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#3325 檸檬(れもん):梶井基次郎 June 11, 2016 [44. 本を読む]

<更新情報>
11日 朝9時 追記
12日 正午 小林多喜二&他、追記
    午後1時半 <余談-2 教えてほしい日本文学史> 追記


 わたしは国語は教えられないし、教えていないが、たまに模試問題や定期テストの問題を生徒に見せてもらうことがある。高2の生徒が昨年の進研模試現代国語問題をもってきたのでざっと見たが、こちらは興味ナシ。
 高3の生徒が現代国語の定期試験問題をもってきた。二つ問題文が載っていたので一つだけ読んでみた。文中にあった「檸檬」の2文字から梶井基次郎の小品『檸檬(れもん)』からの出題と見当がついた、古色蒼然とした「檸檬」2文字が興味を惹いたのだろう。
 梶井は明治の終わりころ(1901、M34年)に生まれて、昭和7年3月24日に31歳、肺結核で亡くなっている。大衆小説とは違って、梶井の書いた小品は表現の斬新さが印象に残る。
  ±2歳の同時代人には、川端康成(1899-1972)、石川淳(1899-1987)、平井呈一(1902-1976)、山本周五郎(1903-1967)、小林多喜二(1903-1933)、幸田文(1904-1990)、堀辰雄(1904-1953)などがいる。このなかで、堀辰雄だけがなじみがない。江戸情緒で山本周五郎、旧仮名遣いを頑なに守り独特の硬さのある文体で石川淳、流麗な文で幸田文、それぞれ自分の世界をもった作家が並ぶ。平井呈一は翻訳家で、その秀逸な翻訳は「翻訳臭」がしない、もともと日本語で書かれた小説を読むような感じがする。日本語の息遣いを文章に載せられる稀有な翻訳者である。永井荷風と佐藤春夫に師事し、永井とは一悶着があり、破門されている。ラフカディオ・ハーン全集の翻訳で名高い。友人の遠藤利國がその著『明治二十五年九月のホトトギス』の「ラフカディオ・ハーンの章」に平井の名訳を載せている。荷風と絶縁になったのは生活のために偽筆をしたためで、『四畳半襖の下張り』は荷風の作なのか平井の作なのか、判然としない。平井の筆致は、師事した荷風の文体を完全にコピーできるほど冴えわっていたのである。平井は一時生活に困って偽筆をしたようで、これほどの文章技倆の持ち主でも若いころは魔が差すことはあったのだ。日本橋人形町だったか浜町だったか、その界隈で暮らしたから、時代は違うがわたしにもなじみの深い場所である。晩年は英文学研究にいそしみ穏やかに暮らした。
 小林多喜二の作品とその死については、現在の状況に関係があるように思える。その作品を読むときにあの陰惨な時代状況がどうしてもかぶって見えてしまう。『1928年3月15日』という作品で特高警察の拷問による取調べの実態を克明に描いたので恨みを買った。特高は多喜二を殺害目的で築地署へ連行して数時間ステッキと木刀で殴って殴って殴り殺したのである。首や手首には紐や縄を巻いて締め付けた跡があった。腿には十数か所釘を刺したような穴が開き体中が内出血でパンパンに腫れていたという。多喜二は秋田県の出身で、小樽商大(当時は小樽高等商業学校)卒である。
*http://matome.naver.jp/odai/2142881833527510301

 昨年制定された特定秘密保護法案や安保法制はあの陰惨な時代の匂いを思い起こさせる。安倍晋三と云う男は経済ばかりでなく歴史にも無知で、無神経すぎる。日本の伝統的な価値観に基づく健全な保守主義」はあの陰惨な時代への回帰を拒絶するものでなくてはならない
 わたしが国語を担当したら、誰かの作品を取り上げるたびに、時代状況へ話が飛び、ずいぶんと脱線しそうだ。鴎外の『舞姫』だって、そういう読み方をすると面白い。もちろん『源氏物語』も同様で、当時の結婚に関する習俗から眺めただけでも、興味深い事実が作品に読み取れる。

 いまみたら、多喜二は全集の1・2巻が行方不明で、4巻が2冊ある、不思議だ。若いころセットで購入したのだが、本屋で入れ間違えたのか?ずーっと昔の話。二葉亭四迷全集も「全9巻」と紙に書いて本屋へ注文したら、9巻だけがきて、まあいいかとそのままになった。縁がなかったのだろう。若いころからわたしにはそういういい加減なところがあったようだ。(笑)

 テストの問題文は小説の前半と後半をつぎはぎしたものだったが、授業で取り上げた作品のようだから文脈が読めない生徒はいなかっただろう。
 漢字の使い方は明治の文豪と昭和の作家の間を行くものである。たとえば、「宿酔」という語彙が出てくるが、流れから「ふつかよい」と読むべきだが、そういう語感は現在の高校生にはないだろう、漱石や二葉亭四迷など、明治の作家は当て字がうまかった。古事記が大和言葉に意味の同じ漢字の当て字を使っており、訓読みが困難になってしまったのと似た事情が今日の高校生にあるのかもしれない。

