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#3438 フェルマーの最終定理と経済学(2):不完全性定理と経済学 Oct. 18, 2016 [97. 21世紀の経済社会 理論と理念と展望]

 数学ですでに判明している事柄、今回はゲーデルの不完全性定理を利用して、新しい経済学をチェックしてみます。
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  1931年、ゲーデルは『「プリンキピア・マテマティカ」および関連する諸体系における形式的に決定不可能な諸命題について』と題する本を出版した。この本の中に、いわゆる不完全性定理が含まれていたのである。この定理のニュ-スがアメリカに届いたとき、偉大な数学者のジョン・フォン・ノイマンはヒルベルト・プログラムに関する講義を急遽とりやめ、残りの講義をゲーデルの革命的な研究の議論にあてたのだった。
 ゲーデルが証明したのは、完全で無矛盾な数学体系を作るのは不可能だということだった。彼のアイディアは簡潔な二つの命題として表すことができる。

 第一不完全定理
 公理的集合論が無矛盾ならば、証明することも反証することもできない定理が存在する

 第二不完全定理
 公理的集合論の無矛盾性を証明する構成的手続きは存在しない

 ゲーデルの第一不完全性定理が述べているのは、要するに、公理の集合としてどんなものを使うとも、数学には答えることのできない問題が存在するということだ。完全性は決して達成できないのである。これに追い討ちをかけるように、第二不完全性定理はこう述べる。公理の集合として選んだものが矛盾をもたらさないと確信することは決してできない。つまり、無矛盾性は決して証明されないということだ。ゲーデルは、ヒルベルト・プログラムは遂行不可能だということを示したのである。
  『フェルマーの最終定理』p.184
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 経済学の公理として、とりあえず4項目を取り上げましたが、演繹的体系がそれでできあがったとしても、答えることのできない問題が存在するようです。そしてこの四項目の公理の無矛盾性は証明できないということが、数学の不完全性定理から言いうるようです。無矛盾性が本来証明不可能であれば、論理上矛盾がみつからないというあたりで十分と考えましょう。調べた限りで矛盾がないということは、無限に調べていったら矛盾があるかもしれない可能性を含んでいます。論理的な問題で、不可能がはっきりしているのですから、VRで職人主義経済社会を構想する作業では調べた限りで矛盾がなければ良しとします。気が楽になりました。

 やれるところまでやってみてから考えよということでいまのところは十分です。矛盾が出たら当初の4公理に戻って考えればよい、そして矛盾のない演繹体系が叙述できたとしても、ほんとうに矛盾がないかどうかは原理的に証明不可能だということです。
  矛盾の無いことがあらかじめ証明することができなくても、もし矛盾が存在すれば、実行に移した段階で明らかになりますから、その時点であたふたしながら考え、対処したらいいのです。

 そこで、公理を一歩進めて、思いつく仮定やアイデアを並べて、それらに矛盾がないかチェックして整理してみます。12項目挙げてみました。

 ●職人仕事が半分、人工知能のやる作業が半分という経済社会を想定します。
 ●商品生産社会であることは疑いがなさそうです。
 ●売っても減らないデジタル商品が消費の半分を占めていると仮定します。
 ●自国で消費するものは原則として国内生産、生産拠点と正規雇用の職を確保します。
 ●国内生産不可能なものだけ輸入します。ここからいえるのは国内産業を保護育成するための強い管理貿易制度の導入です。江戸時代の「鎖国」をイメージしてもらえばいいのではないかと思いますが、人の移動が自由であることが異なります。
 ●国内の土地の外国資本による新たな所有を禁じます。土地値下がり要因になるでしょう。
 ●所得格差や貧困の解消のために、トマ・ピケティの一定以上の財産保有へ累進的な財産税を課します。国内に大資本が存在しなくなるような過激な財産税はまずいのでほどほど。
 ●大資本が参入できる業種あるいはそのシェアーを制限します。健全な市場競争の確保が目的です。国際市場での競争は管理貿易で規制しますが、国内市場での国内企業同士の競争条件は整備します。
 ●国内企業株の外人投資比率を1/3以下に制限します。
 ●人工知能の利用について何らかの制限が必要になりますが、どういう基準を導入すればよいのかがわかりません。衆智を集めて議論するしかありません。
  ●知的財産権の制限:
  特許権と著作権の制限。特許権は30年が目安、大きな特許に関しては名誉や代償を考える。著作権の制限は新聞やテレビニュース報道が対象。これれは作業量が大きいのでワークショップ形式での作業が必要と考える。
 ●株式会社の社員持株会の持ち株比率に企業規模ごとのガイドラインを設定します。目安は中小企業は1/3、大企業は1/5。企業をそこで仕事をする人たちの手に取り戻すためです。

 作業手順をもう一度確認します。これら12項目の仮定を、当初の四つの公理と矛盾がないかをチェック、そしてその後、ここにリストアップした12項目相互に矛盾がないかチェックします。矛盾があるとすれば、何が矛盾するのか細部を詰めます。こうして篩(ふるい)にかけて残った仮定が元の4公理のどれに所属するのか、あるいはどの公理の派生物なのかを判定します。その後、それぞれ3-5項目ぐらいの具体的な仮定に拡大して、同じ作業を繰り返してみます。四つの公理の妥当性もこうした作業の繰り返しでチェックできます。必要な編集(追加・削除)を行えばよい。
 お気づきでしょう、単純なものから複雑なものへというデカルトの科学の方法「四つの規則」の第3番目の援用です。確認しておきましょう。

