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#3443 根室の高校統合:具体策の用意はあるのか? Oct. 22, 2016 [55. さまざまな視点から教育を考える]

 午後七時の気温は6.1度、めっきり寒くなり、庭のもみじは紅く染まっている。北の勝「祭り」を飲みながら、皿にのった焼き秋刀魚を突っつく。根室の秋はおいしい。ふるさとは酒も肴もありがたや。

 統合後の名前は現在のままだと新聞で知った。古い名前をそのまま維持するのが当たり前だから、その点では褒めておきたい。弊ブログでも名前を変えてはいけないと何度も書いてきた。小学校は道内3番目に古い花咲小学校の名称を残せばよい。まもなく統合が予定されている中学校は、元の根室中学という名称を復活させればいい。

 ところで、塾生たちから統合後の根室高校について断片的な情報が入ってくる。噂によれば全科が単位制になるらしい。商業科も普通科も両方共に「単位制」である。自分でプログラムして単位を選択できるらしいが、科目選択には授業時間の割り振りの関係からさまざまな制約が生ずるのは当たり前で仕方がない。単位制でないときよりも選択がいくぶん自由になるくらいの感覚だろう。

 驚き桃の木山椒の木だったのは普通科に定員40名の「特進コース」ができること。入試の得点で上位40名を拾い上げるらしいが、大学進学の意志の有無を確認するという。まさか、就職を希望する生徒は特進コースには入れないということではないだろうな。そんなことをすれば、成績優秀で、地元に残る貴重な人材の芽を摘むことになる。
 商工会議所や中小企業家同友会などに説明を行ったようだが、異論は出なかったのが不思議だ、自分たちの首を絞めたことにすら気がつかぬ。理由は本稿で次第に明らかになる。
 根室はこういうところが閉鎖的で愚かである。一般市民の預かり知らぬところで町の未来に関わる重要問題を決めてしまい、仕事はチョンボだらけになる。そういうやり方が根室をダメにしていることに地元経済界は気が付くべきだ。

 さて問題はいろいろあるが、特進コースの入れ替えはあるのだろうか、あればどういうタイミングで何回あるのか、そんな疑問もわく、生徒たちにとっては大事な情報である。
 特進コースに40人だが、中学時代の学力テストで5科目合計点で400点以上の生徒は、市内全部で一学年あたり4-10人程度しかいなくなり、成績上位層が絶滅しかかっている。10年前の1/4以下だろう。
 特進コースの対象は中学時代学力テストで五科目合計点が400点以上の学力の生徒が最低限の学力とすると、特進コースの本来の定員は10名で十分ということができる。あとの30人は「お客様」で足を引っ張ることになる。
 具体的にいうと、教科書準拠問題のB問題まで特進コースの授業ではやることになるだろうが、これを自力で解ける生徒は10名ほどしかいないということで、あとの30名はオチコボレルことになる。オチコボサナイためには授業の難易度も定期試験のそれも下げざるをえない。せっかく「特進コース」を設定しても、すでにそういう学力の中学生が絶滅しかかっているのである。だから、そこに手を入れなければ、根室高校特進コースは裁量問題同様に有名無実となるだろう。
 最初の1年間が勝負である。それで特進コースの中身が決まってしまう。レベル低下を防ぐには特進コースは7時間授業とする手がある、指導技術のない部活顧問の常套手段である長時間練習である、急場しのぎに過ぎないが、ことここにいたっては他の妙案はわたしにはない。

 だいたい、偏差値42-45の高校に裁量問題などまったく必要ない。道立高校の80%が定員割れの状態である。裁量問題は定員割れを起こしていない高校が実施すべきものだ。
 根室高校は入試で裁量問題を課しているが単なるミエだろう。市内の中学校の数学の授業で裁量問題対応しているところはひとつもない。それはふだんの授業が基本のA問題に限定され、定期テスト問題もA問題のみから構成されていることからも言いうる。7回の授業参観で確認したが、そのことは市街化地域の3中学校に共通している。
 中学校の先生たちはとっても苦労しながらやっているのだろうと思うが、結果は厳しいものといわざるを得ない。