 「宿酔」はこんな風に、冒頭で使われている。
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 えたいの知れない不吉な魂がわたしの心を始終圧へつけてゐた。焦躁と云はうか、嫌悪と云はうか―酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでゐると、宿酔に相当した時期がやってくる。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。・・・いけないのはその不吉な魂だ。以前わたしを喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音機を聴かせて貰ひにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪らずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けてゐた。・・・
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 問題文の「宿酔」にはルビ(振り仮名)もないし、漢字の読みにも出題もなされていなかった。もっとも、漢字の読みの出題をしても、「しゅくすい」「やどよい」「ふつかよい」の3例とも正解としなければならないのだから、普通に考えると出題には不適だ。しかし、わたしなら、点数に差をつけることで、この漢字の読みは必ず出題したい。3点の配点なら、「ふつかよい」と書いた生徒には10点を進呈する。採点する側にそういう自由闊達さがあってよいし、そういう闊達さがふだんの授業を興味深いものにするだろう。

 ところで毎日酒を飲み続けると、アル中になって、情緒が不安定になる。感情の起伏が激しくなり躁と鬱状態が交互に生じる。自分ではコントロールできる人もいるし、そうではない人もいる。梶井自身の体験がベースになっているのではないだろうか。
 躁状態 ⇒ 鬱状態 ⇒ 破壊衝動 ⇒ 空想 ⇒ 躁状態

 心の状態が変わると、世界は別物になる。日常見慣れた楽しい風景が精神を不安定にする禍々(まがまが)しく殺風景なものに見えてくる。世界が変わったのではなく自分の心が変わったのだ。梶井は、心の持ちようで世界はまったく別の物になるということを、負の領域で語っている。心が笑えば世界もあなたに微笑む、そういう正負の真理をさりげなく描けてしまうところがすばらしい。
 螺旋階段を上っているうちに、同じところを回っているつもりでも、次第に高度が上がっていつか別の世界へ転移してしまうときがくる。梶井の人生は31歳で終わっているが、もう10年長生きできたらこの螺旋の先に何が待ち受けていたのだろう?四百字詰め原稿用紙で3-20枚の制限で生徒たちに推論を書かせてみたい。秀逸と思うものを3-5点選んで紹介するとあらかじめ宣言しておく。正解のないアウトプットの機会を提供してみる。

 梶井は作家の想像力を自在に飛翔させ、文筆を通じて破壊衝動を昇華できたから、そのたびに鬱を珠玉の作品に結晶させたのではないだろうか。この小品の後段に破壊衝動の妄想が面白おかしく書かれているからとくとご覧あれ。

 彼に文筆の才能がなければ、このサイクルで定期的に生じる破壊衝動がどうなっていただろうと想像するのも一興である。アイドルの追っかけで、自分の思うようにならず、ストーカーになったかもしれぬ。人は皆そうした危ないものを心の奥底に鎖でつないでいるものなのだろう。時にそれが切れてしまう人がいるから厄介だ。梶井のこの作品は読みようによってはじつに「いま風」な問題を提起していることに気がつく。そういうわけですぐれた作品は時代を超えて読み継がれていく。


 上手な表現で「小説」には真似ができない文がある、「文学作品」は語彙や表現レベルがやはり違う。

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見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の諧調をひっそりと紡錘型の身體の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえってゐた。私は埃っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張してゐるような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。
 不意に第二のアイディアが起こった。その奇妙なたくらみは寧ろ私をぎょっとさせた。
―それをそのままにしておいて私は、何食わぬ顔をして外へ出る。―
 私は変にくすぐったい気持ちが街の上の私を頬笑ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けてきた奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなに面白いだろう。
 私はこの想像を熱心に追及した。「さうしたらあの気詰まりな丸善も木っ端みぢんだろう」
 そして私は活動写真の看板画が奇體な趣で街を彩ってゐる京極を下って行った
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 「京極を下っていった」とあるので梶井の馴染みは京都の丸善だろう。
 東京日本橋に「日本橋丸善」がある。ここが本店ではなかったかな。「埃っぽい丸善の空気」はなかった。ちゃんと清掃されていて、書棚日本が整列して出迎えてくれる。置いている専門書群の選定眼が確かだった。頻繁に訪れていた新宿紀伊国屋書店とは本の選び方にだいぶ差があり、書棚に整列された本から支配人や店員の見識の高さの伺われるお店だった。
 一階は輸入文具や国産の選び抜かれた文具、香水などの売り場で、3階が洋書売り場である。わたしは日本橋人形町の産業用エレクトロニクスの輸入商社に勤務していたときに、暇を見つけては日本橋丸善で2時間ほど仕事関係の本を読み漁っていたから、「丸善」の文字にも惹かれた。歩いて10分ほどの距離だったから、「丸善に行ってきます、3時間後には戻ります」、それでよかった。1.5倍の時間でおおよそ人の3倍の仕事量をこなしていたら、時間は自由になる。丸善で本を探すことが仕事の質を上げると上司は了解しているから、にこっと微笑んでOKしてくれる。仕事が期限を遅れたことはその会社でも一度もない。期限通りか、期限前にいつも仕事は完了していた。ようするに信頼関係があるかないかが重要なのである。上司が見ていようといるまいと、仕事をサボることや手を抜くはない。土日のどちらか片方は購入した専門書を読むことに5から12時間ほど当てていた。時代の先端で仕事をするとそういうことになる。丸善へ行くのは、国内で出版されている本では間に合わないので、米国で最近出版された専門書を物色に行っていた。最先端の専門知識を得るためだから、本代は自分への投資と考え、立ち読みして厳選し、コンスタントに月に2万円ほど買っていた。それでもたまに翻訳本で外すことがあった。翻訳が雑すぎて日本語が理解できない箇所が頻繁に出てくるものがシステム開発関係書籍には混じっていたのである。我慢して読んでも50ページが限界、必要なら原書を丸善で探すしかない。当時(Ⅰ978年9月-1984年1月末)はアマゾンもインターネットもなかった。
 物語の舞台は日本橋ではなく京都の丸善であるが、時代を超えて店のつくりと雰囲気は似たようなものではなかっただろうかと想像しながら読む。

