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#2667 When will Abe learn?:安倍首相靖国参拝取りやめ  May 5, 2014 [75.時事英語公開講座]

  4月25日付のジャパンタイムズ社説である。靖国神社参拝の問題を高校生諸君はどのようにとらえるのだろう?
  高校3年生ならちょうどいいくらいの難易度のテクストだが、教科書と比べるとナカミは断然面白い。昨年12月には靖国参拝を強行、4月は参拝中止で真榊を内閣総理大臣安倍晋三名で奉納、これは窮余の名案なのかゴマカシなのか、判断は読んでじっくり考えてからどうぞ。

 選挙前に約束したTPP交渉撤退の6項目条件も全部反故になった。三本の矢もやりやすい二本だけ、最後の一本「成長戦略」は1年たってないことがわかった。もともと政府のテリトリーではないから約束すること自体がどうかと思う。あまりよく考えずに発言し、困難にでくわすとヘナヘナとなるようにみえる。そうした事実も考え合わせて「靖国参拝とりやめ⇒真榊奉納」という安倍首相の行動様式に内在する問題を自分の頭を使って(エグ)り出してもらいたい。

 解説の便宜のために段落番号を付した。
http://www.japantimes.co.jp/opinion/2014/04/24/editorials/will-abe-learn/
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When will Abe learn?

(1) Prime Minister Shinzo Abe on Monday dedicated a masakaki tree offering to Yasukuni Shrine, which enshrines not only Japan’s 2.34 million war dead but also Class-A war criminals. By not visiting Japan’s war shrine during its spring festival, Abe apparently tried to avoid frictions with the United States ahead of his talks with U.S. President Barack Obama on Thursday. Washington had said earlier that it was “disappointed” that Abe visited Yasukuni on Dec. 26.

(2)  Abe should realize that even if he did not visit the shrine this time, other countries will still interpret his dedication of an offering to the shrine as evidence that he supports the role the shrine played during Japan’s wars in the 1930s and ’40s and that the prime minister is making light of Japan’s aggression against other Asian countries during the period.

(3)  Abe’s visit to Yasukuni in December followed his repeated statements that it was a “matter of the greatest regret” that he could not visit Yasukuni during his first stint as prime minister from September 2006 to September 2007. Although he refrained from visiting the shrine this time, he allowed two members of his Cabinet to do so. Internal Affairs and Communications Minister Yoshitaka Shindo visited April 12 and Keiji Furuya, chairman of the National Public Safety Commission and state minister in charge of the issue of North Korea’s abduction of Japanese nationals, paid a pilgrimage on Sunday.

(4)  On Tuesday, Deputy Chief Cabinet Secretary Katsunobu Kato visited Yasukuni, along with 147 ruling and opposition lawmakers, including Seiichi Eto, who is a close aide to Abe, and Shindo made a second visit.

(5)  Upon his visit to Yasukuni in December, Abe said, “Japan must never wage a war again … [and] must be a country which joins hands with friends in Asia and friends around the world to realize peace for the entire world.” In a TV program on Sunday, he said, “Putting hands together before the souls of soldiers who fought for their country is something the leader of any country naturally wants to do.”

(6)  Such statements by Abe ignore the basic nature of Yasukuni Shrine, which served as a wartime state ideological apparatus to mobilize the Japanese for war by instilling the idea that it is a great honor for soldiers to die for their country. The prime minister also should remember that the government’s invocation of Yasukuni was used to persuade soldiers — and by extension their families and the public at large — to accept death in battle in return for their enshrinement at Yasukuni.

(7)  Because of the shrine’s nature, Abe’s behavior leads other countries to doubt the sincerity of his no-war pledge. Moreover, the prime minister’s emotional attachment to Yasukuni tends to not only cause other countries to harbor suspicions about Japan’s overall direction but also gives certain countries reason to castigate Japan for political advantage.

