#3473 頑なな人ほどストライクゾーンが狭くなる Dec. 4, 2016 [55. さまざまな視点から教育を考える]
ごく最近の話である。中2の生徒が「第4章3節合同な図形」の予習をしており、合同条件が憶えにくそうなので、昔は四文字で覚えたものだと、次の説明をした。
①三辺相等
⇒3組の辺がそれぞれ等しい
②二辺夾角(がそれぞれ等しい)
⇒2組の辺とその間の角がそれぞれ等しい
③二角夾辺(がそれぞれ等しい)
⇒1組の辺とその両端の角がそれぞれ等しい
左側(青太字)は団塊世代のころの教科書に載っていた合同条件で、右側が教科書に載っている合同条件である。日本語としてはどちらも意味が同じだ。右側が憶えにくければ、四字熟語の左側で憶えたらよい、そう生徒に告げた。左側ならほとんどの生徒が10回唱えて、3回書けば憶えられる(「夾」の字が常用漢字にはないかもしれない)。昔のほうが字数が少なく合理的である。
はてさて、学校で先生がノートを見て曰った。
「左側の合同条件はダメ、定期テストでそういう答えを書いたらバツをつける」
なぜと生徒に理由を聞かれたらどうするのだろう?傲岸不遜を絵に描いたような指導に絶句。曰(のたまわ)くのは孔子様だけにしてもらいたい。
「子曰く、學則不固(学べばすなわち固ならず)」『論語』
学力が大幅に低下して、下位層が大きく膨らんでいるのに、現場はこのように教え方が硬直化している。
自分が教えること以外は認めない、そういう先生にわたしは高校現代国語と古典の授業で出遭っている。この先生は1年生のときにわたしの担任だった。自分の解釈以外は一切認めないのである。こういう授業が生徒に教えることは、「考えるな、わたしの教えた通りに書け、憶えるだけでよい」、そういうこと。生徒を思考停止に導く。言われたことだけやればよいという指示待ち人間の製造に適した指導法である。多くの生徒は従順に従う。自分の信念に基づいた答案を書けば50点くらいしか得点できないが、1年間貫いた。古典は解釈の幅が狭いから、問題がなかったがクラスで1番でも成績は50をつけた。ほとんどの科目がクラストップだから、反抗するのがよほど面白くなかったのだろう。翌年のクラス替えで放り出された。拾ってくれたT岡先生が、
「お前何をしたんだ、クラストップは残すルールになっているがお前は例外だった、担任のN先生に嫌われていた」
「以心伝心でしょう、わたしも嫌いでした、T岡先生、拾ってくれてありがとう」
莞爾(にっこり)と微笑んでお礼を述べた。そのT岡先生は昨年亡くなられた。癌が転移して数回手術されたが、20年ほどお元気だった。東京でやる同期会に恩師はT岡先生お一人だけいつも出席して元気な顔を見せてくれた、人気者だった。
「先生」と呼ばれて数年たつと感覚がおかしくなる人がいる。もちろんこのような「先生」は根室市内にだって滅多にいるものではない。わたしが根室で育った18年間でたった一人だけ。いまもそういう先生がいることに驚いている。
この生徒は塾へ来てから1年と3ヶ月がたつ。嫌いだった数学が大好きになって、定期テストの点数が3回続けて90点を超えており、「数学の勉強が楽しい」と飛躍的に点数を上げた生徒である。
数学担当の「先生」、あなたの理不尽な説明で生徒がどういう気持ちになったか想像がつきますか?
最近、『残念な教員 学校教育の失敗学』というタイトルの本をぱらぱらめくり読みした気がします。第1章に「学ばない教員」「学べない教員」という節がありました。
別の学校ですが、ストライクゾーンの狭い英語の先生の例を書きます。2年生の期末テストに自由英作文が出ました。友達と話しているという状況設定で、札幌に行ったらどこへ行くという質問に対する答えの文をある生徒が次のように書きました。
I will go to the park.
