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#2582-8 子供たちの精神年齢の低下現象と読書に関係はあるか? Feb. 5, 2014 [64. 教育問題]

  小中高生に接していると、なんとなく精神的に幼い生徒が増えていることに気がついている先生たちは多いのではないだろうか?
 好きなブカツは一生懸命にやるけれど、きらいな数学の勉強は先生や親にいくらいわれても、わがままでやらない、もしくはやれなくなってしまっている生徒たち。「きらいな科目でも必要だからやれ」と言わない先生や親も増えている。
 「嫌いなことでも必要なことは嫌でも辛抱してやれ」と言い切る先生や親が少なくなってしまった。こういう風に「先生力」や「親力」もまた弱体化してきている、それと併行するように生徒の精神年齢も低くなっているように見える。飽食の時代の只中で、さまざまな情報ツールが溢れ、学習への飢餓感もなくしてしまったのかもしれない。
 
 学徒出陣で出兵した20歳前後の若者たちの遺書を読むとその精神的な高さに驚かされる。戦地へ赴き、死ぬかもしれないという緊張感の下だったからこそ、レベルの低い娯楽的な本ではなく、精神性の高い本へと流れたのかもしれぬが、ずいぶんと大人びた遺書がたくさん残された。

 どういうレベルの本を読むかで、読んだ人の精神年齢の高さの半分くらいが決まるものだとすると、旧制高校生と違っていまの大学生は哲学科の学生を除いては哲学関係の本をあまり読まなくなっているのだろう。団塊世代は経済学部の学生はもちろんのこと商学部の学生だって一部は哲学関係の本をすいぶんと読んでいた。時代の雰囲気もあっただろう。
 中学生に読んでいる本を聞いてみることがあるが、東野圭吾とかこの間はだれだっけ、そうそう山田悠介だった、本に眼を通してみたが、漫画の原作のような本だった。あれでは語彙の増加は止まってしまう。レベルを上げていかないとダメだが、かなりの読書量を有する生徒でもそういうレベルを上げる「動力」が感じられない。
 なぜなのかはよくわからない。学校でも家庭でも親子読書サークルでも児童書から大人の本への橋渡しがうまくいっていないことはわかる。

 主要な理由は少なくとも二つある。ひとつは中学校で日本文学史をきちんとやらないからだろう。小学校で英語の授業をやるくらいなら、週に1時間くらい日本文学史をやってもらいたい。その中から数冊選びやはり週に1時間授業下音読トレーニング指導をしてもらいたい。どういう本があるのか知れば子どもたちはその中から選んで読むはずだ。日本文学史を小学校や中学校の授業でやれば、文化遺産ともいうべき良質の日本語テクストを子供たちに渡せる。
 もう一つは1980年代に活版印刷からコンピュータでの出版に切り替わり、DTPの当初の性能が限定されたものだったので、漢字制限をせざるをえなかったし、ルビもふれなかったという事情があった。今現在は性能がよくなり、そうした制限はなくなったが、30年間そうした状態に慣れてしまったので、出版社は時代に合わせて切り換えられなくなっている。ルビをふらないし、漢字を制限するから、むずかしい語彙が出てくる本を書かなくなっている、一世代そういう本が出にくい状況が続くと、次の世代はそうした古いそして難解な語彙を駆使した切れる文章が書けなくなってしまう。一国の文化の継承にかかわる由々しき大問題が潜んでいる。
 出版社は歴史的仮名遣いで漢字制限をしないでルビをふった本を出版すべきだ。そうした努力をすれば読書人口は増やせる。

 中3になっても小学4年生レベルの語彙力の生徒が25%はいる、この層の子どもたちは先生たちが授業で話す日本語を理解できていない。話のところどころに出てくる言葉を、語彙力不足から頭の中で適切な漢字に置き換えられない。もちろん授業が理解できるはずがない。だから、人口3万人以上の地域だったら成績下位25%層が進学する高校が別にあるはずで、その高校で採用する教科書はレベルをうんと下げたものにせざるをえないし、授業レベルも極端に下げざるをえないのである。 
 成績下位25%層は使えるあるいは理解できる日本語語彙力からみて正規の高校課程の授業を受けること自体が無理なのである。日本語語彙力の劣る生徒は、国語はもとより、文章を適確に読み解けないから数学も学力が落ちるし、ましてや社会科目も理科の科目も日本語で書かれているから、教科書に書かれた文意を適確に読めない。これでは学力全体がかなり落ちることになる。それでも道立高校には入学できる。根室に例をとれば、ブカツ三昧でまったく勉強しない生徒だって、道立高校へ入学できるし、卒業もできる。おかしな世の中にしたものだ。成績下位20%は高校の授業を受けるには日本語語彙力の点から不適格と断ぜざるを得ないから高校へ入学できなくていい。高校へ入学したければ、中学卒業の学力をつけてからでいい。それには普段から、年齢相応の本を読む習慣を養うべきだ。

