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#3059 文武両道:光と陰 June 12, 2015 [63. チャレンジ(教育)]

 部活に熱心な生徒が他の都市の商業高校へ進学し、先ほど(11日夜)メールが来た。6教科の中間テストで学年トップ(学年生徒数200人)だったとうれしい報告である。中学時代も文武両道を貫き、学年5番以内をキープし続けた生徒である。
 この高校は偏差値50で根室高校普通科(偏差値45)よりもレベルが高い。商業高校ありながら数学の教科書は根室高校普通科と同じものを使用している。商業高校は商業科目が多い分、国語・英語・数学の時間数が普通科に比べて半分程度になるから、これら3教科の教科書は難易度を下げたものになる。たとえば、根室高校商業科と事務情報科では数Aはやらない。数1の教科書も普通科のそれに比べて、難易度が著しく低い。数学や英語が得意な生徒には実に退屈な授業となる。簿記は特殊数学だから、簿記のできる生徒は数学もできる。50年間根室高校商業科は低レベルな数学の教科書を使い続けているが、そろそろ改めたらよい。普通科の数学教科書と同じものを使い、時間数も増やすべきだ。希望する生徒には7時間授業でもいい。統廃合後に総合学科を考えているようだが、商業科で使う教科書のレベルもみなおすべきだ。

 同じ部活で根室高校普通科へ進学した生徒たちがいる。中学時代に文武両道を貫いた生徒は、高校になっても大丈夫だ。4段階(低いほうから、α、β2、β1、γ)に分けられた数学のクラスでトップランクの「γ(ガンマー)」にいる。この生徒は教科書準拠問題集『3トライアル』収載の問題レベルなら、95%は解説を読んで理解できる。
 中学時代に文武両道のバランスを崩した生徒は高校になっても今回の結果を見る限り変われなかったというほかない。勉強よりも部活重視の「癖」が治らない。肝心なところで手抜きが出る。テスト前の2週間塾に来なかった。わたしには現実逃避したように見えた。因数分解と無理数の計算、2重根号の問題、絶対値の方程式や不等式が範囲だったのだが、中学時代に中間程度の成績の生徒が独力でやるのは無理。学校で先生に質問するか、塾で丁寧な解説をしてもらうかしないと消化できない。塾に来れない理由がいろいろ重なったのだろう、結果は厳しいことになった、痛い目を見たのである。なにがなんでも、「悪癖」を克服し、予習中心の健全な学習週間を急いで育んでもらいたい、そのために必要な支援は惜しまないつもりだ。
 過去の事例では、しっかりしている生徒は、部活を7時20分に終了してから、車の中でパンを食べてまっすぐに塾へ来て9時までしっかり勉強している。授業中に一度も居眠りをしたことがなかった。自分の厳しいのである、そういう生徒は希望したとおりの進路を歩む
 同じ部活の極端な三人の生徒をとりあげたが、そこそこ奮闘している生徒もいることを付け加えておく。半年前から学力がかなり伸長した生徒だ。
 他の部活だが3週間ほどしっかり努力した生徒が一人いる。それでも部活(こちらは文系)が忙しくて、問題の消化量が足りなかったから、ケアレスミスが多かった。分かっていたのに符号間違いなど、数箇所で点をとりこぼしてしまった。「わかっている」ことと「できる」ことは違う。計算問題を考えてやるようでは、文章題でケアレスミスが頻発するのを防げない。普段の学習をきっちりやり、問題消化量を増やすという課題が見えた。この生徒は次回の前期期末テストで結果を出すだろう。 

 小学校高学年の3年間と中学3年間でついた悪い癖は高校生になっても簡単に治るものではない。それはいわば「生活習慣病」に似て、容易には治らないのである。よほど本人が自覚をもって治すつもりにならないと、いままでどおりに流されてしまう。怠けたくなる自分と雄雄しく戦って欲しい。
 一般的な話をすると、根室高校普通科の場合、授業についていけるのは中学生3人に1人の割合ぐらいだろう。今年3月に根室市内の中学校を卒業した生徒総数を170人とすると56人ほどだ。普通科92人のうち36人は中学時代のやり方を踏襲したら授業についていけない。

