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#3049 抜歯 : 根室で北大口腔外科医の治療を受けた May 24, 2015 [30. 地域医療問題]

 右上、奥から3番目の歯が炎症を起こし、食事をするときに当たって痛かった。歯がぐらつくことを専門用語で弛緩動揺(チカンドウヨウ)というのだそうだ。それであたる部分をすこし削ってもらった。その部分で噛むと、それが刺激となりまた炎症が起きるから、いずれ抜歯になりますとの診断だった。

 東京聖蹟桜ヶ丘のH歯科クリニックで年に一度インプラントした歯のチェックをしてもらっている。その際に、H先生にどうしたものか聞いてみたら、レントゲンを撮って確認してくれた。炎症が起きているから早めに抜いたほうが良いとの診断。左上の一番奥の歯がクラウンをかぶせてある下側の部分が舌でさわると削れているようなので、それもチェックしてもらったら、こちらは内部が虫歯になっているから根室へ戻ったらすぐにかぶせ直したほうが良いとの診断。
 右上の奥から3番目の歯は根室で抜歯しておいて、次に東京へ来たときに治療することになった。圧力が大きいので二本ブリッジだともたないかもしれない。健康な歯を削って3本ブリッジという選択肢もあるが、2本で考えている説明があった。ちょっと厄介そうだ。

 東京にいたのは5日間、時間がないので東京での治療は無理なので、根室のF先生宛に治療すべき歯の状況を説明した「紹介状」を書いてくれたので、戻ってきてからF先生にお渡しした。
 そうして早速、左上一番奥の歯のクラウンを外したら、だいぶ虫歯が進行していた。かぶせなおして食事が楽になった。スキルス胃癌で胃を全摘したから、歯にトラブルがあると体重が減り、体力が落ちていくから要注意なのだ。

 右上奥から3番目の歯は舌で触ると亀裂が入っているのがわかる。地元の歯科医のF先生のところで左上の歯の治療をしている間に、食事中に欠けた。真ん中の部分が欠けて取れてしまった。
 外側が残り、抜歯がむずかしい。F歯科では月に一度北大口腔外科のドクターが来て、難易度の高い抜歯はこの先生がやってくれる。F先生は問題が起きるかもしれない治療は無理をせずに、口腔外科専門医にゆだねる。これは患者にとってありがたいことだ。2年ほど前に左上の親知らずをこの先生に抜いてもらったことがある。
 先週土曜日に口腔外科医が来て、抜歯をしてくれた。麻酔が効いてくると、1.5分程度で簡単に抜いてくれた。歯は縦に根元まで裂けていた。ぐらぐら弛緩動揺するわけだ。

 3年前にF先生にインプラント治療の相談をしたら、北大を紹介するという。インプラントは専用手術室が必要だ。自分のところではやらないとはっきり。高度なスキルの必要な治療は専門医を紹介するというのがF先生のスタイルである。歯科治療のおける「病診連携」のようなことを考えているのだろう。根室の開業医(医師・歯科医師)はそうしたネットワークづくりが実にお上手な方がいる。患者にとってはありがたいことこの上ない。

 東京で掛かっていた歯科クリニックのH先生は2年前ですでに500例を超えるインプラントの経験があり、ワイフがやっていたから安心してやってもらえた。
 東京の歯科医はしょっちゅう専門医の研修を受けて、最新技術の習得をしている。ときにはメーカのトレーニングを受けるために北欧まで行っていることもある。ほとんどの専門学会の研修会が東京で行われるので、新しい技術を導入し、スキルを上げたい歯科医にとっては東京は便利な場所だ。インプラントも歯科矯正もそれぞれ専門の「腕のよい職人」がいる。

 二本歯にトラブルがあったので、食事の量に影響した。体重が1.5kgほど減ったままだ。少し動いて筋肉をつけて、1.5kg取り戻したい。そういうこともあって今日は早朝サイクリングに出かけた。
 根室のF先生と、東京聖蹟桜ヶ丘のH先生に感謝・・・m(_ _)m

<余談>
 東京のH先生は札幌のご出身で北大歯学部卒なのだが、15年ほど前に話をしていたら根室が知床半島にあると勘違いされていた。わたしも行ったことのない道北は知らないところがいくつもある。網走や北見にも行ったことがない。行ったことのないところは関心も薄く、知識が不確かなもの。札幌から見たら、根室は遠い異国なのかもしれない。帯広・釧路経由で437kmある。東京⇒仙台が380kmだ。東京人で札幌⇒根室の距離が東京⇒仙台よりも大きいと思う人はほとんどいないだろう。北海道は案外広い。

 時代小説を読んでいると、道産子のebisuには西日本が実感としてよくわからない。ときに地図で確認しながら読むのだが、気候や風土の実感がないから位置がわかってもどこかふわふわ感がある。
 江戸の小説を読むときは江戸時代の地図があると便利だ。それを見ながら読んだら楽しみが倍になるだろう。日本橋人形町や日本橋本町、銀座に本社のある会社で仕事をしたことがあるから、それらの界隈は歩いて空気を吸ったので比較すべき実感がある。埋立地が広がったので日本橋界隈はいまとはまるで違う。よく遊んだ渋谷や新宿もそうだ。
 30年ほど前になるが神田三省堂に江戸時代の地図の複製が何種類か売っていた。


*#3048 早朝のサイクリング May 24, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-05-24


