#3192 先例から学ばぬ地元企業の未来はどうなるのか Nov. 29, 2015 [11. 中小企業家育成コラム]
11月22日の北海道新聞に「生かせ海の幸 ④外国人実習生 その後」という記事が載っていました、ご覧ください。
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生かせ海の宝
4 外国人実習生その後
母国で日本のPR役に
10月下旬、秋サケ漁が最盛期を迎えた根室市。水産加工会社カネヒロの工場で、サケ切り身加工や包装に黙々と取り組む女性たちがいた。ベトナムからやって来た外国人技能実習生だ。作業員約110人のうち彼女らは20人。同社社長で根室水産協会会長 ... は「彼女たちがいなかったら根室の水産加工業は成り立たない」と語る。...
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【承】
この記事を読み思い出したことがあります。
ずいぶん昔、団塊世代のebisuが小学生のころの話です。根室の町は昭和30年代に全盛期を迎えていました。そのころタラバガニがとりすぎて、水産加工場で処理できず、冷凍設備もないので海へ投棄していた時代でした。足を伸ばして持ち上げると1.5mもあるような巨大なタラバガニがたくさん混じっていました。いま買おうと思ったらどれくらいするのでしょうね、3万円はくだらないでしょう、そういうタラバガニを年に10回は食べられたのです、その茹でたてのおいしいこと。獲れすぎると処理しきれず従業員の皆さんが食べるために持ち帰るか棄てていたのです。大きなものだと関節一つ分の棒肉は30cmほどの長さがありました。子ども心に当時は水産資源が無限にあるような気がしていたものです。高度経済成長の波というのは人間の感覚を狂わせてしまうようです。穏やかな成長の中でなければ正常な心は機能しなくなるのではないでしょうか。
根室には北海道最大の水産加工会社、日本合同缶詰株式会社がありましたが、それが昭和50年代に倒産します。直接のきっかけは富良野に出した野菜缶詰工場・事業の失敗ですが、その前から経営破綻の兆候が出ていました。
本社はイエスマンばかりで忍び寄る危機に鈍感でしたが、現場は敏感でした。昭和30年代中ころから工場に女工さんが集まらなくなり始めたのです。
4工場に女工さんと男工さん合わせて800人ほどが働いていました。地元のお母さんたち、青森や道南からそして根室管内の各地からの中卒の出稼ぎ女工さんたちであふれていました。琴平神社のお祭りには、男工さんの金棒のシャンシャンという音がぴたっと揃って実に見事なものでした。あれは腕力がなければできない技です。女工さんたちの行列も華やかでした。町には活気が溢れていましたが、そこが頂点だったのです。
昭和30年代中ごろになると、道内各地にさまざまな工場ができ、まず女工さんが集まらなくなりました。本社と工場現場に溝ができて、愛想をつかして工場運営の扇の要の役割を果たしていた男工さんたちがぱらぱらとやめて道内の他の地域へ去っていきました。女工さんが集まらなくなっているのに経営改革をまったくしようとしない本社にあきれて、仕事に希望がもてなくなったのです。そのころは女工さんたちは土間に2段ベッドの宿舎に寝泊りしていました。そういう居住環境の改善すら現場の意見が通らない有様でしたから、道内のほかの業種で女工さんの寮が充実していけば、そちらへ就職するのは当然です。
道内のほかの工場と処遇に格差が広がったら、人は集まらない。集まらなくなればやっていけなくなるのはモノの道理です。モノの道理がわからない人が根室の地元企業経営者に多いことは今も50年前も変わらない。モノの通りは、周りの雰囲気に呑まれていたら頭の中から飛んでいってしまいます、基礎学力と広い教養を武器にして地に足つけてじっくり考えてみないとわからないものです。
【転】
もうずいぶん前から根室の水産加工場には中国人の技能実習生がたくさん入っていました。わたしが古里に戻ってきた2002年の11月にはすでにスーパーで集団で買い物をする中国人が普通の風景になっていました。ところがそれが変わり始めました。根室市長がベトナム秋刀魚輸出で旗を振り、それに迎合した水産加工業数社がベトナム人を雇い始めたのです。中国人の減少は中国国内の賃金が上昇し、日本の水産加工場への出稼ぎの魅力が相対的に薄れたこともあるでしょう。その隙間を埋めるようにベトナム人が増えました。
こうして根室の一部の水産加工業者は経営改革の絶好のチャンスを失ったのです。
人手が足りないというのは経営改革をしないと破綻に追い込まれるというシグナルで、改善のチャンスだったのです。そういう大事なときに市長がベトナムへの秋刀魚輸出という旗を振ってしまいました、実にまずいタイミングでした。中国人もベトナム人も、滞在2~3年の技能実習生です、ベテラン女工さんたちの技能はいったいだれが受け継ぐのでしょう?
