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#2964 『資本論』と経済学(21):「過剰富裕化論」 Feb. 8, 2015 [A1. 資本論と21世紀の経済学(初版)]


19. <馬場宏二「過剰富裕化論」>
 馬場先生の過剰富裕化論の結論は悲観的である。このままでは人類は滅亡の道を選択する、いや選択しつつあるという論旨になっている。人類が欲望を抑えなければならないという点では私の「新しい経済学」と一致しているが、人類が滅びざるをえないというところが相違している。
 人類の未来への暗澹たる憂いを抱きながら、馬場先生は滅亡を回避するための処方箋も記している。その中に経済成長の放棄と肉体労働の重視があるが、それら二つは職人中心の経済と通底するものがある。処方箋においてはそれほど離れたものではないというのがわたしの印象である。

 過剰富裕化について提唱者自身の説明をみよう。
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…過剰富裕化は如何様にして生じたか。直感的には、いわゆるダイエットといわゆるジョギングが普通に行われている社会は、過剰富裕化した社会である。この社会で普通に労働して普通に所得を得、普通に生活していたら、過食と肉体労働不足で健康が悪化する。それを回復するには、大衆レヴェルで節食と余暇における運動が必要になる、という意味である。
(馬場宏二著『宇野理論とアメリカ資本主義』2011年御茶ノ水書房 第四部「三 成長の限界 (2)過剰富裕化」462ページ)

 
…それだけではない。自動車化、家庭電化が生活のための肉体労働を減らし、大人の肥満を生み出すとともに、歩けない子供を生み出した。これは明らかに種としての人類の劣化である。が、この害の方は余り意識されず、殆ど騒がれなかった。この劣化は肉体的劣化から知的劣化に及ぶが、家庭電化、特にTVの娯楽番組や広告を通じて世界認識を混濁させ、IT技術の身辺化に至っては、大人の世界にすら事実認識や自己同定の混乱を引き起こしている。成長過程にある児童に及ぼす撹乱効果に至っては、想像の範囲を超える。彼らにケイタイやらゲームやらの普及が激しいことを考えれば、この表現は決して大げさではない。
 ここまできたとすれば、量産型工業文明によって自然環境が修復不能にまで破壊され、グローバル資本主義化によって、自己保存型の伝統的社会が破壊しつくされ、環境ホルモンや遺伝子操作で生命維持力を破壊された人類に、類的存続を保とうとする意志と気力が残されているか否か疑わしい。
 
以上の考察から、資本主義が、万能薬としての経済成長を通じて世界規模の過剰富裕化を惹起し、その結果、人類滅亡を通じて自滅するのが殆ど必然だと言える。(同書486ページ) 

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世界市場の出現と人類の生存環境を脅かすほど大きくなった生産力はマルクスが見ることのなかったものである。馬場先生は経済成長路線は人類の自滅のもとだとはっきり言っている。この本を書かれた後に福島第一原発事故が起きた。
 
馬場先生は死を前にして、経済理論学会へ次のメッセージをよせた。

 #2237過剰富裕化論提唱者の福島原発事故処理構想:遺稿 Mar. 4, 2013」より抜粋 

「経済理論学会第59回大会特別部会 東日本大震災と福島第一原発事故を考える 意見・提言集」 26ページ
http://jspe.gr.jp/drupal/files/jspe59teigenshuu.pdf
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1.
 原子力発電は過剰富裕化とシャム双生児である。
 質的には、人力で制御し得ない生産力をもちいて、当面の金もうけや生活の安楽の資とし、自然環境を生存不可能なまでに破壊する。量的には、日本原発設置は日本経済が、まさに過剰富裕化水準に達した時点から暴走した。電力消費抑制を含めて、反原発は過剰富裕化批判である

2.
 原子力発電コストは意図的に過小評価されていた原発なきあとの電力価格は、当然、大幅に引き上げるべきであり、それが環境維持の一助となる

3.
 原発処理を含めて、震災復興費は、付加税によるべきである国債によるのは、亡びの道である当代のマイナスは当代で負うべきである。負っても、まだ過剰富裕化状態である

4.
 肉体労働を高評価する風潮をつくるべきである。これが社会再生のカギである

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 1番目は馬場氏の年来の主張の過剰富裕化と原発をセットにして初めて論じた。
 2番目は「原発なきあとの電力価格は、当然、大幅に引き上げるべきであり、それが環境維持の一助となる」という主張はかなり踏み込んだものであり、大胆だ。廃止と同時に過剰富裕化を軽減するために電気料金値上げを受け入れるべきだと言っている。
 3番目の当代のマイナスは当代で負うべきというのは言葉の使い方がうまいな思うと同時に気迫を感じる。
 民主党政権と同じように安倍政権も国債増発で乗りきろうとしているが、国債で賄ってはいけない、きわめて重要と思われる論点である。次世代に対して当代がどう対峙すべきか迷いのない決然とした主張である。
 そうするためには付加税だけではすまぬ、特別会計予算と一般会計予算を徹底的に削るべきだ。あらゆる費用をおおよそ3050%カットするくらい過激なことを考えないといけないのだろう。大きな痛みを伴う具体案を1年間で検討し、ただちに実行すべきだと諭しているかのようだ。やれば戦後最大の国家プロジェクト、いや日本の歴史に残る大プロジェクトになる。
 4番目の「肉体労働を高評価する風潮をつくるべき」だという主張は今までの過剰富裕化論にはなかった論点であり、唐突であるが、経済成長を止めるべきだという馬場氏の主張の延長線上の発言でもある。一番最後に記したのはさらなる論考への誘(いざな)いだったからだろうか。
 この論点は職人経済社会を標榜するわたしには大歓迎である、2年半前に言及したとおりの展開になったことに驚く。
 
