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#3266 さわやかな挨拶 Apr. 5, 2016 [63. チャレンジ(教育)]

 合格発表の後、根室高校新入生には宿題が出ている。その宿題が終わるまでは責任をもって教えることにしている。いわゆる「アフターサービス」というものだろうか。
 昨日、2次関数や図形の問題を質問に来た生徒がいた。全部やりおわってから、すくっと立って、
「半年間、ありがとうございました、自信がつきました」
 とさわやかな挨拶をしてくれた。

 3年生の夏休みが終わってから来た生徒で、最初の3ヶ月はどうせやったっていまさら手遅れだしというオーラが出ておりあきらめた様子だった。
 変化が出始めたのは3ヶ月してからである。3人の生徒が猛然と勉強しだしたら、釣られて勉強に熱が入り始めた。基礎からやるのだからちょっと恥ずかしい、質問の内容によっては黒板を使わず机の横に行って紙に書いて説明するくらいの気は配った。やる気がでたら吸収が速くなった。数学の基礎計算がわかり始めるとさらに意欲的になった。相乗効果は英語にもでた。
 学力テスト総合ABCは得点が横ばい、最後の2月の模試の五科目合計点に比べて、入試では61点アップ(300点満点)の点数をたたき出した。自己採点して点数を集計した本人が一番結果に驚いていた。電話で報告する声にうれしさがあふれていた。

 たいていの生徒はやればできるのである。入試問題は難しくない、基礎的なところをしっかり抑えてしまうだけで、3ヶ月本気でやれば大幅な点数アップとなって結果を出せることがあるからあきらめてはいけない。

 高校の授業が始まったら、中学校時代とは打って変わって真剣に先生の講義を聞くだろう。そしてしっかり就職してもらいたい。これから3年間大きな成長を期待しています。


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コメント 4

tsuguo-kodera

 やる気になればきちんと挨拶、礼ができる。声を出して挨拶し、別れの挨拶をできる子は伸びる。外見と形に心が表れています。
 情けない親や先生の心は如何に。その心が育てる子の心は悲しい。子供は大人の背中で育つ。
 なんだか分かりませんが、突然五木の子守歌が私の頭に響き始めました。南無阿弥陀仏。訳が分かりません。
by tsuguo-kodera (2016-04-06 07:07) 

ebisu

koderaさん、おはようございます。

五木の子守唄が鳴り響きましたか。
わたしは挨拶を聞きながら、大きな成長を感じて、嬉し涙が出そうであわてました。

若い人は知らないでしょうから、koderaさんの頭に鳴り響いた五木の子守唄の歌詞を貼り付けておきます。団塊世代は誰でも知っている懐かしい歌です。日本的情緒が心にしみます。

*http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/itsugino.html
----------------------
おどま盆ぎり 盆ぎり
盆から先ゃ おらんど
盆が早よ来りゃ 早よもどる

おどまかんじん かんじん
あん人達ゃ よか衆(しゅう)
よかしゃよか帯(おび) よか着物(きもん)

おどんが打死(うっちん)だちゅて
誰(だい)が泣(にゃ)てくりゅきゃ
裏の松山 蝉(せみ)が鳴く

蝉じゃ ごんせぬ
妹(いもと)でござる
妹泣くなよ 気にかかる

おどんが打死(うっちん)だば
道端(みちばた)いけろ
通る人ごち 花あぎゅう

花はなんの花
つんつん椿
水は天から 貰い水

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子守奉公に出された子どもが、遠くのふるさとを思って歌うとっても切ない歌です。
わたしには歌えません。
歌詞の意味を解説しているサイトをご紹介します。

http://www.vill.itsuki.lg.jp/komoriuta/komoriuta_kashi_imi.html

日本人が日本的情緒を失えば、こういう日本的情緒にあふれる歌も出てこなくなります。
昭和は遠くなりにけり。
by ebisu (2016-04-06 08:05) 

tsuguo-kodera

 管理人さんのコメントバックで私の記憶がカムバック。なぜこの子守唄なのか、以下に書いた以上にたくさん理由があるようです。
 まず私はあいうえおがやっと区別できるだけで小学校に入学しました。国語教科書の音読など全くできず、先生がテープレコーダーで全員の音読を記録し父兄会で再生したそうです。
 何度も色々なブログで書いたことで、申し訳ありませんが、母は蚊の鳴くような声、恥ずかしかった、頭が痛くなった、お前晩御飯のおかずを作ってくれといって寝込んでしまいました。勉強などしたことがなかったから仕方がありませんでした。
 その先生はクリスチャンの及川先生、及川クラスは6年間楽しく過ごせた良いクラス。もちろんたくさん事件はありました。でも今でもみんな仲良しです。主婦もとんでもない弁護士もです。
 そのクラスの1年生の時、赤い椿の見事な木が教室の前にあり、私たちは椿組、この赤い花が教室の目印ですと及川先生が入学式の次の日に言いました。酷い雨の日でした。でも、私は赤い椿の花が好きになりました。
 お彼岸かお盆に、母が墓参りに行く、花を買ってゆくと言って私と一緒に出かけました。墓は都心、ソ連大使館の前、世田谷からは結構なお出かけでした。
 途中で花屋さんに渋谷でよりました。私は赤い椿が好きだから椿にしようと言いました。すると母は椿は花がぽろっと落ちる、お見舞いには演技が悪い、お墓には使えないと言ったのです。
 だから子守唄は椿なのでしょう。花も供える人は居ない、備えてはいけない花が飾られる、と私はりかいしているのです。
 管理人さんのリンクされた記事は表面的な説明しかなく、私の記憶を思い出した理由が分かりません。気が付いたので、付言させて頂きました。
 ここから本当の理由かも。祖母と祖父の入っていた、今は父も母も入っているのですが、その墓参りにまつわる話は本1冊以上の物語にできるでしょう。
 私のような粗暴者が、高校や大学でも勉強ができる真面目な男だと上辺からだけでも言われるようになったのは、墓と赤い椿の花に関係したいろいろな出来事があったからでしょう。
 及川先生は今は90歳少し前、本当に素晴らしい優しい先生でした。以前バドのブログに先生の思いではたくさん書きました。父と母が元気だったときは管理をさせられていたのですが、母が死んでから私はしていません。望まれていないからです。
 だから私は零円の霊園なのです。(笑)
 南無阿弥陀仏。
by tsuguo-kodera (2016-04-06 14:22) 

ebisu

koderaさんの椿の解説で、この歌の含意があざやかに浮かび上がりました。

椿がお墓にはまったく向かない花であることはこの歌ができた当時は日本人の常識でした、いや、いまでもそうですね。
病気見舞いに椿の花をもっていく人はいませんし、ましてお墓に椿を供える人がいるはずもありません。

自分の人生を椿に仮託して、わたしのお墓に供えるのは椿こそがふさわしいと言っているのですね。生きることへの諦めが歌われています。

どうやっても幸せな未来を夢見ることができない薄幸の少女の心情が伝わってきます。
by ebisu (2016-04-06 14:46) 

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