#3036 人柄:釧路の教育を考える会・会長 角田憲治さん May 1, 2015 [22. 人物シリーズ]
□ 5/2 8:33追記
□ 5/2 10:30 追記
□ 5/3 8:35 追記 [根室市役所に北大卒が一人もいないことについて]
角田さんは元釧路教育長である。釧路の教育を考える会の定例会のあとで何度か一緒にお酒を飲んだ。飲んでもちっとも崩れない、品のよい人というのがebisuの印象である。釧路の教育を考える会には「猛者」や「野武士」と形容すべき人間がいろいろな職業分野から集まっているが、角田さんの人柄を慕う者が多い。人の話をじっくり聴き、間をおいてからゆっくりと心にしみる言葉をつぶやく、そして人の心をわしづかみにする。私もわしづかみされてしまった一人だ。立場にとらわれずに考え・判断し・信念に基づいて行動できる人、要するに器が大きいのである。たいへん魅力ある人物で、そのあたりをZAPPERさんが適確に書いている。角田さんがZAPPERさんに、「わたしが教育長をやっているときに、あんたに会いたかったな」と言ったとき、私は隣でその言葉を聴いていた。ZAPPERさんその言葉でイチコロだった、何とはなしに出た言葉にわたしも角田さんのスケールの大きさと情の深さを感じた。この人となら一緒にやれる、いやこの人と一緒に釧路と根室の教育改革をやってみたい、そう思った。
あんたとは敵として戦場で見(まみ)えたかったという戦国武将のような慨嘆だったのか、それとも北教組を相手に何度か深夜に及ぶ団交を経験しているから、教育長のときに北教組に対抗しうる教育改革の勢力があれば釧路の教育改革が十数年早く始まっていたという感慨だったのかはわたしにはわからない。だが、元教育長が、釧路の教育行政に真っ向から反旗を翻して教育改革を叫ぶ団体の会長を引き受けてくれるなんてことは全国レベルで考えてもほとんどありえない話しだから、その一事をもっても彼の器の大きさが推し量れるだろう。
釧路にはこういう異色の元市役所管理職員がいる。釧路江南高校から北大へ進んで、釧路市役所に勤務し、教育長になって全盛期の北教組と渡り合い、辣腕を振るった。現場が困難な状況になってもけっして逃げない。
根室市役所には北大出が過去一人もなかったのではないか。根室市政をいいものにしたいなら、北大卒を採るべきだ。もし北大卒が一人も応募してこないとしたら、根室市役所は問題のある職場ということになる。根室市役所には500人も職員がいるのだから、北大出が10人くらいいても不思議ではないが一人もいない。高学歴の人材が見向きもしない市役所だとしたら、市役所内の改革を最優先しなければならない。
偏差値の高い大学出身者がいないことが、根室市政のレベル低下となっているのではないか。偏差値の高い大学出身者が全員仕事ができるとは思わない、それどころか仕事ができるものはほんの一握りに過ぎないことも、上場企業に勤務していたから実態をよく知っている。
私の周りには東大、一ツ橋、京大、慶大医学部、慶大大学院、早大などの出身者がいたが玉石混交だった。東大出はそこそこ仕事ができた。一ツ橋は三人いたが「当たり」は一人だけで能をやっていた。どこか超然とした風があった。「テラさん」と呼んでいた。凡庸な京大出は部長になったとたんにコケてしまった。慶大医学部出のKさんは理詰めでものごとをきちっと判断する優れた経営者だった。慶大大学院出のSさんは人の使い方がうまいのか下手なのかよくわからない2代目経営者だったが、自分の足りないものを知っており、人に任せることのできる人ではあった。初代はスタンフォード大学出、HP社創業者のヒューレットとパッカードとお友達だった。三代目は東大出だったが、凡庸だったのか会社をつぶしてしまった。
昔を思い出しながら話が横道にそれてしまったから元に戻そう。根室市役所の人材の話だった。根室市役所は採用が偏りすぎていないか?高卒の管理職が多いから偏差値の高い大学の学卒採用にビビッていることはないか?
