SSブログ

#2664 英文和訳問題(1)解説 Gone with the Wind より Apr. 30, 2014 [81.Gone with the Wind]

 授業で' Gone with the Wind '丸ごと一冊とりあげたのは、英語きらいな生徒とともに文学作品を味わってみたかったからだ。あと1年半、1448ページの大著が読み終わるとは思っていないが、半年もやれば自力で読めるようにはなる。生徒の興味次第でどういう展開になるのかやってみなければわからないから面白い。
 わたしは英語の本は学問や仕事に関係する専門書(経済学・管理会計学・経営学・システム開発・構造言語学・Natur, Science, Oncogeneなどの10種類ほどの医学関係雑誌)を読んできたので、ゆっくり文学作品を読んだことがなかった。還暦を過ぎたのだから、時事英語の授業も「遊び」があっていい。本は好きだが、文学については専門的な学習のバックグラウンドがないことを告白しておく。でも、高校生対象に"Gone with the Wind"の解説ぐらいはできるだろう。

 さて、問題にとりあげた文を再掲する。英語が嫌いでも言葉や文章にセンスのよい生徒がいるのはありがたい。
「なるほど、こういうところがわからないのか、よし、解説しよう」
 こんな調子で『風とともに去りぬ』をテクストに個別指導授業が進む。たった一人の生徒のための贅沢なレッスン、応える先生もとっても楽しい、超たのしい。(笑)
---------------------------------

 Seated with Stuart and Brent Tarleton in the cool shade of the porch of Tara, her father's plantation, that bright April afternoon of 1861, she made a pretty picture.
---------------------------------

  語順の問題から言うと、基本に忠実に並んでいる。必要なだけの小部分に分割すると次のようになる。

(1) (She was) seated with Stuart and Brent Tarleton in the cool shade of the porch of Tara that bright April afternoon of 1861.

(2)  Tara is her father's plantation.

(3)  she made a pretty picture.

  (1)は分詞構文を主語を補い単純な文に置き換えた。前置詞句のあとに場所を表す句と時間を表す句が続いている。このように分割・復元すると英語の語順の基本どおりだから、意味がわかりやすい。生成変形英文法のテクニックだ。ほんとうはもっと細かくて、記号の使い方も違うのだが、実用上はこれで充分だ。ツールは自分が使い勝手がいいと感じる範囲内で使えばいい。

 基本語順:S+V+(Ф、C、O、O+O、O+C)+Place+Time
   
 この文の場合は S+V+PP+Place+Time となっている。PPはPrepositional Phrase(前置詞句)のことで、機能としてはadverbials(副詞相当語句)だ。前置詞句などの副詞相等句が三つもついている第Ⅰ文型です。SとVだけでは文章の意味はわからない、それ以外の要素の情報価値が大きいことがよくわかるでしょう。文型論ですべてを説明することはこういう点で無理がある。だからほどほどにね。
-----------------------------
 すこしだけ脱線させてください。動詞型を25に分けて書いた人がいる。
①『英語の型と正用法』ホンビー、岩崎民平訳 研究社 1962年刊
②『英語の型と語法 第2版』ホンビー、伊藤健三訳注 オックスフォード大学出版1977年刊
 ①は374ページの本ですが、その昔必要があり10日間くらいで急いで読み切ったので、たくさん線を引いて鉛筆で書き込んであります。②はいささか嫌気が差して途中でやめました、こんなに分類を細かくしてどうするのとバカバカしくなったのです。わたしたちは五文型で充分、あとは文法学者にまかせましょう。数学もそういうタイプの参考書があります、高校数学の受験問題を500を超えるパターンに細分して解説しています。佐藤恒雄さんという大学の数学の先生ですが、「日本一わかりやすい」教科書と分野別参考書で11冊わたしはもっていますが、高校生がこんな本で勉強していたら、効率が悪くて三年間数学しか勉強できないでしょうね。500を超えるパターンに分けてどうするの、実用にならぬ、そう思います。わからないところだけ、辞書を引く感じで使うべきなのでしょう。そうした使い方なら便利のよい参考書です。「日本一わかりやすい」というのはパターンを500以上に分割したからでしょうが、その反面「日本一学習効率の悪い」教科書・参考書になっているとはebisuの毒のある批評です。
-----------------------------

 気になったのは一箇所、seatedである。たまたま朝、ベッドのそばにおいてあるMacmillan English Dictionaryを引いたら載っていた。こういうときは米国の辞書がいいようだ。G4にもE-Gateにも載っていなかった。
(「be動詞+過去分詞」で受動態ではなくて、過去分詞の方は「坐っている」という状態を表す形容詞と解釈した方がよさそうだ。こんなことは英文法学者に任せておけばいいことで高校生が気にするひつようはない。)
--------------------------
phrases: be seated 1 to be sitting down: When she entered the room, they were already seated. 「彼女が部屋に入ってきたときには、ほかのものたちはとっくに坐っていた」
--------------------------
  なんてことはない、「坐っている」という状態をいっているだけのこと。
 三人が坐っているイメージが浮かんだら、writerの発信した情報が読み手に伝わったということ。あとは日本語表現のセンスの問題となる。肝心なのは日本語のセンスをふだんから磨いておくことで、語彙の豊富な文学作品をとりあえず50冊ほど読んでおくことだ。小学生時代に少年少女世界文学全集50冊(昔はそういうものがあった)のようなものを読破し、繰り返し読んだこどもは大人になったら上手な文章が書けるようになっているものだ。ロシア語通訳で物書きだった米原真理(故人)、数学者の藤原正彦の二人はむさぼるように全集を繰り返し読んだ小学生時代の自らの経験を著書の中で語っている。