1点減点されたのですが、生徒は減点が不満なのです。
T:「君はどの公園のつもりで書いたんだ?」
そう訊いてみました。
S:「大通公園」
T:「そういうことなら正解だ」
減点した説明が振るっています。
「theは特定のものを指すからダメだ、初めて出てきたときはaをつける、次に出てきたときにtheをつける」
たしかに、高校受験レベルの参考書や問題集にはそういう説明や解答・解説例が載っています。中学生が中学生に説明するならそれでもいいでしょう。
根室の中学生が友達同士での会話で、札幌で「公園へ行く」と言ったら、それは「大通公園」へ行くということです。ほかの公園名などほとんどの生徒が知りません。こういう場合には初めて出てきても、発話者と受話者の間に共通な公園が了解されているから、定冠詞のtheを使うのが当たり前です。
冠詞は日本語にはないものなので、扱いがむずかしいことは認めます。27年前なら冠詞に関する解説書は洋書(1989年刊'THREE LITTLE WORDS A, An, The')を読むしかありませんでした、わたしは冠詞がわからなくて、25年ほど前にこの本で学習しました。この十数年で国内で5冊ほど出ていますから、英語を教えているなら読むべきでしょう。どれも帯に短し襷に長しの感はあります。でも、冠詞がわからなければ、英文の意味が精確に伝わるはずがありません。書き手がイメージしたものとは異なるイメージをつくってしまいます。
次の英文はそれぞれあらわしているシーンが異なります、違いがわかりますか?
He ate a chicken.
He ate the chicken.
He ate chicken.
最初の文は、たとえばHe(飼い犬のドーベルマン)が、鶏小屋に入り込んで鶏に噛み付いて一匹丸ごと食べてしまった光景が伝わります。口の周りは血だらけで、辺りには血がこびりついた鶏の白い羽が散乱しています。2番目の文は昨晩食べ残した鶏肉を今朝食べてたシーンが想像できます。あるいは値の張る知床地鶏を買ってあったのかもしれません、その鶏肉を香辛料をまぶして焼いて食べた。要するに頭の中で「例のもの」という感覚です。3番目の文が普通に鶏肉を食べているシーンです。不定冠詞・定冠詞・無冠詞はそれぞれ英文解釈にかくも大事なものなのです。
ニムオロ塾は個別指導ですから、わたしは成績上位生たちには疑問に答える形で、冠詞の説明を普段の授業でしています。
その生徒にとっては、そこがマルなら中学生になってから1年半、初めて英語が満点でした。いつも2-3個出てしまうケアレス・ミスを出さないようにがんばったのですから、誉めどころでした。
「文句なしに満点だよ、わたしが満点と認める、それでいいだろう」
「・・・」
こんなに浅い知識しかない教員へ生徒が抗弁したところでムダ、冠詞の使い方を知らないのですから生徒は黙るしかありませんが、心の中では憤(いきどお)っています。生徒よりも先生のほうが知識が常に上だと勘違いしていますから、受け止められないし、自分のミスにすら気がつかない。
たまさか悔しい思いをするのは人間を鍛える効果があります。しかし、こういうことがあると生徒は理不尽さを感じて先生の学力に不審を抱きます。日々の鍛錬を怠った結果、指導教科に関する知識の底が浅いことをこの教員は露呈してしまったのです。もう信用されません。信頼を回復するには自分の採点ミスを素直に認めることですが、ミスにすら気がつかぬほど、冠詞の知識がない。このブログを読んだら早急に訂正されたらよろしい。最初に挙げたのとは別の件ですが、数学の先生は気がつくのに1年かかりましたが、ちゃんと訂正しました。自然数のnを numberのnだと勘違いなさって説明していたんです。'natural number' のnaturalのnです。知らないことは知らないというべきで、「numberのnだと思うが、調べて次回の授業のときに確認します」、くらいの応答が無難です。
知るを知ると為し、知らざるを知らざると為す、これ知るなり (論語・為政)
子曰、由、誨女知之乎、
知之為知之、不知為不知、是知也