 特進コースを設定することで大きなマイナスが生じることは考慮したのだろうか?残りの普通科クラスが学力水準が極端に落ち、学級崩壊状態になりかねないのである。その中には高卒で根室で就職する者や専門学校へ進学して根室へ戻ってくるものが多い。地元企業経営にとって一番大事なところなのである。
 小学校の学級崩壊の後遺症や中学校での学級崩壊状態の現出によって、その学年の学力テストの平均点が顕著に低下することはこの13年間の道文協学力テストデータから知られた症状である。それが、根室高校へ「感染」することになる。
 仕事は「段取り8分」と言われるが、そこに重大な瑕疵があったのではないか?
 有効な対策を考えずに、決めてしまったのだから、もう行くところまで行くしかない。元仕事人のebisuの見るところでは、事態の収拾は大ごとになりつつある。仕事のできない者が権限を振り回して仕事をしようとすると、得てしてこういうことが起こる。
 
 現在の根室高校普通科は、定員割れすると偏差値42、定員オーバのときで45である。これがさらに下がって、学級崩壊すれば、「教育困難校」に転落しかねない。現在の中学校の状態を見るとじつに危ういのだ。高校生は「大人」ですから、先生たちが抑えきれると思いますか?小学校や中学校だって抑え切れていませんよ。学級崩壊や教育困難校への転落が現実にならずに杞憂であって欲しい。もう祈るだけです。

*教育困難校 ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2%E5%9B%B0%E9%9B%A3%E6%A0%A1

<余談>
 釧路の15中学校の学力テストAの結果を#3442に載せました。釧路15中学校最下位は学区内に児童養護施設を抱える地区にある桜ヶ丘中学校ですが、根室のC中学校の五科目平均点は、その中学校よりも10点よいだけで、他の釧路の14中学校を下回っています。教える先生たちのたいへんさがわかります。自制できない生徒や小学校で家庭学習習慣の躾けに失敗した生徒たちが多いのです。それでも何とかしなけりゃいけないのが先生たちの仕事。
 数学については桜ヶ丘よりも平均点が3.1点も低かった。総合BでもC中学校の数学の平均点は16点で動かず。
 60点満点の学力テストで12点(2割)以下が49人中19人、38.8%もいます。18点(3割)以下は30人、61.2%。百点満点に換算すると30点以下が61.2%いますが、この得点層で一人でも現在根室高校普通科で使っている問題集のB問題をこなせる生徒を想像することができません。A問題すら半分も解けない生徒が大半です。B問題にチャレンジできるのは得点が7割以上の生徒ですが、49人中2人のみ、わずか4%。
 これだけ学力差があれば、同じ単位制の普通科といっても、同じ教科書は使えません。無理を通したら道理が引っ込むので、ここにも大きな問題があります。教科書を別にするために科を分けることを考えるか、何か別の代替案を検討すべきだった。閉鎖的な検討をするからこういうことになる、「後の祭り」です。
 普通科定員160人、商業科定員80人だから、普通科が66.7%を占めることになる。学力テストで数学の得点が半分以下という生徒がC中学校では9割を占めている。大雑把に見て、特進コースの半数弱の生徒が数学の学力テストで5割以下の得点ということ、残りの普通科は数学の得点が5割以下の生徒ばかり、3割得点層が主体ということです。現行の教科書は学力に比してレベルが高すぎて不適です。これがどれほど深刻な問題かお分かりいただけますか?
 とにかく、数学の点数が1割以下でも、要するに零点でも全員が根室高校へ入学可能なのです。五科目合計点が100点未満(300点満点)は不合格でよいのです。勉強しなおしてから再度受験すればよい。それくらい厳しくてよい。総合Aで判定すると、C中学校の生徒49人中、25人(51.0%)が不合格です。合格ラインが示されたら、残りの期間は死に物狂いで勉強するでしょう。

 他の2校がC中学校よりも上なのか下なのか、データを持ち合わせていないのでわかりません。大きな差はないでしょう。C中学校は一昨年と昨年度と2年続けて全国学力テストで全国平均を達成していますが、来年も再来年も現在以下の学力水準になります。そういうことはふだんの学力テストの結果から、先生たちはよくご存知です。だから、今後三年間は苦難の道を歩むことになることも覚悟しているでしょう。実に厳しい学力状況が待ち受けています。
 C中学校の現在の三年生に限っては根室高校普通科特進コースの数学の授業になんとかついていけるのは得点7割超の階層(43-48点)の二人だけ
 先生たちにしてみれば他にもいくつか理由を挙げたくなるだろうが、A問題のみの授業とA問題のみの定期試験を三年間続けるとこういうことになる学力テストで点数が取れなくなることがデータではっきりしている。だから、特進コースの授業がどういうものになるか、わたしには想像がつきます。