 高校生のためにthatの解説もしていた方がいいだろう。that節とか関係代名詞とか勘違いを起こした人がいるかもしれない。時間を表す副詞句である'that bright April afternoon of 1861'を単純化すると、
 ⇒that afternoon(あの午後) : 名詞句=限定詞+名詞
 this afternoon((今日)の午後)と比べたらよくわかる。thatはただの指示代名詞だ。機能上は副詞句であっても前置詞が必要ないことは要点の一つだから注意しておこう。「今日の午後」ではなくて、「1861年のあの輝いていた四月の午後」であり、それはもう二度とないから追憶として甦るthat(あの)がつけられている。南北戦争前夜集ったみんなが幸せだった、二度と帰らぬあの輝いていた四月の午後のことを語っているのである。主人公のスカーレットの運命がどうなるかを暗示しているthat。作者はここで読み手にthis afternoonを対照的に想起させることでそのありさまがまるでことなるものに変わってしまうことを暗示したのだろう。

 Tara, her father's plantation, このようにカンマで挟まれた部分は直前の名詞Taraの説明。タラはスカーレットの父が所有するプランテーション=大農場(広大な綿花畑)である。

 porchは玄関前の屋根のついた部分だが、大農場だから玄関の広い階段に続いてベランダがあり、そこにベンチが置かれているのを想像したらいい。玄関の階段に坐るのはタールトンの双子の兄弟にはできるが、この文の後に続くスカーレットの服装から判断して、スカーレットが階段に坐るのは無理だ。三人がいっしょに坐っていたとあるから、ポーチに置いてあるベンチだろう。玄関の上り階段にベンチが置けるわけはないから、玄関の階段に続く屋根のついたベランダがあるということだ。ずいぶんと豪壮な家が想像できる。
 文学作品を読むということは、選び抜かれちりばめられた言葉を手がかりに自分の頭の中に一つの明確なイメージをつくりあげる作業なのである

 (3)のmadeが問題だ。makeは人間が手で何かを作ることというのが原義だが、何らかの人的な営為があることを示唆している。

 『英語基本動詞辞典』には388語の動詞が載っている。makeの3dを引用する。
-----------------------------
 S make C : S<物>がC<物>になる。
  Wood makes a good fire. WBD2 木はよいたきものになる / This makes pleasant reading. COD6 これは面白い読み物だ

 NB11 一般に次のように<人>を主語にして構文5bに書き換えることができる : The pelt of such an animal makes a good fur piece only if it is taken during the resting period. → One can make a good fur piece of such an animal only if ... ―Huddleeston このような動物の生皮は冬眠期にとったものだけがよい毛皮(製品)になる。
-----------------------------

 'Wood makes a good fire'は人間の営為を想定していないね、参考例としては不適切だったかな。文学作品だからこの当たりも面白いところで、議論があっていい。<人>がmakeで<物>になる面白い用例だと考えたらいい。そう考えると、マーガレット・ミッチェルはなかなかお洒落な表現を試みている
 「16歳のスカーレットが初々しい可愛さと気品を兼ね備え、精一杯着飾って若い男二人にちやほやされまるで絵の中の人物のようになった」ということ。彼女の努力があってのことだということは続く文が解説してくれている。

 Her new green flowered-muslin dress spread it twelve yards of billowing material over her hoops and exactly matched the flat-heeled green morocco slippersher father bought her from Atranta. The dress set off to perfection the seventeen-inch waist, the smallest in three counties, and the tightly fitting basque showed breasts well matured for her sixteen years. 
 
  背が高いからいくらウェストが細くても60cmくらいありそうなのに、さらに締めあげて17インチ(43センチ)に絞っている。腕力のある奴隷の召使女がスカーレットのウェストを締めるシーンが他のところで出てくるが、どんなに苦しいだろう、これだけでもずいぶんな努力と忍耐を要する。12ヤード(11m)もの薄手の花柄のある緑色の絹の生地を波打つように使ったドレスとそれに色を合わせたモロッコ風のぺったんこな上履き、どちらも父親がアトランタから買い求めてきたものだ。三郡でナンバーワンのくびれたウエストのスカーレット。オッパイはしっかり大きくなって成熟した女の魅力を振りまいている。

 大農場の大きな家の玄関前のベランダにスカーレットにホの字の青年が二人、成熟した胸のふくらみを強調したグリーンのすてきなドレスを身にまとい(新潮文庫『風とともに去りぬ 一』の表紙の絵はこの花柄の緑色のドレスをイメージして描いたもの、えらが張って顎の先がとがっている顔の特徴もよく描けている)、色を合わせた上履きを履いた気位の高そうな青い目をしたスカーレット、三人がベンチに腰掛けて談笑している。その背後にはジョージアの赤い土の綿花畑が何マイルも続いており、遠くに山並みが見える。まるで一服の絵のような情景である。こうした情景があなたの頭に浮かべば、それで充分。あとは日本語語彙がどれだけ豊であるかの勝負だ。
  タールトン家の双子の兄弟の身長は6フィート2インチだから、188cm、背の高いがっしりした体躯の19歳の青年である。そこに緑色の絹をふんだんに使ったドレスで着飾った16歳の気品のある娘が並んでベンチに腰掛け、談笑している。背景には広大な綿花畑の畝が何マイルも地平線に飲み込まれるかのごとく続いている。