根室の水産加工場は60-70歳代のおばちゃんたちの技能で品質管理が維持されています。そういう人たちが、退職し始めています。30年、40年と同じ仕事を続けてきたから、その技能は半端なものではありません。魚を真空パック詰めするときに、形が不ぞろいだったりすると、ベテランのおばちゃんたちは瞬時に判断して、入れ替えます、そういう目配りができます。各生産工程でさまざまな品質管理上の技能があると聞きました。ところが水産加工場には60歳代以上のベテランのおばちゃんたちから技能を受け継ぐ20歳代、30歳代の若い人がほとんどいません。水産加工場には技能を受け継ぐしっかりした若い人がほしい。
工場に地元の若い人が就職しなければ、そうした技能が引き継げません。年齢を考えると地元の若い人たちに長年培った技能を引き継げる期間はあと10年余にすぎません。そうした貴重な十年をベトナム人の技能実習に費やせば、十年後に会社がどうなるかは想像がつきませんか?
将来、品質管理技能のかなりの部分が失われ、品質が落ちます。消費者は品質に敏感ですから、売れなくなるとか、品質低下に応じて値段を下げなければならなくなります。資源量が減少することを考えると、水産加工業者にとって、品質低下は致命傷になるでしょう。
水産資源量の減少を予測して、根室は付加価値の高い高度な加工技術の開発をしなければなりません。11月15日に開催された「教育シンポジウム北海道」でJA浜中農協の石橋組合長は「地方の農業にこそ大企業に勝る優秀な職員が必要」だと仰っていましたが、根室の水産加工業にも同じことが言えませんか?
【結】
技能伝承が可能な期間は長く見積もっても十数年しかありません。
ここからは新聞記事が取り上げていた会社の話ではなく、一般論ですから、思い当たる企業が多いでしょう。
同族経営で役員のほとんどが自分の家族、そして従業員の処遇を省みない、それでは地元の高校を卒業した若い人たちが就職したがるはずもありません。
経営改革は当たり前のことを、当たり前にやるだけですが、それが痛い。やれば生き残るチャンスが大きくなりますが、当面の痛みがなかなか我慢できない、そんなありさまでは「わがままっ子」と同じレベルです。
「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」+「従業員よし」
給与規程や退職金規程、経理規程を整備してその通りに運用します。あの会社の社長は公私混同をしないちゃんとした人物だと周りの人たちが認めます。
事業分野のどこに重点を置いて伸ばしていくのか長期計画やビジョンを従業員に語ってほしいと思います。
長期目標を達成するために予算制度を導入して決算を従業員や取引先に公表しましょう。業績がよければボーナスを弾むと約束し、予算達成のときの配分予定額を従業員へ周知徹底します。従業員のことをちゃんと考えている正直な会社だということを経営者が行動で示します。
毎年度末には社員全員に今退職したら退職金がいくら支給されるのか文書で通知すればなおすばらしい。狭い地域ですから「あそこはいい会社だ」とすぐに評判になります。勤める親だって自分の子どもを就職させたくなります。
それくらいのことができなくてどうします、優秀な人材を確保したかったら、それくらいの企業努力は当然です。経営改革のやり方のわからない地元企業経営者はebisuをお訪ねください、教えてさしあげます。
ebisuは株式上場に3回立ち会った企業経営の専門家でもあります。こんな経験をした人間は北海道では一人だけでしょう、この経験智は根室の未来を切り拓く武器になりえます、古里のためにほしいという人だけにお分けします。(笑)
ebisuの目から見たら従業員が20人以上いるのに、決算すら公表していない企業は論外です。そういう閉鎖的な企業には少子高齢化の加速する根室ではもう若い優秀な人を集めることができないでしょう。
従業員の処遇改善努力と同時に経営改善努力をすれば人は集まりますから、経営のしっかりした優良企業は外国人労働者を雇う必要がありません。
経営改革をやらずに低賃金の外国人で間に合わせようなんて安易なことを考えていると、日本合同缶詰株式会社の二の舞になりますよ。わたしには安い労働力としてベトナム人の技能実習生を受け入れている水産加工会社が日本合同缶詰と同じ運命を辿りつつあるように見えます。
市政に関与しすぎると安価な労働力としてベトナム人雇用などという判断ミスが起きます、先を見ない聞くも愚かな話です。そういうことをちゃんとわかっていて、市政から距離を置いているまともな水産加工会社もあることを付け加えておきます。
