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#3196 四段階ある作文指導工程:「創造性+文書能力=鬼+金棒」  Dec. 6. 2015 [47. 語彙力と「読み・書き・そろばん」]

12/7 朝8時 追記

 作文指導の仕方について、1ヵ月半ほどあれこれ取り上げてきたが、その工程は四つくらいに分けて論ぜられるようなので、あらためて整理してみたい。

第一段階:短文章
第二段階:小論{要約・感想文・作文など}と視写
第三段階:ビジネス文書
    {稟議書・協議書・提案書・業務報告書・通信文など}
第四段階:小説や論文

 文章を書くことを量と質の両方から分類して見ると大体こういうことになるのではないだろうか。一人ひとりの能力には差が大きいので、こういう順序で教えるべきだというのでは必ずしもないのではあるが、物事は分けて論じたほうがわかりやすい。

 短文章トレーニングは#3195でとりあげた、姿勢や鉛筆のもち方なども正しい方法を身につけさせるいい機会であるから学齢期を迎えた児童に家庭学習としてやらせたい。この段階は、家でやる勉強が楽しいものだということを体験を通して理解させられたら大成功である。子どもは自ら進んで学習する習慣が身につくだけでなく、勉強の好きな子になる。自我が育つ前にこうしたことを刷り込んでおくのは、春の半ばに種を撒くのにたとえられる。家庭学習を通じて、鉛筆のもち方や姿勢を躾け、集中力を養い、勉強が楽しいものであることを体験させる旬の時期だということ。季節季節でやることが違うのは、農作物を育てるのも育児も同じである。

 さて、第二段階は本を読ませて章単位で文章の要約をさせたらいい。文章を書くことにおいて読書は土づくりのようなものだ。土に力がないと丈夫な作物は育たない。本を読みながら会話言葉にはない文章語の語彙を増やせば、書く文章も実り豊かなものになることはいうまでもない。文章を書くことと本を読むこと(音読)は作物と土づくりにたとえることができる。

 「要約」は二百字だと大変だから、四百字詰め原稿用紙1枚に要約させるのがよい。適当なテクストを選び三色ボールペンで粗筋に青、大事な箇所に赤、面白いと思った箇所に緑の線を引く(斉藤孝三色ボールペンメソッド)。それをベースに四百字にまとめるのである。青線部分を削る作業が中心になる。客観的な作業である。

 感想文はもちろん読書なしにはなりたたない。「要約」をベースにして自分が感じたことを書けばよい。「要約」があれば全体の中でどの部分に自分が焦点を当てたかが客観的に自覚できると同時に、自分の主観的な関心事が何かわかる。いくつか書けば自分の関心の方向についての傾向もわかってくる。そういう前作業をして感想文を書いた子は、同じ本を読んだ他の人の感想文と比較してみたらとっても楽しいだろう。他の人の作文の鑑賞眼も同時に育つのである。

 作文は試行錯誤してみたらいい。書きたいことを箇条書きにしてみて、それらを3~5項目に絞り、相互の関係を分析してみる。おのずと書いていく順序が決まるだろう。
 いきなり書き始めたってよい、とにかく数をこなすことが大事だ。

 文章を作るときに使える語彙が多いほどさまざまなニュアンスを書き分けられるから、ふだんの語彙収集が大事だ。そういう理由で、第二段階へ進んだら、良書を選び積極的に音読トレーニングをしたらよい。語彙が増えるだけでなく、読んだ文章のリズムが身体に染み込んできて、書いたものにリズムがでてくるのが音読の2番目の効果である。お手本となる良書の音読経験が多くなるほど、自分が書いた文を音読したときに、リズムのおかしな箇所がわかるようになる
 好きな書き手の文体を真似てみるのもよい、これには「視写」が効果がある。たんたんと文章を写すのである。永井荷風の切れのよい文体、和漢混交文の最高峰である『平家物語』、気に入っている学者の文体など、自分の好みと目的に合わせて選べばよい。
 第2段階は夏の季節だ、芽を出した作物は土から養分を吸い上げ、陽の光をいっぱいに浴びてぐんぐん育っていく。