 翻訳は次のようになっている。
------------------------------
 1861年四月の、あるかがやかしい午後、父の大農園タラのポーチの涼しい日かげに、タールトン家の双子兄弟スチュアートとブレントとともに腰をおろしている彼女の姿は、一幅の絵のように美しかった。
  『風とともに去りぬ 一』大久保康雄・竹内道之助訳 新潮文庫
------------------------------

 簡便な訳である、わたしは物足りなさを感じてしまったがみなさんはどうだろう。これで原文のもつ味わいの半分も伝わるだろうかと心配になる。英語が好きな生徒諸君は原文にも眼を通してもらいたい。文学的な素養が欠片(かけら)も感じられない翻訳である。文学作品は翻訳の字数制限を意識しすぎると味気ないものに豹変してしまう。

 ラフカディオハーンの訳が多い翻訳の名人である平井呈一が訳したらどのような日本語になっていただろうと思うと惜しい。日本語語彙が豊かな日本文学の専門家が訳すと翻訳とは思えないような自然な日本語になる。まるでそれは最初から日本語で書かれたと錯覚するほどに見えてしまう。
 平井呈一は永井荷風の異能の弟子であり、師匠に破門もされている。日本橋浜町で育ち浜町小学校に通ったとある。わたしは1979年から5年間日本橋小網町に本社のあった産業用エレクトロニクスの輸入商社に5年ほど勤務していたことがある。仕事をしている場所から100m以内に時代を隔てて平井が住んでいたのではないか、平井は1902年生まれ、わたしは1949年生まれである。
 人形町界隈はお昼に小路を散歩すると三味線の音が聞こえてくるような粋なところである。人形町交差点のトンカツ・牛カツの名店「キラク」、元祖親子丼の玉秀、同年代のご主人がやっていた天麩羅屋さんはもうないのだろうな。同じ小路に芳梅という離れ座敷のある料理屋さんがあり、二日酔いの日はお昼のおかゆ定食が美味しかった。昼休みには先輩社員にせがまれてキャッチボールをして遊んだ。高校時代に野球部だったその人の投げる球は速くてときどき手加減なしで投げるが、コントロールが定まらないので後逸することがよくあった。思いっきり投げたくなるといっていた。「ごめんごめん」、そういいながらグローブの端で受けないと手が痛かった。小学生の平井は時代が違うからキャッチボールなどして遊ばなかっただろう。大雪の日には雪合戦くらいはしたかもしれない。
 平井は訳者としては超一流。昨夜は『仏の畑の落穂他』小泉八雲著 平井呈一訳 恒文社の中の短編「生神」を読んだ。前ふりに1896年六月17日に起こった津波のことが書かれている。115年後の2011年に再び東北はツナミに襲われた。
 「このときは、全長二百マイルにおよぶ高潮が、東北地方の宮城・岩手・青森の諸県を襲って、数百の町村を破壊し、所によっては一村全滅したところもあり、約三万人の人命を失った。これから語る浜口五兵衛の話は明治を去ることほど遠い昔に、日本の国の別の海岸地方に、やはりツナミの災害がおこったときの話である」
 刈り入れたばかりの稲穂に火をつけて村人を津波から救った浜口五兵衛の話である。全財産をすべて灰にした後、五兵衛は貧乏をしたが貧乏を苦にしなかった。助けられた村人はかれを生神として祀った。1854年の安政の大地震のときの話である。日本にはときおり浜口五兵衛のような無私の人が現れる、すごいことだ。
*稲むらの火(ウィキペディアより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E3%82%80%E3%82%89%E3%81%AE%E7%81%AB

 『風とともに去りぬ』の冒頭シーンはツナミを起こした安政の大地震の7年後、1861年四月である。この年の三月4日に奴隷解放を主張するリンカーンが大統領に就任し、不安に駆り立てられた南部側が四月12日に戦端を開らく。そう、その四月まさしく南北戦争の瞬間の四月のタラ、大農園の最後の平穏で美しい情景が高らかに謳われているのである。短い文ではあるが、南部上流社会崩壊の序曲が聞きとれないだろうか?
 崩壊する瞬間の大農園の美しさをたった三行の文で描き切ったマーガレット・ミッチェル、そしてこの英文に焦点を当てて質問をした女性徒Sのセンスに脱帽、ワガママなところがあるが本を読むときのこの勘のよさはすばらしい。小学生あるいは中学生のうちに日本語の本を濫読しなければこういうセンスを磨くことはなかなかできない。そういう時期を経過した生徒は英文の読みも鋭い。
 解説したイメージを頭の中に浮かべながら原文を何度も口ずさんでほしい。『風とともに去りぬ』の壮大な序曲と主題がありありと浮かんでくる。
---------------------------------
 Seated with Stuart and Brent Tarleton in the cool shade of the porch of Tara, her father's plantation, that bright April afternoon of 1861, she made a pretty picture.
---------------------------------



#2662 英文和訳問題(1) Gone with the Wind より Apr. 28, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-04-28


にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 根室情報へ
にほんブログ村


仏の畑の落穂―他

仏の畑の落穂―他

  • 作者: 小泉 八雲
  • 出版社/メーカー: 恒文社
  • 発売日: 1986/05
  • メディア: 単行本

風と共に去りぬ (1) (新潮文庫)

風と共に去りぬ (1) (新潮文庫)

  • 作者: マーガレット・ミッチェル
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1977/06/03
  • メディア: 文庫
英語基本動詞辞典

英語基本動詞辞典

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 研究社
  • 発売日: 1980/10
  • メディア: 単行本


 検索したら引っ掛かってきたので、これはもっていないが、面白そうなので貼り付けておく。14の動詞だけの活用辞典。認知的アプローチ。
 do, get, have, make, takeなどと書いてあった。
 