 高校普通科の標準的な数学教科書は、7割の生徒は予習をしていかないと授業が理解できない。ところが、約40人の生徒が独力で予習ができない。学力が低くて問題集の解説をみても理解できないのである。

 きつい言い方をすると、高校3年間の努力でほぼ人生の進路が決まってしまう。たった、3年間努力するだけで、多くの人がその後の50年の人生を実り多いものに変えることができる。チャンスは平等に訪れるが、それをつかめるものは少ない。

 ともかく最初の定期テストが終わった。高校1年生はもうすぐ全国模試を始めて受験することになる。根室市内の中学校で学年3番くらいの生徒が、進研模試で偏差値50(平均値)に届かないことに驚くことになる。全国標準レベルの問題を解くことがいかにたいへんかを思い知ることになる。

 高校の勉強をなめてはいけない。よほど特殊なものでない限り、たいていの分野の専門書は高校教科書レベルの知識があれば読める。逆に言えば、高校教科書レベルのことが理解できなければ、将来仕事で必要になる専門書を読めないということ。

 根室高校普通科で学年92人中50番よりも後ろだった生徒は、謙虚に自分の生活習慣から見直したほうがいい。復習中心だった学習は、いまから予習中心に切り替えよう。都会の子どもたちは中学受験をする者が多いから、小学4年生から予習中心の学習に切り替えてしまっている。予習中心で学習した生徒の学習効果は大きい。すでに半分以上分かっていること、そしてどこがわかっていないかを知っている状態で授業に臨むから、授業内容の理解度合いが予習しない生徒に比べて何倍にもなるのである。

 全国模試(進研模試)で根室高校普通科の生徒の数学と英語の平均点は20点台であるが、釧路湖陵の生徒は60点台だという。
 1年生のときから全力で走らないと、差はさらに大きくなる。

 根室高校の生徒たちは試験が終わって、学校祭の準備に1ヶ月間大騒ぎで勉強どころでなくなる。しかし、模試が近づいている。大学へ進学しないなら、勉強なんてほうりだして学校祭準備に浮かれていたらいい。しかし、大学進学を考えているならここでも「文武両道」だ。学校祭の準備に時間をとられることを、不勉強の言い訳にはしないこと。どんなときでも言い訳はしないと覚悟を決めることだ。
 就職も学業優秀な者が条件のよい就職ができるから、高卒で就職する者も学年トップクラスをキープすべきだ