閉鎖的で経営改革努力をしない地元企業に若くて優秀な人は集まりませんから、その未来は危うい。この地で生き残りたかったら、経営改革は必須条件です。若い優秀な人たちが競って就職したくなるような地元企業が増えてほしいと願っています。夢と希望をつなぐことのできる仕事を提供できる優良企業がふるさとに増えれば、人口減少はとめられるのです。
異論、反論は、コメント欄へどうぞ m(_ _)m
―余談―
《パトリオティズムのススメ》
パトリオットとは古里を愛し祖国を愛する者という意味です。パトリオティズムは偏狭なナショナリズムとは違います。地元経済界にパトリオットが「増殖」してほしいと願っています。
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*#1029 『現代語訳 帝国主義』幸徳秋水著・遠藤利國訳 May 16, 2010
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-05-16
#1030 nationalism とpatriotism :遠藤利國訳・幸徳秋水『帝国主義』May 17, 2010
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-05-17
【抜粋】
前回のブログ*で遠藤利國訳・幸徳秋水著『帝国主義』を採り上げたが、そこにナショナリズムとパトリオティズムは異なる概念であると書いた。
数学者藤原正彦のナショナリズムとパトリオティズムの二つの用語の使い分けについて『国家の品格』から該当箇所を引用して補足しておく。
「愛国心」ではなく「祖国愛」を
私はいつぞや、アメリカ人の外交官に「お前はナショナリストか」と訊いたことがあります。そうしたら、「オー・ノー」と否定されました。そこまではよかった。
ところが「パトリオットか」と訊いてしまった。そしたら「もちろんだ」といって今度は怒り始めた。自分が生まれ育った祖国の文化、伝統、自然、情緒をこよなく愛することは、当たり前中の当たり前である。外交官でありながら、そんな質問をされたことを侮辱ととったのです。明治になってから作られたであろう愛国心という言葉には、初めから「ナショナリズム」(国益主義)と「パトリオティズム」(祖国愛)の両方が流れ込んでいました。明治以降、この二つのもの、美と醜とをないまぜにした「愛国心」が、国を混乱に導いてしまったような気がします。言語イコール思考なのです。
この二つを峻別しなかったため、戦後はGHQの旗振りのもと、戦争の元凶としてもろとも捨てられてしまいました。わが国が現在、直面する苦境の多くは、祖国愛の欠如に起因するといっても過言ではありません。・・・ 私は愛国心という言葉は、意識的に使いません。手垢にまみれているからです。そのかわりに「祖国愛」という言葉を使い、それを広めようと思っています。言葉なくして情緒はないのです。(藤原正彦著『国家の品格』114ページ)
『国家の品格』が260万部も売れているのは単なる流行だけではなく、しっかりした論が展開されているからだろう。
手元にある辞書2冊をみると定義は次のようになっている。
Nationalism: 2 a great or too great love of your own country
Patriotism: When you love your own country and are proud of it
(Cambridge Advanced Learner’s Dictionary)
Nationalism: 2 the belief that your nation is better than other nations
Patriotism: strong feelings of love, respect, and duty towards your country
(Macmillan English Dictionary)
ナショナリズムはtoo great love of your own country(度を越した祖国愛)だったり、他国を省みない排他的なニュアンスがあるが、パトリオティズムにはそういう負のイメージはなく、生まれ育ったホームタウンへの素朴な郷愁や誇りにすぎない。しかしそれも程度問題で、容易に排他的愛国主義(ジンゴイズム)へと転化しかねない危うさももっている。
Patriotism can turn into jingoism and intolerance very quickly.