英語基本動詞活用辞典―認知的アプローチ

英語基本動詞活用辞典―認知的アプローチ

  • 作者: 渡辺 美代子
  • 出版社/メーカー: 南雲堂フェニックス
  • 発売日: 1998/04
  • メディア: 単行本

nice!(1)  コメント(23)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 23

後志のおじさん

私の読みは、Seated(名詞じゃないのが居るから動詞につながるな。腰を据えさせられ「て」位かな?)でした。「たのに」でも「時に」でも構いませんけど、名詞ではないものは何であれ、動詞につなげる。つながり方はなんでもいい。文頭の語句は、文全体を「条件付け」する。位でいかがでしょうか?――of 1861 (in 1861ではなく)もポイントの一つだと思います。ofは前後の語句に強い一体感を与えるので南北戦争前夜を訴えているように読みました。――些末なことですが、ご参考にして頂ければありがたいです。
by 後志のおじさん (2014-04-30 23:53) 

ebisu

おはようございます。
楽しい議論が始まりそうです。
高校生に喜んでもらえるかな。

>私の読みは、Seated(名詞じゃないのが居るから動詞につながるな。

seatedはもちろん動詞ですが、文頭ですから後志のおじさんの解釈では、文頭のadv(副詞句)という理解でしょうね。主節の動詞を修飾しているのだと、その通りだと思います。
それを考慮したうえでどういう日本語でシーンを叙述するかというのはまた別の問題です。

話が見えない高校生は、投稿欄でなされたこの辺りの議論について次のURLを参照してください。

#2496 ①英文の基本構造論-1 :Adv+名詞+動詞(+名詞)+Adv  Oct. 31, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-11-16-1

次の論点は、
>腰を据えさせられ「て」位かな?)でした。

was seatedを受動態ととるかどうかの問題です。Macmillanを引くと
to be sitting down: When she entered the room, they were already seated.
とあり、意味上は受身ではなさそうで、単に坐っていたという状態を表しているだけ、というのが私の考えです。

文脈から意味を考えてもseatedの意味上の主語をスカーレットととると「スカーレットがスチュアートやブレントと坐らされている」となるのでその場の情景にふさわしくありません。形の上からはsimple sentenceを復元すると、
She was seated with Stuart and Brent.
こうなってしまうので、用例を探すために辞書を引いたわけです。そうしたら米国で出版されている辞書に用例が載っていました。
ですから、「スカーレットがタールトン家の双子の兄弟とともに坐っている」というのがわたしのイメージです。
坐らされているとしたら、agentがだれかという問題が惹起します。だれかに三人がお説教でもされている場面ならありですが、主節のmadeとの関連を考えて、絵のような情景を叙述しているだけと考えました。

三番目の論点は
>。「たのに」でも「時に」でも構いませんけど、名詞ではないものは何であれ、動詞につなげる。つながり方はなんでもいい。文頭の語句は、文全体を「条件付け」する。位でいかがでしょうか?

これも異論ありません。たとえば、
When she was seated with Stuart and Brent,
As she was seated with Stuart and Blent,

どちらでも読み手は好きな解釈をすればいいのでしょう。

>文頭の語句は、文全体を「条件付け」する。位でいかがでしょうか?

これもその通りだと思います。わたしもそのように理解しております。ただ、高校参考書のような分詞構文の型にはまった和訳では原作者の文章には似つかわしくありません。

>?――of 1861 (in 1861ではなく)もポイントの一つだと思います。ofは前後の語句に強い一体感を与えるので南北戦争前夜を訴えているように読みました。――

同じ句の中にof 1861年とthatがありますから、南北戦争前夜を示唆しているとわたしも感じました。

さて、文全体について私の考え、いや印象というかイメージを申し述べておきます。
「貴族の末裔である若くて気品と勝気なスカーレットが、若い男ふたりにちやほやされている、彼女は薄手の絹を12ヤードも使った贅沢なドレスで着飾って、そうした情景の中に自分を置くことで一つの絵のような場面をを演出している」、そいうイメージを大事にする日本語にしてもらいたいと思いました。その点で『風とともに去りぬ』の訳者は少し努力が足りなかったのではと感じた次第です。
分詞構文が出てきても、文学作品なのだから高校参考書レベルのステレオタイプの日本語にはすべきでないでしょう。その点だけは訳者は成功しているようです。そういう風に訳文を読みました。

たぶん高校生の皆さんにもわかる議論になっているでしょう。こうした思考過程を開示し大人の議論を見せてあげることも大切なことではないかと思います。(笑)
後志のおじさん、貴重なコメントありがとうございます。

by ebisu (2014-05-01 08:59) 

合格先生

 冒頭seatedですが、自分は単に「座っている」というニュアンスではなく、全体として絵画的存在となるように、何か目に見えないものの力によって、そこに配置されていた、というニュアンスを出しているのかな、と思ったんですが、どうでしょう?
by 合格先生 (2014-05-02 05:07) 

合格先生

 前の投稿だけだとちょっと分かりづらいと思いますので、追加します。ニュアンスとして
「日常の風景の中にあって、彼女だけが絵画的にみえたのか」
「彼女がいることによって、その風景全体が絵画的に見えたのか」
 文学作品ですから、この辺のニュアンスを理解しないと、適切な訳をつけるのが難しいな、と思った次第です。自分としては後者のような気がしたのですが、どうでしょうか?
by 合格先生 (2014-05-02 05:26) 

ebisu

おはようございます。
合格先生、コメントありがとうございます。

文学作品ですから、いろいろな読み方があって当然だと思います。だから、文学作品は面白いし、読み方が違えば議論も楽しくなります。
さてseatedの部分ですが、合格先生がふたつ選択肢を提示なさった後者の方を支持したいと思います。