「隠れたカリキュラム(意図しない教育)」って怖いですね。誰にでも間違いはありますが、自分の間違いに気づく人は少ないのでしょう。さて、自分は大丈夫だろうか?やはり危ないのです。
物を教えるというのは怖いものです。不勉強を棚に上げて、この先生のようにわたしだっていつとんでもない間違いをしでかすかわかりません。だから、日々本を読み、ラジオを聴きます。
タイムトライアルというラジオ番組が結構楽しい。ニュース英語の解説もラジオ番組でやっています。
経済学は自分の専門ですから、英語で書かれた専門書を読むのに苦労はありません。ほどほどに読んでいますから。同様に仕事で米国の管理会計の先端の本を読んで経営改善に生かしていたことがあるので、管理会計に関する専門書もスムーズに読めます。最大手の臨床検査センターで開発部に2年間いたので、医学専門雑誌が20種類以上そして科学雑誌のネイチャーやサイエンスも、好奇心に任せてだいぶ読みました。コンピュータシステム開発をしていたので、半分くらいは専門書を洋書で読みました。時代の先端を行く仕事だったので、国内に参考になる本がなかったためです。言語学関係もチョムスキーの著作を中心に読んでいます。米国の高校数学教科書を2冊読んでいます。『Math A』『Math B』ですが、あとでamazonのURLを貼り付けておきます。この本は楽でした、内容が簡単なんです。米国では高校数学でプログラマブル・カリュキュレーターを使用するので、38年前にHP-67を使っていたわたしには計算機も含めてやりやすかった。昔、400ページほどの英文マニュアルを2冊、1週間ほどで読み、使い方とプログラミングをマスターしました。米国では大学入試に持込が認められています。要するに米国の高校生は筆算での計算力が著しく劣るのです。もう、全員に教育するのは不可能ということなんでしょう。数学は能力に優れた1/20の生徒をピックアップしてエリート教育を施せばいいと割り切っているように見えます。世界をリードしているIT産業は足りない分を海外から集めています。
専門書はその分野で使われる専門用語を1000くらいずつ憶えてしまえば、不慣れな文学作品を読むよりもずっと楽なんです。上に例示した分野は5分野ですから、合計で5000語の専門用語を憶えればいいだけ、繰り返し出てくるので、本を読んでいたらいつのまにか憶えられます。
このように学問研究と好奇心の赴くままに、そして仕事に関連した専門書を読むことで英語のスキルを磨いたので、音読トレーニングやリスニング・スキルが貧弱なことを自覚しています、だから遅ればせながらラジオを聴いています。HirosukeさんとHN「後志のおじさん」が投稿欄での対話(ときにコメントバトルへ発展)を通じて音読トレーニングの仕方を教えてくれました。仮定法では延々とやっていました。本欄へ一部はアップしてあるので、「仮定法」とキーを入力してブログ内検索をすればヒットします。
英語のブラッシュ・アップと同時に数学も同じことをしています。暇に飽かせて数Ⅲの教科書と青チャートの問題を毎日数題解いています。さまざまな学年が混在したクラス編成になっているので、生徒たちは学力に合わせて個別に異なる問題集を使っています、質問があれば瞬時に答える必要があります。授業では普段の練磨がモノを言います。生徒たちと保護者の皆さんの期待に応えたいからです。
教えている限りは学び続けます、それに飽きたら塾稼業は卒業です、自ら学んでいなければ生徒に教える資格がありません。自分に課しているルールです。
もちろんブログもこうしてせっせと書いてアップしています。頻度が大きいのと長文のアップが多いので、一日中ブログを書いているのではと勘違いをされる方がたまにいます。文章を書くのがとても速いのです。標準の3倍くらいの速度を想定していただければ大体当たっています。頭の中に文章が浮かぶのとタイピングの速度が同調していると心地よいのです。商工会議所珠算能力検定1級(全珠連3段相当)ですから、タイピングも20代のころに教本通りにトレーニングしました。修士論文でドイツ語の文献を引用する必要があったからです。機械式のタイプライターに比べると、ワープロ機能は百倍便利です。後編集機能があることと小指の圧力を加減しなくていいですから。だから、弊ブログ記事のアップにはそれほど時間がかかっていません。(笑)