(8)  To prevent the international community from developing a mistrust of Japan and to avoid putting Japan in a difficult position, Abe should not even dedicate an offering to Yasukuni, much less visit the shrine. And he should persuade his Cabinet members to refrain from going there as well.
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   ― 解説 ―

   When will Abe learn?
     「安倍首相はいったいいつになったら学ぶのか」

 なにをどのように学べと言っているのか、社説の論を整理しながら読み、各自の意見を対置してみよう。まず、相手の言うところによく耳を傾け自分の頭で消化しよう。消化がすんだら自分の考えと対比してみる、同じところと異なるところそしてグレーゾーンもみえてくる。
 訳は面倒だから、端折るところも出てくるよ。
 ニムオロ塾生は構文解析をしてほしい箇所があったらピックアップしてもっておいで。精読を積み重ねることも読解パワーを強化する。
 ワードにコピペできるから、印刷してファイルしておけばいい。

(1) Prime Minister Shinzo Abe on Monday dedicated a masakaki tree offering to Yasukuni Shrine, which enshrines not only Japan’s 2.34 million war dead but also Class-A war criminals. By not visiting Japan’s war shrine during its spring festival, Abe apparently tried to avoid frictions with the United States ahead of his talks with U.S. President Barack Obama on Thursday. Washington had said earlier that it was “disappointed” that Abe visited Yasukuni on Dec. 26.

「月曜日に安倍首相は靖国神社へ真榊(まさかき)を奉納した。靖国は戦争で亡くなった234万人の日本人だけでなくA級戦犯も合祀(ゴウシ=いっしょに祀(マツ)られているということ)されている。春季例大祭に参拝しなかったことで安倍首相はオバマ米国大統領との火曜日の会談前に摩擦を避けようとしたことはあきらかだ。ワシントンは以前12月26日の安倍首相の靖国参拝に"失望した"と述べている。」

visit: 参拝

  
靖国といっしょに使われていたら「訪問」ではなく「参拝」という日本語語彙を選択しよう。辞書を引かなくても、それぐらいの日本語の常識はもとう。「参拝」という日本語を知らなければアウトだ。だから普段から新聞や本を読んで日本語語彙を拡張すべきなんだ。

 靖国神社を参拝すると安倍首相は何度も言ったはずだが、実際の行動はどうなのか。第一次安倍内閣の時には参拝しなかったから、それをいまさら「たいへん遺憾なこと」と言い、昨年12月の参拝となったわけだが、4月には腰砕けしてしまった。
 この人は信念の人ではない、状況次第で白が黒になったりすることはよくある人のようだ。柔軟でいいという言い方もあるし、言っていることがまるで信用ならぬという見方も当然ある。言葉が軽いのだろうというのはebisuの感想。

(2)  Abe should realize that even if he did not visit the shrine this time, other countries will still interpret his dedication of an offering to the shrine as evidence that he supports the role the shrine played during Japan’s wars in the 1930s and ’40s and that the prime minister is making light of Japan’s aggression against other Asian countries during the period.

「安倍首相が今回靖国神社参拝をしていなかったとしても、他の国々は1930年代および1940年代に靖国神社が戦争に果たした役割を彼が支持しており、他のアジアの国々を侵略したことを等閑に付した証拠であると真榊の奉納を解釈する、安倍首相はそういうことを理解すべきだ。」

 仮定法過去の文なら、帰結節はwillではなくてwouldを使わなければならない。willが正しいとすれば条件節は現在形でなくてはならぬ。
 事実関係から言うと、安倍首相は靖国参拝を今回はしていない。内閣総理大臣安倍晋三名で真榊を奉納しただけである。12月には参拝をしているが、それはthis timeではなく、that timeである。だから、that timeと書いてあればそれなりの解釈ができるのだが・・・
 事実の示すところは、this timeと that timeで安倍首相の行動が違っているということ。
 書き手は、真榊奉納が実質的な靖国参拝であると解釈したのだろうか?それならそうとはっきり書けばいいだけ。文法的な間違いでなければ、書き手の意図に関していろんな読み方のできる文である。それが書き手の意図?

