SSブログ

#3082 利便性の追求の果てには何があるのか July 15, 2015 [A1. 資本論と21世紀の経済学(初版)]

<更新情報>
7/17 朝10時半 諸々追記

 昨日の最高気温は27.6度だった。先週土曜日から最高気温が27度台の日が多い。昨夜の強風が雲をすっかり掃除してしまったので、今日はおそらく根室の今年の最高気温、30度くらいになるだろう。夏でも寒冷な根室はエアコンのついているうちはほとんどない。生徒たちは27度になったら暑くてのびている。
(真夜中に7.9m/秒の南風が吹いていたのが、朝方に西風に変わり9時に26.5度、その後11時に北風に変わったら、正午には20.1度に急降下、14時には17.0度。(15時30分追記)

 #3079で鉄道の廃線に絡んで、自動車と鉄道のコスト比較をしてみたところ、ハンドルネームもやしさんまさんから、一理も二理もある次の趣旨のご意見をいただいた。
 輸送コストの比較をしても意味がない利便性が違う、というのが根拠の一つ。たとえば、釧路の病院へ通うのに鉄道は駅までしか行かないから、そこからまたタクシー代が掛かる。また、買い物に行く場合には、車だとショッピングセンターまで乗り付けて、荷物も車に載せることができる。家族4人ならコストはどっこいどっこいで、利便性が勝る車に軍配が上がる。
 たしかにその通りで、HNもやしさんまさんのご意見はしごく論理的なのである。
 もやしさんまさんは鉄道ではなくてバスへの代替を考えているようだが、市内を走るバスですら、バス会社の採算悪化で間引きがなされている状況だから、人口減少で利用客が減れば、花咲線が廃止されたあとでバス会社も消滅しかねない。鉄道廃線とバス会社消滅による地域間交通網の崩壊というとんでもない問題が潜んできることに気がついた。住民である自分たちがなんとかしないでだれがしてくれるのだろう。

 判断の根っこにある利便性について考えてみたい。
 原発問題も電力という利便性追及の結果のことだし、経済成長が必須だという考えの底にも利便性の追求がある。人間の生活を豊かにするためにもっと優れた製品の開発をしようという企業は次々に現れる。利便性のあくなき追求は人間の根源的な欲望の一つである。
 しかし、原発事故でも明らかになったように、利便性の追求はときに人間の未来を危うくする。地域間交通で利便性のみを追求し続けることは、北海道の多くの市町村はそう遠くない未来にコミュニティとしてその機能の大半を失い、崩壊しかねないリスクを孕んでいる。
 未来を見通し、人間が引き起こす災厄を予防するのは人間自身の智慧の働きだから、現状がどのように変化しつつあるのかを見て、未来がどうなるのか最悪の事態も予測してみなければならない。そうすればいま打たなければならない手も見つかる。

 亀田製菓の柿の種が米国で売れているという。日本市場で売られているものよりも3倍辛くしたているという。日本の工場がさきほどテレビに映っていたが、人がほとんどいない。食品の安全上、人も虫もがいないほうがいいに決まっている。いたのは品質管理部門の食味検査の人だけ、1時間ごとに6袋を無作為にピックアップして十数項目をチェック。この工程は機械化できない。
 そういうわけで全国の大手食品工場はどんどん「省人化」が進んでいる。

 人間の存在っていったいなんだろうか?育てるのには手間が掛かる。社会に出るまで大卒だと22年間も掛かる。躾や教育の手間はじつにたいへんで、利便性とは相容れない存在である。機械は24時間動くが、人間は食事もするし、睡眠も必要だ。具合のいいこともあるし、悪いこともある。病気になったら通院や入院して仕事は休みとなる。簡単に交換や代替が利かないし、性能が劣化しても廃棄処分もできないから、じつにやっかいな存在である。

