#2656 北方領土返還運動:おかしな「元島民」の定義 Apr. 23, 2014 [21. 北方領土]
今日は三国干渉(1895年4月23日)のあった日である。日清戦争後に日本と清との間で結ばれた下関条約に基づき割譲された遼島半島をフランス・ドイツ帝国・ロシア帝国が元に戻せと勧告した日が今日である。この事件で日本国民に火がついた。帝政ロシアとの戦争、日露戦争の伏線となった。それは結局、ロシア革命を成功させることになったのである。いまのロシアは日本が産婆さんの役目を果たして生まれた。
今朝の北海道新聞朝刊根室地域版に次の記事が載っていた。
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元島民7000人割っていた
死亡377人 存命と集計
千島歯舞居住者連盟(千島連盟、札幌市)と北方領土問題対策協会(北対協、東京都)は22日、全国調査の結果、存命とされていた北方四島の島民377人が実際には亡くなっていたことを明らかにした。これにより、元島民の生存者は6927人となり、7千人の大台を割った。調査は一部終わっておらず、生存者はさらに減る可能性があるという。千島連盟の小泉敏夫理事長(90)=札幌市=は「7千人割れは衝撃。命あるうち、領土問題を解決してほしい」と訴える。
両団体によると、終戦前後で北方領土に居住していた元島民は計1万7635人。・・・
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千島連盟では「島民」の定義は「終戦前後で北方領土に居住していた」人ということ。これがおかしいとも思わず、六十数年間返還運動を続けてきたことには訳がある。補助金問題だろう。そこで線引きしなければならなかった事情はわからないでもないが、それと引き換えに返還運動がダメになったといったらいいすぎだろうか?利権が目の前にぶら下がったとたんに本筋を忘れてしまうのは人間の性(さが)であろうか、人は利権に弱い。原発もそうだろう。理化学研究所内のSTAP細胞騒動にも背後に利権の構造があるのかもしれない。
話は飛ぶ。地元の高校を卒業すると毎年7割が根室から出て行く。そのほとんどが進学で一部は就職だ。こうして出て行った者たちは「元根室市民」ではないのか?それくらいヘンなことなのである。
わたしは根室で生まれ、根室の大人たちに育ててもらった。だからふるさとに感謝している。18歳の春に東京へ、そして35年間東京暮らし。予定通りに人生を三分割し50を少し過ぎたところでふるさとに戻って私塾をやっている。
高校や中学校や小学校の同期の東京の東京の連中を「元根室市民」だと思っている。根室で生まれ育った人、親の転勤で根室に数年間済んだことのある人、仕事で根室で何年間か暮らした人、そしていまは日本のどこかあるいは海外で暮らしている人、これらの人々はすべからく「元根室市民」である。
返還運動をやっている人たちの「元島民」の定義に傲慢さを感じるたのはebisuだけではない。島に住んでいたが「元島民」の定義には当てはまらないたくさんの人々が苦々しく思っていたことに気がついているのに目をつぶり続けた。同じふるさとを共有しているはずなのになぜ(?)という思いだ。
父母が眠るお墓もある、墓参にいけないで死んだ人が私の周りにも数人いる。行きたくてももう高齢で行くことがかなわない正真正銘の元島民がいることを忘れた返還運動とはいったいなんなのだろう?