 いろんな読み方がありそうで、他の人の意見を聞いてみたい。

(3)  Abe’s visit to Yasukuni in December followed his repeated statements that it was a “matter of the greatest regret” that he could not visit Yasukuni during his first stint as prime minister from September 2006 to September 2007. Although he refrained from visiting the shrine this time, he allowed two members of his Cabinet to do so. Internal Affairs and Communications Minister Yoshitaka Shindo visited April 12 and Keiji Furuya, chairman of the National Public Safety Commission and state minister in charge of the issue of North Korea’s abduction of Japanese nationals, paid a pilgrimage on Sunday.

「2006年から2007年にかけて彼が首相の職にあった期間に靖国参拝ができなかったことは"たいへん遺憾であった"と昨年12月の靖国参拝のときに安倍首相は繰り返し述べた。彼は今回参拝を控えたが、二人の閣僚の参拝を認めた。新藤義孝総務大臣は4月12日、古屋圭司国家公安委員長兼内閣府防災および北朝鮮による日本国民埒問題担当特命大臣は13日日曜日に参拝し玉串料を支払った。」

refrain:v 控える
paid a pilgrimage: 玉串料を支払った

(4)  On Tuesday, Deputy Chief Cabinet Secretary Katsunobu Kato visited Yasukuni, along with 147 ruling and opposition lawmakers, including Seiichi Eto, who is a close aide to Abe, and Shindo made a second visit.

「火曜日4/15、与野党147名の国会議員とともに内閣官房副長官加藤勝信が靖国参拝をした。その中には総理大臣補佐官衛藤晟一が含まれており、彼は(12月に続いて)2度目の参拝を果たした。」

 安倍首相は1回だけだが衛藤は説を曲げずに2回とも参拝を果たしている。位が高くなると勝手気ままな行動が取れなくなるということだろう。普通の人はそれでいいのである。靖国参拝がその人の政治信念に基いた行動なら、二度とも参拝を果たすだろう。信念を貫くために地位を捨てる覚悟がありやなしやということだ。政治家として厳しい選択を迫られる。逃げた安倍首相はそれなりの評価を甘受しなければならない。方向が違うと思うが、そういう覚悟もある。

(5)  Upon his visit to Yasukuni in December, Abe said, “Japan must never wage a war again … [and] must be a country which joins hands with friends in Asia and friends around the world to realize peace for the entire world.” In a TV program on Sunday, he said, “Putting hands together before the souls of soldiers who fought for their country is something the leader of any country naturally wants to do.”

「12月の靖国参拝に関して"日本は決して再び戦争をしてはならない・・・アジアの友人たちそして世界中の友人たちと全世界に平和を実現するために手を結ぶ国とならなければならない"と安倍首相は述べている。日曜日のテレビ番組で次のように述べた。"祖国のために命をささげた兵士の魂に手を合わせることはどこの国の指導者でもあたりまえにしていることです"」

 なぜ日本だけが非難されなければならないのかと安倍首相は語っている。これはその通りだろう。

(6)  Such statements by Abe ignore the basic nature of Yasukuni Shrine, which served as a wartime state ideological apparatus to mobilize the Japanese for war by instilling the idea that it is a great honor for soldiers to die for their country. The prime minister also should remember that the government’s invocation of Yasukuni was used to persuade soldiers — and by extension their families and the public at large — to accept death in battle in return for their enshrinement at Yasukuni.

「このような安倍首相の言動は靖国神社の基本的性質を無視したものである。兵士が祖国のために死ぬことが名誉であるという思想を刷り込むことで国民を動員する戦時国家のイデオロギー装置として機能した。同時に首相は靖国改革が政府が兵士―ばかりでなくその家族や一般国民へと拡大解釈されることで―靖国に祀られる代わりに戦って死ぬことを受け入れるように説得することに使われたということを思い出すべきだ。」

 読みやすいように語彙の訳注をつけておく
instill:v 刷り込む
by extension: 拡大解釈によって
public at large: 一般国民
in return for~: ~と引き換えに
enshrinement: 祀られる