現代語への書き換えを担当した遠藤さんは、1975年当時早大大学院で哲学専攻し、ヴィトゲンシュタインを読む傍ら、ギリシア語やラテン語を勉強していた。私は彼のそういう姿勢にいい意味であきれてしまった。流行を追うと同時に流行から離れて長大な迂回生産をはじめていたのだ。西洋哲学の諸概念を検討するにはラテン語やギリシア語をやらなければ、深いところで疑義がどうしても出てしまう。正直な遠藤さんは、いい加減なところで自分をごまかしお茶を濁すことができなかったのだろう。あの当時のわたしの目には異色の人物に映っていた。
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70% 20%
かつては中国。その後、フィリピンにベトナム。現在はタイへ。こちらの状況を見る限り、水産加工業における受け入れ実習生の出身国が変化しつつあります。
ここのところタイの方が増えているそうですが、親日でかつ向上心のある勉強家が多いとのことです。企業側もまた、業務終了後に日本語を積極的に教えていて、思うに、ここ1・2年で実習生はタイに置き換わるのではと感じています。
一方、日本人従業員の確保は絶望的なまでに少ないのが現状ですね。60代・70代のベテラン女工さんが中心で、その下の世代はほぼ真空状態。
そもそも、原料たる鮭や秋刀魚が手に入らない。より一層、省力化と機械化を進め、労働力は外国人労働者に頼らざるを得ない。その傾向が一段と加速することと思います。
そうそう、賃金ですが、実習生斡旋業者へ支払う額を考慮すると、確実に最低賃金を上回ることになります。しかしそれでもそれに頼らざるを得ない。待っていたなら、いつまで経っても日本人従業員を集められないから。
今後は介護業界ももまた同じ状況になり、多くの業種もそうなっていくのだろうと思われます。だからこそ、「今」が重要なのだろうと思いますね。
by ZAPPER (2015-12-01 11:10)
こんにちは。
釧路はタイの技能実習生に変わりつつあるのですか。
ロシア200海里内のサケマス流し網漁が禁猟になり、安い原料確保が困難となると同時に、若い人がいないので技能伝承に支障がではじめ、水産加工業界は曲がり角に来ています。
20年後にどれほどの水産加工業者が残っているのか、経営の実態を見聞きすると心配になります。
外国からの技能実習生に支払う賃金は釧路では日本人の最低賃金を上回っているのですか、おどろきです。
水産加工場で働く女工さんたちの社会的地位が低いことも人が集まらない原因の一つになっているように感じます。
人の使い方、経営の仕方を工夫して魅力ある職場をつくってもらいたい。
業種は違っても、石橋さんのJA浜中農協がよいお手本になるでしょうね。
by ebisu (2015-12-01 13:05)
社会保険労務士として思うことです。
この地域の売り上げランキング。その、そこそこの順位に名を連ねる水産加工会社。でも、その労務管理の実態は、どんぶり、もしくはザル同様のところも多い。ebisuさんがご指摘の通り、そうした会社が多いですね。
たしかにみなさん、親分肌であって、良い人柄の経営者ではある。でも、あまりにどんぶり過ぎ(笑)。そうした方が多いですね。社長がプチ・カリスマのオヤジであって、それがゆえに、後継者育成は後手後手に。
反対に、後継者育成に力を入れてきた会社は、鍛えられて足腰が強い(でも、労務管理は結構アバウトですが…)。そうした事実、否定はできませんね!^^;
by ZAPPER (2015-12-01 22:03)
水産加工会社で外してはならない大事なことのひとつに労務管理があります。
昭和30年代のカニ缶詰の高度な加工技術は現場の人たちの工程改善努力の集積で成り立っていました。
だから人を大事にしない企業には高度な水産加工技術が集積もその伝承もできないのです。
加工技術をレベルアップしたかったら、従業員を大事にするしかありません。口で言ってもダメです、具体的な経営改革を伴わないと信用されません。
資源量が逓減していく中で、高度な加工技術を開発できない水産加工会社はジリ貧になって消えていきます。
JA浜中農協の石橋組合長は11月15日の「教育シンポジウム北海道」のパネルディスカッションで「地方の農業こそが大企業よりも優秀な人材が必要だ」と言い切りましたが、水産業もまったく同じです。
主力の水産加工業が発展すれば、この地に残る若い人たちが増えます。
水産加工会社は、どんぶり勘定の経営から、諸規程を整備し予算制度を取り入れたスマートな企業に変身してもらいたい。
会社の諸規程の整備は社会保険労務士であるZAPPERさんのお得意の分野です。
東証Ⅱ部上場用件を満たす企業経営についてはebisuが専門家です。上場というのは会社経営の基本に忠実に制度を整備して、実行するだけのことなんです。そんなに難しいことではありません、基本に忠実に当たり前のことを当たり前にやるだけです。規模の小さな会社の経営でも会社経営の基本は同じです。規模に応じてアレンジすればいいのです。
本を読み独力で勉強したっていい。
経営改革をしようという水産加工企業の経営者がいたら、応援しますよ。本を読んでわからないことがあったら、いつでもどうぞ。
パトリオットのebisuにとっては古里のためのボランティア活動です。 (笑)
by ebisu (2015-12-02 08:49)