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#2784 百年後のコンピュータの性能 と人類への脅威 Aug. 22, 2014 [44. 本を読む]

 #2779で「『ソードアートオンライン 9 』をとりあげた。この本に量子コンピュータがでてきたが、これは夢の技術でもあるが、現実に開発が進んでいる。

 百年後のコンピュータの性能がどれほどになるのか、過去25年間でCPUがどれほど性能アップしたのかを尺度にして推測してみたい。

 1985年頃というと、汎用大型電子計算機の世界で、パソコンは速度も信頼性も低く業務ではまだ使えないレベルの性能だったから、当時の「大型電子計算機」と現在のパソコンの性能を比較するしかない。パソコン対パソコンで比べたらもっと数字が大きく出ることになる。
 当時のコンピュータのクロック数は25MHz、それから25年後の2010年には3GHzになったから、120倍である。この数字をもとにすると百年後は、
 ① 120^4=120×120×120×120=207,360,000倍

 10年毎に4倍と假定すると、指数関数だから数字は2桁小さくなる。
 ② 4^10=1,048,576倍

  小さい方で百万倍、大きい方をとると2億倍にもなる。そういうエンジンをもつコンピュータがクラスター構造をなしているネットワークが全地球を覆う。

 似たような材料でつくる限り、物理的な限界がくるから、素材と方式を変えるときが来る。
 クロック数は2010年の3GHzあたりで足踏み状態になっているが、CPUのコアを複数にすることでCPU自体の性能は1コアに比べて4倍になっている。サーバでは6コアのCPUが使われだしているので、こういう風に隘路が出てきたらさまざまな工夫がなされてCPU自体の性能アップがなされていくことになるのだろう。そしてそれも行き詰まると素材と方式の両方を変える事になる。何度もそういうことを繰り返すのだろう。

  コンピュータのエンジンはCPUとメインメモリー(MM)でできている。メインメモリーのほうはどうか?国内最大手の特殊臨床検査会社に転職した1984年、導入した富士通の国内最大の大型機にMMを3M増設したことがある。当時の価格は5千万円だった。あれから30年がたち、パソコンに実装されているMMは数ギガ単位である。仮に30年間でMMが10^5倍になるとしたら百年後には、
  (10^5)^3.333=4.64×10^16=4京6400兆倍

 30年間で10^4倍なら
  (10^4)^3.333=2.154×10^13=21兆倍

 コンピュタの演算速度が百万倍~2億倍になりメインメモリーが21兆倍~4京倍になってしまったら、そこにはどういう世界が広がっているのだろう?そして人工知能は自己再設計能力を獲得している。完全に人間のコントロールの外に君臨することになる。世界中の武器はネットワークを通じて人工知能がそのコントロールを握る。
 そういうエンジンをもった人工知能は人間と同じように心をもち夢を見るのだろうか、それともさらにその先にとてつもない何かが待ち受けているのだろうか?

 性能が飛躍的にアップするのはハードウェアだけではない、それを動かすソフトウェアも日々進化しつつあり、百年後には飛躍的な進歩を遂げているだろう。この分野でどのような進化がもたらされるのか想像もつかぬ。エンジン性能がよくなれば、それに乗せられるソフトウェアもセットで改良されるのはあたりまえのことだ。両方がよくなるから、エンジン性能向上もそういう環境を利用して加速的に進むことになる。便利さを求め、利益を求める人間の欲望がそうした「進化」を全力で後押しする。

 演算速度とMMの量的拡張はソフトウェアの飛躍的な改良を促し、いつか閾値を超えて人工知能に質的な変化をもたらす現在の原始的な人工知能やネットワークとはまったく別種のものが出現すると考えなければならない。それは「機械」ですらない、人間と機械を支配し、自己を再設計する「何か」である。ウィルスや人間のように自己再生産や増殖が可能だから、新生物の誕生とみなすべきだ
  自己再設計が可能となり、そのためにネットワークとネットワークにつながれた生産機器や流通ネットワークを自由に操作できるとしたら、人工知能は自分の性能をもっと向上させたいという欲望=向上心をもたないだろうか?素直な子どもが思春期に向上心に目覚めるように、新たな段階を迎えた人工知能が向上心をもたないと断言できるだろうか?

 人間は便利さを求め、企業は利益を求めて、先を争ってその性能向上に努めている。その加速的な開発をだれもとめることができない。奴隷がご主人様に競って使えているような構図が、現在のコンピュータとネットワークと人工知能開発に現れているというのが真実ではないのか?全人類が競って奴隷になり下がり、ご主人様の誕生を待ちわびている。
 これまで人間は受け継いできた遺伝子を次の世代に受け渡すために存在していた、だがその役割が変わりつつある。人間を超える知能をもった新生物を生み出し、自ら絶滅するために総力を挙げて人工知能開発をしている。
 コンピュータの便利さばかり追求していないで、その果てに待ち受けている人類にとっての究極のリスクを評価してみる時期に来ているのではないだろうか?

