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#2758 根室から現役東大合格は過去二人:その勉強スタイルに学べ Aug. 4, 2014  [65.a 成績上位層にかかわる問題]

 過去の事例から学べることもあるだろう。わたしの知る限りでは根室から東大へ現役合格したのは過去二人のみ、そこから何が見えてくるのだろう。

 一人は五十数年前のことだ。もう一人は9年くらい前だっただろうか。
 遠い昔に合格した人は少し変わっていた。親が根室支庁長で根室へ赴任してきたので、高校生のときに転校してきたようだ。父親はその後、根室支庁長を退職して昭和39年に根室市長になっている。
 何を思ったか珠算塾に通って1年間で日本商工会議所珠算能力検定試験1級をとってしまった。根室の珠算を全道トップレベルに上げた曙町の珠算塾のT先生が生前にその話しをebisuにしてくれた。「あいつがナンバーワンだった」とそう付け加えた。よほど強烈な印象の生徒だったのだろう。珠算をはじめて1年間で商工会議所珠算能力検定1級合格は尋常じゃない。後にも先にもそういう才能の生徒はいなかったのである。指の技術だから習得には修練がいる、目標に向かってひたすら努力できる人だったのだろう。東大を卒業して道庁へ就職し、支庁長になり定年退職したようだ。
 高校数学は計算速度が要求されるから、高速暗算が役に立っただろう。社会人になってからも高速暗算がいろんなシーンで役に立った子とは想像に難くない、なにしろ東大卒で日商珠算1級なんてメッタにいるものじゃない。東大受験しようと決めている人間が高校生になってから珠算塾になんか通わないよ、そんな暇ないもの。だからよほど能力が高く余裕のある人だったのだろう。きっと本もたくさん読んでいたに違いない。わたしは全珠連の検定を受検したことがないのでよくわからないのだが、商工会議所珠算能力検定試験1級は全珠連だと3段くらいだろうと思う。わたしも商工会議所1級の問題を半分の時間で合格点がとれた時期があるが、たいしたことはない。1年間で日商珠算能力検定1級合格のYさんとは天と地ほどの差があって才能は比べものにならぬ。そういう人がいることを小学生のときに知りたかった、高校を卒業して東京で35年間暮らし、根室へもどってきてT先生から、はじめて聞いたのである。ある種の負けず嫌いの生徒にはそういう情報は起爆剤になる、ああ、もったいないことをした。

 もう一人は噂では高校入試の得点が220点台(五科目300点満点)だったという。入学してから学校行事にはほとんど出ずに、まっすぐ帰宅して勉強していたそうだ。そして塾にも通わず自力で東大現役合格。努力の人、辛抱強い人のようだ。この人も尋常一様ではない。学校行事へ参加しないというのは普通の高校生にできることではない。目標をクリアするために三年間孤独に耐えたということ。楽しい高校生活を犠牲にするという選択肢がとれる人は稀だ。

 この二人に共通しているのは、自力で現役合格したということ、そしてそれ以外に根室で東大現役合格者がいないということ。この事実は案外大事なことを示唆しているよ

<チャンスは毎年2~5人の根室高校生にもある>
 高校入試問題の難易度が下がったから、いまなら240点クラスだろう。それぐらいなら毎年数人いるし、もっと高い点数で入学してくる生徒もいる。だが東大を受験する者すらいない。
 考えを変えたほうがいい、塾になんか通わずとも東大現役合格できるのだよ。ずっと塾通いしなけりゃいい大学へ合格できないと考えている人は、その時点で自力でやるという選択肢を捨てている。
 根室から小中高と学習塾に通って東大現役合格した生徒はまだいない、そういう塾はまだない。そのうちそういう生徒が出てきたら楽しい。

<過去の二つの事例からの結論>
 根室の過去の二人の例からいえることは、目標設定してそれに向かってひたすら努力できる者が合格したということ。競争相手のほとんどいない根室で小学校から集団指導塾に依存するような勉強をしていたら、現役東大合格はおぼつかないということかもしれぬ
 高校三年生になったら、最後の1年ぐらいは自力で戦えるほどの力が備わっているはず。いずれ社会人として働くことを考えると、高校生の時代に自力で勉強する習慣を確立しなかった人のほとんどが大学でも独力で勉強できないだろう、習慣になっちゃっているからね。しかし、大学生対象の学習塾はない。教育の最終目的(社会人としての必要な資質の育成)という点から考えるとすでに手遅れ、6年間あるいは9年間つけた勉強スタイルはもう抜きがたいものになっている。そう、依存心が強いという風に性格の一部にまでなってしまっている。