 しっかり勉強して、高校卒業後の50年間を幸せに過ごしてもらいたい


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tsuguo-kodera

 誠に申し訳ありませんが、根室の漁業のこと全く分かりませんでした。魚が好物ですので、味わって話が分かるようになりたいと思っていました。
 今日の記事は私の今の学校の説明をされているように思えました。東京と根室はあまり違いがないのだと思います。私の子供たちは関東地区でもトップクラスでした。特に下の開成生だった息子は文武両道の伝説の卒業生になりました。
 部活と遊びに学校に行っていて、使えない先生の授業では勝手に教科書と参考書で自習していたようです。やなない奴が変だと言う持論。教科の参考資料ですので広げていても先生は何も言わなかったそうです。
 彼のような人も何人かいたようです。天才ではなく凡人のグループは変な統計数字まで勝手に覚えて友達と問題を出し合っていたのでしょう。クイズが予習の手段だったようです。
 さてここまでは管理人様の論旨に合っているようです。でも、私は時代が違うせいか、東大模試の試験は東大でありました。そのような仕事が東大新聞でしていたのかもしれません。
 私は高校1年の時、高校の数学をまだしていなかったのに、なんと全国で100番以内になってしまったのです。父も凄いことだと驚いていました。
 高校の学校の数学は勉強しないでも分かっていたため、副読本の難問問題集だけを解いていました。読めば回答法はりかいできました。でも、北海道の水産大学の問題は難問で解けませんでした。解き方は分かっても毎年の問題に挑戦すると全滅のような程度でした。
 高校二年でも東大模試を受けました。数百番くらいまで低下し、受験勉強をもっとしないと合格しないとの判定になりました。これは不味いと真面目に高校2年から数学も受験勉強したのです。
 高校3年でも受けたのですが、まず不合格の判定まで低下したのです。東大合格はあきらめて、理科大で良いとランクを下げて、記念受験に東大慶応早稲田も志望したのです。
 ここからはまいどのような自慢話になります。本当だから仕方がないのです。東大の二次の試験、最初の数学はたぶん満点でした。慶応と早稲田の数学は50点以下でした。理科大の数学科を受けたのですが、数学は満点だったようです。父の仲良しの理事長からお誘いの勧誘があったから、本当です。
 私は言いたい結論は学校の数学を予習復習するのが間違いでは、と言うことです。私は小学校から高校まで算数も数学も自習だけでした。教科書など持ち歩いて、授業で使うものだったからです。
 説明は全部受験参考書、旺文社のチャート式で読んでいたのです。順不同で数一から数三まで。数一が一番難しいと思っていました。
 質問です。何で遊びのようになるまで生徒がならないのでしょう。私は先生が出す難しい問題を解けるのだけが数学の授業の楽しみでしたが、数学は得意になりました。
 他の教科も同じようなものです。国語も理科も社会も、参考書も教科書もほとんど読まず、ひたすら昭和文学全集や世界文学全集や徳川家康などを読んで、受験勉強の憂さを晴らしていただけなのです。
 でもそのような勉強法は会社に入って上司に評価された人間を作ったかもしれません。でも言うことを聞かない性格も出来上がっていたのでしょう。会社では落ちこぼれになりました。今の高校でも私の話を聞く人は変わり者の教頭だけです。
 さて良い手はありますか。それが私の疑問であり、私のバドと創造性の両道並立なのです。できると信じていますが、誰も信じてくれません。
 凄い、変な管理人様が理解してくれるかが本当の評価課題なのでしょう。楽しみです。
by tsuguo-kodera (2015-06-12 07:05) 

ebisu

koderaさん

おはようございます。
勉強しないと東大模試で百番、勉強するにしたがって順位が下がった経験をお持ちなのですね。

高1の時には、東大模試の参加者が少なかったのではないでしょうか?順次、参加者数が増えた?

中学時代に難問題集をやっていたところがキモのようにみえます。
チャート式は青チャートになると、根室高校では成績「中の上」の生徒では独力で理解するのが難しい。解答を見てもなぜそうなるのか理由が分からない箇所がけっこうな頻度で出てきます。
その一方で、トップクラスの生徒は独力で難なく消化してしまいます。

センスが違うのだと思います。本来もっている資質の違いは大きい。

大数学者の岡潔先生も、大学レベルの難問題集にチャレンジしています。『岡潔 日本という水槽の水の入れ替え方』に書名を挙げて自分の勉強方を説明していたと記憶しています。本を探したのですが、どこかにまぎれて見つかりません。

>国語も理科も社会も、参考書も教科書もほとんど読まず、ひたすら昭和文学全集や世界文学全集や徳川家康などを読んで、受験勉強の憂さを晴らしていただけなのです。

ほんとうはそれが一番いいのです。受験勉強などせずに、好奇心の赴くところ片っ端から本を読み漁る。時間の感覚がなくなるような学習が大脳を鍛えるには一番よい。フル回転しだすと時間の感覚が失われます。あっというまに時間がたっています。5時間が10分くらいにしか感じられません。

でも、そういう領域に踏み込める者はごくわずか、百人に一人でしょう。

普通の生徒はいきなり難問題集にチャレンジしても解答の意味が理解できません。やさしいものから順にやるしかないのです。
今年3月に高校を卒業した生徒で、難問題集を独力でやり切れる塾生が一人いました。

ちなみに、根室高校では、
 教科書+教科書準拠問題集(3トライアル)+白チャート

このセットが推奨です。
もちろんこれではセンター試験レベルにも達しません。

青チャートや赤チャートは自分でやれということです。
これはこれでいいのだと思います。
それらが独力でやれないようでは、残念ですが数学のセンスがないから、旧帝国大学の理系は無理。