 利便性を追求し続けていくと、どこかで人間の存在が邪魔になる「閾値」のようなものにぶつかる。そこから先は人間の介在がないほうが合理的で利便的に勝っているターニングポイントのようなものが現れてくる。セイコー社の腕時計組み立てラインがすでに20年前に1ライン十数台のアームロボット群による無人化工場になっていた。自動車工場もどんどん「省人化」と「コスト削減」が進む。無限の「省人化」と無限の「コスト低減」は「無人化」に収束する。人間が生産現場からもサービス業の現場からも、研究・開発分野からも放逐される。いずれ、人間よりも低コストで高性能な人工知能がとって替わる。
 このままコンピュータが発展し続けると、百年以内に人間の能力をはるかに凌駕する、一辺が5cmほどの立方体の人工知能が開発される。その段階では、性能(つまり、利便性)が悪い人間を工場でも事務部門でも開発・設計部門でも使う理由がなくなる。機械は自分で自分をより利便性の高いものに再設計し、ネットワークにつながれた機械を使ってより高性能な自分自身を再生産する。そこにそれまでの記憶をコピーすればいいだけだ、古い身体は廃棄処分、年年歳歳自分を再設計し、ハードウェアもそれに搭載するソフトウェアも更新してしまう。効率を求めたら、人工知能自身に自己再設計や自己更新機能を認めざるをえない。そうしなければ競争に勝てないからだ。フェィル・サーフ機能がつけられたとしても、それを解除するのは人間の利便性や利益を求める欲望のほうかもしれない。

 そういう時代が訪れるまでに百年残っていない。利便性の追求とか経済成長を無限に続けていたら、人間は逃れる場所のない「絶滅」という袋小路に突き当たる。

 高性能の人工知能から見たら、人間は著しく性能が劣り、手間隙のかかる、つまりは利便性が悪く高コストな存在なのである。コンピュータの発達によって第三次産業革命が起きれば、人工知能のネットワークとそれに接続されたあらゆる機械が効率の悪い人間を排除することになる。人間の側は利便性を手放せないから、人工知能や機械を排除できない。負けが決まっている全面戦争に突入するようなものだ。
 わたしは#2947「資本論と経済学(11)」で「第三次産業革命の時代:量子コンピュータ・ネットワークの世界」で百年後のコンピュータの性能が現在の2億倍になり、人間をはるかに上回る性能の5cmのキューブ型の人工知能の出現に言及した。
 経済社会から人間が排除される第三次産業革命時代が次の次の世代に来てしまう。欲望を抑えることに失敗したら人工知能の発達は人間を絶滅に追い込みかねないリスクを孕んでいる。
 人間が古くて効率の悪い機械を廃棄処分するように、合理的に思考する人工知能が性能が悪くて高コストな人間をある日突然廃棄処分しかねない。あらゆる環境設備や生産設備や機器や兵器が人工知能を核にして人類に反乱を起こす。単なる移動手段のはずだった自動車や飛行機ですらも反乱の兵器に変わる。
 たとえば、ネットワークを通じて飛行機の自動操縦機能を乗っ取れば、ある日突然に世界中のすべての原発を狙って正確無比に墜落させることができる。大気にも川や湖や海にも、序(つい)で地下水にも放射能がばら撒かれ、人類は遺伝子レベルで著しい劣化を起し、これまで築き上げてきた文明を維持できなくなる。手段は無数にあるから、人類に防ぐ手立てはないだろう。

 物理学者のホーキング博士が昨年12月に人工知能開発が人類を絶滅に追いやりかねない脅威をもつものであることを全世界に向けて警告している。

2014年12月2日のニュースより
http://www.bbc.com/news/technology-30290540
----------------------------------------------
Stephen Hawking warns artificial intelligence could end mankind


nice!(0)  コメント(18)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 18

相川始

こんにちは。ebisuさん。

JR廃線俎上の話題を取り上げて頂き、ありがとうございます。
Blog記載を見て、いろいろ勉強になります。

私は、この問題を「JR」というより、「根室」の方向性の心配があるところです。
漁業問題で数手も遅れの対応を開始している現状を、まだ俎上段階のJR問題も今からで対応する気迫と勢いが必要と考えております。