 オヤジが落下傘部隊員だった。「空の神兵さん」とか「高千穂降下部隊」と呼ばれていた秘密部隊である。その部隊員であることは親にも兄弟姉妹にも内緒だった。高千穂降下部隊という名称は古事記の神話の世界から来ている。高天原から天下る兵士のイメージを重ね合わせていたのだろう。
 「加藤隼戦闘隊」という戦時宣伝映画の撮影の降下訓練シーンを撮るときに機内から一番最後に飛び降り、直前の兵士が一瞬ためらったので、右手で強く押しながら転がるように飛行機から飛び出し主導索に右腕を引っ掛け複雑骨折。時速180kmで飛んでいる飛行機の胴体から勢いよく飛び出さないと飛行機の胴体や尾翼に激突してしまう。一瞬のためらいが命にかかわるのである。「あれでよく命があったな」と語っていた。無事には着地できないことを覚悟した。30kgの完全武装だからほぼ100kgに近い重さだから、衝撃を和らげるために三点着地して回転しなければならないから、右腕が複雑骨折ではそういう姿勢、身体のバランス確保が思うようには行かないのである。降下気迫を一瞬失えば、下で見ている上官たちには一目でわかってしまう。度胸と腕のよい隊員たちは一定間隔できれいにパラシュートが並んぶのだが、降下気迫をなくしたものがまじると間隔があいてしまう。当然あとで厳しく咎められる。上官からぶん殴られるくらいは平気だが、それではすまない。
 オヤジは九死に一生を得たわけだが、その事故が元で数ヶ月間療養生活を余儀なくされたことでもう一度九死に一生を得てしまうことになった。ありがたくなかっただろう。その間に部隊の戦友は全員南方へ移動したのである。九州宮崎の港から船が出向するのを左手で敬礼して見送ったのだろう。落下傘部隊は秘密部隊であったから、どこへ行くかは戦友であっても言えない、「靖国で会おう」と言い残して船に乗った戦友は全員戦死している。
 戦後3年くらい右腕が利かなかったそうだ。潔かった上官も自ら志願して部隊と運命をともにした。兵たちだけを死なせるのは忍びなかったのだ。一緒に死んでやることしかできない、そういう戦況だった。西南の役で没した西郷隆盛もそういう心境だっただろう。
 オヤジの右腕はその後も事故に見舞われたが、二度とも何とか回復した。痛さを我慢して口をへの字に曲げながら強引なリハビリをしていた。あれは落下傘部隊で培った根性だっただろうか。
 そのオヤジが70歳のときに大腸癌に倒れて手術して2年間生き延びた。「おれは結婚もできたし、子どももいる、孫もいる、幸せだ。あいつらは結婚もしなかったし、子どもも残せなかった、戦場の露と消えた戦友たちの分も・・・」、2度目の手術はアケトジだった。肝臓は皮膚を通して触っても板のように硬かった。もう助からないので退院してきて数日後に散歩に出かけた。総合文化会館の道路の所で帽子のツバを空に向けている親父によく似た人がいることに気がついた。わたしはサイクリングしていた。似ているはず、親父だった。よく歩けたと思う。立ち止まって空を見上げている姿は、「もうすぐ行くからな、お前達の分も幸せに暮らしたぞ、靖国で会おう」と語りかけているようにみえた。
 5月に退院してしばらく家で療養してから最後は市立根室病院へ入院してターミナルケアを受けて全身転移が進みみんなに見とられながら9月に静かに死んでいった。市営墓地に眠っている。ビリヤードのスレート(平らな石)が一枚墓の前に敷いてある。
 釧路市立病院で新薬の治験に同意したときには、口の中が乾くのだが、副作用を確認するために一滴の水も飲むことができない、「とても我慢ができるはずがないのだが・・・」と担当の医師は言葉を飲み込んだ。一ヶ月間の治験治療期間が終わったあとにスプーン一杯の水を口に含んで、「あー、うまい、こんなに美味しい水をはじめて飲んだ」とオフクロに一言、痛いとか苦しいとかいわない人だった。

 新潟の人里はなれた山奥深くに4畳半一間の庵に棲んだ良寛さんは、春の訪れを愛でている。2m2mと雪が降り積もり誰も来ない冬が明けると緑色の新芽が出てくる。なんと春は素晴らしいのだろう、欠乏がなければ人は真のありがたさを実感できぬもののようだ。そう考えると、貧乏は幸いなるかな。

(7)  Because of the shrine’s nature, Abe’s behavior leads other countries to doubt the sincerity of his no-war pledge. Moreover, the prime minister’s emotional attachment to Yasukuni tends to not only cause other countries to harbor suspicions about Japan’s overall direction but also gives certain countries reason to castigate Japan for political advantage.