>「彼女がいることによって、その風景全体が絵画的に見えたのか」

理由は、
She made a pretty picture.
にあります。

少女から大人の女へとメタモルフォーゼン(毛虫がチョウチョになる)し、初々しくも気品の備わった女性が薄絹をふんだんに使った豪華なドレスで着飾って、若い青年二人と談笑している。背景には大農場の綿花畑の畝が何マイルも続いており、その向こうに川があり遠くに山並みが見えている。こういうシーンをスカーレットが演出したことをmadeの単語を選んだことで作者のマーガレットが語っています、ebisuはそう読みたいのです。
はっきりと'She made'と書いてますから、「彼女が演出した」のでしょう。


例によってくどくどと書いてしまいましたが、合格先生のご推察の通りです。

>自分としては後者のような気がしたのですが、どうでしょうか?

こういう情景を理解したとしてもその次のステップがとてつもなく困難です。こうしたイメージを原著者の意図を損なわないで日本語に写すには豊富な日本語語彙と達意の文章力が要求されます。平井呈一のように「魔法使い」のごとき「日本語使い」でないととても無理、わたしにできるのはせいぜいイメージの解説だけ。

小中学生、そして高校生にたくさん本を読んでほしいと思います。思春期の頭の中に良質のテクストをたくさん通過させることが大事な気がします。
受験勉強なんかしばらくほうっておいてよし、そのまえに良質のテクストを読め!「読み書きそろばん」の基礎トレーニングさえ手を抜かずに積んでおいたら、学力なんてあとからいくらでも伸びる。
小学生、中学生、高校生の皆さん、ちょっと背伸びした大人の本を読んでください。
by ebisu (2014-05-02 08:55) 

Hirosuke

◆試訳◆
------------------------------------------
スチュアートとブレントの兄弟と共に涼しい日陰のポーチに腰を掛けながら、大農場主の娘タラは、1861年あの眩しい4月の午後に、1枚の愛らしい絵画を奏でていた。
--------------------------------------
Seated with Stuart and Brent Tarleton in the cool shade of the porch of Tara, her father's plantation, that bright April afternoon of 1861, she made a pretty picture.
by Hirosuke (2014-05-02 12:24) 

ebisu

「絵画を奏でていた」というところが文学作品の香りがしますね。思いっきりのよい翻訳です。

わたしも遊んでみます。

「冬が去り、陽射しは強くなったが広大な綿花畑を渡ってくる四月の午後の風はまだ冷たい。大農場タラの家の玄関脇のベランダの日陰に据えられた長いすに腰をかけて談笑しているのは三人、タールトン家の双子の兄弟、スチュアートとブラントそして着飾ったスカーレット。それは初々しいが気品にみちた女性を主題にした絵画のようだった。」

百人百様のシーンになりそうです。どうぞ皆さんもお試しあれ。

by ebisu (2014-05-02 14:23) 

合格先生

 自分もやってみます。
「1861年の4月、まだ日差しが残る昼下がり。父の農場のあるタラの家の涼しい日陰のポーチで、タールトン兄弟と佇んでいる彼女は、そこに彼女がいることで、一枚の愛らしい絵画のような情景を醸し出していた」
by 合格先生 (2014-05-03 04:57) 

ebisu

おはようございます。
ははは、いいですね。Hirosukeさんやわたしのとは違って毒が少ないいい訳です。「昼下がり」と「佇んでいる」いう語彙を選んだところががいい。
「タールトン兄弟と佇んでいる彼女は、そこに彼女がいることで、一枚の愛らしい絵画のような情景を醸し出していた」
このくだりもスムーズで、合格先生らしいやさしい雰囲気の訳文です。
プランテーションは何マイも畝が続いているので普通の農場とはスケールが違い、やはり「大農場」がいいでしょうね。
(Hirosukeさんの方は薬ですね、私の方はいくぶん毒を含んでいる。)

高校の英語の先生がこれを生徒の答案だという前提で採点したらわたしのものが一番分が悪そうで、10点満点でせいぜい2点でしょうね。追試験です。Hirosukeさんと合格先生の訳文はほとんど満点です。

髪の毛一本机の上において十人がデッサンすれば十人とも違った絵になる、それと同じことです。
高校生や大学生の皆さん、イメージをつかんだら、自分の語彙と作文能力を駆使して翻訳してみてください。こういう試行を繰り返すことでスキルが上がっていきます。

三人三様の訳文を見て安心したでしょう。
by ebisu (2014-05-03 08:15) 

Hirosuke

残念な事に、大学入試の英文和訳問題においては、このような想像と創造に溢れた自由翻訳は許容されません。

英文の見た目・表面上の文法【修飾】構造を完全に正しく表現している和文が【満点】なのです。

まぁ、これは、【受験英語の神様】と呼ばれた【伊藤和夫】氏の功罪ですね。

数十年前に厳密な英文和訳問題の採点基準をシステマチックに構築し、大学教授や受験産業界に叩き付け、それが今尚、採点現場ではバイブルとして信奉されているのですから。

困った事です。

by Hirosuke (2014-05-03 08:48) 

Hirosuke

◆業務連絡◆

5月29日~6月1日まで思わぬ大型連休が発生しました。
ブログを休眠し充電する一環として、そちらへ伺い色々と直に意見交換が出来たらと考えております。

皆様、ご都合は如何でしょうか?