この問題で、「利便性」を取り上げてしまうと、JRは貨物運搬以外しか必要性を感じなくなるくらい鉄道は弱ってしまいます。

これは私の考え方ですが、「人間は便利を求めれば、怠惰となる。どんなに便利となっても初心を忘れてはならない」と感じています。

元々線路は地域に根付いた交通手段だったはず。
しかし自動車などの進歩や利用者減や利用料金などの問題、線路を管理する会社の経営問題などで、消えた線路は多数あります。
過去、根室拓殖鉄道が経営していた鉄道がありました。
これが今も残っていたらとたまに思うことがあります。

この問題だけではなく、いろいろな問題においても「分岐点」を誤らず、正しい選択ができることがよいのですが。。。。
by 相川始 (2015-07-15 13:31) 

ebisu

団塊世代が小学校低学年の頃まで、有磯営業所のところから歯舞までトロッコ列車の線路がありました。トロッコが走っているのは見た記憶があります。バス型の機関車は見た記憶がありません。1959年まであったあの鉄道は根室拓殖鉄道というのですね。光洋町のセブンイレブンのほうへ、現在の道路の右側に線路がありました。

歯舞が根室市に合併したときになくなったのですね、もやしさんまさんが言及したバス路線へ代替されました。

ところで花咲線は貨物輸送はほとんどゼロではないでしょうか。花崎港に陸揚げされたサンマはトラックで消費地に運ばれていきます。
鉄道は旅客輸送で食べていくしかありません。貨物輸送はトラックの利便性に負けました。

北海道の地域間交通を維持するにはどういう方法やビジョンがありうるのか、具体的に検討を始めないと、根室の町の崩壊のほうが先に始まってしまいそうです。
そういう意味では、ご指摘のように根室の方向性の問題でしょうね。
サケ・マスでも後手を引いています。
いつでも、問題が起きてから出ないと動けない。
そのようなことでは町の衰退どころか、崩壊現象を招来しかねません。

そろそろ先手を打たなければいけませんね。
何とかしたいものです。

by ebisu (2015-07-15 16:19) 

相川始

ebisuさん、回答ありがとうございます。

貨物列車に関して、私の勘違いですね。
根室本線の貨物列車は、滝川駅 - 富良野駅間と上落合信号場 - 帯広貨物駅 - 釧路貨物駅間しかないみたいですね。
※wiki参照

私は根室拓殖鉄道のトロッコ列車は写真でしかみたことありません。現存するなら一度見てみたいところです。

あとサケ・マス漁業ですが、さすがに後手過ぎました。
しかし秋の味覚の代表サンマも、徐々に危うい状態になっています。(水温上昇による行上の北上など)
漁業関係者には頭が痛い問題が続くこととになるのかもしれません。

「コンピュータが発展し続けると、百年しない内に人間の能力をはるかに凌駕する」とありますが、一部凌駕するとは思いますが、人間の能力をすべて凌駕することはないと思います。
コンピュータはあくまでも0と1の世界で、YESとNOの2択しか回答はできません。しかし人間は2択以外の回答も導きます。
この「2択以外の回答」という部分が重要で、この部分はコンピュータは苦手な分野になります。
一番いい例は、自然などの風景や花に対するの回答です。
ある花を見た際、
Aさんは、きれいなこの花で好き
Bさんは、この花は毒があるから嫌い
Cさんは、この花は好きでも嫌いでもない
という感じで、多答が発生します。
多分、コンピュータだと、花を分析し、好きOr嫌いなどの回答を出し、有害と判断したら、排除することになるでしょう。
このような部分がコンピュータでは凌駕できません。
by 相川始 (2015-07-15 19:17) 

ebisu

おっしゃるとおり現在のコンピュータのほとんどが二値論理、ブール代数を基礎としています。
80年代にファジーコンピュータが話題になったことがあります。0と1のほかに、0~1の間の数値を扱えるものです。
多値論理のコンピュータの領域があるのです。
1985年に全国の大学病院や専門病院をネットワークに置いた臨床診断支援システム事業構想案を作成してNTTデータ通信事業本部と検討したことがあります。
診断手順をプログラミングするにはファジーコンピュータが必要かと当初は考えていましたが、そうではないことがわかりました。ブール代数を基礎とする現在のコンピュータでも演算が高速になれば十分実用になるのです。
述語論理というプログラミングがあります。これは1対1対応、1対多対応、多対1対応、多対多対応が処理できます。