角田さんは釧路の地元の人間であるから、釧路教育長をお辞めになってもふるさとを離れることはなかった。
根室の歴代の教育長は、任期が終わると一人の例外もなくただちに根室を去っていった。ただの「腰掛」に過ぎないのでは、仕事で成果が出せるわけがないと根室市民の誰もが苦々しく思っている。
ブログ情熱空間より転載
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/7922582.html
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□ 5/2 10:30 追記
□ 5/3 8:35 追記 [根室市役所に北大卒が一人もいないことについて]
角田さんは元釧路教育長である。釧路の教育を考える会の定例会のあとで何度か一緒にお酒を飲んだ。飲んでもちっとも崩れない、品のよい人というのがebisuの印象である。釧路の教育を考える会には「猛者」や「野武士」と形容すべき人間がいろいろな職業分野から集まっているが、角田さんの人柄を慕う者が多い。人の話をじっくり聴き、間をおいてからゆっくりと心にしみる言葉をつぶやく、そして人の心をわしづかみにする。私もわしづかみされてしまった一人だ。立場にとらわれずに考え・判断し・信念に基づいて行動できる人、要するに器が大きいのである。たいへん魅力ある人物で、そのあたりをZAPPERさんが適確に書いている。角田さんがZAPPERさんに、「わたしが教育長をやっているときに、あんたに会いたかったな」と言ったとき、私は隣でその言葉を聴いていた。ZAPPERさんその言葉でイチコロだった、何とはなしに出た言葉にわたしも角田さんのスケールの大きさと情の深さを感じた。この人となら一緒にやれる、いやこの人と一緒に釧路と根室の教育改革をやってみたい、そう思った。
あんたとは敵として戦場で見(まみ)えたかったという戦国武将のような慨嘆だったのか、それとも北教組を相手に何度か深夜に及ぶ団交を経験しているから、教育長のときに北教組に対抗しうる教育改革の勢力があれば釧路の教育改革が十数年早く始まっていたという感慨だったのかはわたしにはわからない。だが、元教育長が、釧路の教育行政に真っ向から反旗を翻して教育改革を叫ぶ団体の会長を引き受けてくれるなんてことは全国レベルで考えてもほとんどありえない話しだから、その一事をもっても彼の器の大きさが推し量れるだろう。
釧路にはこういう異色の元市役所管理職員がいる。釧路江南高校から北大へ進んで、釧路市役所に勤務し、教育長になって全盛期の北教組と渡り合い、辣腕を振るった。現場が困難な状況になってもけっして逃げない。
根室市役所には北大出が過去一人もなかったのではないか。根室市政をいいものにしたいなら、北大卒を採るべきだ。もし北大卒が一人も応募してこないとしたら、根室市役所は問題のある職場ということになる。根室市役所には500人も職員がいるのだから、北大出が10人くらいいても不思議ではないが一人もいない。高学歴の人材が見向きもしない市役所だとしたら、市役所内の改革を最優先しなければならない。
偏差値の高い大学出身者がいないことが、根室市政のレベル低下となっているのではないか。偏差値の高い大学出身者が全員仕事ができるとは思わない、それどころか仕事ができるものはほんの一握りに過ぎないことも、上場企業に勤務していたから実態をよく知っている。
私の周りには東大、一ツ橋、京大、慶大医学部、慶大大学院、早大などの出身者がいたが玉石混交だった。東大出はそこそこ仕事ができた。一ツ橋は三人いたが「当たり」は一人だけで能をやっていた。どこか超然とした風があった。「テラさん」と呼んでいた。凡庸な京大出は部長になったとたんにコケてしまった。慶大医学部出のKさんは理詰めでものごとをきちっと判断する優れた経営者だった。慶大大学院出のSさんは人の使い方がうまいのか下手なのかよくわからない2代目経営者だったが、自分の足りないものを知っており、人に任せることのできる人ではあった。初代はスタンフォード大学出、HP社創業者のヒューレットとパッカードとお友達だった。三代目は東大出だったが、凡庸だったのか会社をつぶしてしまった。
昔を思い出しながら話が横道にそれてしまったから元に戻そう。根室市役所の人材の話だった。根室市役所は採用が偏りすぎていないか?高卒の管理職が多いから偏差値の高い大学の学卒採用にビビッていることはないか?