興味のある生徒は松坂和夫『数学読本』(6冊)を全冊やってみたらいい。楽しいはずです。

>でもそのような勉強法は会社に入って上司に評価された人間を作ったかもしれません。でも言うことを聞かない性格も出来上がっていたのでしょう。

よくわかります。(笑)
by ebisu (2015-06-12 08:43) 

tsuguo-kodera

 ありがとうございます。ますますやる気が出ました。一言付言させてください。東大新聞の模試はすでに全国レベルでしたので、東大志望者は皆さんほとんど受けていたのでは。
 東大の試験は数2や数3は部分点が取りやすいのかもしれません。友人の元教授は昔できなくても部分点を7割以上取れると言っていました。理事も総長も身近な人でしたので間違っていないのかもしれません。
 一方、数1は昔から運もあるのかもしれません。数1は好きだったのですが、幾何は受験勉強するまで当たり外れがあり、模試でもたまたま得意な数1が回答でき、数2数3は部分点をたくさんもらったのかもしれません。
 なお、東大の数学は、今は東工大の数学もますます部分点割合が増えているのかもしれません。ますます管理人さん(笑)の言うように、片っ端から本を読むのが大事な受験勉強手段になってきたのかもと考えてしまいました。
 ここでふと気が付きました。小学校から高校まで、大学生になっても、バド以外、ほとんど本しか読まなかった娘が今は先生になり、東大の数学も英語も国語も簡単だと言っています。妻と一緒に呆れて、私は笑っていたのですが、本質をついているのかもしれません。ありがとうございます。
by tsuguo-kodera (2015-06-12 10:18) 

ebisu

全国模試ですが、一番受験者数の多い進研模試は高3は駿台と共同でやっています。
だから、高校3年生の模試は、受験集団に違いが出ます。進学校の成績のよい生徒たちが高3になるとこぞって参加してくるので、同じ学力だと偏差値が下がります。もちろん全国順位もです。進学校にいたら、友人と競い学校内のカリキュラムをこなしていたらいいのです。全国レベルでどうかはどの進学校にいるかでおおよそ見当がつきます。構内順位が30番以内だと、駿台偏差値で70、全国順位で1000番以内とか、確度の高いスケールが学校ごとにあるでしょう。

当時の東大全国模試も3年生になると似たような状況だった可能性はあります。もちろん確証はありません。
当時の日比谷高校の生徒たちの多くが1年生から東大模試を受験していたらわたしの假説は崩れます。

お嬢さんが本もあまり読まず、勉強もあまりせずということなら、能力が高かったとしかいいようがありません。あなたも息子さんも、お嬢さんも努力はあったのでしょうが、大石平八郎の乱に連座したご先祖の遺伝子の賜物ということも少なからずあるのかもしれません。経済力や親の学歴も含めて、教育環境の力もある。

勉強好きな子どもは、無理して勉強していません、面白くて楽しくて、時間を忘れてのめりこんでいることが多い。
夢中になっているときに、時間の感覚がなくなる心地よい体験しているはずです。
頭をフル回転させることが心地いいから、勉強と遊びの区別がないのです。そういう子どもは50人に一人くらい。どこの地域にも一定の割合でいます。
そういう素質のよい生徒をどう育て、地元に残す仕掛けを用意するかで、その地域の未来が大きく影響を受けます。
by ebisu (2015-06-12 11:20) 