 統合検討委員会はこうした具体的なデータに基づいて議論したのだろうかデータを見ずに、検討を重ね結論を出したのではないことを祈ります。
 
閉鎖的なやり方をさまざまな問題で繰り返し、そのことで根室の町が蝕まれ、衰退が加速する
。いつものパターンです、市立病院建て替え、明治公園再開発、そして高校統合問題、どれをとっても同じ。
 若い人たちが異を唱え、ふるさとを住みよい町に変えたらよい。


*統合委員会活動報告書
http://www.nemuro.hokkaido-c.ed.jp/?action=common_download_main&upload_id=1448


*#3442 学力テスト総合A:釧路と根室の比較  Oct. 22, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-10-21



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tsuguo-kodera

 人に点数をつけ、競争させ、頑張らさせる。学校人も日本人も好きですね。私は大嫌い。
 どこぞやの高校も工業科をやめ、特進科を作りました。どんどん進度別の進学科を増やしました。上手く行くはずはないと理事長校長バドバカに言ってきました。今は無縁。ザマーカンカン、と状況は良く分かりません。興味がないからです。
 私の育った成城学園は今は知りませんが昔は進度別は高校の数学だけ。2クラスを混ぜて、2クラスの進度別授業をしていました。各人の好みではなく、理系と文系に自動的に分けられてしまう仕組みだったのです。
 成績の競争ではなく、異性にもてる度合い、歌のうまい度合い、スポーツのうまい度合いなどなど生徒同士が勝手に相手を評価していたのでしょう。
 小学校は特別でした。何度も言いましたが、算数では5年生の教科書の途中で卒業した友達がいました。彼は中高と勉強家になり、早稲田の理系電気に進学しました。現役で。そして電電公社に勤め、NTTとなり、武蔵野の大型計算機センター長になりました。
 ちなみに野球でも討論でも持てどもすべて普通以下程度の目立たない意図でした。ただし将棋は強かった。小学校と中学校時代は私に分がありました。でも、高校以降はかてなくなりました。理由は私の苦手な振り飛車をしてアナグマに囲うから。囲碁は親としていた彼に、独学の私は勝てませんでした。
 カラオケが好きで、演歌を歌っていました。私は青江三奈と美空ひばりの物まねで対抗。彼の部屋でしたので、好きにめちゃくちゃしていました。
 そういえば、彼の家は成城のお屋敷、小学校時代、庭でソフトボールができました。枯山水のある庭でです。低学年の時は夕方まで遊ぶと人力車で家まで送ってくれました。
 彼の偏差値は、小学校時代は値にもならないくらいに低かったでしょう。中1、中2と。でも高校2年の時は多分早稲田程度の偏差値になったはず。私が東大に合格したら、東大も受けるべきだったと言いました。
 こんな話を息子にすると、時代が違うと言います。でも、高校の教科書を見たり、受験参考書を見ると、内容も受験問題も同じ程度です。何で自分で勉強できるようにならないのか私は分からない、というのは嘘。
 何でも大人が指示する躾をされてきて、学内の塾のような特進科では競争オンリーになるのは宿命。勝者は金銀銅のメダル獲得者。入賞もできなかった9位以下では敗者になり、その競技から、勉強こそ最大のメジャー競技なのに、脱落し、努力できない人間になるのは宿命。
 だから競わせる特進、塾、オリンピック、はたまたテレビ番組などなど、今の時代に私好みはほとんどありません。
 お互いに自分の犬が最高だと思っている犬仲間、汗さえかけば嬉しい下手糞バドおばさんと付き合うことになりました。今から犬を散歩させ、今日もバドで子供と遊び、汗を流してきます。
 小学校時代までどこから見ても、中学でもほとんどバカな子も、優秀な企業人になりました。確率的に100%。30年で、母集団は50人を超えたでしょう。ほんとうですよ。
 だから早稲田慶応クラスの難関度など、ヘノカッパ。東大を避けるかどうかが私のバドガキ指導の思案のしどころです。受験科目数が違うので。本当は1科目で良いのだから。大企業の懐は深いから。
 まとめです。特進科はいただけません。私立の新しい進学校にとって宣伝のためでしょうから。公立が真似たらいいところはなくなります。宣伝ならいくらでも新手を考えられるのに。
by tsuguo-kodera (2016-10-23 04:32) 

ebisu


長文の特進コース反対論、経験を踏まえてのオブジェクション、過激ですね。

根室人には視野を広げるために異論が必要なのです。東京の私立高校の状況までレポートしてくれました、55年ほど前と数年前を比較しながら。
たいへんありがたいオブジェクションです。(笑)