角田さんは釧路の地元の人間であるから、釧路教育長をお辞めになってもふるさとを離れることはなかった。
根室の歴代の教育長は、任期が終わると一人の例外もなくただちに根室を去っていった。ただの「腰掛」に過ぎないのでは、仕事で成果が出せるわけがないと根室市民の誰もが苦々しく思っている。
ブログ情熱空間より転載
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/7922582.html
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2015年05月01日
会長のコラム(釧路の教育を考える会)
ウチ(釧路の教育を考える会)の会長は、元釧路市教育長でらっしゃいます。
当初、正直、私はこう思っていました。
ウチの会の会長になるということは、教育長として仕事をなさったこと、つまりはご自身の仕事を否定することになるのではないか?
なので、会長を引き受けてはくださらないだろう…。
ところがどっこい、引き受けてくださったんですね。
実は、そのことについて質問をしたんです、会長に。
すると、笑ってこう一言。
やり残した仕事かな。
もうもうもう、単純な私などはその一言でイチコロです。
で、さらにもう一言。
私が教育長のときに、あんたに会いたかったな。
というわけで、私などはたった二言で「完全にやられてしまった」わけであります。
会長ったらもう、「人たらし」なんだから(笑)。
斬りまくってばかり、突撃隊長の私としては、温厚で沈着冷静な会長に、実に申し訳なく思ってはいるのですが、どうにも性分なもので…。
というわけで、今日(2015.05.01)の釧路新聞は番茶の味、釧路の教育を考える会・角田会長のコラムです。
当初、正直、私はこう思っていました。
ウチの会の会長になるということは、教育長として仕事をなさったこと、つまりはご自身の仕事を否定することになるのではないか?
なので、会長を引き受けてはくださらないだろう…。
ところがどっこい、引き受けてくださったんですね。
実は、そのことについて質問をしたんです、会長に。
すると、笑ってこう一言。
やり残した仕事かな。
もうもうもう、単純な私などはその一言でイチコロです。
で、さらにもう一言。
私が教育長のときに、あんたに会いたかったな。
というわけで、私などはたった二言で「完全にやられてしまった」わけであります。
会長ったらもう、「人たらし」なんだから(笑)。
斬りまくってばかり、突撃隊長の私としては、温厚で沈着冷静な会長に、実に申し訳なく思ってはいるのですが、どうにも性分なもので…。
というわけで、今日(2015.05.01)の釧路新聞は番茶の味、釧路の教育を考える会・角田会長のコラムです。
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2015-05-01 23:53
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コメント(11)
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ご紹介ありがとうございます。
はい、一発でやられてしまった私です(笑)。
by ZAPPER (2015-05-02 10:38)
ZAPPERさん
ああ、この人にはかなわないや、心の底からそう思える人に出遭えるのはうれしいことです。(笑)
by ebisu (2015-05-02 10:50)
今年は、雪解けが早く、農業も縮小したので時間に余裕ができてしまいました。
ebisu さんが、疑問に残していた、of やれそうです。
具体的には、どんな文例でしょうか?
あと、英語の先生方へ、suggest された内容と反響を余裕のある時にup していただけないでしょうか?
宜しくお願いします。
by 後志のおじさん (2015-05-02 18:06)
後志のおじさん
雪解けが早くてよかった、of を俎板に載せられますか。
>具体的には、どんな文例でしょうか?
The University of Tokyo
Meiji Universityは可でも、The university of Meiji
は不可。
なぜそうなのか理屈があるはず。
「明治な大学」はマークピータセンが『日本人の英語』かなにかで書いていたような気もします。
この辺りからどうですか?