by Hirosuke (2014-05-03 08:58) 

ebisu

仰るとおり、大学入試では不合格答案です。
よいこの皆さんは真似しないように。(笑)

翻訳ものには大学入試の模範答案に近いものもあります。日本語のまずさに辟易して20年ほど翻訳小説から距離をおいていたことがあります。

大学の定期テストなら、面白いと優をつける「勇のある先生」がいそうですね。現職である旧友のEさんは小躍りしていい点をつけるでしょう。

わたしが学生ならそれくらいのことをして、先生をからかってみたい。ペケがついたらそれだけの先生だと、こちらが評価する。そんないたずらはたのしい。

ところで、5/29~6/1は予定はありません。夜の9時20分には仕事が終わりますから、そのあとなら時間が取れます。
根室は遠いですよ。
Hirosukeさんが来たら、ブログを介して遠方から訊ねてくれた二人目の人になります。
by ebisu (2014-05-03 14:23) 

Hirosuke

>夜の9時20分には仕事が終わりますから、
>そのあとなら時間が取れます。
   ↓
ぜひ授業も見学させて頂きたく。

福島空港から飛行機で行くと思います。
予定が決まり次第、ご連絡します。

by Hirosuke (2014-05-03 22:00) 

ebisu

少人数の個別指導ですが、それでよろしければどうぞ。
一緒にやってみるのも楽しいかもしれません。

ところで福島県須賀川からですか、あそこからだと千歳便しかありませんね。昔はYS11でした。低いところを飛ぶので揺れが激しい。

千歳から根室へは360kmほどもあります。東京から栃木県宇都宮まで120km、福島県郡山まで240km、仙台まで360kmですが、それぐらいの距離です。
電車ではなくディーゼル機関車で6時間ほどかかるのではないでしょうか。

釧路まで4時間ほど、釧路で乗りかえでそこからは単線でのんびり原野の中を走ります。釧路から2時間で根室です。
北海道は広い、実感してください。(笑)
by ebisu (2014-05-03 23:07) 

合格先生

 Hirosukeさん、いいですね。是非、北海道を堪能していってください。

 それから、自分は、実は、この辺りの欧米文学は、何となく情緒がなく感じた~たぶん、当時の翻訳で大学教授あたりがやっているものは、ゼミ生に訳させたものをまとめて、自分が翻訳したようにして出版したのではないか~ので、あまり読んでいません。風とともに去りぬも、映画でちょっと見た程度です。ただ、こうやって訳そうと思うと、その状態ではどうしても無理があるな、と感じた次第です。

 そこで、自分がどう考えて訳出したか、ということを書いておくと、ひょっとすると、高校生のみなさんの参考になるかも知れませんので、ちょっと書いておこうと思います。
 冒頭「1861年の4月」は、後志のおじさんがおっしゃっている戦争直前のニュアンスを考慮して冒頭にしました。もう少し示唆的にするのであれば「あの1861年の4月」とか「あの運命の1861年の4月」などとやってもいいのかな、と思いました。
 一番困ったのはbrightで、ここでは単に「日差し」のことを差しているだけで訳出しましたが、ひょっとすると「スカーレットたちの人生の中でも輝いていた日~この後の戦争によってこの輝きが失われる」というニュアンスがあるのかな、とも思った次第です。もし、そうなら、訳の文章ももっと手を加えなければなりません。
 声に出して読んでみて流れのいい文章、というところにも少しこだわりました。本当はHirosukeさんの「奏でていた」がすごく良かったのですが、自分の訳でこれを使うと、読んでみて文章がプッツリ途切れてしまう感じがしたものですから、ここではちょっとイメージがそぐわない感じがしますが、他に言葉が思いつかず「醸し出していた」を使ってしまいした。完全に語彙力不足ですね。
 同様の理由で兄弟の名前を削除、「大農場」を「農場」と切り替えました。ここで「大」が入ると、文章全体のイメージにそぐわない感じがしました。ただ、やはり、ebisuさん指摘通り、大きな農園という表現が必要でしょう。「農場」の前に「広大な」をつけて読むと、違和感がないかも知れません。
 兄弟の名前も、ここで初めて出てくるとか、他にも兄弟がいるという状況であれば、書いておかなければなりませんね。
by 合格先生 (2014-05-04 05:14) 

Hirosuke



◆改善訳◆
------------------------------------------
スチュアート、タラ、ブレント。タラの住む豪壮な屋敷のポーチが作り出す涼しい日陰に、3人は並んで腰掛けていた。見る限り広大な農園の令嬢タラ。スチュアートとブレントはタールトン家の兄弟。1861年あの光り輝く4月の午後、タラは、1枚の眩しい絵画を奏でていた。
--------------------------------------
Seated with Stuart and Brent Tarleton in the cool shade of the porch of Tara, her father's plantation, that bright April afternoon of 1861, she made a pretty picture.

