウトした固定資産台帳の厚さは8cmほどもありました。何しろ日本一の特殊検査ラボですから、置いてある機器の総額は当時でも百億円を超えていました。丸々三日がかりです。質量分析器、液体シンチレーションカウンター、原子吸光光度計、液クロ、ガンマーカウンター、日立製血液自動分析機、カールツァイスの蛍光顕微鏡、レーザラマンなどさまざまな道具の中に、タイプの異なる電子顕微鏡が2台ありました。そのうちの一台がX線電子顕微鏡でした。こんなチャンスは滅多にあるものではありません。現物を全部、仕事で見られるんですから。開発に2000万円も掛けたけど、ブルーシートが掛けられている機器があったので、現場の担当者に質問すると、「ラボ副所長がやりました、使い物になりません」というので、「わかった、年度末に廃棄処分届けを出してください、上場準備のために不良固定資産は処分するので、経理部長とY専務には問題にしないように根回ししておきます」、そう伝えたら、ほっとした顔をしていました。入社したばかりですが、固定資産の整理は全部任されていましたから、自分の一存で決定できたのです。あとは部長と専務に報告しておけばいいだけでした。本社管理部門はラボの機器開発の稟議書を見たって判断がつかないのです。稟議書にメクラ判を押していました。固定資産の管理業務を任されてからは、購入協議書は全部わたしが目を通し、現場と調整しました。統合システム開発も、固定資産台帳の整理と投資案件を結合させた固定資産管理システムを開発して1年間運用を済ませたので、入社2年後にはラボの購買課へ異動して検査試薬(材料費)のコストカットとラボ固定資産管理業務の改善と購買在庫管理システムの改良2年半担当しました。新しい業務デザインをしてシステム化する都度、マニュアルを作成、引継ぎができるようにしてありましたから、学術開発本部への異動がスムーズに行きました。ひょんなことからそういう成り行きになりました。仕事が暇なのでチョムスキーの『Kowledge of Language』を読んでいたら、通りかかった学術開発本簿担当取締役のI神さんから、「何読んでいるんだ?」と問われて答えると、翌日電話がかかってきて応接室で話がしたいというので、行くと「俺のところに来ないか?」と誘いがかかったのです。原価計算システムの改善がらみで購買在庫管理システムの関連部分の仕事も終わっていたし、改善した業務は全部その都度マニュアルを作成してあるので、引継ぎは1日で済みます。わからないところがあれば、同じラボにいますから、マニュアルを持って訊きに来ればいいのです。そういう経緯で異動しました。
業種の異なる会社、さらに同じ会社で異質な部門を渡り歩いて、日本資本主義の労働の現実を体験し、西欧経済社会と日本の経済社会はどこがどのように違うのか、スミスやマルクスの労働観は日本にも通用する普遍性があるのか、確かめたかったのです。
海外製薬メーカのラボ見学対応と開発部の検査試薬開発業務とPERTチャートによる作業手順とスケジュール管理標準化、精度保証部のCAPライセンス(米国臨床病理学会精度管理基準によるチェック=世界一厳しい品質管理基準)対応業務、沖縄米軍要請による出生前診断検査に関わるシステム構築(2週間)、慶応大学産婦人科教室との出生前診断検査(3項目の検査による多変量解析検査MoM値)に関わる日本人標準値共同研究のラボ側コーディネイト業務、臨床病理学会と大手6社の日本標準臨床検査項目コード協同研究*への参加、これらが在籍した2年間の主たる業務でした。
(*これは「臨床診断支援システム開発事情」の10項目のジョブの内のひとつ、コードの標準化ができなければ、臨床診断支援システム事業化ができません。大手六社の協同検討会の第1回会議のときに、臨床病理学会項目コード検討委員会との共同検討会を提案し委員長の櫻林郁乃介先(当時SRL顧問)を巻き込みました。85年に櫻林先生から臨床病理学会項目コード検討委員会の仕事のお手伝いを頼まれたことがあったのです。だから、先生は二つ返事で喜んで了承してくれました。なにしろ、大手六社のシステム部門と学術部門が実作業で全面的にバックアップすることになったのですから。櫻林先生もebisuもラッキーでした。いま全国の病院でその臨床検査コードが使われています。