  小学校6年間、中学校3年間、合計9年間本を読む習慣のなかった生徒は手ごわい。日本語語彙レベルは小4以下と思ったほうがいい。中学受験用の語彙力テスト問題をやらせてみたらいい。基本的なレベルの問題で、50点をなかなか超えられないというのが実態である。だから、ルビをふっていない本を、読まないのではなく、読めないのであり、したがって、レベルを上げた精神性の高い本は遠く遠くはるか遠く、彼ら彼女たちの手の届かぬところにあるのだ。漫画の原作のような本にとどまっていたら中学生の段階で実年齢のほうが精神年齢を追い越してしまう。
 そういう学力の劣る高校生のほとんどに非正規雇用しか就職口がない。その率は90%前後になるだろう。高校生全体でも三人に一人しか正規雇用の職はないのだ。

 ブログ「情熱空間」から
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/7081791.html
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2014年02月04日

子どもの「精神年齢の低下」に想うこと

ここ10年・15年ほどでしょうか。いつも思うことがあります。自分が年齢を重ねて、子ども達と歳の差が広がっていることも少しはあるのでしょうけれど、それを差し引いてもなお実感することです。

子ども達の精神年齢が下がってきている。

ということです。女子はさほどでもありませんが、男子は顕著です。かつて、20年とかそれ以上前の小学校5年生が現在の中学1年生相当か?そんな風に思えて仕方がありません。もちろん、草食系男子の増加という、男性が全体的に中性へと向かっているという世の風潮も作用しているのでしょうけれど、我々が考えるのはやはり、学力との相関です。

語彙力が劣ると、それだけで精神年齢が低下する。

合格先生が指摘するように、まさにその部分の問題です。語彙力が劣ることによる学力の低下。本人は、もはや学力が危機的状況にあることを認識できず、ごく普通、ごく平凡と思っているものの、やがてその子が大人に近づいて社会に出るも、求められる水準にほど遠い。その子は「普通にちゃんとやっているし、そうしてきた」と思い込んでいるものの、社会一般の「普通」にはまるで及ばない、ということですね。

ちょっとゲスな表現になりますが、分かりやすく。中学校で有名な問題児がいたりします。で、その保護者に尋ねてみると、何のことはない。我々世代にも多くいた、「チョロ松くん」なだけなんですね。ヤンキーのパシリにされていたようなタイプの子。学校の器物を破損しまくったり、暴力を振るったり、カツアゲをしたり、夜の校舎の窓ガラスを割りまくったり、盗んだバイクで走り回ったり(笑)、そうしたわけじゃないんですね。落ち着きがなくて、チョロ松なだけ。ええ、精神年齢がただ幼いんですね。

これ、実はこうしたことが言えるんですよ。全体の学力が下がると、子ども達の精神年齢は幼くなり、学力が向上する中で、子ども達はやや荒れ気味になるんです。なぜか?後者には「批判精神」が伴うからです。「批判精神」には、年齢なりに身につけた、一定程度の知力が必要になるわけですからね。まぁ、中学時代に、「荒れる学校」世代のど真ん中にいた人間の戯言と思ってくださっても結構ですが…。

それを象徴するような、某中学校の道徳の授業。以前、合格先生が指摘していましたが、「自分がバスに乗って(座席に座って)いて、そこに荷物を持ったお年寄りが乗り込んできた。さて、あなたはどうする?」という状況設定が、何と何と、しつこいようですが、そうした低レベルなものが道徳の授業の題材だそうです。普通、こう思いますよね?それって、せいぜい小学校中学年の子への道徳の授業じゃないの?って。しかも、その学校がやることが、何かにつけて《お手本》などとは、しかしまぁ…。

学校生活は、長い人生の中でそれこそ一瞬でしかありません。しかし、大人になってから気づくように、キラ星がちりばめられたかのような、実に濃密な時間であって、実に密度の高い生活の営みです。そしてその場は本来、社会に出るために必要なことを学ぶ場であるべきものです。精神年齢が下がってきている子ども達を目の当たりにして、「子ども子どもしていて、とても良い」などと思わぬよう、お願いしたいところです。ええ、子どもはやがて大人になるんですから…。

●釧路の学力低下を探る(10)
http://www002.upp.so-net.ne.jp/singakukouza/jijimonndai.html#Anchor-10419