tsuguo-kodera

 コメントバックも、皆さんのやり取りもものすごくかぶっているような経験があります。まともに書きだしたら100ページでも済まないような、どんどん発散してしまうことになりかねません。そこで思いつくままに順不同で短く書き殴ります。
 まず父の言葉でしたが、お前は現役でなければどこも受からない、浪人はやめろです。父の教え子で浪人して成績が良くなった人もいたのですが、成城で一番のような抜群の人も2浪しても東大に受からなかった先輩もいたのです。
 ですから私は、浪人すると伸びる人もいるが、試験に弱い人は浪人するとダメになることも多いのだと思っていました。
 身内で言えば、一番下の叔父は中学一年のとき抜群の成績だったようです。短距離も選手、運動センスも勉強も3人兄弟の中で一番だったと父は何時も言っていました。3人は私の家に下宿していたのです。ところが現役の時受かると思っていた東大に落第し、一浪しても慶応早稲田もダメで、学習院に行きました。
 この叔父は良い男でしたし、頭も抜群、スポーツセンスも対した人でした。役者に憧れて東宝に勤めたのですが、遊びすぎて身体を壊したのか、50そこそこの若さで突然死してしまいました。
 真ん中の叔父は新制高校の1期生で東大医学部を受験しました。彼は大学時代、大学院、医局の研究生時代を通じてまともに寝たことはほとんどありませんでした。1日中勉強し、疲れると私たちを連れて根津権現近くの映画館に連れて行ってくれました。ほとんど東映映画のチャンバラでした。
 今この人は80数歳です、日本中飛び回っています。一番早死にしそうな人なのに今も日本中の難しい裁判の参考人として証言している、法医学の大先生と言って間違いではないでしょう。
 オウムサリン事件の証言は大先生の偉さが分かる事例です。でも右からも左からも街宣車がきてしまいます。私から見ると生き仏のような人なのに、ネットでは地獄の悪魔のように言われています。
 長々と書いたのはここからが本題です。一番上の叔父は東大教授の医学部教授の娘さんと結婚、若くして講師になり、助教授になったかも。でも離婚してしまい、大学を追い出せれ、ドイツに留学しました。日本に職場がなくなったのです。
 そしてドイツの有名な大学の教授と助教授と仲良くなり、教授の秘書さんと良い仲になったようです。そして日本に帰国し、秘書さんは日本に来て、彼女と結婚しました。この間のやり取りだけで連続ドラマが書けるでしょう。
 私が中学一年になる春休みに彼女は来日したのです。好奇心だけ旺盛だった私は来日した日に遊びに行きました。そして医科歯科大学の特任教授になった叔父のところまで案内する役を翌日やる羽目になりました。
 英語も分からないガキなのに、ドイツ語で東京まで案内する役をしたのです。ヤーとナインだけで。彼女はフランス語は片言でしたが、英語も日本語も全くダメでした。私は日独対訳の辞書で彼女と会話しながら川越からお茶の水まで案内したのです。
 今も、人は言葉は分からなくても、何とかコミュニケーションすることができると考えていますが、この経験があるからです。
 従弟は私が大学生の時に生まれました。ドイツ人とのハーフでした。身体はでかくても勉強は全くダメでした。2浪してもまともな医学部は全部落第してため、お金で進学しろと言うアドバイスを無視して、アメリカに5月に行き、英語の専門学校に行き、MITに入学しました。
 その後いろいろあり、結局UCLAの医学部のパーマネントの准教授です。そのうち教授になるでしょう。世界一のお金持ちのバフェットの奥さまの主治医です。医学部を背負って立っている人になったと病院の教授から私は直接話を聞きました。落第生が二浪してMITに行き、UCLAの教授になれると言うことです。
 私の同期の仲間は浪人が半数、現役が半数でした。頭が良いのは浪人を経験した人が多かったようです。現役は遊びが好きな人が多かったようです。
 日比谷や新宿や戸山など受験進学校の人はたくさんいる時代でしたが、一番とか二番だったとか言われていた人が大したことがないように私が思えたことに自分で驚きでした。一番頭が良かったように感じていた人は日比谷の普通人、1浪のひとでした。今も親友と言えるのはこの人だけになりました。
 私は、好奇心だけの男でした。ソニーのトーキングカードが発売され早速娘のために買いました。ハンプティダンプティやロンドンブリッジなどの歌は今でも耳に残っています。娘もです。スピークアンドスペルも発売と同時にお土産で買いました。息子も娘もそれらの機械で遊んでいたのです。
 その後、英語を勉強させようと、トーキングスペルの延長が好みだろうと考えて、本付の歌のテープも小学生の娘に買ってあげました。本が好きだった娘は歌詞や解説を読んでいたようです。
 もっともっと実例をあげたいのですが、私の信念だけでやめます。きりがないのです。DNAや遺伝子ではないのだと言いたいのです。たまたまの環境が人を創るのだとです。その環境は人ごとに適不適があり、万人に適した環境などないのではと言うことです。
 そして一番大事なのは好奇心でしょう。先生は子供の好奇心の怖さを軽んじているように思えて仕方がありません。好奇心を育むことは至難の業、何が好きになるかは分からないが、好きになったものでその後の人生が決まるとしか思えません。
 中途半端になりすみません。演繹できそうなのですが時間も根性もありません。すみません。
by tsuguo-kodera (2015-06-12 19:23) 