少し個人的な話しを書くことを許されよ。魚場のある漁師の家の長女として生まれた択捉元島民のお袋は17~18歳で根室へ来たのではないかと思う。兄は兵隊にとられ国境警備で満州の荒野で亡くなっている。突然宣戦布告し国境を越えてきたソ連軍と戦って死んだのだろう。兄が戦死せず択捉島がソ連に獲られなければ、漁師を継いでいただろう。叔父貴も叔母三人も終戦の前に島を離れている。一番末の叔母一人が残った。彼女だけが「元島民」である。
島の暮らしは豊かだった。季節ごとに日本橋三越や高島屋のカタログが船で持ちこまれ、注文ができる。戦時中でも米も砂糖も不足しなかったという。魚がたくさん獲れるので食糧はそれと引き換えに入ってくるのである。
母は「いろいろあった・・・帰りたいという思いはない・・・でも母さんのお墓参りはしたかった」そう言っていた。
叔母の一人は癌を患ってから「行きたい」と言っていたが母より先に亡くなった。叔父貴も行きたがっていたので関係機関に連絡してみたがムダだった。高齢だし何度か手術しているから健康上の理由からもう行けないだろう。
択捉には叔父貴の名前で魚場が登記されている。根室とは比較にならぬほど魚が豊富で「宝島」と爺さんが何度も孫に語ってくれた。出稼ぎのヤンシュウは根室の3倍稼いでいたという。
お袋がこう言っていた。
「秋になると、川に竹棹がたつぐらいびっしりシャケが上ってくる」
川に入って兄がシャケを両腕で抱えて岸へあげお腹を割いて筋子をとる。すぐに小樽に一杯になる、
「そんなにとっても食べきれない、捨てるだけだから・・・」
冷蔵庫のない時代のことである。それほど魚が多かった。いまでもあの川には秋にはシャケがびっしり俎上しているらしい。ロシア人は住んでおらず荒涼として元の自然に戻っていると人づてに聞いた。
来年は戦後70年の節目だ、いままでの返還運動は元島民の共感を呼ばないものであることは否めない。政府の補助金便りの返還運動のあり方も含めて、根本から問い直すべきときが来ているのだとは考えられないか。
多核弾道ミサイルを開発して数機組み立てノサップ岬の近くの原野に並べ、そして3年間デモンストレーションしてから解体する、それぐらいの発想をもとう。国連安全保障理事会が動かざるをえなくなる。日本が実質的な多核弾道ミサイル保有国であることを知らしめるだけでいい。
むかし北方領土に住んでいたことのある者が分け隔てなく返還運動に参加できるようにはならないか?そういう人たちだってほとんどが死んでしまった。ふるさとを同じくするものたちの領土返還運動、その向こうに国民の共感を呼ぶ領土返還運動があるのだとebisuは考える。
島民2世のebisuは母親が生まれ育ったあの択捉の土を踏むことがあるだろうか?
婆さんのお墓参りをしたいという思いや話に聞いていたシャケの上るあの川をみたいという思いは何年間かはあったが、いまはそういうことに執着がなくなった。
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―余談―
昨日C中学校の生徒たちが弁論大会が近いがまだ原稿を書いていないとあせっていた。一人は北方領土問題ををとりあげるという。爺さんが元島民という生徒だ。7年前に和歌山県まで弁論の全国大会にいった生徒が二人いる。一人は北海道教育大札幌分校の4年生だ、テーマは覚醒剤だった。覚醒剤をやったらどういうことになるのかそういうことを論じてC中で優勝した。気が優しくて何をやらせてもそつなくこなすことのできる優秀な生徒だった。もう一人はあの当時から「ヨシモトにいきたい」と言っていたが、根高の演劇部長をやって大学は大阪芸術大学へ、彼女もいま4年生だ。日大芸術学部も受験するつもりだったが大阪芸術大学合格が先に決まって、さっさとそちらへ。きっと大阪へ行きたかったのだ。いま弁論大会の原稿に取り組む生徒たちは7年後に何をしているのだろう?
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*#195「少し過激な北方領土返還論」:MIRV(多核弾道ミサイル)開発・組み立て・解体ショー
⇒ロシアをぎゃふんといわせ北方領土を返還させるための具体論
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-06-07
#465「"Japan sent uranium to U.S. in secret"は北方領土返還運動の好機か?」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-12-30
#1401「ロシアがフランスから新型軍艦を購入し北方領土へ配備、対抗措置はあるか」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-03-1
#1892 映画「マーガレット・サッチャー」と北方領土 Apr. 6, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-04-06
#1965 ビザなし交流=通過型観光旅行? June 8, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-08
#1969 北方領土問題コメント(欄)対話(1): ビザなし交流の虚実 June 11, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-11
#1973 ビザなし交流in択捉島 住民交流会:もちつもたれつ June 14, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-14
#2050 竹島と北方領土 :韓国大統領の竹島上陸にどう対抗する? Aug. 10, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-10-2
#2053 マーガレット・サッチャーと領土問題(2) : 北方領土・竹島・尖閣列島 Aug. 14, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-14
#2054 マーガレット・サッチャーと領土問題(3) : Aug.16, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-16
#2095 おろかな領土紛争:白人支配終焉のチャンス
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-09-28
#2097 中国や韓国と如何に付き合うべきか
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-09-29
#2301 実録北方領土ビザなし訪問 :同行医師の記録 May 19, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-05-19
#2585 北方領土の日: 現実的な四島返還構想 MIRV開発 Feb.7, 2014
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-07
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