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#2823 歴史の真実:1949年10月1日は中華人民共和国建国の日 Oct. 1, 2014 [20. 歴史]

 中華人民共和国の建国の日(国慶節)は1949年10月1日である。日本が先の大戦に負けた1945年8月ではない。
 中国は抗日戦線を戦って"日本から独立した"と宣伝してるし、そのように嘘で塗り固められた教科書で国民を教育し続けている。
 1949年に日本軍が中国にいたか?日本は1945年8月15日に白人帝国の国際連合軍との戦いに敗れ無条件降伏している。
(学力優秀な若者がゼロ戦の操縦桿をにぎって特攻に赴いた。その数5000名を超える。負けはしたがアジア各国はその後白人帝国からの独立を次々に果たした。目的の一つは達せられたのである。)
 では中国共産党軍は誰と戦っていたのか?蒋介石の率いる国民党軍である。つまり、日欧米の列強が中国大陸から手を引いたあと、4年間も内乱を繰り広げており、1949年に決着がついて中華人民共和国が誕生した。

 建国後の話だと思うが、「一村一殺」運動まであったらしい。村の中の「ブルジョワ」を選んで見せしめに殺した。「人民裁判という名のリンチ」が中国全土で行われた。裁判は公式記録が残るが、リンチは公式記録を残さない。当時の中国にいくつの村があったのか私は知らない。国民党軍との内乱とその後の「粛清」でどれほどの「中国人民」が殺されたのか公式な統計は殺した側の中国共産党ももっていない。毛沢東が政権をにぎっていたときなされた権力闘争である紅衛兵の文化大革命(1966-1977)を含めると犠牲者の数は一説に2000万人とも言われている。中国の歴史は王朝が交替するごとに虐殺の繰り返しである。中国共産党もその例に漏れぬ。

 その中国共産党軍は日本軍とはほとんど戦っていないし、中国を共同統治していた欧米列強の帝国諸国軍とも戦っていない。なにしろ大東亜戦争で中国は白人の側についたのだから白人帝国とは戦っていないヘタレな国なのだ。列強に要求されるままに租借や割譲を繰り返した。
 他のアジア諸国は宗主国の白人帝国とそれぞれ戦って独立を成し遂げている。多くの日本軍将校や兵士が残留してアジア各国の独立戦争を共に戦っている。だから、インドやフィリピンやインドネシアやミャンマー(ビルマ)、ベトナムなどは親日的である。それぞれの国の独立に日本人が損得抜きで深く関わったからである。白人帝国に立ち向かうために大東亜共栄圏、五族共和という理念を共有した時期があった。
 同じ植民地統治下にあった台湾は親日的で、韓国は反日。日本は韓国にも台湾にも帝国大学を設置した。当時日本も決して豊かではなかったが国家予算の4分の1も割いて植民地経営をして、インフラの整備に努めた。戦後それらの教育機関で育った人材が両国を支えた。もちろん整備された鉄道・道路・ダムなどのインフラもそのまま使われたのである。
 韓国は反日、台湾は当時の日本人の努力に感謝して親日となった。同じことをしてもこれほど受け取り方に違いがある。
 アジアの中で中国と朝鮮が白人帝国と戦わなかった。いや、多くの朝鮮人が日本人として日本軍に参加、戦死しているから共に戦ったといえるだろう。他のアジア各国は宗主国の白人帝国と戦って独立を遂げて建国しているが、中国にはそういう誇れる建国のストーリがない、そうした真空が生じたところへ「抗日戦を戦い抜いての建国」というフィクションがはめ込まれた。国民は簡単にだまされ、いまだにだまされ続けて反日を叫ぶ。

 今日10月1日は、中華人民共和国建国の日である。1945年ではなく1949年であることを再確認してもらいたい。抗日戦争を戦い抜いて日本から独立したのではないのである。当時の中国共産党軍は国民党軍に追われて逃亡中だった、それを毛沢東は「長征」と称している。たんなる長い長い逃亡劇を長い征服劇と偽ったのである。

 永遠に嘘を突き通さなくては中国共産党の正当性の根拠がなくなる。中国共産党軍が単独で抗日戦争を戦ったことはない、ずっと国民党軍と戦っていた。
 大東亜戦争(第二次世界大戦で)白人列強の帝国に味方したアジア唯一のヘタレな国だなどとは口が裂けてもいえまい。中国共産党支配の根拠がなくなる。嘘で固めた建国ストーリ。

 社会科を担当している先生たちは中国建国に関して歴史の真実を生徒たちに教えてほしい。中華人民共和国建国の成立は1949年10月1日である、日本が先の大戦で欧米の国際連合軍に負けた1945年ではない。

<余談>
 根室在住の唯一の文学博士で考古学者であるKさんは、戦時中に文部省の要請でベトナム人の王族の青年に日本語を教えていた。ベトナムはフランスの植民地であったから王族が話す言葉はフランス語。ベトナム人に日本語を教えるのにフランス語を介してやり取りが行われた。あるとき「殿下に会ってもらいたい」と言われて、お会いしたそうだ。日本はベトナムの王族を日本へ招いて国費をかけて教育をしていたのである。韓国と台湾に8番目と9番目の帝国大学を創ったことも教育重視の表れだ。国の独立を支える基礎が教育にあることを知っていた日本はアジア各国の独立を果たすためにこういう基礎的なこともしっかりやっていた。