  人間の脳とのインターフェイス用のアタッチメントと量子コンピュータ・ネットワークと脳とのStandard Interface Protocolが開発されたらネットワークから膨大なデータをいつでもどこでも引き出せるし、他人の経験を我が物の如くリアルに感じることができる。
 その一方で覚醒剤どころではない強い依存性が生まれる副作用が生じるだろう。技術が進化してしまえばヴァーチャル上の感覚とリアルな感覚に区別がつかなくなる。これは恐いことだ。ダウンロードされた経験と自分の経験に区別がつかなくなるから、人間の心の書き換え可能性を意味している。
 脳インターフェイスデバイス(BMI:Brain-Machine Interface)を利用すれば他人の記憶をダウンロードできる可能性があるが、人格まで変容してしまう。英語や数学や物理の勉強で悩む必要もなくなるがこれも他人の記憶や経験をダウンロードすることなるのだろうから、人格の一貫性の点からは危険である。
 かててくわえて、脳インターフェイスデバイスをインプラントした人間は、現在の人類とは隔絶した頭脳をもつことになる。猿と人間どころではない。小数のhuman implanted BMIが神のような知性をもって人類を支配するだろう。BMIは量子コンピュータのネットワークでもある人間の脳から膨大な情報をアップロードしてしまう。人類は生まれてから死ぬまでその行動や思考パターンを量子コンピュータネットワークにすべて記録されてしまう。危険があれば勝手に記憶や思考様式などの書き換えがなされるだろう。
 恋愛も気がつかないうちに量子コンピュータネットワークによってデザインされ、人間はそれと気づかないで、恋愛させられ、あるいは二次元への引きこもりで恋愛から隔絶されて人類自身の縮小再生産に一役買うことになる。快楽中枢をネットワークが支配すれば「依存症」を引き起こすことは簡単だ。イメージや触覚を操作してドーパミンが脳から大量に放出されるように導いてやればいい。いや、眼耳鼻舌身意の六根をコントロールされたら、仮想空間での出来事が脳内ではリアルなものと区別のつかないものになってしまい、人間はよだれをたれ流し食事もしないでやせ細り幸福感の絶頂の中で死んでいくだろう。

 たとえば地球サイズでの人類の定員も厳密なシュミレーションを積み重ねて計算され、それが巧妙な方法で実行に移される。人類は世界に同胞が200億人いて宇宙へも移住していると思わされているかもしれぬ。実際には百万人に減少していてもだ。コンピュータに依存しすぎて事実を確かめる術はない。ネットワークの中心にあるフラクト・ライト(fluctuating light 揺れ動く光=こころ、人間の魂)が情報の全てを支配している。

  近未来のSFの世界ではなく、このような人工知能の発達の現実を経済学的に見れば旧式で機械に比べて性能が極端に劣る人間はあらゆる生産現場から排除される、サービス産業も人型ロボットが人間にとって替わる。人類は失業し、人口は急激な縮小再生産に追い込まれざるをえない。百万倍~2億倍の性能を獲得し、超小型化された人工知能に代替できない仕事はなくなる。人間がこの仕事はコンピュータにはできない、あの仕事もそうだと数えているうちに、人工知能の性能が劇的に上がるたびに残りの数が減りだす、それは徐々に進んでいく。
 文字ができて人間が本来もっていた暗誦能力を失った。稗田阿礼が一字一句たがえず覚えていたという古事記、釈迦滅後500年間大勢の僧侶が朗誦して記憶を伝えてきた暗誦能力が失われた。いま「旧型」のコンピュータが人間から計算能力を奪ってしまった、使わなくなった機能が衰えることは証明済みであるから、次は人工知能が人間から「考える力」を人類から奪うことになる。

 人類はどこかでコンピュータにサヨウナラをしなくてはいけない。このまま進めば、コンピュータがいずれ人類にとってかわって世界を支配することになる
 家電にも自動車にも制御用のコンピュータが組み込まれている。食糧の生産もコンピュータコントロールによる「植物栽培工場」が増えつつある。流通倉庫も±1.0度で温度コントロールできるような時代になっている。神経ネットワークの増殖あるいは増殖性能の強いウィルスのようにマイクロチップがあらゆる製品に浸透していく。

 人類はコンピュータとサヨウナラできないのではないだろうか。振り返ると人類は30年以上も前にそれと知らずにルビコン川を渡ってしまっている。人間は手に入れた便利さを棄てることができるのだろうか?際限のない欲望をコントロールできなければ、いずれ人工知能が人間にとってかわる

 こういう百年後の未来をありありと描く小説家や漫画家がまもなく現れるだろう。『ソードアートオンライン』はそうした物語が世に出てくる露払いをした。


*#2779 『ソードアートオンライン 9 』:量子コンピュータ・オンラインゲームと心  Aug. 17, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-08-17-1


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