 以下は「資本論と21世紀の経済学 3097-1」からの引用です。
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 『経済学批判要綱』(以下『要綱』と略記)流通過程分析や商品分析は「下向の旅」であり、『資本論』が商品の概念規定から始めるのは「上向の旅」である。これはデカルト『方法序説』1637年)にある「科学の方法 四つの規則」にあるものと同じだけでなく、数学書であるユークリッド『原論』とも方法論において同じものである。集合論をベースにした現代数学の体系化の試みである『ブルバキ 数学原論』(東京図書)も、『資本論』と共に公理的構成の厳密な演繹的体系構造をもつ。
 
デカルト「科学の方法 四つの規則」には次のような解説がある。

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デカルト『方法序説』ワイド版岩波文庫 「科学の方法 四つの規則」27ページ~
 
まだ若かった頃(ラ・フレーシュ学院時代)、哲学の諸部門のうちでは論理学を、数学のうちでは幾何学者の解析と代数学を、少し熱心に学んだ。しかし、それらを検討して次のことに気がついた。まず論理学は、その三段論法も他の大部分の教則も、未知のことを学ぶのに役立つのではなく、むしろ、既知のことを他人に説明したり、そればかりか、ルルスの術のように、知らないことを何の判断も加えず語るのに役立つばかりだ。…以上の理由でわたしはこの三つの学問(代数学、幾何学、論理学)の学問の長所を含みながら、その欠点を免れている何か他の方法を探究しなければ、と考えた。法律の数がやたらに多いと、しばしば悪徳に口実を与えるので、国家は、ごくわずかの法律が遵守されるときのほうがすっとよく統治される。同じように、論理学を構成しているおびただしい規則の代わりに、一度たりともそれから外れまいという堅い不変の決心をするなら、次の四つの規則で十分だと信じた
 
第一は、わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないこと、そして疑いをさしはさむ余地のまったくないほど明晰かつ判明に精神に現れるもの以外は何もわたしの判断の中に含めないこと。
 
第二は、わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分別すること。
 
第三は、わたしの思考を順序にしたがって導くこと。そこでは、もっとも単純でもっとも認識しやすいものから始めて、少しずつ、階段を昇るようにして、もっとも複雑なものの認識まで昇っていき、自然のままでは互いに前後の順序がつかないものの間にさえも順序を想定しえ進むこと。
 
そして最後は、すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、なにも見落とさなかったと確信すること。
 
きわめて単純で容易な、推論の長い連鎖は、幾何学者たちがつねづね用いてどんなに難しい証明も完成する。それはわたしたちに次のことを思い描く機会をあたえてくれた。人間が認識しうるすべてのことがらは、同じやり方でつながり合っている、真でないいかなるものも真として受け入れることなく、一つのことから他のことを演繹するのに必要な順序をつねに守りさえすれば、どんなに遠く離れたものにも結局は到達できるし、どんなにはなれたものでも発見できる、と。それに、どれから始めるべきかを探すのに、わたしはたいして苦労しなかった。もっとも単純で、もっとも認識しやすいものから始めるべきだとすでに知っていたからだ。そしてそれまで学問で真理を探究してきたすべての人々のうちで、何らかの証明(つまり、いくつかの確実で明証的な論拠)を見出したのは数学者だけであったことを考えて、わたしはこれらの数学者が検討したのと同じ問題から始めるべきだと少しも疑わなかった
*重要な語と文章は、要点を見やすくするため四角い枠で囲むかアンダーラインを引いた。
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デカルトが「三つの学問(代数学、幾何学、論理学)」といっているが、歴史的順序に従えば「論理学、幾何学、代数学」である。アリストテレス論理学とユークリッド幾何学、ディオファントス代数学(『算術』)を指していると見ていいのだろう。デカルト自身が『幾何学』を著しているが、これは解析幾何学(曲線や立体のいろいろな性質を代数記号を用いて座標系を導入して研究する分野、中学・高校で習う座標平面のこと。XYZ座標をデカルト座標という)である。『方法序説』訳注#8で確認したが、やはり論理学はアリストテレス論理学。これには弁証法も含まれるが、ソクラテスの「弁証法」であって、弁論術であり、ヘーゲルのそれとは異なる。デカルトは解析幾何学や哲学や論理学の研究をした上で、『方法序説』で自分の方法論を振り返って記述している。科学の方法とは何かということを、『幾何学』を書いた後で帰納的に考えているのである、はじめに方法論ありきではない。

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 マルクスは資本家的生産様式の経済社会の分析には、「下向の旅」(第一の規則と第二の規則)と「上向の旅」(第三の規則と最後(第四)の規則)をするのですが、共産主義社会の分析はしていません。理念を述べただけでした。だから、根本的な欠陥に気づくことがなかったのです。わたしたちはマルクスの轍を踏まぬようにちゃんとした作業手順でやってみます。
 科学の方法の「四つの規則」の3番目を使うと何が見えてくるのでしょう?世界で初めての大冒険というのに、なんだかスラスラ行き過ぎです。きっとどこかでまとめて大きな障害にでくわすのでしょう、楽しみにしていてください。山も谷もありますから退屈な旅にはなりません。


*資本論と21世紀の経済学 3097-1 ↓
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-02-2

*#3436 フェルマーの最終定理と経済学(序):数遊び  Oct. 13, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-10-12-1

 #3437 フェルマーの最終定理と経済学(1):純粋科学と経験科学 Oct. 15, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-10-15


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