《引用開始》
子ども達の精神年齢の低下

 語彙力が劣ると、それだけ精神年齢が低下します。その兆候が、大した事も出来ていないのに「自分は一生懸命やっている」と思いこんでいる子。小学校の低学年の時に「一生懸命頑張っているね~」と先生に誉めてもらったレベルと同じレベルで「誉めてもらえる」と思っている中学生がいたら、大変なことですよ。

 ところが今の中学校は、どうやら、そのレベルでも誉めてもらえるようなんです。だから、中学校でも「普通に出来ている」という感覚なんですね。
 でも、よくよく考えてみて下さい。この状況で学校を卒業したらどうなるか。

 現在、就職状況が厳しくなっている理由の一つが「企業の求めるレベルに学生のレベルが達していない」ということなんです。「ゆとり教育」によって、それ以前に保障されていた学力や精神のレベルが著しく劣ってきているということなんですね。もうちょっと別の視点で見ると、ゆとり以前は、企業の求めるレベルと学校卒業時点でのレベルにそれほど開きがありませんでしたが、ゆとりになって、学校全体のレベルが下がってしまった事によって、企業の求めるレベルと卒業時点のレベル差が大きくなってしまった、という事なんです。
 となれば、学校にいるうちは、全体のレベルが低いですから「自分でも普通に出来ている」と思っていますが、いざ就職すると、そのレベルのギャップについていけない子が続出してしまう、ということなんです。そうなると、不平・不満が蔓延し、結局、最終的にはその仕事を辞めてしまう、と言うことになります。この現象を差して、一般の人はよく「忍耐が足りない」と言いますが、何のことはない、レベルが低いだけなんです。中学生にもなって、小学校3年生や4年生の漢字であたふたしているような子に、まともな仕事ができますか? ということなんですね。

 そして、もっと困るのは、一旦就職してから、結局、社会に適合出来ていないということが判明し、そこからひきこもりになってしまうという子が釧路では相当数いる、ということなんです。これ、実は、一旦就職してしまうと、学校から離れてしまうため、実体の把握が難しくなってしまい、行政側でも対応しきれないということなんです。それであれば、学校にいる段階で、きちんとしたレベルに到達するように指導し、それに適応できない子を学校にいるうちにしっかり対応しておいた方が、後々の子どものため、ということになります。

 さて、この状況を把握する方法として、お父さんに頑張ってもらいたいのですが、考え方は簡単です。「うちの子、自分の会社に就職させて大丈夫か」ということを客観的に見る、ということです。我が子可愛さで、甘くなったり、逆に、身内を厳しく見過ぎて、いつまでもダメ、と考えることの無いよう、出来るだけ「客観的に見る」ということが必要なのですが、これで見て「うちの子は危ない」と思った場合、学力面・精神面を鍛え直さなければなりません。この場合、出来るだけ年齢の低い方が直し易いです。特に、少年団や部活に力を入れてきた家庭は学力面、勉強を中心に見てきたという家庭では精神面、という形で、家庭の方針と逆の面をしっかり見て欲しいと思います。
 そして、学校ではまずまずうまく行っているようだ、とは思わないこと。学校の通知表結果は全く信用できませんし、道徳についても「何じゃこりゃ?」と思われるような精神年齢の低い内容になっていることは、他の項目でも書いています。あくまで「お父さん基準」で判断して欲しいと思います。
《引用終了》

父親の役割は大きいと思いますよ。自分の子どもを、自分の部下にしたいか?そうした視点を、常に持ち続けることが必要でしょう。そしてその先の視点はこう。自分の子は、自分の上司足りえる器に育っているか。

●「即戦力」とのギャップ(おやじの力)
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/5434301.html


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ZAPPER

かなり前に書きましたが。
雑木林に白骨死体散乱!
今の中学生の下位2〜3割は、これが読めません。
普通の大人は、まさか!と驚きますが、学校現場では誰一人として驚きませんね。
そのこと自体が異常ですけれど。
ここは本当に日本なのでしょうか?
by ZAPPER (2014-02-05 21:16) 

ebisu

不思議ですね。
日本語語彙力がこれほど貧困化しつつあるのに、文科省はちっともとりあげない。それどころか、そうした現実を無視して、小学校で英語教育をやるというから驚きです。

文科省主導で小中学生対象の語彙力強化政策を打ち出してほしいですね。

出版業界へは小学6年生にも読める程度のルビをふることと、出版物に使用漢字制限をしないことを「標準仕様」として文科省が推奨してもらいたい。

読書人口が増えれば出版社も潤います。
まさに、

「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」

by ebisu (2014-02-06 00:31) 

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