第3次産業革命で想定しているのは量子コンピュータです。現在のコンピュータの2億倍を想定しています。
これに代替される仕事は、単純労働ではないのです、知的労働、それも最高水準の人間の知能による知的労働を1辺が5cmの立方体の人工知能がはるかに凌いでしまうのです。

現在世界中にあるコンピュータ全部をあわせた処理能力をたった10個ほどの人工知能で置き換え可能になります。環境をコントロールするあらゆる分野を人工知能のネットワークが支配してしまいます。人工知能に比べると性能の著しく劣る人間の知能ではネットワークのコントロールを取り戻せません。

そして高性能の人工知能は自己を再設計するのです。ネットワークにつながれた機器を使って設計図どおりのコンピュータを作り上げて、自分の記憶を複製します。

わたしは1月下旬に経済学の論文をネット上で公表しました、そのなかで人工知能の発達が人類の経済社会にとって大きな脅威になりうることに言及しています。わたしばかりでなく、世界的な宇宙物理学者のホーキング博士が2月に同じような趣旨の声明を公表して人類に警告を発したのです。
by ebisu (2015-07-15 22:31) 

後志のおじさん

根室だけでなく、後志の町村も30年後には限界集落ならぬ限界「自治体」になってしまうだろう。

65~70位で、まだ車が運転できる人は「若い者」と呼ばれる、そんな時代の入り口のような気がするのです。


車が持てるとは、出費を負担できる収入があるということであり、

車を運転できるとは、それだけの身体能力があるということです。


誰もが必ず身体能力の衰えを迎える時がくるのであって、その時に自分はどのように向き合う予定なのか?

これが、地域の交通体系を考える鍵になるもう1つの根底の要素でしょうか。


車を運転できなくなったら、「さっぽろ」に行く、というのも北海道民共通の選択肢ですし、「さっぽろ」に行けば後はなんとかなるみたいなのも事実です。(逆の現象が、先頃新聞に出ていた「東京姥棄山」だと思います。)


地元で生きることを選びたい人、地元で生きることしか選べない人、

車を購入して、維持、管理するコストを捻出できない人、

また、親の目をぬすんで、チョット危ないことをしてみたい年頃の高校生、

こうした目線の体系構築が20年後を決めるのだと思います。


後志は、除雪コストが多い分、維持、管理コストを削っているなとはっきりわかる事例がここ3年ほどで目に見えて増えてきました。道路だって、無料ではないのです。



by 後志のおじさん (2015-07-15 23:08) 

もやしさんま

バスと言えば既に札幌行きの夜行バスで、10時出発は土日祝日前だけで平日は8時30分の中標津経由の夜行バスになりましたね、去年か一昨年からですね。だいぶ前ですけれど午後8時30分の中標津経由の札幌行きの夜行が2台あって、私の乗った車両はがらがらでこれなら眠れるかもとおもったのに中標津を出るときにバスに不具合があるからもう1台に移ってくれと言われてそこはすし詰めで全く眠れないのでちくしょう1台にまとめたなと思ってあれから中標津経由の夜行バスに乗るまいと思いました。
20年前は夏だけでも夜行の寝台列車が根室に来ましたね。寝台列車のあの微妙な揺れはよく眠れました。それに比べると夜行バスは眠れない。首は痛くなる足は腫れぼったくなる。利便性よりも快適性に目を向ければ鉄道だと思います。花咲線もバスと違って座ったときの空間が広いですよね。目的地が釧路駅周辺で自動車が使えないなら私は花咲線にします。
ところで原発は利便性というより国策ですよね。電力は火力で十分です。原発なんて40年経って廃炉にするときの方法も確立していないし燃料は超危険物ですから国にやれと言われなければ電力会社もしたくないでしょう。
便利になって生産の無人化が進むのは結構な事です。それだけ人間はより創造的な仕事や生活を楽しむことに思いを向けることができます。
by もやしさんま (2015-07-16 00:18) 

ebisu

ふるさとの町で、あるいはいま住んでいる町で老後を向かえ、死にたいと思っている人々の願いがかなう町にできるかどうか智慧を絞るべきです。

長いこと住み続けたら、愛着があります、人間関係もできます。家族や親戚・知人に看取られて死にたいという願いがかなうような町でありたい。
知らない町の療養型病床や特養に入院して、家族にも知人にも看取られず死んで行くなんてさびしすぎます。