◆試訳◆
------------------------------------------
スチュアートとブレントの兄弟と共に涼しい日陰のポーチに腰を掛けながら、大農場主の娘タラは、1861年あの眩しい4月の午後に、1枚の愛らしい絵画を奏でていた。
--------------------------------------
by Hirosuke (2014-05-04 09:32) 

ebisu

たしかに日本語に置き換える過程の開示は英語を勉強している高校生や大学生の参考になるでしょう。
面白い箇所を抽出しましたね。
------------------------------
 一番困ったのはbrightで、ここでは単に「日差し」のことを差しているだけで訳出しましたが、ひょっとすると「スカーレットたちの人生の中でも輝いていた日~この後の戦争によってこの輝きが失われる」というニュアンスがあるのかな、とも思った次第です。もし、そうなら、訳の文章ももっと手を加えなければなりません。
-------------------------------

著者はbrightに両方の意味をもたせたのでしょう。afternoonがthatとof 1861ではさまれているので、春になって日差しが強くなったこととポーチの日陰を対比しつつ、輝いているこのタラの上流階級の人々が、1861年四月を境に南北戦争に否応なしに巻き込まれて困難のどん底に落ちていくギリギリのそこのところを見事に謳いあげたのだと思います。風景の明暗というシーンと時代がそこで明暗を反転させてしまうというシーンを重ね合わせて表現しています。

わたしはthatだけに注目して南北戦争前夜の様をどこか遠くを眺めるまなざしでミッチェルが語っているのだと判断しましたが、後志のおじさんは、1861年に注目してそこにもポイントがあることを教えてくれました。

分析すればするほど含意の深い文学的表現です。名作を読む作業はなかなか知的で楽しい。

たくさん本を読み、日本語語彙を豊にしておくことが、英語の学習にとってもどれほど大切か中高生の皆さんにもわかったのではないでしょうか。

plantationを「大農園」ではなく「広大な農園」と言い換えるのは、何マイルも続く赤い色のジョージアの土があらわになった畝がよりイメージしやすいので他の言葉との相性がよさそうに感じます。

ラフカディオ・ハーンの翻訳をやっている平井呈一さんの作品を読むと日本文学を書こうと志した人の語彙の豊富さ、文章の巧みさには驚かざるをえません。元の英文の匂いが完全に消失してしまい、はじめから日本語で書かれたもののように見えてしまいます。語彙の豊富さと文章の巧みさにただ圧倒されます。
三島由紀夫も語彙の豊富な人でした。どこかで日本語の良質なテクストを大量に読み込んでおくべきなのでしょう。あとからではとても間に合わない。

タールトン家の双子の兄弟は他にもいましたね、妹だったかな。他の家の家族と混同しているかもしれません。
いろんな家族がでてくるのでA3の用紙に近所や親戚の関係図を書き込みながら読むことを薦めます。
林望現代語訳『源氏物語』も関係図を作成しながら読んだ方がわかりいい。途中まで書い見ましたが、面倒くさくなってやめました。ものぐさなebisuです(笑)
by ebisu (2014-05-04 11:43) 

ebisu

どんどん楽しくなるので、もっと楽しんじゃいます。
原訳とHirosukeさんの二つの訳文を比較検討してみます。

 翻訳は次のようになっている。
------------------------------
 1861年四月の、あるかがやかしい午後、父の大農園タラのポーチの涼しい日かげに、タールトン家の双子兄弟スチュアートとブレントとともに腰をおろしている彼女の姿は、一幅の絵のように美しかった。
  『風とともに去りぬ 一』大久保康雄・竹内道之助訳 新潮文庫
------------------------------

◆改善訳◆
------------------------------------------
スチュアート、タラ、ブレント。タラの住む豪壮な屋敷のポーチが作り出す涼しい日陰に、3人は並んで腰掛けていた。見る限り広大な農園の令嬢タラ。スチュアートとブレントはタールトン家の兄弟。1861年あの光り輝く4月の午後、タラは、1枚の眩しい絵画を奏でていた。
--------------------------------------
Seated with Stuart and Brent Tarleton in the cool shade of the porch of Tara, her father's plantation, that bright April afternoon of 1861, she made a pretty picture.

◆試訳◆
------------------------------------------
スチュアートとブレントの兄弟と共に涼しい日陰のポーチに腰を掛けながら、大農場主の娘タラは、1861年あの眩しい4月の午後に、1枚の愛らしい絵画を奏でていた。
--------------------------------------

一番大きな差異は、この部分の訳です。
that bright April afternoon of 1861

原訳者は「1861年四月の、あるかがやかしい午後」とやってしまいました。「あるかがやかしい午後」ではなくて「(南北戦争が勃発寸前の)あのかがやかしい1861年四月の午後」というべきでしょう。

Hirosukeさんは、「1861年あの光り輝く4月の午後」「1861年あの眩しい4月の午後に」となって、指示詞のthatが織り込まれています。作者は「あの」の中に、南北戦争直前まであった、南部上流階級の優雅な生活と奴隷たちによって手入れの行き届いた広大な綿花農園を想起し、遠い風景を思い出すかのようなまなざしで語っているのですから、大久保・竹内訳ははこの箇所に鍵っては読みが浅く配慮が足りなかったのではないかと判断します。

文学作品は作者がたくさんある語彙の中から選び抜いた言葉を使って凝った表現をしているところが頻繁に出てくるので油断がなりません。

たいへん勉強になったので、中高生や大学生のために、そのうちまとめて本欄へアップします。
足りないところや追加したいことがありましたら、どうぞ存分に書き込んでください。
by ebisu (2014-05-04 12:10) 

Hirosuke

いわゆる【接続詞のthat】の正体とは?
------------------------
I think (that)................
He knows (that).............
She told (that)............
------------------------

「that~=~ということ」なんて意味は、実際には存在しないのですよ。

もし本当に「that~=~ということ」であるなら、thatを省略した文には「~ということ」という訳も出現しない筈ですが、実際にはthatの有無に関係なく「~ということ」は出現しますよね。

これらのthatも、結局は、単に【あの】というキモチの発露なのであって、【接続詞】なんかじゃないんです。

by Hirosuke (2014-05-04 22:12) 