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コメント 4

tsuguo-kodera

 東京から見るより、根室から見るとその間の距離が小さいのかもしれないとふと思いました。私も根室から見た距離を実感できるかもしれません。何を思うかが知りたいことかもしれません。
by tsuguo-kodera (2015-05-25 04:51) 

ebisu

そうでしょうね、東京から根室を見ると日本の「極東」ですから、とても遠い。極東から見た東京は案外近い。
距離感なんてそんなものかもしれません、どうぞお確かめください。
by ebisu (2015-05-26 00:22) 

るろうにん

土地の名前にはそれぞれの人にとっての重さの違いが在るのでしょう。あらゆる意味で日本の中心の東京の人間にとっては、既に北海道からして”異郷”の響きが有ります。まして根室など、それこそ落語の洒落で「眠ろ―か」程度です。小生は北海道に移り住んで早50年近くに成りますが、10年ほど前まで自身の辞書に「根室」と言う単語は有りませんでした。何故なら「根室」は自分の生活上”不可欠”では無かったからです。小生は医療に携わっている関係上、若い頃は毎年のように北海道各地の病院を転々としました。しかし今思えば、やはり不思議なのですが、「根室」在住とか出身と言う患者さんに会ったことは有りませんでした。北海道ではやはり札幌には全道各地から患者さんが集まるのにです。勿論地理的に近い釧路の病院に勤務していたなら別だったのでしょうが・・・。ですから初めて根室を訪れて納沙布岬に行った時には正直驚きました。目の前の手が届きそうな所に貝殻島の灯台が在るのですから。「おいおい、そこ外国なの!?」。目の前が外国なんて場所は日本の何処を見渡したって有りません。ですが現実に目の前に在るのです! いや、その表現は正しくありません。納沙布岬に来て初めて「根室は北方領土の街」だと言う現実を知ったと言うべきでしょう。ではそれまでは・・・自分にとって「根室」はどうでも良かった。自分との関わりにおいて「根室」は精々、時々サンマ漁船が出港しただのビザなし訪問がどうとか・・・程度でした。しかし実際に縁在って根室に住んでみると、街のあちこちで明らかにアメリカ人とは雰囲気が違うロシア人を見掛け、また商店街の案内板にロシア語が併記されています。何時だったか夜も遅く根室駅の横の路地裏で閉まったカニ店の陰にじっと立っているロシア人の大男を見たことが有ります。花咲港にカニを運搬して来た漁師? カニの仲介人? ロシアのスパイ?? 小生は勿論戦前の満州など知りませんが、何かこう・・・日本やロシア、中国のスパイが暗躍した満州の片隅の街・・・の不気味さに打たれると同時に、今まで考えもしなかった”外国”の存在を実感しました。道東は夏場、太平洋から沸き上がる海霧に覆われます。前が見えない深い霧の中にロシアとの国境が在り、その線上で”根室とロシア”との歴史が作られて行きます。
日本の何処にも外国人は居ます。勿論札幌でも観光客以外の外国人は見掛けます。しかし今まで歩いている外国人が何処の国の人かやその母国に思いを馳せる事など在りませんでした。「ただ自分たちと同様な一人の人間」と言う認識に過ぎませんでした。しかし根室では・・・何故かロシア人を見ると彼らの母国「ロシア」を意識させられます。それは日ロの間に「北方領土」と言う解けない難題が存在しているからに他ならないからでしょう。もし北方領土が日本に戻って来たなら(個人的にはその可能性は極めて低いと思いますが)、その時は根室の街でロシア人を見掛けても何の違和感もない”ただの隣人”に思えるに違いありません。
by るろうにん (2015-05-30 09:14) 

ebisu

2月下旬に漂着する流氷は3月下旬には溶けて消滅してしまいますが、北方領土問題は日ロにとって70年間解けない難問になっています。

根室という地名は東京の人から見たら異郷なのでしょう。60年前の北海道人は本州のことを「内地」と呼んでいました。満州と同じように北海道は「外地」という意識だったのでしょう。もともとアイヌの土地ですから、「大和人」にとっては外地という語感がぴったり。ご先祖の誰かが、内地から北海道に移住したという共通の意識が「内地」という言い方の背景にあったのかもしれません。

昭和40年代の根室はカニの密猟でにぎわっていました。ソ連の沿岸警備艇から逃れるために船外機を3基もつけた高速「特攻船」でカニ籠漁が「堂々と」行われていました。
レポ船というのもありましたね。地元には昭和30年代半ばまでその元締めもいました。
根室市の経済も影の部分でロシアとの関わりが強かったから、まさしく異郷だったのでしょう。
当時の根室っ子はロシア人のことを「ロスケ」と呼んでいました。終戦時のどさくさにつけ込んだこすっからい奴等という意味が込められていました。

すぐ目の前にあって、泳いでさえいけそうな距離の場所、貝殻島がロシア領なんて場所は確かに根室だけ。

流氷と違って、北方領土問題は自然に解けるものではありません。しかし、MIRVの開発・組み立てをやって見せるという乱暴なやり方があります。これならロシアは領土交渉で折れざるを得ない。
国連安保理常任理事国の米国、英国、フランス、中国も動かざるを得なくなります。

フォークランド紛争時の英国のサッチャーのように経済問題よりも領土問題が優先するという気概があれば、領土問題はさっさと解決できるのです。いつまでもやらないから、ロシアになめられる。
根室市議会はMIRV開発・組立要望決議をすればいい。
by ebisu (2015-05-31 01:16) 

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