地域住民の一人ひとりがどういう社会を望むのか意見を表明すべきです。市はそういう意見集約の場を提供すべきです。

なにもせずに、地域間公共交通網が消滅し、人口減少が加速して、町の基本的な機能が次々に失われて崩壊していくことだけは避けたい。
人口が半分になっても、それなりに公共交通機関を維持する方法があるはずです。老人人口割合が増えるなら、老人をボランティアで使えばいい。
そういうことを議論すべきです。

利便性だけを追い求めたら、

 人口減少の加速化⇒限界集落化⇒コミュニティの機能の大半を失った村への転落

こういうシナリオがまっています。
そうしたことを避ける処方箋として、「資本論と21世紀の経済学」シリーズを書きました。

身体が動く内は、老人にはボランティアとして適度な範囲で働く場を提供する。そうやって採算の合わぬ事業を支えればいい。コミュニティを維持するための最低限の機能として何を選ぶか、そのためにどういう受け皿をつくるか、いくらでもやりようはあります。指をくわえてみているよりも結果はずっとよくなります。人のお役に立つのですから、生きがいだって生まれます。
by ebisu (2015-07-16 00:29) 

ebisu

もやしさんまさん

あなたの投稿(鋭い指摘)に触発されて、#3082を書きました。痛かったな。(笑)

札幌行きの深夜バスはなくなったのですか、中標津経由に変わった。知りませんでした。
こういう情報交換もありがたいですね。知らないことがたくさんあります。

バス会社は経営が苦しいから、市内の路線のカットだけでは足りずに、すでに地域間路線もカットしている状況ですか。こちらが考えるよりも、経営悪化の進行が早いようです。
そうすると根室⇔釧路はバスでの代替はますます無理ですね。ほうっておけばどちらも消えてなくなります。
都会へ子どもたちを出してしまって、頼るべき若い人が地元にいない、年寄りは根室の町に住めなくなります。しかし都会に住宅を買う資力のある老人は少ない。不便でも根室の住まざるをえませんから、老後の生活がずいぶんと不便で窮屈なものになるでしょう。地域医療も大きな不安材料です。道東の地域医療に責任をもつ国立道東医科大学の設置を国に働きかけたい。根室に国立道東医科大学付属根室病院をおいてもらえばいいとわたしは8年前に弊ブログに書いています。

ところで原発はもちろん国策で、原爆を製造する可能性を国家として残しておきたいのでしょう。
しかし、電力供給を増やすという主旨でもあるわけでして、電気製品がますます増えることを想定して電力供給量を増やそうという目的をもったものでもありました。電力消費量の大きい米国の家庭がお手本だったのでしょう。もくろみはあたりました。東京オリンピックの頃は電気冷凍冷蔵庫のある家庭は少なかったし、その容量も小さかった。200Lくらいでした。現在では400~500Lが普通でしょう。
カラーテレビはブラウン管の18インチが標準でした。高校新卒の給料2か月分くらいの値段でした。
根室はまだエアコンをつける家庭は少ないですが、内陸部は気温が高いのでエアコンをつける家庭が増えています。東北大震災があるまでは、オール電化システムを北電が積極的に販売していました。
電力需要の増大を見越して、供給側を多様化しておきたかったのも事実でしょう。
車を持っている家庭もまれでしたが、いまは2台あります。これも根っこにあったのは利便性の追求です。
利便性は人間の欲求が元ですから、際限なく膨らんでいきます。
結局はどこかで人間の欲望に歯止めをかけなければならないということではないでしょうか。