 第三段階は実りの秋の季節である。春と夏をしっかりすごした作物は、秋に大きな実をつける、それがビジネス文書だ。
 ビジネス文書は言いたいことを3~5項目に絞る。絞りきれないときには階層構造にすればよい。結論を先に書くということも大事なマナーだ。ビジネス文書の要諦は、決裁権限者が承認印を押せるような説得力のあるものに仕上がっているか否かである。具体的で、実現可能でなければ役員たちは承認印を押せないから、やりたいことをやるためには、関係者全員がわかるように、平明で具体的に書くことを心がける。ビジネス文書には、名文も、難解な学術論文スタイルも必要がない。
 要点の絞り方にも資料の作成の仕方にも工夫がいるから、ビジネス文書では複数の専門知識だけでは不十分で、創造性(智慧)が要求される。一番上に、A4用紙1枚に内容をまとめて箇条書きにしたものを添付すれば、読んで判を押す役員たちが「ことの全容」を理解するのに役に立つ。
  そういうわけで大会社になればなるほど、自分が社長にならずともやりたいことはいくらでもできる。創造性があり、実現手順を明確に示した企画書が書けたら、200億円の投資を伴う事業案件でも、自分の好きなようにやれるのが大企業というもの。
 ビジネス文書についてはある方程式が成り立っている。社内だけではない、社外についても同じことが言える。社外というのは、数社でなければできないスケールの大きい新規事業、合弁事業、産学共同事業などである。

     創造性+文書能力 = 鬼+金棒


 第四段階は特別な作物を育てるのに似ている。
 小説や論文だから、それを書こうというぐらいの人なら、そのお作法については、しかるべき人を選んで教えを請うか、自分で調べたらいい。特別な作物を育てるには、手間のかかるのはあたりまえと心得よう、他人と同じ努力では特別なものはできない。
 何より大事なのは中身であるから、大きな創造性(智慧の働き)が要求されることは言うまでもない。

 文章を書くことはアウトプットである、アウトプットの品質は良質のインプットによって支えられていることは言うまでもない。さまざまな分野の本を読み、使える語彙の範囲を広げ、タイプの異なる文章リズムをたくさん身体に刻もう。
 できれば、小学生かおそくとも中学生の時期に濫読期を通過しておきたい。滝水に打たれるがごとく、日本語語彙を浴びる季節をもちたい。人間の思考は言葉とイメージと情緒で成り立っている。濫読期が過ぎたら読む本のレベルをぐんぐん上げてしまおう。
 高いレベルの基礎学力をもち、高校卒業までに興味のある分野の専門書や哲学書を読み漁れば、大学生になっても社会人になってからでも、仕事で必要な専門書(英語で書かれたものも含めて)を読みこなすのに困ることがない。
 時代の最先端の仕事をまかされてもたじろがない自分をつくりあげたらいい。そういう仕事をマネジメントするには、英語で書かれた専門書や雑誌論文の類を読んで、自分のアイディアや仕事の進め方のチェックせざるをえなくなる。日本語で書かれた専門書や論文の数十倍の分量が英語で書かれているから、これらの智の泉にアクセスするには日本語読解力基礎的な数学能力英文読解力の三つが必要である。

 平明な文章を書くか、難解な文章を書くかは、想定する読み手がどういう人かによって違ってくるだろう。このあたりになると、各人の文章スタイルがあるので、一概にこういうのがよいとは言えない。身についた技が条件に応じて自然にでてくる、「守破離」の離の段階であるから、あるがままでいい。




*#3154 日本語読み・書きトレーニング(1) Oct. 11, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-11-1

 #3155 日本語読み・書きトレーニング(2):総論 「読み」と「書き」 Oct. 12, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12

 #3156 日本語読み・書きトレーニング(3):先読みの技 Oct. 14, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-14