ebisu

事例をいくつも挙げてくれました、ありがとうございます。なるほど、遺伝子よりは環境の力ですか、もちろん納得。
でも、読み返してみると、環境要因よりもやはり遺伝的な素質のよさの例証になっているようにも読めました。

いま住んでいるところと場所が違いますが、隣の家に年下のIQ180の子どもがいました。ものが違いましたね。絵を描かせたら、迷いなく線を引いて完璧と思える絵を描きあげます。たぶん、描く前に頭の中に絵が出来上がっているのだと思います。それをなぞっているだけ。
家族と親戚をみて遺伝的な素質が普通の家系とは違うのだと感じました。
度が過ぎて頭がよいのは考え物です、危うい。度が過ぎていました・・・何か別の道に生かす方法があったはずです。

>そして一番大事なのは好奇心でしょう。先生は子供の好奇心の怖さを軽んじているように思えて仕方がありません。
>好奇心を育むことは至難の業、何が好きになるかは分からないが、好きになったものでその後の人生が決まるとしか思えません。

好奇心が強く、何かに熱中し続けるというのはどこから来るのでしょう?不思議ですね。
by ebisu (2015-06-12 23:09) 

tsuguo-kodera

 好奇心が一番大事、そうなのです。この言葉しかないのです。
 それを感じられる小説ですが、やはり坊ちゃんでしょう。心や三四郎や吾輩は猫であるなどは老人の心を感じますが、若い好奇心は感じられません。
 叔父の生きざまに通じるところもありそうな、森鴎外も好奇心がある人のように感じていましたが、不幸にしただろう女性や自分の出世のためのように彼の好奇心や向上心も思えはじめ、結局私にとって高瀬舟だけが好きな作者になりました。
 坊ちゃんは生まれながらの無鉄砲、損得を離れ我が道を行く人のように感じていました。その点では、私もそうですし、父もかもしれません。今私の理解者である教頭先生も坊ちゃんそだちなのです。成城のお坊ちゃま君たちは良い人になった人が多いのです。
 坊ちゃん育ちの有名人ですと、漫画で言えばお坊ちゃま君でしょう。似たような人は開成生ならたくさんいました。卒業生で優れものの大人になったと私が一押しできる人は甘ちゃんのお坊ちゃま君が多かったように思えます。
 お坊ちゃま君育ちの一番の共通点は好奇心が旺盛な性格なのです。何でも挑戦するのです。すぐに面白そうだと挑戦を始めます。教育ママ育ちはそうは行きません。限界が早いように思えていました。
 弁護士事務所をこの4月に開設した息子の同級生はバドをしたり草野球を主宰したり、弁護士の仕事の傍らしています。何と文系なのに理系の研究が大好きで、ゼロ戦を研究し、地熱発電に凝って本を書いたりしています。
 彼は3年生か4年生の時、司法試験に合格しました。私の同級生にも年収数億の有名弁護士がいますが、その人以上に彼は楽勝に試験に合格してしまいました。
 大学卒業後には、同級生たちに司法試験を無料でしどうしていました。バドの後に勉強会を開催していたようです。
 彼は何をしてもすぐ凝るのです。向上する手法に好奇心があるのです。具体的な方策が考えられてせざるを得なくなるようです。プロセスの具体化への好奇心が半端ではないのです。
 私は好奇心がある人ほど、向上の手法に思いが至り、その手法プロセスに好奇心が湧いてきて、良い循環が続くのだと思っています。
 その一番大事な時期は小学校の時のように思えます。学校でなくてもいいのかもしれませんし、今の学校では好奇心は湧いてこないように坊ちゃん育ちの私も感じています。むしろ管理人さんの塾のように思えるのです。これが私の仮説です。
 私にとって、子供の好奇心を育てる一番簡便な手法はバドで勉強を好きにさせることでと言うのが私の人生の結論になりました。野球やサッカーは難しいです。その困難さを説明しだすと時間が足りません。
 こうすればできるのだと、請われたらどこでも誰にでもいつでもお見せできると思っています。体調さえ許せてくれるならと言う逃げの前置きだけはご容赦ください。できる期間は長くはないと思います。そのためには、万全の足も腰も喉も必要なのです。頭だけではだめなのです。
 