 この話は伝聞ではない、ご本人から直接お聞きした。わたしは仲人さんでもあるKさんを「K先生」とお呼びしている。歯科医のT先生と根室商業の同期生で仲がよかった。T先生は国後島の大漁師の出で人情味に溢れる人だった。北国賛歌の作詞者*でもある。ebisuが小学生の頃面白がってビリヤードで遊んでくれることがあった。背が足りなくて「しつれいします」といって床から両足が離れる、ほんとうはルール違反なのだが、それが面白いと満面の笑顔だった。穏やかな人柄のT先生の娘さんとはどういうわけか何度も同級生だった。8年間だったかな?信金向かいの角にあった菓子店のWさんもよく遊んでくれた。幼馴染のヤッコちゃんとは一度も同級生にならなかった。魚屋さんの女将のマーちゃんもその当時の幼馴染。花屋の娘のK子ちゃんも、洋裁店の(当時は)おきゃん娘のユッコも。どういうわけか近所に同期は女の子ばかり、男はebisu一人だけだった。道銀のところが広い空き地になっていて、ドッジボールやカンケリ、ケンパなど小学校の低学年までよく一緒に遊んだ。NTTがビルを建ててから広場がなくなり一緒に遊ばなくなった。近所に適当な空き地があることが、こどもが外で遊ぶかどうかの鍵なのかもしれぬ。
 T先生も可愛がってくれた近所のおじさんたちの一人、そして特別な一人だった。どちらの先生も尋常小学校卒のebisuのオヤジと馬があった。元秘密部隊の落下傘部隊員だったオヤジは子供のころからきかなくて手のつけられぬガキ大将だったようで旭川の小学校を退学処分になりかけ、それをきいた親戚がねじ込んでなんとか卒業だけはさせてもらったという。おじさんが天皇のお召し列車の機関士で、当時の国鉄で北海道では名前を知らぬ人がいなかったそうだから、そのご利益だったのかも知れぬ。婆さんの出自は鳥取の西尾家、子どものころは駕籠に乗って「した~に、した~に」とお供を連れて外出したというので、叔母達が嘘でしょと笑っていたが、あるとき鳥取の婆さんの実家へ伯母が一人お供して大きな旧家にびっくりしたという。婆さんの話はほんとうだった。オヤジの釧路の実家はご先祖が船が難破して最初に流れ着いた三人の和人の一人だそうで大きな旅館をやり、鉱山経営にも手を出したようだ。釧路市史関係の新書(『釧路歴史散歩(上)』)に当時の2階建てのカネ吉という屋号の旅館(北海立志図録より転載)が載っている。親父が生まれたときには没落していた。オヤジが通った旭川の小学校が閉校になるので記念式典に参加したのはもう二十数年前のことだ、懐かしかっただろ、記念写真が残っている。

 いまは三代目だが二代目の歯科医F先生は根室新聞に時代小説や現代小説を連載していた小説家でもあった。平成3年に亡くなる少し前に、「トシボー」と名前を呼ぶので誰かと思ったらF先生だった。そういう呼び方をしてくれる大人たちはすでにない。40年ほど前に根室公園の木々を植樹したのはそういう大人たちだった。40年経ち、いまは小さな森になっている。

 ふるさと根室に戻って何かしようと思ったのはこういう大人たちのお陰でいまがある、たくさんしてもらったからいまがある、そして自分のできる範囲でふるさとへの恩返しをしたいと30代の頃に思い決めていたからだ。50歳をすぎたらふるさとへ帰ろうと漠然と考えていた。うまくしたもので53歳でそういう縁ができて戻れた、お陰で小さな私塾で30年後の根室のために数人は人材を育てることができた。

 K先生を介して、ベトナムと根室はサンマ輸出の前に戦時中からご縁があったことを、たくさんの根室人に記憶していたもらいたい。
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*根室市役所 [ 飯田三郎資料展示室 ]

www.city.nemuro.hokkaido.jp/dcitynd.nsf/doc/.../iidasaburou?...
昭和8年、根室を訪れたコロンビアレコードの作詞家、高橋掬太郎氏の勧めで、昭和11
年、掬太郎作詞の「愛のグラス」でデビュー。 昭和17年キング ... 昭和43年, 根室開基
100年を記念して、田塚源太郎作詞・交響組曲「北国讃歌」を作曲。 昭和48年, ミサ曲
が ...
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*#2687 『日本人はなぜ特攻を選んだのか』①黄文雄著 May 26, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-05-25-3

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ZAPPER

行くよ苦難(1949)の共和国。

年号暗記そのものですね。^^
by ZAPPER (2014-10-02 11:12) 

ebisu

ZAPPERさん
面白い語呂合わせですね。
国の単位が大きすぎるとさまざまな民族が一緒に暮らすので、勢力が優勢な民族による圧政が生じる。
『奴隷区 僕と23人の奴隷達』と根っこのところは同じです。漢民族がご主人様として好き勝手に振舞いたい。周辺民族は奴隷。東夷・北狄・西戎・南蛮、いまだに中国は中華の国、治りません。
だったら、東夷・北狄・西戎・南蛮と呼ばれた周辺の国々が手を結べばいい。そうなりつつあるようです。
by ebisu (2014-10-02 12:25) 

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