 #3157 日本語読み・書きトレーニング(4):「書き」の「守・破・離」」 Oct. 15, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-14-1

 #3158 日本語読み・書きトレーニング(5):数学と「読み」のスキル Oct. 16, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-15

 #3159 日本語読み・書きトレーニング(6):数学と「読み」のスキル-2 Oct. 19, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-19

 #3195 家庭学習習慣の躾は小学1・2年生のうちにやるべし Dec. 4, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-12-04

  #3196 四段階ある作文指導工程  Dec. 6. 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-12-05


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コメント 6

tsuguo-kodera

 分かりやすい説明をありがとうございます。作文についてはこの説明で尽きているように私も思っています。十分条件だと思いました。若い小中の先生が真剣に読んでほしい文章だと思いました。特に国語や社会の先生がです。ありがとうございます。
 一方で、創造性は作文の上位概念だと私は位置づけています。概念体系で言えば、木構造の上に位置付けています。創造性開発ありきなのです。学校の成績とは間接的な関係しかありません。考慮の外だからです。
 すなわち作文も小論も創造性を開発する目的の手段としての課題の一つです。創造性は自己推薦試験や入社試験や、恋愛やシュウカツで一番役立つ能力のようにも思えています。
 正しい創造性を分解すると、人へのやさしさ、発想、思考、知識に私はしています。平たく言えば思いやり、粘り、時間厳守など、スポーツで容易に育てられる特性です。でも私は小論で受験生を育てたと自負しています。逆に体育館でバドをしてこれらを育めるはず、しかもできていると自負しているのです。ここでは作文にはあまり拘りはありません。
 自己推薦試験や入社試験は作文能力で求められるのはごく一部です。小論に毛の生えた程度、またはその一部かもしれません。会社でもです。仕事ではむしろ1ページでまとめられないと失いかねない。名文はダメでしょう。
 鬼に金棒は私の本の章の名前にあり、1ページの大きな挿絵絵があります。今それを、高校生活と仕事を前面に出し、高校生がリライトしてくれています。
 本当に言葉は不思議ですが、確認は今年度末まで待って居てください。それまで私たちが元気であることを祈っています。南無阿弥陀仏。
 
by tsuguo-kodera (2015-12-06 04:51) 

ebisu

koderaさん

おはようございます。

>正しい創造性を分解すると、人へのやさしさ、発想、思考、知識に私はしています。
>平たく言えば思いやり、粘り、時間厳守など、スポーツで容易に育てられる特性です。

創造性は慈悲の心と発想と思考と知識がクロスオーバーするところで生み出されるものですか。全部をまとめているのは情緒(心の核心部分)でしょうね。

作文は垢にまみれた概念ですが、わたしは「文をつくる(創る)」という意味で使っています。
創造性の発露は文を作ることに限らず、曲を創ることにも、詩を創ることにも、遊びを創ることにも、学問をすることにも現れます。
そういうさまざまなものが次から次へと出てくるびっくり箱が創造性なのかもしれません。
ひょっとして智慧のブラックホールがあり、そこからホワイトホールにつながっていろんなものが出てくるのではないでしょうか。

「鬼に金棒」が著書の章のタイトルになっているのですか、面白い偶然です、なにかが感応しているのでしょう。

数学者の岡潔先生が、『情緒と日本人』の中で純粋直感が働く条件に言及しています。そういうものが働いているのかもしれません。
何かを受け入れるとき、何かをするときは利害損得は全部棚に上げてしまって考え・判断するのがベスト。
天が用意してくれているので、人間の考えの及ぶところではない、だから考える必要はない。
自我が考えることは雑音にしかならない。
岡潔先生は自我に対して「真我」という用語をよく使われます。