もちろん、市立根室病院でも、わたしの主治医の医院でも使われています。保険点数が改定されるたびに、SRLがコード管理事務局になっているので、新コードと保険点数がセットになったファイルがネットで配信されているはずです。2年毎の保険点数改定の都度、全国の病院で入力作業が生じていましたが、それがなくなりました。1993年ころからそうなったはずです。社内公募のあった関係会社管理部への異動は、副社長のY口さんがラボまで来て、硬く口止めを言い渡されていたので、I神取締役に話ができず、異動が発表になったときに、えらく叱られました。Y口さん、「この話はI神さんへ報告したらなくなる、だから話すな」、そう言ったのです。新設される部門にとってはわたしのスキルが不可欠だったので、わざわざ副社長がラボまで出向いて来たのです。関係会社管理部で、子会社および関係会社6社の経営分析と、新システム導入支援、取引先である臨床検査ラボの経営改善支援業務および買収交渉業務を担当し、そのうちのひとつである福島県の臨床検査会社へ黒字転換のために3年間役員出向することになります。経常利益率が15%を超えるようなドラスティックな経営改善案をつくり、親会社へ最終承認をもらいに説明に行くと、創業社長のF田さんとY口副社長が二人そろって待ち受けていて実行ストップを命じられて、15ヶ月で親会社へ帰還命令がだされました。グループ会社で業績ナンバーワンになってしまうので、不都合だったのです。F田さんとY口さんは、赤字が黒字になるはずがないから、2年くらいで更なる資金応援要請がでて、役員を入れ替えて子会社化できると踏んでいたのでしょう。だったら、子会社の千葉ラボの黒字化に重要な役割を果たして実績をあげたわたしを役員として派遣したのは間違いでした。まったく別の方法で黒字転換する案でした。ラボのシステム入れ替えで生産性を2倍に上げることは簡単でした。出向1年前にやった仕事でしたから、造作もないこと。それではつまらないので、まったく別な黒字化案をつくりました。染色体検査分野に鍵がありました。)
1984年に導入した富士通の国内最大規模の大型電子計算機でもMM(メインメモリー)はメガ単位でした。3メガ増設するのに5000万円かかった時代です。
いまパソコンに4ギガバイトのMM増設をするのに5000円ですから、MMの価格は1/130万に低下したことになります。この30年間のコンピュータの性能向上と価格低下はすさまじいものがありました。1984年当時はX線電子顕微鏡のデータを画像処理できるコンピュータなど存在していませんでした。1984年に日本国内で動いていた汎用大型機のMMの合計と現在のパソコン1台のMMの大きさとほぼ一緒でしょう。
構造解析された基質の結晶画像が何枚も映っていました、これだけでもわたしには感動ものです。結晶構造を解析すると、基質の構造にあわせた阻害剤の構造がわかります。その穴を埋めてしまえば、細胞膜にあるレセプター糖鎖に接合できなくなります。接合できなければ細胞内に入り込めませんから増殖できません。レセプターを他の物質で塞いでしまえば真菌も病原ウィルスも細胞内に侵入できません。
ウィルス感染症にも目的ウィルスの基質の糖鎖結合部位を埋める物質=阻害剤が開発できれば特効薬がつくれます。そこをブロックしてしまえば、細胞に感染できません、面白いでしょ。
構造的にマッチングする物質を探すのが次の作業になります。世界の巨大製薬メーカ各社がしのぎを削って化学物質や酵素の構造データ情報を検索可能なライブラリーとして蓄積しています。スーパーコンピュータでマッチングを行うことで、ターゲット物質のスクリーニングができます。候補を絞り込んだ上で実際に実験しますから、新薬開発効率が格段によくなります。鍵と鍵穴の構造がぴったり同じならOKですから、目的菌やウィルスの蛋白質の構造解析データが重要なのです。
構造が似ているものは働きも似ています。「収束進化」といいます。魚類であるサメのヒレと哺乳類であるイルカのヒレの形態が似ているのは水の中で同じ機能を果たすからです。構造が似ているものは働きも似ているのです。収束進化に対して発散進化があります。酵素や遺伝子の進化をイメージしてください、動物の進化の先端にさまざまな生物がいますが、人間もその中のひとつです。