生徒が定員の1/4しかいないのに特進コース設置、前途多難です。このコースの主導権は3/4が握るでしょう。

たしかに、企業人となってからは小中時代に存分に遊んだ者たちは強い、企業内の競争も遊びのようなものですからね。また、存分に遊んでしまうのでしょう。好きこそ物の上手なれというやつでしょう。

でも勉強しだしても偏差値を上げられないようではダメと、ちゃんとダメだしをしているところが、kodera流。

根室の子どもたちは高校入試がなくなったのですから、小学校と中学校時代は体を動かして夢中になって遊び、中3頃から爆発するように勉強に励んでもらいたい。
それで東大あるいは早慶に入れないやつはその程度ということですか。ははは、面白い。
by ebisu (2016-10-23 08:11) 

ZAPPER

釧根、それに道内の状態を鑑みるに、手取り足取りていねいに、いや上げ膳据え膳のようなやり方(おまけにレベルが低すぎる)では、上の子の伸びようとする芽を潰すと断言できますね。

さっくり、ちゃんと教えてあとは任せる。低位層救済ばかりに目が行きすぎて、そのことが忘れ去られています。
by ZAPPER (2016-10-23 11:17) 

tsuguo-kodera

 過激とはこれいかに。私は宝塚歌劇の筋のように柔な考え方ですよ。過激とは誤解ですね。私はエビス先生の方が過剰に他人に期待しすぎているように思えますよ。
 私は自分にも、子供たちにも、前の学校の理事長やバドバカにも期待していません。いわんやブログ主たちになろ。馬鹿と言われても何とも思わないだけ。言われたら逃げるだけ。
 勉強する目的は何でしょう。良い伴侶を得るために。良い生活をするために。親兄弟を養うために。好きな仕事をするために。私は銀座で飲むために勉強した不届き者。裕次郎の時代とは時代が違っていたので、私は大学に行きがっかりしました。
 成城はそんな奴ばかり。勝手に自己の夢の実現を目指し挫折した奴が多い。例外はいますが、他人は誰もハッピーと思っていませんよ。超有名な無罪請負人など誰も良いとは思っていません。
 サラリーマンで課長どまりだった、野球だけのアホな同級生も今はハッピーに草野球三昧とゴルフ三昧。大手の下請け会社で定年になったのにです。一生ハッピーと言えますよ。
 一方、私は部長止まり、銀座はダメでしたが、女子大で10年遊び、本をたくさん書けました。儲からなかったが、色々な世界を知りました。
 結局偏差値とか、大学のブランドなどヘノカッパです。そう思ったやつが勝ったのです。成績など意味がないと言いたいだけ。そう思って自己を鍛えたらいいだけ。身体や頭ではなく心です。
 成績など気にする奴が世界を知らないだけなのです。井の中の蛙。蛙は幸せですね。他を知らないからです。
 今はグローバル化してしまい、女性だろうと良い、白い会社に採用され、楽しい仕事をして自己実現するべき。そこで大事なことは、自己認識。他人などの関与する割合は。少ない、少ない。
 上司から仕事をしろと言われても、できなければ仕方ない。だから楽な仕事をさせてもらう。そのために、寝小便作戦が一番有効です。寝小便できるために正社員になるのです。なれないなら会社を作ればいのです。社長にすぐなれるから。非正規社員だけはいけません。
 結局、大学の人間関係が大事。友人と先生との。そのために数学でも国語でも英語でも1科目得意になれば可愛がられる。可愛がられる精神構造と仕草が大事。しかも打たれ強いこと。仕事は打たれることばかりだから。
 学校人は甘すぎます。そのためにスポーツをするのです。勉強も心を鍛える手段。何でもすればいいのです。上司がしろと言う仕事は詰まらないに決まっているのです。だから子供は部活でも、町のクラブでも構わない。眠たくても塾に行けばよい、成績などヘノカッパで。
 文武両道と立派に言えるが、要するに体力と1科目で人生は楽しくなるのです。運と根。鈍感に生きるのが一番。故郷だろうと都会だろうと。
 偏差値にこだわり、進学先大学にこだわれば、結局敗者が75%以上ということ。高校の間で人生の敗者になる人が多い。日本中で敗者を拡大再生産しているのです
 根室だろうと奈良だろうと、東京だろうとどこの大学だって構わない。駅弁でいいのです。
 ただし、選ぶ学科と教授が問題。だから大学訪問し、教授と意気投合することが大事。AOや自己推薦は先生を知るチャンスなのです。過激ではなく、人生を楽しんだらいいと言っているだけなのですよ。勉強など落第しない範囲でいい。成城はほとんどの人がそうでした。
 今は定員割れの大学もたくさんあります。前回の試験では東工大もAOは定員割れでした。誰でも受けられたら入れたはず。バカみたい。
by tsuguo-kodera (2016-10-23 18:54) 