晴れです、庭の雨水受けバケツに厚い氷が張っています。その上に塩をまいたように薄く白く粉雪が乗っています。根室もすっかり冬になりました。季節の移ろいが心にしみるしずかな朝です。
by ebisu (2015-12-06 08:36) 

tsuguo-kodera

 いつも過分のコメントバック、痛み入ります。でも、一言付言させてください。創造性は誰もが持って生まれている能力だと私は信じています。右利きが左手を上手く使えないのも後天的。右腕を開発した代償が不自由な左手なのでしょう。
 ところが創造性は他の知識に影響されず、何時でも簡単に開発できる能力だと私は信じています。何時も言っているように、半年、週一回、1単元、45分で十分すぎる時間だと思っています。
 そのうち小論は2か月で十分すぎます。または半年の10分程度でできるはず。中学生でも高校生でも社会人でもです。
 なお、一番難しいのは自分を知ることかもしれません。天と地と人を調和させ中庸を目指すことが自分を知ることの最初の一歩目だと思うのです。中庸とは意見の中間をとることではありません。平均値ではありません。儒学の中庸の意味でです。平均値をとると上と下の本質要因が隠れてしまうと私は考えています。
 生徒さんと長く付き合い、世界が狭くなった先生が自己と社会や組織と調和させ、中庸の道を選ぶことがなかなかできないのかもしれません。少なくとも、先生にとって苦手な領域だろうと私は考えているのです。
 蛇足の再コメントになり、失礼しました。
by tsuguo-kodera (2015-12-06 09:56) 

ebisu

誰にでもできるという点からは、中庸も創造性も同じですね。
べつに何かが要るわけではありませんから。
だからむずかしいのでしょう。

遊びにも創造性が現れることを考えたら、創造性は無から現れるようにみえます。
子どもたちがさまざまな遊びを発明するのは、だれかに教育されてのことではない、自ら生み出してしまいます。

創造性はいろんなところで、さまざまな形で現れますから、いくつかの要素が絡み合うところで出てくる触発型の創造性もあります。異分野の専門知識がクロスオーバーするところで生まれる創造性です。

> 生徒さんと長く付き合い、世界が狭くなった先生が自己と社会や組織と調和させ、中庸の道を選ぶことがなかなかできないのかもしれません。
>少なくとも、先生にとって苦手な領域だろうと私は考えているのです。

世界が狭ければ、その中にとどまる限り「中庸」は見つからないのでしょう。現実生活でそこから出ることが適わないなら、意識の上で出るしかありません。
自分を縛っているさまざまな制約を外して考え・行動するためには、まず自我を棄てないといけません。
平等性智でものごとを眺めることができるところまで心境が進めばわかるのでしょう。
慈悲心で世界を眺める、なかなかできないことです。
岡潔先生は「菩薩道」と言ってます。

> そのうち小論は2か月で十分すぎます。または半年の10分程度でできるはず。中学生でも高校生でも社会人でもです。

これはすごい。2ヶ月あるいは半年で「金棒」を手に入れた子どもたちは幸せ者、先が楽しみです。現役の先生たちにそういう指導ができる人が増えてほしい、子どもたちの未来が明るくなります。
by ebisu (2015-12-06 11:03) 

ZAPPER

人間の思考は言葉とイメージと情緒で成り立っている。

けだし名言なり。
子どもの教育の原点はまさにここですよね。
情緒こそがもっとも重要なもの。
by ZAPPER (2015-12-07 15:56) 

ebisu

ZAPPERさん

わたしはいままで人間の思考と情緒を切り離して考えていました。だが、それは浅はかでした、情緒=こころのありようが違えば、考えることも違ってきます。

たとえば、憐憫の情、これがあれば弱い者をいじめようなんて考えはでてきません。弱い者をみたら、
「かわいそう」⇒「なんとかならないか」⇒「」なんとかしたい」
と心が動きます。
情緒のありようが人間を人間たらしめているようです。情緒は人間の倫理観の源と考えるべきなのでしょう。

ふだんの授業を通じて、情緒を育むことも考えるべきですね。
おっしゃるように、それこそが一番大事なものなのでしょう。
by ebisu (2015-12-07 17:29) 

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