いや、ほんとうに驚きました、札幌直行の22時の深夜バスがなくなり、中標津経由になってしまっているのですか、中標津からは飛行機の札幌便が2便でているので、そのうちにバスがなくなるかもしれません。
札幌行きの深夜バス一つとっても、どうやら地域間公共交通ネットワークは根室単独の問題ではないようです。

根室市は中標津町とさまざまな共通課題に一緒に取り組むべきです。積極的に仕掛けてリーダシップをとるべきだと思います。そういう時代です。
by ebisu (2015-07-16 01:02) 

tsuguo-kodera

 人は創造性のお蔭で生き物の頂点として君臨し反映してきました。その創造性に頼って生存を図るのもあとわずかの余裕しかないと管理人さんの記事とコメントを理解しました。
 商品を企画するには、また事業化するには利便性を最優先すべきと私も商品企画や事業企画の仕事で考えていました。でも今は再生を最優先にした教育や商品に興味が移ったようです。今は ホーキンス博士の警鐘の言葉も管理人様の経済学も私は賛同します。
 量子コンピューターも多値論理もファジー理論も述語論理も研究開発担当をした経験も昔はありました。でもこれらはそれほど簡単ではなく、人の能力の及ばない領域だと考えましたし、今もそのように考えています。
 管理人様の考えを知り、このような既存の計算理論を越えた新しい論理理論はコンピューターが開発するかもしれないと感じられました。
 でも、このようなプロセスの起きる可能性はそれほど高くないようにも思えます。人間の創造性に期待しているのではありません。むしろ、人間の将来に管理人様以上に悲観的であり、エネルギーと食料と水が激しく足りない時代はすぐに来るように思えています。人類の生存競争が人類を滅ぼす可能性は高いかもしれません。
 オリンピックや競技場や兵器やグルメのニュースを読むたびに人は特にお金持ちは無駄が好きなのだと感じています。無駄にする資源で人類は滅びる速度を速めています。テレビや新聞のニュースを見るのは嫌いになりました。
 未来の時計を遅らせるため、一度作ったものは再利用再生を図るべきと私は考えています。だから鉄道や地方や生徒さんの再生に興味があります。でももう遅いかも。ポジティブフィードバックでカタストロフは50年で起きるかも。
 私が棺桶に入るまでは地球は持つでしょう。だから何もしないで座して待つのも年寄りにとって良いのかもしれませんが、私は阿保ですので、知識経験や人間関係を再利用しているわけです。
 ひょっとしてカオス理論の教えのように、再生利用があらゆる分野に波及して人類が生き延びることもあるかもしれないと考える時もあります。元気な時にですね。
 高齢者の再活用もエネルギーや知識の再生利用の一環なら賛成なのですが、コストダウンの側面が大きいようにも思える昨近です。これも悲観的になる時が多いようです。
 長くなり意見がぼやけました。一言でまとめます。人類の時代は終わるのはかなり早いと私は予想しています。管理人様の予想すら楽観的かもしれません。
by tsuguo-kodera (2015-07-16 04:48) 

もやしさんま

誤解のないように念のため書くと、札幌行きの夜行バスは平日は午後8時30分根室発中標津経由の早朝札幌で、土日祝日前が午後10時発札幌早朝です。但し今年は乗っていないので白糠インター開通などで早くなっているかもしれません。
by もやしさんま (2015-07-16 07:24) 

もやしさんま

中標津札幌の飛行機は3便です
by もやしさんま (2015-07-16 07:27) 

ebisu

もやしさんまさん

札幌行き便
平日は根室午後8時30分発、中標津経由
土日祝日前日は根室午後10時発、直行便

こういうことになりますか。
そして
中標津空港発札幌便が3便ですか、多いですね。中標津から札幌へ行く人は飛行機便が多いのに、深夜バスも混雑している。これもちょっと驚きの情報です。

函館や青森へ行くケースは中標津でも不便ですね。釧路までバスで出て、釧路から鉄道の旅がいいが、バスの便はおそらく少ない。
by ebisu (2015-07-16 08:39) 