ところで私のほうは今日は仕事でした、明日日曜日に教室を自宅書斎へ移します。
5日には作業が終わっていますから、文例をいくつかピックアップしますのでご了承ください。
あと、これは私への依頼でしょうか?それとも英語の先生方への依頼でしょうか?
> あと、英語の先生方へ、suggest された内容と反響を余裕のある時にup していただけないでしょうか?
以前の議論でまだアップしていない分があったと思いますが、残りを確認して続きはもちろんアップします。
これからなされるであろう議論ももちろん本欄へアップします。投稿欄ではもったいないですからね。
英語の勉強をどのようにやればいいのか迷っている中高生は多いでしょう。hirosukeさんや後志のおじさんの勉強法をぜひコピーして成果を挙げてもらいたい。
「イメージ音読H」「同調音読S」「30回音読、10回書き取りS」
by ebisu (2015-05-03 00:51)
休憩だか、早い昼食だか、遅い朝食だかわからない「休憩タイム」です。
AOFB は、
A=Bまたは、A⊆Bを表します。
日本語の「の」より、はるかに範囲が狭い。
だから、「その学校の生徒」のつもりで
the student OF the school
とすると、学校の代表者、になってしまうのです。
the University of Meiji 「明治な大学」。
さすがは、マークさんですね。
女子高生が、「チョー、ムカついた。」のあと直ぐ、「シャカリキ、ムカついた。」という日本語表現を聞いて、「嬉しくなってしまう」方ですから。
明治と一体の大学、と読んだらどうなるでしょうか。明治(時代)を代表するとか、明治(時代)らしいとか、ですから、「明治な」大学という訳ってピッタリです。
私の、御願いの文、悪文の最たるものでしたね。
ebisu さんが、アドバイザーをされている先生の勉強会での、「アドバイス内容と、ebisu さんが直接耳にした感想を」というつもりで、かきました。
改めて、御願いします。
by 後志のおじさん (2015-05-03 11:11)
後志のおじさん
シンプルな解説ありがとうございます。
3冊見ましたがどれもくどかったし、視点がばらばら、どうもわかった気になれないのです。
「=」記号をつけて解説してくれたのは「同格」のOFですね。OFは部分集合「A⊆Bを表します」というのも頷けます。理系の人間にはそういう説明だと理解がしやすい。
全体集合からある部分集合を切り離す作用があるから、OFFに似ています。
>the student OF the school
その学校の生徒なら
the student FROM the school
このあたりは日本語では「~のXX」となっているので、日本語を中心に考えているとうっかり間違えます。
そういう意味では、中高生には役に立つ解説です。
英語というのは、たくさんの文例に出食わして、帰納的にそのイミやキモチの核心をつかむしかないのでしょうね。演繹的にやりすぎると、すぐに破綻を起こします。
左翼が階級闘争史観をいう色眼鏡を通して歴史や現在の状況を分析して、自己破綻するのに似ています。
ところで、私は先生たちの勉強会のアドバイザーはしておりません。ひょっとすると、誤解するようなことを書いたのかもしれません。心当たりがあるのは1月下旬に、先生たちのグループの勉強会の講師を依頼されて経済学のお話をしたことです。ここではもちろん英語に関する話題はでておりません。すいません、ご要望にお答えできなくて。
地元の先生たちと会話する機会があるといいのですが、機会が訪れません。いくつか接点は出てきました。中学校の英語の先生たちとコミュニケーションしてみたいです。楽しいでしょうね。
火花を散らすコミュニケーションになるのか、穏やかなコミュニケーションになるのか、おそらく後者だと思いますが、異分野の人間が出遭えば何か新しい価値が生まれそうな気がします。
ところで、教室の自宅書斎への移転は1.5時間で終了。その後片付け作業に3時間ほど要しました。すっかり片付いてほっとしています。
電話の移転とボイスワープの設定も滞りなく終了。明日からでも授業が始められます。