<集中的に量を増やすと質的変容が起きる>
 平日5時間、土日は7時間、三年間継続して勉強できる者は東大現役合格の確率が高い。根室高校2年生のときからだが、ebisuは公認会計士になるつもりで勉強したことがある、受験勉強始めたら経済学に興味がいき、公認会計士への道は捨てた。大学では2年先輩にすごい人がいた。受験の4ヶ月前に布団を実家へ送り返した。起きている時間はとにかく勉強、寝るのはたたみの上で仮眠するだけ。大学3年次で公認会計士2次試験に合格した。ある大手監査法人で京都の責任者をやっていた。そのKさんは大学へ入学して半年の11月の商工会議所簿記能力検定1級に合格している。
 大学院でもそういう部類の人は三人いた。一人は週に2回東大で教えているそうだ。あとの二人はそれぞれ学部長だ。三人とも大学はいわゆる一流大卒ではない。もちろん非凡な才能があったのだろう。受験向きではなかっただけだ。ああ、同期生にも一人いた、母校で哲学の教授をしている伊吹克己さんだ。

 難易度が高かった一昔前の司法試験も公認会計士も、共通しているのは毎日8時間以上の勉強を2年間継続する強い意志と辛抱力がある者が合格するということ。成績上位層ならそれだけ努力すれば東大にも難関国家試験にもたいがい合格できる。
 これだけ集中的にやれば、その人の中で何かが変わるのだと思う。集中的な勉強量の確保と継続が脳機能の質的な変容を促すのだろうと思う。やってみたらわかるよ。

<就職でブランドとして通用する大学>
 就職にブランドとして通用するのは旧帝大と一ツ橋大学、慶応大学くらいまで、それ以外は大学へ入学してからどれだけ学力レベルを上げたかナカミで勝負。そこそこの大学でいいのだよ、どうせナカミで勝負しなけりゃならなくなるのだから。
 高校生になったら、どこかで塾とおさらばして自力で実力相応の大学へ進学し、4年間自分を鍛えたらいい。大学生になったら自由だ、たった1年間だけでいいから1日8時間超勉強しろ。それだけ努力できたら社会人となってからどんな困難な仕事でもへこたれずに戦える。

<三つの分類>
① 自力で勉強できる者
② 3年間ほど塾で勉強の仕方を習えば後は自力でやれる者
③ 依存心が強くなり、高校卒業までずっと塾に依存し続ける者

 その昔東京渋谷の個人指導の進学塾で三年間だけ専任講師のバイトをしていたことがある。個人指導塾の草分けだろう。授業の基本は1:2で教える。その際にただひとつ気をつけていたことは生徒の塾への依存心を増幅しないことだった。独力で勉強できるのが一番いいし、それが本来のあり方だと考える。
 大学生対象の学習塾はないし、社会人対象の学習塾もない。人はいずれ独力で仕事に必要な専門書を読み、わからないところは優秀な同僚や先輩に尋ね、自力で仕事に対処しなければならないときが来る。とくに大きな企業へ就職して管理職になったときが山だ
 毎日繰り返したことは習慣となり、6年間あるいは9年間続けた塾依存の勉強スタイルはいつか性格の一部と成り、依存心の強い人間がつくられてしまっている。そういう人は、管理職となり困難な課題にぶつかった時に簡単に折れてしまうか、自分の仕事の不首尾を棚に上げて責任を部下に押し付けるようになってしまう。そして信用を失い脱落していく。