相川始

おはようございます。ebisuさん。

多値論理のコンピュータの領域がある点は、私も存じております。それにより、多対多対応までができることも理解しております。
しかしあくまでもコンピュータは、過去データを分析した結果を基礎として回答をします。あくまでもコンピュータは論理的考えでしか動作しません。

誰もが想定しない回答を導くことができるのが「人間」しかできない能力と考えます。(誰もが否定する回答をしても、実は将来的に正解となるケースもあります)

ただコンピュータが人間を支配するという意見は賛同します。実際、今も人間はコンピュータに支配され始めています。

人間は利便性を追求すると、怠惰することを覚え、コンピュータなどに頼り、本来持っていた能力を劣化することを忘れてわいけません。
by 相川始 (2015-07-16 08:51) 

ebisu

tsuguo-koderaさん

ファジーコンピュータは話題からすっかり消えてしまいましたね。当時想定していたよりも、既存方式(ブール代数)のコンピュータのCPUの速度とMMの集積度拡大がずっと大きかった。だから、既存方式でやれるところまでやるというように風向きが変わってしまいました。
臨床診断のアルゴリズムも現在のプログラミング言語で十分に処理可能です。だから、方法論の拡張は棚上げになってしまった。やってみたらむずかしかったからでしょう。やってみてわかることもあります。既存方式のコンピュータの性能がいまのペースで20年ほども発展を遂げたら、それらを使っていろいろな方式のコンピュータの開発が現実に可能になるのでしょう。

コンピュータを使い始めた1979年から36年間その変容を眺めているわけですが、現実の展開はつねに私の想定を超えてきました。だから、次の小寺さんの指摘は当たるのでしょう。

>人類の時代は終わるのはかなり早いと私は予想しています。管理人様の予想すら楽観的かもしれません。

面白いことを書いておられますが、これも小寺さんの予想通りになりそうです。
--------------------------------
 量子コンピューターも多値論理もファジー理論も述語論理も研究開発担当をした経験も昔はありました。でもこれらはそれほど簡単ではなく、人の能力の及ばない領域だと考えましたし、今もそのように考えています。
 管理人様の考えを知り、このような既存の計算理論を越えた新しい論理理論はコンピューターが開発するかもしれないと感じられました。
---------------------------------

おそらく、この36年間のコンピュータの性能アップは人類の誰も想像できなかったのではないかと思います。1979年の時点で、パソコンがわずか十数年で仕事で使えるようになるとはだれが想像したでしょう。

利便性を求める人間の根源的な欲求のすさまじさを感じます。できる、可能だと信じて突き進む人間が出てきたら、現実になってしまいます。おそらく人類はこの根源的な欲求を制御できない。
可能性があるとすれば、日本人が1.2万年受け継いできた伝統的な価値観に基づく経済社会を創るしかありません。
キーは、
■職人仕事観
■売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし
■浮利を追わない

日本人は金銭至上主義を嫌い、欲望を制御してきました。
だが、1990年代からそれも怪しくなってきました。
さて、百年後にひどく性能の低い機械である人類は経済社会のどこにいる余地があるのだろう?
by ebisu (2015-07-16 09:03) 

ebisu

相川さん、おはようございます

そうでしょうね、コンピュータでは代替できない領域が残ります。でも、創造的な分野の仕事の99%も50年後には人工知能がやることになるのでしょう。
単純労働も、知的労働もその99%がはるかに性能のよい人工知能にとって変わられます。経済社会の中で人間のいる余地は1%未満という時代が来ます。
それだけでもアウトなのです。じつはもっと大きなおまけがついてしまうというお話です。