私は20108月の#1158で過剰富裕化論をとり上げて、次のように書いている。

「資本主義経済批判であると同時にマルクス経済学批判でもある職人主義経済は過剰富裕化論といくつか接点をもつことになるだろう、そういう予感がする。」

 馬場先生の絶筆のレジュメを読むとこの予感通りになったように思える。私は2年半前に理由も挙げている。

「資本主義経済で生産力の発展と拡大再生産が至上命題になってしまったのは、労働概念にもかかわりのある問題である。労働力は資本の拡大再生産のための歯車のひとつでしかない。
 名人の仕事を想起すればいい、全人格的な職人仕事は生産力を発展させない。利潤追求も至上命題にはならないから、拡大再生産とも無縁である
 ひたすらいい仕事をするために技術を磨き、道具の手入れを怠らず、仕事の手を一切抜かない。ごまかしのない誠実・正直な仕事をする
 職人主義経済は正直・誠実を旨とする。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」には地球環境との調和も入っている。「世間よし」はまさにそういう価値観の表明である。自分だけがよければいい、自分の会社だけが儲かれば地球環境はどうなってもいいなどとは考えない。馬場先生と一度話してみたかった。」

 馬場先生はこうも言っている、「肉体労働を高評価する風潮を作るべきである、これが社会再生のカギである」、私の用語に翻訳すると「スミス、リカード、マルクスの労働概念から神の国の職人仕事概念への転換が社会再生のカギである」ということ。

 馬場先生の論にさらに付け加えたい論点がある。
 鎖国(強い管理貿易)で国内に手仕事を確保すべきだ。TPPとは真逆のことをやるべきなのだ日本はそういう時代の転換点にあることを認識すべきだ。西欧経済学の労働観に対置して「職人仕事」へ価値観の転換を果たすべきだ、そこに人類社会再生のカギがある。
 日本列島に住む日本人は縄文以来1.2万年の日本列島の歴史で、初めて超高齢化社会の到来と急激な人口減少時代を迎えている。21世紀になって、ようやく新たな経済学が生まれる必然性が生じている


  馬場先生の論点:人類滅亡への道(青)と人類再生への道()、二者択一。(#1164より)
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2008
929日青森大学で開いた特別講演のレジュメの中の「
.歴史観・価値観の逆転」という項目を再掲する。

.歴史観・価値観の逆転
 ―人類存続の前提―
 経済成長主義―世界の場合・日本の場合
 利潤経済=市場主義化―民営化・規制緩和・グローバリズム
 アメリカ的価値観=西欧近代思想の極限
           ―個人の自由
           ―成功至上主義
           ―臆面なき自己正当化
           ―フロンティア願望
           ―人種差別戦争
**
  **  **  **  **  **  **  **  **  **  **  **

  ―それでも、人類として唯一重要な課題、最大の努力が要る―
      ―金儲けと戦争の放棄
      ―生産より分配、発展でなく安定、民営化でなく重税国家
      ―経済成長を止め、物的消費水準を意図的に大幅に下げる
 先進国は消費水準を下げられる、それが『過剰富裕』の意味
 途上国は、先進国の下げた水準を到達目標とする
 到達目標は、地球環境自動復元力の回復

 前段(青‘**’より上)は逆転すべき価値観、後段(緑**より下は馬場氏が人類が生き延びるために示した指針である。
 逆転すべき価値観として「利潤経済=市場主義化―民営化・規制緩和・グローバリズム」を挙げている。金融デリバリー取引は利潤極大化のために実体経済の数百倍もの規模に膨れ上がり、世界経済の時限爆弾化している。利潤を追求して株式会社は成長路線をひた走っている。
 利潤追求は資本循環(拡大再生産)と相性がよい。資本主義では資本循環は個別企業にとって経済成長そのものである。馬場氏はそうした価値観を棄てろと言っているのだ。
 穏やかに言い換えると、「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」路線で行けということだとわたしは理解したい。地球環境との共存は「世間よし」ということだ。
 


*#2935 『資本論』と経済学(1):「目次」 Jan. 25, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-01-25

 #2948 『資本論』と経済学(12) : 「学としての『資本論』体系解説」 Jan. 29, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-01-30

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