by tsuguo-kodera (2015-06-13 07:15) 

ebisu

なるほど、『坊ちゃん』は漱石の作品の中でも特別ですね。無鉄砲で一本気の正義漢。損得勘定を先において考え行動できる。
ZAPPERさんもそういうタイプだし、「釧路の教育を考える会」角田憲治会長も同じ類型にあたはまりそうです。もう一人の副会長の月田光明さん(釧路市議会副議長)も。
だから釧路は教育改革に動き出した。

今朝の北海道新聞根室地域版に中標津中学の「LSタイム(放課後学習サポート)」導入のことが出ています。学力の低い生徒を集めて放課後補習を先生4人体制で学校ぐるみでやるようです。旗を振っている一人である、飯田教頭の前任校は根室市立光洋中学校、離任の置き土産に五教科全部の授業進捗管理を担当の先生たちの協力のもとに実現した人です。

もちろん、根室市内の中学校では、放課後補習が普通になってきています。課題は山積みですが、いい方向に変わりつつあります。

ああ、koderaさんのいいたかったことは好奇心の問題でしたね。

> その一番大事な時期は小学校の時のように思えます。学校でなくてもいいのかもしれませんし、今の学校では好奇心は湧いてこないように坊ちゃん育ちの私も感じています。
>むしろ管理人さんの塾のように思えるのです。これが私の仮説です。

後段は買いかぶりすぎですが、前段は同意。わたしは小学校へ上がる前に家業のビリヤードをやり始めました。夢中になっていました。寝たら頭の中にグリーンのラシャと白と赤のボールがイメージに浮かび、いくらでもゲームを続けられました。あれが「脳トレ」になりました。小学校低学年で「鋳型」が出来上がってしまいました。さまざまな職業の大人たちとゲームや会話を楽しんだことも柔軟な思考や相対的なものごとのとらえ方を育んでくれました。小学4年生から読み始めた北海道新聞社説と一面の記事の影響も好奇心を広げるという点では影響が小さくありません。
私の場合は好奇心を育むのに家庭環境、とくに家業の影響が強かったようです。

わたしのケースは、環境の力が大きいという小寺さんの假説の一つの例証かもしれません。

もうひとつ、だいじなことに気がつきました。促成栽培や早稲は虚弱だということ。大器晩成といいますが、熟すのは遅いほうが断然いい。
目から鼻へ抜けるようなタイプは案外大成しません。

大数学者の岡潔先生は県立粉河中学(旧制)の受験に失敗して、1年間高等小学校へ通っています。碁石算や鶴亀算が苦手だったそうです。
翌年にもう一度旧制粉河中学を受験し合格、三高(旧制高校)⇒京大に進学しています。
高等小学校時代に家にあった本、「西遊記」「真書太閤記」「近世美少年録」等々を片っ端から読み漁っています。法律書や漢文の歴史書以外で一つだけ読み残していた本があったと「春宵十話」に書いています。その本は、クリフォード著菊池大麓訳「数理釈義」、旧制中学時代にクリフォードの定理の証明だけを2ヶ月間、考え抜いたそうです。それがかれの数学の才能を開花させる引き金になった。
家にそんな本があるなんてなんという幸せ。やはり、家庭環境は素質を開花させる重要な装置の一つなのでしょう。
by ebisu (2015-06-13 11:28) 

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