手書きに比べ5~10倍の生産性があります。
話題に上がった数学と英語の先生、この次は上手に対応してください。
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過ちを改めざるこれを過ちという (論語・衛霊公)
子曰、過而不改、是謂過矣。
君子は重かざれば威あらず。学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とすることなかれ。過ちては則ち改むるに憚ることなかれ (論語・学而)
子曰。君子不重則不威。學則不固。主忠信。無友不如己者。過則勿憚改。
これを知る者はこれを好む者にしかず、これを好む者はこれを楽しむ者にしかず。(論語・雍也)
知之者、不如好之者。好之者、不如楽之者
知るを知ると為し、知らざるを知らざると為す、これ知るなり (論語・為政)
子曰、由、誨女知之乎、
知之為知之、不知為不知、是知也
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70% 20%
Three Little Words: A, An, and the (A Foreign Student's Guide to English Articles)
- 作者: Elizabeth Claire
- 出版社/メーカー: Delta Systems Co Inc
- 発売日: 1991/08
- メディア: ペーパーバック
aとtheの底力 -- 冠詞で見えるネイティブスピーカーの世界
- 作者: 津守 光太
- 出版社/メーカー: プレイス
- 発売日: 2008/12
- メディア: 単行本
Let's Review: Math A (Barron's Review Course)
- 作者: Lawrence S. Leff
- 出版社/メーカー: Barrons Educational Series Inc
- 発売日: 2003/02
- メディア: ペーパーバック
明日も早いので手短に書きます。(言葉足らずは御容赦の程。)
低い山の頂上からの眺めをもって自らの論となす愚かしさの一つの現れですね。
高い山の頂上に立っている者にはそうした論は、愚かしさを自覚していないものの戯言に過ぎません。
よく見かける、質の低い会社のたちの悪い対応ですが、従業員がお客様に対する対応よりも、その時一瞬の自分の体面を優先するもの。
お客様は
「無言で離れていく。」
当たり前のことですけどね。
生徒の心、親からの信頼にも当てはまることだと思います。
by 後志のおじさん (2016-12-04 22:04)
自分の教えた通りでなければ丸にしない。教科書に書いてある通りでなければバツ。多いですね。
しかし、教科書によって取り扱っている用語が微妙に違っていたり、時代によって多少の変化はあるのですが、驚くほど勉強不足なのでその知識がありません…。
検察官は検事、裁判官は判事でも正解ですが、この地域では高い確率でバツにさてしまうんですね。信じられません…。
少し前にこんな例がありました。沸騰石をフラスコに入れる理由。〜急な沸騰を防ぐため〜
ところが、〜突沸を防ぐため〜 と書かなければ絶対に丸をもらえない…。理由。教えた通りに書かなければダメ。完全に舐めてます。お山の大将、子ども相手のジャイアンですね。
by ZAPPER (2016-12-04 23:09)
教員にとって必要な資質は、謙虚さと素直さですね。この両方があれば、自分の力量がどれほどのものか勘違いをしないですみます。
先生と呼ばれているから、先生であるつもりになる、そして自分の学力が著しく低いことがおわかりでない。
自分の学力が低いという自覚がないから、研鑽を積まない。
その結果、生徒の気持ちに気がつかない、いや、気がつけないのです。
教員不適格と言ったら言いすぎでしょうか?
根室市教委の指導主事がどなたか知りませんが、こういう指導はできますかね?
by ebisu (2016-12-05 00:32)