後志のおじさん

畑で忙しくしてコメント欄を見る間が無い内に、出遅れたようですが2点ほど。…………seatは、状態を表す動詞ですから、「座らせる」は便宜的な訳語で、本当のところは「何らかの落ち着いた状態につかせる」なのです。動作をいうならばsetやplaceでしょうね。…………「読む(イメージを形成する)」と「訳」すのはのは全く別の作業です。NHKの柴原先生の言葉では「形式的等価」と「意味的等価」があり、後者は翻訳や通訳の訳で「話者が日本人ならこんな語り口かな、と考えて訳す」のだそうです。「形式的等価」は単語を日本語おき直して、多少の英語のルールで並べ替えるものでしょう。………こんな訳はどうでしょうか?「スカーレットがタールトンの双子と座っていた。父の経営する大農場、タラの一画の涼しいポーチ。あの1841年の4月とはいえ明るく、スカーレットの姿はかわいらしいものだった。」
by 後志のおじさん (2014-05-07 23:15) 

後志のおじさん

訂正です。゙.a pretty picture゙は「なかなかのものだった」とするのがいいようです。pretty→かなり、結構。…………後の文の服の説明や双子が彼女に惹かれていることともうまくつながる気がします。…………状態と動作ですが、北海道の英語の先生には次の2つが同じだと思っている方がいることも、書き添えさせてください。the girl wearing a skirtとthe girl putting on a skirt
by 後志のおじさん (2014-05-07 23:56) 

ebisu

お久しぶりでした。春たけなわ、畑が忙しい時期になったのですね。
英文テクストを「読む」のと「訳す」に問題を分割してくれてありがとうございます。

>NHKの柴原先生の言葉では「形式的等価」と「意味的等価」があり、後者は翻訳や通訳の訳で「話者が日本人ならこんな語り口かな、と考えて訳す」のだそうです。

ラフカディオハーン(小泉八雲)の著作を訳している平井呈一がまさしくおっしゃるタイプです。

>。「形式的等価」は単語を日本語おき直して、多少の英語のルールで並べ替えるものでしょう。

こういう範囲で訳したのが、『風とともに去りぬ』の翻訳者である大久保康雄・竹内道之助のお二人。

>「スカーレットがタールトンの双子と座っていた。父の経営する大農場、タラの一画の涼しいポーチ。あの1841年の4月とはいえ明るく、スカーレットの姿はかわいらしいものだった。

作者のマーガレット・ミッチェルはprettyにまだ性体験をしていない少女という意味を込めて「かわいらしい」という言葉をつかったのかもしれませんね。

その後の大胆な彼女の生き様、あてつけに結婚とか、人殺しをするとか、とてもかわいらしいとは思えない所業の数々を考えるとき、1861年南北戦争勃発時の4月にはまだかわいらしい少女だったと強調したかったのでしょう。そう読むとprettyという語がとっても生きてきます。

「形式的等価」ですか、受験生はそれで充分ですね。そこを逸脱したら採点者が困ります。

seatについての制度の解説ありがとうございます。状態動詞ということばで説明してもらうとよくわかります。

>seatは、状態を表す動詞ですから、「座らせる」は便宜的な訳語で、本当のところは「何らかの落ち着いた状態につかせる」なのです。動作をいうならばsetやplaceでしょうね。

言語感覚のよい女生徒には、「読む(言葉からイメージをつむぎだす)」ことと形式的等価で「訳す」訓練をして見ます。
意識して両方使い分けられて方がいい。

勉強になりました、ありがとうございます。
by ebisu (2014-05-08 00:11) 

ebisu

また別の解釈が提示されましたね。

>訂正です。゙.a pretty picture゙は「なかなかのものだった」とするのがいいようです。pretty→かなり、結構。…………後の文の服の説明や双子が彼女に惹かれていることともうまくつながる気がします。…………

prettyはpictureを修飾しているので、副詞にとるのは抵抗があります。でも日本語訳としては「なかなかのものだった」というのはありますね。
高価な絹のドレスで着飾った16歳の乙女、その美しい乙女に気のある兄弟、その背景には広大な農園の赤茶けた畝が数マイルも続いている。ポーチにベンチが据えてあることを示唆しているので、屋敷もそれなりに大きい。たしかに素敵な絵柄で「なかなかのもの」ではあります。

>状態と動作ですが、北海道の英語の先生には次の2つが同じだと思っている方がいることも、書き添えさせてください。the girl wearing a skirtとthe girl putting on a skirt

ジーニアスの4版でwearを引くと、語法の説明の所でput onとの比較がでてきます。wearは状態をput onは動作を表す。
「したがって、wearは瞬間的副詞と共に用いることができない」と用例を付してあります。at onceといっしょに用いてはいけないと。

生徒が辞書を引くのを見ていると、読んでいないようです。訳語をピックアップするだけのようにみえます。電子辞書を使っている生徒が多い。理由はカバンに入らないからです。いろんな教科の副読本や問題集の類が多くて、カバンは重い。とても英和辞典の入る余地はなさそうです。
電子辞書の欠点は、画面が小さくて、スクロールしないと全体がみえないことです。その結果辞書を読まないことになる。もったいないし、あれでは英語ができるようにならないでしょう。せめて家では紙の辞書を使ってもらいたい。

彼女達が将来英語の先生になったらと考えるとちょっと心配ですね。

さて、まとめです。
文学作品はどこに焦点を当てるかで、すいぶんと異なる読みが可能だということ、それが楽しくもある。
合格先生、Hirosukeさん、後志のおじさん、そしてebisuとそれぞれの訳を並べました。何枚もの画用紙にいろんな色の絵の具で絵が描かれました、楽しんでもらえたかな?
by ebisu (2014-05-08 00:45) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0