今度は別の部屋で自習させることができるので、勉強したい生徒は毎日きても大丈夫そうです。
一クラス7名(9名まで拡張可能)、4人同時に使える座卓コーナ、そして別室に机を3個置いて自習用2人分のスペースを用意してあります。どちらの部屋にも本がたくさんあるので、本好きな生徒には環境が改善されました。生徒の喜ぶかが見たい。
これでじっくりと人材育成がやれそうです。体力がきついので一クラス減らして、隔週土曜日休みにしました。
教えることは自ら学ぶこと、晴耕雨読ではないですが、後志のおじさん同様にわたしもわたしなりのやり方で人生を楽しんでいます。(笑)
by ebisu (2015-05-04 00:11)
of は、「くっつける」のですよ。前の言葉に。それも、強烈に。
deprive him 'of ' civil rights
公民権=彼くらい、強烈に、です。
ですが、「訳文」を作ろうとすると、日本語では「奪い取る」対象は通常じぶつなので、公民権「を」となってしまう。必然的に彼「から」と続きますが、本来のof とは、全く関係ない訳語と私には思えるものです。
a kind of は中学英語ですが、「一種の」とすると逆順になります。
これは、kind と「種類」の守備範囲の違いによるもので、方向とdirection のように、捉え方が異なるからなのです。
私自身、無限の仮説と検証を繰返しつつ、英語を「読んで」います。
数学ができる方には「自明」だと思っていたのですが、命題に対する反例が、1つでもあるならば、その命題は、「偽」だったはず。
私は、こうした姿勢で、自分の英語の世界を作ってきました。
こうした姿勢がとれない方は、せいぜい「大学入試センター試験」レベルがいいところでしょうね。
by 後志のおじさん (2015-05-04 23:50)
後志のおじさん
>私自身、無限の仮説と検証を繰返しつつ、英語を「読んで」います。
これはすごいことですね、わたしはこのごろそういう読み方をし始めました。ハイハイの段階です。若い人たちは大学生になったらそういう読みを意識して始めたら10年後の収穫が楽しみになるでしょうね。
>命題に対する反例が、1つでもあるならば、その命題は、「偽」だったはず。
これも知らない高校生はいないでしょう、しかし英文を読むときにこの命題を思い出す人はなかなかいないように思えます。英語が好きな人はしばしば数学嫌いですから、英語を読むときには数学の知識とのリンクを切断しています。もったいない。(笑)
英文を読む作業もやり方次第ということですか。
ところで、お示しのこの句は、もうひとつのa kind of と同じに見えてしまいます。
>deprive him 'of ' civil rights
「彼の市民権を奪う」と。
'a kind of~'が可能なら、 'him of ~'も同様にして可能。
では、なぜ英語と日本語がこの場合は逆順になるのかというところが、わたしにはわかりません。
'a kind of~'の日本語訳が逆順になるのは、「kind」と言う英語と「種類」という日本語の守備範囲の違いによるという假説を立てたら、kindを含まぬ'him of ~'は同じ仲間にはなりませんから、逆順の日本語訳は成り立たない。
でも「彼の公民権を奪う」は「彼から公民権を奪う」とイミとしては等価です。
わたしは迷ったときには「原理原則に還れ」と生徒に繰り返し伝えています。ここでも原理原則に戻りたいと思います。
'a kind of~'は後志のおじさんが書いているように、「=」記号かその真部分集合「A⊆Bを表します」でわたしには理解できます。
たとえば、'a kind of sport'はスポーツという全体集合があって、その真部分集合と考えていいのでしょう。「喧嘩はあの二人にとってはある種のスポーツ」「釣りはある種のスポーツ」「日曜大工仕事はある種のスポーツ」・・・
「kind」という英単語と「種類」という日本語の単語の守備範囲や使われ方が違うから逆順になるという説明も、なるほどと肯けます。
そうすると、him 'of ' civil rights も英語の句の構成と日本語の句の構成の違いということでいいのではないですか?