 主人公は京都丸善で大判の美術書を次々と棚から取り出してはぱらぱらとめくるだけで、横積みにしていく、それを繰り返すから色とりどりの表紙の美術書が乱雑に山積みになっていく。その頂の天辺に果物屋で買い求め、着物の袂に入れてあったレモンを載せたのだ。黄色いレモンが乱雑に積みあがられて画集の頂に鮮やかな黄色で燦然と輝いているのが見えるようだ。主人公はそれを爆弾に見立てているのである。丸善を出て十分後にそれが大爆発して丸善が崩壊するさまを想像して歓んでいる。
 冒頭の鬱状態の記述からはじまり、最後は躁状態になって終わる、気持ちの転換を丸善と云う舶来品と高価な本を売っているお店を舞台にして描いてみせる。
 アンダーラインの部分は並みの小説家には書けない文である。色とりどりの大判の美術書をごった煮のように積み上げ、その上に鮮やかな黄色の檸檬を載せてみせる。矩形の美術書と紡錘型の形の檸檬、まるで完璧に描かれた一枚の絵を見るように鮮やかに情景が浮かび上がる、その表現のうまさにほとほと感心してしまった、無駄がなく手際がよい。

 わたしがいま横に置いているのは、筑摩書房 定本限定版現代日本文学全集『梶井基次郎集・三好達治集・堀辰雄集』である。昭和42年発行、女房殿が高校を卒業した翌年に購入したものだ。百冊セットで揃っている。150倍の難関をパスして某有名企業の本社直轄部門(北海道酪農事務所(札幌支店とは別組織))に就職していたが、最初の冬のボーナスを全部つぎ込んだのではなかったか。昭和43年の大卒初任給は29100円である。この本のセット価格は10万円を超えていた筈。当時、本はいまよりも高かった。19歳の冬、思い切った買い物をしたものだ。
 すばらしい全集だが、とっくに絶版になっている。日本文学全集は売れないのだろう。
 (女房殿は東京へ来てからも、外資系製薬メーカで昭和43年当時給与が一番高かった日本○○○社の就職試験にも合格しているが、こちらは合格しただけで行かなかった。勤務場所が嫌で、せっかく東京に来たのだから、都心の国会議事堂の近くの会社を選んだ、いい時代でした。

*日本の大卒初任給
http://fortheopensociety.blog17.fc2.com/blog-entry-128.html

 塾をやめたらこの百冊をゆっくり楽しみたい。凝った装丁の漱石の初版復刻全集もまだ全部を読んでいない。太宰治全集はまだ3冊ほどしか読み終わっていない。時間は限りがあるというのに、ほんとうに全部読む時間が残されているのだろうか?
 このほかにブルバキ数学原論シリーズにも目を通したいと欲張りなことを考えている。30冊ほどある。当初の目的(公理的体系構成を新しい経済学体系の記述の理論的裏付けにするというライフワーク)はすでに果たしたから、さしてこのシリーズを読む意味がなくなってしまったのかもしれない。
 すっかり根室の身体に戻っているから、いずれ東京へ戻らなければならないが、一夏で脱水症状を起こしてアウトかもしれぬ。コップにいっぱいの水でも一気に飲むと下痢を起こす、下痢は急激に体力を奪う、水分の取り方が課題だ。自分の楽しみに時間の大半を費やすのだから、週に一度くらいボランティアで中高生に教える機会があればよい。先のことはわからない、歩けるところまで歩くのみ。


< 余談 >
 檸檬というと、福島県郡山市駅前の柏屋さんの銘菓「檸檬」を思い出す。檸檬風味のチーズケーキ、「薄皮饅頭」で有名なお店だ。

*檸檬(れも) - 柏屋オンラインショップ |


< 余談-2: 教えてほしい日本文学史 >
 高校生には1単位でいいから、日本文学史の授業をやってもらいたい。日本には古典文学の宝庫があるだけでなく、明治以降もすばらしい作品が山と積まれている。若い人たちが本を読まないのは、日本文学についての知識が乏しいこともある。どんな作品があり、どのようにすばらしいのか知れば好奇心がわく。


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