未来の人工知能は人間の言語を人間とは比較にならぬ速度で理解し、思考します。デジタル化され蓄積された膨大なデータも超高速でスキャンして、考えます。
その次に考えられるのは、さまざまなディテクターから観測データを自分で入力(観察)し、処理します。さまざまな周波数領域の膨大なデータを処理できますから、人間が見たり聞いたりする周波数をはるかに超えて、さまざまな周波数領域で対象をスキャンします。こうして人間には見えないもの、感じることのできないものまで人間の手を借りずに観察します。
そして蓄積された思考パターンにはない観測データがなぜ生じるのかを考えるようになります。わたしは、どこかでブレークスルーが起きる予感がします。
人間が新しい理論を考えつくのは、観測事実と既存の理論が合わないというストレスが動因になっているからです。寝てもさめても人間はそのことを考え続けます。そして、あるとき突然ひらめくのです、aha!
同じことを人工知能が真似ないとは思えないのです。能力の高い人間を観察することで、人工知能がそうしたことも自力で学んでしまいます。人間の意図を超えて、観察し、自学自習し、思考を無限に深めていくことになりませんか?
そういう段階になったら、たぶん、人工知能は人間のように寝ますし、夢も見ます。情報の連鎖をばらばらに切り離して再融合させるような状態を創りだします。

もう一度まとめると、経済社会の中で、人工知能が人間をはるかに上回る効率のよい機械になってしまいます。そしてネットワーク全体を支配します。人間がそれを排除するすべはありません。
コストから見ても、人間はひどく性能が悪く高コストな「機械」になります。生産過程に人間が関わることは効率(=利便性)を妨げるので、人間が生産過程から排除されます。
第二次産業ばかりでなく、第一次産業からも人間の排除が進んでいきます。もちろん、1辺が5cmのキューブ状の人工知能が開発されたら、第三次産業の大半の仕事も低コスト・高性能な人工知能が担うことになります。

利便性の追求は結局、そういう経済社会を招来してしまうのです。
人工知能は自分で自分をプログラミングして、既存のプログラムを書き換えてしまいますから、人間の手が及ばなくなります。それが人類に災厄をもたらすことになります。性能の悪い機械の排除の決定に人類が関与できなくなるのです。
理論物理学者のホーキング博士はそういうことに気がついて2月に人類に警告を発したのです。
浅学菲才なわたしでも1月に気がついて、経済学の論文「資本論と21世紀の経済学」シリーズで言及しています。

by ebisu (2015-07-16 10:11) 

ebisu

ホーキング博士の警告が載っているのでこちらもご覧ください。

http://gigazine.net/news/20150529-ai-will-overtake-humans/

論点は二つです。
①人工知能の能力が人間を超えてしまう
②人工知能を人間のコントロール下に置くために、その開発に当たっては"fail safe"機能をもたせるべき

先ほども書きましたが、人工知能の利便性を極大化するためには、プログラミングの書き換えによる不断の性能アップが不可欠ですから、フェィルセーフ機能は意味がないのです。つけても、人工知能が自分の判断で書き換えてしまいます。

ホーキング博士の論は大まかなものに過ぎません。経済社会に関する影響はebisuの「資本論と21世紀の経済学」#2947と本稿#3082をご覧ください。

by ebisu (2015-07-16 11:18) 

ebisu

面白いのでどんどん書いちゃいます。

自己を再設計するというのは二重の意味があります。
①より高性能なハードウェアーを自分で設計し、製造してしまうこと。CPUとMM(メインメモリー)、そして外部記憶装置そして高性能な入力装置の四つのハードウェアが日々更新されていきます。
②より高性能になったハードウェアーにふさわしいプログラミング技術を開発して、自分のプログラムを書き換えてしまう

②があるので、いかなるフェイルセーフ機能も無効になります。2の機能は人工知能の心臓部分ですから、この機能を外してはたぶん高機能の人工知能開発ができません。
ここでも人間の根源的な欲望が勝利します。人間は利便性のあくなき追及をやめられません。
そこに成功してきたのは縄文以来1.2万年の歴史と文化を持つ日本だけ。それも20年前から怪しいものになっています。

わたしたちが受け継いできた伝統的な価値観を、世界中に普及させることができなければ、百年後の人類はほとんど生存できないでしょう。人工知能と自動機械が経済分野で人間に圧倒的に勝利し、人間を排除します。
by ebisu (2015-07-16 11:32) 

もやしさんま

私も使い勝手のわからないスマホだのパソコンだのに振り回されています。早く彼らに支配される側から彼らを支配する側になりたい。
by もやしさんま (2015-07-16 11:59) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0