>こうした姿勢がとれない方は、せいぜい「大学入試センター試験」レベルがいいところでしょうね。
翻訳家でもそういうレベルの方がいらっしゃいますから、それでも十分かもしれません。
むしろ、假説検証を繰り返す、後志のおじさんの読み方が異例中の異例といえます。
「鬼の英語読み」
なんとなくそんなフレーズが頭に浮かびました。
敬意を表して・・・ebisu
by ebisu (2015-05-05 10:04)
後志のおじさんの議論で展開されている論理を一つずつ追ってみたいと思います。論理の森に分け入る探検隊を編成したと思ってください。
ややこしい問題を分解して、インタープリタ言語のBASICみたいに1ラインずつ逐次解釈していきます、きっと楽しい。
>of は、「くっつける」のですよ。前の言葉に。それも、強烈に。
くっつける、なるほど、前の語とがっちり接着するのがOFの役割。そこはわかりました。
>deprive him 'of ' civil rights
>公民権=彼くらい、強烈に、です。
公民権がhimにがっちり接着されたということのようです。公民権が彼にがっちりくっついている状態をイメージしてみます。
がっちりくっついている公民権を奪い取る⇒彼から公民権を奪う
なるほどなるほど。
そこで今度は別の例が俎板に載せられました。
a kind of ~
a kind of sport をとりあげてみます。OFはスポーツを種類に接着しています。
>a kind of は中学英語ですが、「一種の」とすると逆順になります。
「一種のスポーツ」と訳語が逆順になる現象を目の当たりにして別の論理がさしはさまれました。OFが前の語への強い接着であるとする説明では a kind of sport は理解できないということです。
つまり、後志のおじさん自身が反証をひとつ挙げたことになると理解していいのでしょう。
OFが「前の語との強烈な接着を表す」という假説は棄却しなければならないと理解してみます。
そこで、あの最初のすばらしい定義に戻りたいと思います。
A OF B ⇒ A⊆B
a kind は sport の真部分集合と読めます。「世の中にはさまざまなタイプ(種類)のスポーツがあり、そのなかのあるタイプ(種類)」とわたしには素直に読めます。
訳語はワードオーダをそのまま維持するのではなく、意味を維持します。だから、意味を適切に日本語の文章で表現しようとすると英語とそれに対応する日本語が逆順になるケースも出てきます。
たしかに、英語と日本語に句構造でワード・オーダが異なるものが散見されますし、それらの一群のリストを挙げて検討してみることは楽しいことでしょう。
意味するところは「AはBの真部分集合である、そして同格」ということで、統一的に了解できるのではないでしょうか。句構造の違いは日本語での表現という結果論に過ぎないように感じます。
後志のおじさんのいう、假説と検証の不断の繰り返しとはこういうことであろうと思われます。
後志のおじさんの議論はところどころ敷衍しないとイミがつかめない抽象的な領域に入ったり出たりすることがあるので、抽象的思考に不慣れな中高生の皆さんのために、解説しました。
英語に関する知識を試行錯誤を繰り返して整理したり、日本語と句構造におけるワードオーダに言及したりと議論はめまぐるしいですが、假説と検証を繰り返すことでつかめるものは少なくないはずです。
ebisuは少しずつ、「後志おじさん教」の伝道師になりつつあります。(笑)
とくに数学的な思考を織り交ぜながら英語を見ているところが他の人と大きな相違であると感じています。実にユニークで強力な英文読解法です。後志おじさん流の假説検証をどんどん真似て成長してください。
by ebisu (2015-05-05 23:27)
OFその3になりますね。
すこし抽象的な議論にお付き合いいただきたい。
>of は、「くっつける」のですよ。前の言葉に。それも、強烈に。
型は「A OF B」です。
単語の並びの型としてはの単語をAの単語にくっつける役割をOFが果たしているということでしたが、kindで破綻しました。