 教育基本法第一条にも謳っているように、教育の目的は社会人としてやっていくのに必要な資質を備えた人材を育成することだ
 この目的からいうと①のタイプが理想だ、このタイプはどのような環境においても自分を律してきちんとやっていけるだろう。②のタイプがそれに準じる、全国レベルの激烈な競争を勝ち抜くためには頭を垂れて塾で学ぶ季節があっていい。学校の先生にはないタイプの先生が塾にはいるからだ。外部に刺激を求めることがあっていい。出遭いは大事だが依存心を育ててはいけない。
 依存心を過度に育ててしまい③のタイプを脱しきれない生徒は30代40代になってからがほんとうに心配だ。塾依存の勉強スタイルは性格の一部になっている。それ無しには不安で独力で勉強ができなくなっていたら、かなり重症で治療が必要だ。
 10人ばかりの小さな会社とタイプの異なる上場企業三社で仕事をしてきたebisuは四つの業界のさまざまなタイプの社会人を見てきている。そういう視野で教育を考え、ふるさとに戻って塾を開いた。「自分が小学生なら」「自分が中学生なら」「自分が高校生なら」、「強力な社会人となるためにこういう塾がほしい」、そう考えたのである。
 勉強できる生徒も、そこそこの生徒も、あまりできない生徒も、不幸にして勉強が好きになれなかった生徒も、社会人となったときにたくましく生き抜いてもらいたい。ブカツに明け暮れて勉強しなかった生徒も社会へ出たら後悔する時が来る、心の底から勉強しなかったことを悔いればそのとき勉強を始めたらいい。自力でやってわからなかったら、ebisuが長生きしていたら聞きに来い。喜んで質問に答えよう。(笑)

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*教育基本法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H18/H18HO120.html


(教育の目的)
第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
====================




*#2746 どんな社会人をつくるのかという視点はあるか? July 23, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-07-23

 #2756 偏差値55以上の大学受験生対象の塾はビジネスとして成立たぬ現実(根室)  Aug. 1, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-08-01-1

#2757 学力テスト階層別データ分析:偏差値や基本統計量が公表されない学力テストのバカバカしさ Aug. 3, 2014  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-08-03

<参考:#2746コメント欄より>
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どんな社会人をつくりたいのか?
まさにその視点に凝縮されるものかと思います。

少なくとも、自分の部下として耐え得る者であること。可能ならば、自分の上司として十分な存在になること。

お願いです。そうしたスタンスで子ども達に接してあげてください。子どもの教育とは、特に男親による子育てとは、とどのつまり、そうしたことだと思います。
by ZAPPER (2014-07-24 22:40)
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ZAPPERさん、同感です。

次の段階しか見ていない先生たちが多い。
小学校の先生は中学校へ生徒を送り出したらそれで終わり。語彙力が小4以下だろうが、小数の乗除算ができなかろうが分数の四則演算ができなかろうがお構いなし。
中学校の先生は高校へ進学させればお役ごめん。2~3割の生徒が、西高校で英語はアルファベットからやりなおし、数学は小数や分数の計算からやり直しているのが現実。
高校の先生は、就職させたり、大学や専門学校に進学させたらOK。

ところが社会人となったときの基本的な資質は小中高の時代に90%も決まってしまう。
ブカツはテキパキ短時間で効果的なトレーニングをやり成果をあげたか?理論研究は毎週1回はやっていたか?
ブカツをやりつつ、勉強も一生懸命したか?
きらいな科目を辛抱強く克服したか?
本はたくさん読んだか?

毎日繰り返すことは習慣となり、3年間やり続けたら、その人の性格にまでなる。(好きなブカツだけやってりゃいい、嫌いな科目の勉強を強いずに甘やかしたら、箸にも棒にもかからないダメ人材が簡単に出来上がるから要注意だ。)
文武両道を貫いてブカツをしながら毎日勉強をしっかりやり続けた者は「辛抱力」が鍛えられているから、社会人となったときにどんな困難にも我慢して耐えることができる。
読む本のレベルを上げつつ読書をたくさんした者は、仕事で必要な専門書も平気で読むことができる。
数式の出てくる専門書は文科系の分野でも多いから、数Ⅲくらいは自分で勉強しておかないと必要な専門書すら読めなくなる。読める者と大きな差がつくから、数学は理系でなくても重要なんだ。
小中高でそれぞれの段階の学習内容をしっかり身につけたものは社会人となっても仕事に必要な学習を独力でできる。

<目標>
①どんな仕事を任されても、必要な専門書を読み、自分の頭で考えて仕事に活かせる人間となれ。
②時間がないとか言訳をせずに毎日コツコツ努力を重ねることのできる人間になれ。
③困難な状況でも辛抱できる人間となれ。
④卑怯なことやズルイことをしない強い人間となれ。
⑤惻隠の情をもった日本人となれ。

小中高でブカツや勉強や仲間と遊ぶことでそうした基本的な資質を練り上げろ

おもいっきりやれ!

どんな社会人をつくり上げているのかを常に意識してわがふるさとの生徒たちを指導してもらいたい。 m(_ _)m
by ebisu (2014-07-25 08:30)
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