ebisu

いま、戻ってきました。

成績上位層をつぶしているような・・・というのが釧路と根室の状況ですが、仮に伸ばし切って東大に入ったところで幸せが待っているのはごく少数、要するにやりたいことをやりきった者勝ちということ。
いいや、勝った負けたの話ですらない。

勉強したいやつはやれ、スポーツしたいやつはスポーツしろ、両方やりたいやつは文武両道の道を歩め、その先に何が待っているかは誰にもわからない。
人生、やりたいことを存分にやるだけ。

いい大学出て、いい会社に入り、定年まで勤め上げるというパターンが崩れたので、安定したハッピーな生き方などありません。
でもkodera流の生き方は、飄々としながらも過激に見えます、すみません。(笑)


by ebisu (2016-10-29 17:16) 

tsuguo-kodera

 伊勢先生は凄い。私が2000字近く書いた駄文を200字以下に要約いただきました。文章も凄く上手。会社で仕事ができたわけだ。感服です。

 さらにまとめると、勉強は手段、スポーツも手段、目的は満足できる人生の実現。やはり求むる所第一義、随時随所楽しまざるなしです。これしか教育の根幹はないと信じています。

 でも、この言葉が成城の創設者の心だったはずなのに、今の成城も普通です。ダメでしょうね。日本中から教育の原理原則が胡散霧消したのでしょう。かろうじて家のクラブに残骸が残っているのかもしれません。バドが好きな人の集まりだから。
 日本中の皆さんに一端をお見せしたくなっていたわけですが、もう私も足腰が言うことを聞きません。出かけられません。残念無念トコロテン。老兵は消えるのみ。飄々と。(笑)
by tsuguo-kodera (2016-10-29 18:56) 

ebisu

成城学園は文部次官や京都大学総長を歴任した澤柳政太郎氏が公教育に限界を感じ、創立した学校です。koderaさんが言及した建学の精神は美しいものです。
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澤柳政太郎は、「所求第一義」(求むるところ第一義)を生涯の志としていました。
「第一義」とは本来、本当のもの、一番大切なもの、根本にあるものをいい、「常に究極の真理、至高の境地を求めよ」ということです。
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出典:http://www.seijogakuen.ed.jp/about/founders-vision/

「求所第一主義」という言葉はわたしの胸にストンと落ちました。ああ、こういう簡潔な言葉で表現できるんだなといのが、感想です。
経験的な真理でありますから、人生60年を生ききらなければ、なかなか理解できないところでもあります。
若い人たちは、30回この句を朗誦し、身体に刻んで、折に触れて想いだしてください。そうですね、人生 道が二つに分かれていると感じたときに思い出してください、段々わかってきます。ゆっくりでよいのです。

追伸:
SRLが東証Ⅱ部上場を果し、数年後にⅠ部上場、社員20名の募集に対し10000名もの応募が毎年繰り返され、偏差値の高い社員が入社するようになったのを見て、わたしも公教育に限界を感じて実験的な私塾を開いて今に至ります。
創設者がいなくなれば、建学の精神が薄まることは仕方のないことなのでしょう、なかなか難しいものですね。
わたしにはそういう心配がありません。(笑)
by ebisu (2016-10-30 09:48) 

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