AがBの真部分集合だとしたら、Bの基本的な性質は部分集合にもある(つまり、同格)ということになります。そう考えると、Aは全体集合Bから、任意の真部分集合を分離したものということになります。そういう意味ではOFは「分離を現している」と言えるでしょう。そのあたりがなにやらOFFと似ていませんか?おやおや綴りまで2/3が同じじゃありませんか、何か匂ってくるような気がするのですが・・・
そのあたりのわたしの発言に、やんわりとOFFの「分離」とは違うよ「OFはくっつけるのです」、ということだったのだろうと思います。もちろん、型のことに関しては、わたしにも異論はありません。
a kind of sport の不定冠詞aは全体集合から任意の一つの要素の分離を現しているようにわたしには見えます。高校生にわかりやすいように理由を書かなければなりませんね。
aの機能は、細胞膜のようなものだと思います。自己と非自己を分ける境界を設定するのがaの役割です。
そういう観点から眺めると、a kind of sport は実に相性のよい単語が並んで一つのイメージを提供しているように見えてきます。
「いろいろさまざまなスポーツがあるが、他のどれでもないある種のスポーツ」⇒「一種のスポーツ」
たとえ話をしてみます。実数の範囲で数直線をイメージすると、不定冠詞a が付くことで、任意の閉区間が設定された印象を受けます。「A OF B」でBは開区間ですが、Aはその中の任意の閉区間を現します。
試行錯誤を重ねる中で、假説と検証を繰り返しOFの核心に迫ってみる、楽しいですね。
否定的な意味で、思弁的に過ぎるとお叱りをいただくかもしれませんが、思弁的というのはいいほうの意味もあります。
『大辞林』には次のように定義されています。
-------------------------------------
①よく考えてものの道理をわきまえること
②[哲]実践や経験を介さないで、純粋な思惟・理性のみによって事物の真相に到達しようとすること」
-------------------------------------
スコラティックな(スコラ哲学的方法)議論を進めてきたが、スコラ哲学の原義は英語ではschool。さて、中学校と高校の英語担当の先生たちは授業で前置詞OFをどのように説明しているのだろう?
中高生の諸君は英語担当の先生といいコミュニケーションの機会だ、具体的な文例を挙げてOFについて質問してみたら?
by ebisu (2015-05-06 01:06)
拙論の詳細な解説、ありがとうごさいます。
「ふえんしないとイミが掴めない抽象的な領域に入ったり出たりする」
自分の思考プロセスを省力して、結論だけをポンと出して、後から相手の顔をみながら説明をくっつけるのが私のくせなのです。すみません。
ただ、わかる人にはわかってもらえるし、逆にそういう人に、一から説き明かすように説明するのも、くどくて失礼かとも思えるので。
私自身、くどい説明を読まされたり聞かされたりが、大嫌いなものですから。
分かりやすく、かつ、簡潔にまとめて頂きありがとうごさいます。
Kind だけ、補足させてください。
kind は「種類」ではなく、強いていうなら「種」です。
お品書きを思い浮かべて下さい。
「種類」というと、お品書き全体を捉えたものになりますが、
kind はお品書きを構成する、1つ1つの「お品」に意識が向いています。
kind, sort, variety どれも似たような感覚です。
だから、allsorts に「詰め合わせ」という意味がでてくるのです。
こうした話、中学生相手にもやっていました。素直に理解できた子たちはすんなり英語の世界に入っています。
日本語らしい訳文にこだわる子は、高校から伸びませんね。
私は、英語の語順のまま、内容の理解ができるように説明し(「読み」と読んでいます。)、「訳文」は内容を外していなければなんでもいい、としています。
ところが、文構造も語の含意も無視して、ひたすら訳語から「日本語らしい訳文」を作りたがる子供がいます。日本語らしくないと気がすまないのでしょう。
こんなもんでも、北海道の高校入試ではSS65とか、ついてしまうのだから、全く話になりません。
by 後志のおじさん (2015-05-06 11:50)