「このような靖国神社の性質を考えれば、安倍首相の行為は他の国々に不戦の誓いへの忠誠を疑わせるに充分なものがある。くわうるに、安倍首相の靖国神社への情緒的な執着心は、他の国々へ日本の全体的な方向についての疑念を抱かせるばかりでなく、特定の国々が政治的野心のために厳しく日本を糾弾する理由を与えてしまうことにもなるのである。」

attachment: 忠誠、愛着心
no-war pledge: 不戦の誓い
harbor: v 隠す、心に抱く
      CALDより
harbour:v to think about or feel something, usually over a long period.
  (長期にわたって何かを考え続けたり感じ続けること)
 

 harborは「港」だけでいいよ。動詞で使うなんて初めて見たから、ebisuは知らないので辞書を引いた。慣れてくれば文脈から意味を判断して、辞書にそれが載っているかどうかを確認することになる。「隠す」と訳したら文脈に齟齬が生じるから棄却、文脈からあらかじめ意味を予測してあったから、これだということで確認作業終了。こういうときは英英辞典(CALD)の定義も見ておくようにしている。語彙の選び方がぴったりだと納得できて楽しいからね。書き手の語彙の豊富さを実感できる一瞬だ。
 勉強は究極の娯楽、しかも金のかからぬ至高の娯楽と化す。あなたの心がけ次第でね。(笑) 

(8)  To prevent the international community from developing a mistrust of Japan and to avoid putting Japan in a difficult position, Abe should not even dedicate an offering to Yasukuni, much less visit the shrine.  And he should persuade his Cabinet members to refrain from going there as well.

ここは高校生や大学生のために少し解説しておこう。
① Abe should not even dedicate an offering to Yasukuni
② (Abe should) much less visit the shrine.

  こういう風に二つのsimple sentencesに分解(元の分を復元)すると意味が簡単にわかる。

「国際社会から日本への不信増大を招来しないように、そして日本が困難な状況に陥らぬように、安倍首相は靖国へ供物(真榊)を奉納すべきではなかったし、ましてや靖国参拝もすべきではなかったのである。彼は自らの閣僚たちに靖国参拝を取りやめるように説得すべきだった。」

much less: まして~ではない

 shouldは仮定法、反現実を想定している。安倍首相は昨年12月に靖国参拝をすべきではなかったのにしてしまった、真榊の奉納もしてはいけないのに4月にしてしまった、靖国参拝をする閣僚を説得すべきだったのにしなかった、そう言いたいのである。
 外部の事情や地位に応じて、臨機応変に行動しろと社説を書いた人が言っているのだが、そうだろうか?
 さまざまな発言の中から核心的と思われる部分を選び出して政治的な信条や信念に基いて言っていると私たちは受け取っている。それが状況次第でクルクル変わるとしたら、そんな人間を信用できるだろうか?
 どんなに困難な状況に陥ろうとも、曲げてはいけないものがある。靖国参拝は政治家安倍晋三にとってそういうものの一つであるのかないのかということ。そういえば国会議員定数を大幅に減らすことも民主党野田党首との激論で約束したことだった。議員報酬の削減は消費税増税とセットだったと受け取っていたが、4月末で期限が切れたが、続行措置をとらなかった。TPP六項目は日米交渉が暗礁に乗り上げたら簡単に棄て去られた。あれは公約ではないとまで言ったのである。選挙直前に党の方針として公表したのではなかったか、TPPに関して選挙前に自民党が約束した交渉撤退条件六項目が否定されるのだとしたら、政治不信が大きくなって当然である。
 言葉が軽すぎる、何と何を秤にかけてこういうことになったのかご本人の口から正直なところをお聞きしたい。


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