赤外分光光度計で測定した物質が何であるかは、ライブラリーがあってそれと測定データをぶつけて判定します。だから、赤外分光光度計を選択するときにはライブラリーの網羅性の大きさが問題になります。ライブラリー情報はメーカの財産です。
ウィルス阻害剤や真菌阻害剤などの新薬の開発に直結するので、大手製薬メーカはさまざまな酵素や化学物質の構造解析データを競って集積しています。だから感染症を引き起こすウィルスや真菌の基質の構造解析データが欲しいのです。その分野は基礎研究分野です。基礎研究と応用研究がうまくつながると大型新薬の開発が可能になります。大学の基礎研究は製薬メーカーと結びつきやすいのです。
ebisuはSRL学術開発本部スタッフとして仕事をした時期があります。1989年ころでしたが、開発部の仕事で製薬メーカ2社と検査試薬の共同開発をしました。膵癌マーカとⅣ型コラーゲンでしたが、そのときに製薬メーカの担当者は農学博士が数人いました。名刺に学位が印刷してありました。
世界中の誰もが見たことのない景色を見る、誰もやったことのないことをやるのが研究。先人のやったことを学ぶのが勉強です。
受験勉強は答えのわかっている問題を解くトレーニングですが、研究は誰もが見たことのない景色を見るのですから、研究者は夢中になって努力します。1日24時間起きている間、うとうとしている間、とにかく考え続けます。何日も何ヶ月も何年も考え続けます。楽しくてとめられないのです。
理解が不十分で、講演会の楽しさを1/10くらいしかお伝えできません。
角田教授の研究分野は生物物理化学、ebisuのそれは経済学ですが、わたしも世界中で誰も見たことのない景色を見ています。『資本論』の公理系です。公理を入れ替えることで、日本発の職人主義経済学が誕生します。グローバリズムを滅ぼす武器です。
<文系と理系の大学院進学率格差>
九大農学部の大学院進学率は7割だそうです。ずいぶん高率なのにびっくりしました。高専5年卒の生徒たちが3年次編入試験を受けて進学する科学技術大学(全国に3箇所)の大学院進学率が3割だと聞いたのは1980年ころのことです。エレクトロニクスの輸入商社に勤務したときに、学生の採用で豊橋の科学技術大学を訪問したことがあります。その前に行った名古屋大学理工学部よりもずっと綺麗で立派な建物でした。まるで北海道の牧場地帯ような景色の中にぽつんと科学技術大学建物がありました。
文系の大学院進学率は千人に2人くらいです。たとえば、商学部会計学科の優秀な学生は研究者になるよりは公認会計士になった方が年収が高いので、大学院へ進学する生徒はほとんどいません。優秀な学生は大学院商学研究科へは進学しないのが普通です。経済学部はそういうことはありませんが、やはり千人に2-5人くらいでした。1970年代の話です。
文系では早稲田大学大学院が院生が多かったように聞いています。世界史のどの分野か忘れましたが、同じ進学教室で専任講師をしていたオーバードクターのK沢さんがローズウッドのパイプに煙草を詰めてマッチで火をつけ、煙をくゆらせてぼやいていました。同じ研究室に4人のオーバードクターがいて、みなさん席が空くのを待っているのだそうです。大学に残れるのは一人だけ、誰もが母校の先生になりたいのです。切ないですね。
わたしが籍を置いた大学院は50人ほどの受験者に、合格は二人だけでした。大学院を設置してから10年間合格者なしで、文部省からお咎めがあり、前年に初めて合格者4人をだしましたが、また門戸を狭くしたのかもしれません。文系の大学院は就職が難しいので、合格者を絞らざるをえないのです。修士の学位証の番号は5番でした。大学院を開設してから5人目ということ。
研究者になりたいのなら、文系よりも理系の方が確率が100倍高いということは知っておいたほうがいい。
やりたいテーマが見つかってしまったら、好奇心と探究心の塊ですから、確率なんてどうでもよいものに変わります。無我夢中でやりぬくまでです。とめられやしませんよ。それが研究者魂というものです。(笑)
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