SSブログ

#2569 根室も同じ病?:釧路の学力低下を探る(1)~(6) Jan. 23. 2014 [64. 教育問題]

 教室へ入ってくる生徒が何人かめずらしく「こんばんわ、先生、そと寒い!ちょーさむい」といっていた。午前11時頃でマイナス6度、夜9時半頃にはマイナス12度、今年一番の冷え込みである。大丈夫だとは思うが、万が一水道が凍結破裂しないように今夜は水を抜いておこう。

  前置きはこれくらいで、本題へはいろう。仮定法や英語の基本構造論で弊ブログコメント欄での議論に参加してくれた合格先生が釧路の学力低下の原因を分析している。合格先生は鋭い分析で歯に衣着せぬ文を書くが、実際はいたって穏やかな人であることを付言しておく。
 
*英語談義 (コメント欄から)(16) ←合格先生を含めた4人「仮定法」や「基本構文論」に関する議論はこのカテゴリーにまとめてあります。興味があればクリックしてください。

  根室の子どもたちの学力も釧路と同じように低下している。根室で一番低下が激しいのはB中学校、3年生で一番よかったときは5科目平均点が165点(300点満点、6年ほど前)だった。昨年の実績は100~112点。
 釧路も根室も学力低下現象もその原因もよく似ている。(1)と(2)と(5)だけ転載しておくので、残りはURLをクリックして、スクロールしてご覧ください。

http://www002.upp.so-net.ne.jp/singakukouza/jijimonndai.html#Anchor-10411
========================

釧路の学力低下を探る(1)


評価体制の甘さ(1)

 タイトルがどこかのテレビ番組のようですが、日本全国、学力向上に向かっているのにも関わらず、釧路がその時流にまだ乗れていないのは、昨年発表された全国学力調査の結果でもお分かりの通り。このままでは、他地域にどんどん置いて行かれてしまいます。
 そこで、お父さん・お母さんに「ここを見ていけば、自分の子供さんの学力低下だけは何とか免れるだろう」という点をピックアップし、今後、気をつけて見ていけるように、というお話をしていこうと思います。その第1回目は「評価体制の甘さ」。

 評価体制と言ってもいろいろありますが、ここでは学校が生徒につける成績という面で考えていこうと思います。

 今まで、通知表が3や4になっているとしても、結局、身についていなければならないものが身についていないんだ、ということをお話ししてきました。過去においては、連立方程式の基本計算が出来れば「5」がついていたり、現在進行形で起こっている内容で言うと「読書」という漢字が読めない、「住所」という漢字が書けない、というレベルで「3」や「4」がついています。こういう話を聞くと大抵の保護者の方は「まさか」と思うのですが、自分が実際に受け持つ際に漢字や計算の確認をして、その様子を保護者の方に見ていただくと、唖然とするんですね。
 現在の中学生は、小学校の低学年の時期はまだ「ゆとり」ですから、特に身につけなくても構わないとして放置されてきた世代です。もっと言うと、以前からお話ししてきている「問題解決学習」や、一つ前に書いた「学び合い」などで、基本的な事項を身につけていなくても、元気良く発言していれば通知表が良かったりしている訳です。他地域では、「漢字・計算の小テスト」をほぼ毎日行っていて、そのプリントがカバンの下の方にゴッソリ固まっている、なんていう生徒がいる訳ですが、釧路ではほとんど見たことがないと思いますよ。当然やるべき事をきちんと行っていないからなんです。

 ここから分かることは「身につけなければならないものをきちんと身につけているかどうか」のチェックが甘く、もしくは行われていなくて、それが通知表の評価の対象になっていない、と考えるべきなのです。以前、ここにも書いた「長期休暇中の課題は先生に提出しなくてもいいよ」ということを平気で行っている学校もありますから、結局、生徒がどのような状況にあるのか、ということを教師自身も把握していない訳です。

 もう一点は、絶対評価でありながら、その絶対評価の基準が学校任せになっている点です。これではまだ以前の「相対評価」の方が明らかに子供さんの状況を確認出来ます。
 上記に挙げた漢字が満足に読み書き出来ない子は、当然の事ながら、テストの点数が低くなりますし、そのテストの点数順に上から○%と成績をつけ、それに宿題の提出状況・授業中の姿勢などを加味するという方式を取った方がもっとスッキリしますし、お父さん・お母さんの頃は、もちろん、そのようにしていました。
 ですから、お父さん・お母さんの中では割と多い「うちの子、学校の平均くらいになっていれば」という発想で考えた場合、当然、順位の下位の方にいる子は「1」や「2」がつくわけですから、そういう科目があった場合「まずい」と気づき、早いうちから対応できるんですね。ところが、現在の「絶対評価」では、そういう子でも「3」がついてしまい、お父さん・お母さん曰く「うちの子、学校の平均くらい」と勘違いしてしまうわけです。実際には「ビリから数えてすぐ」であってもです。そして、この感覚が子供達の底上げが出来なくなっている原因なのです。

 実際に、今では中1・2から勉強させよう、と考えている方は以前より急激に減ってしまいました。一部では「不況で塾に通わせられない」と言いますが、いくら不況であっても、本屋さんで参考書やドリルを買ってきて練習は可能でしょう。それもきちんと練習して身につける物を早いうちから与えておけば、それほど苦労することはないのです。書店では「中学校の勉強が○時間で分かる」なんていうタイトルがついた参考書を見かけますが、そんな数時間で分かるようなものを学校で3年もかけて勉強するわけがないでしょう。学校の勉強を身につけるには、それなりの時間がかかるのです。ですから早いうちからきちんと勉強することが大切。でも、そういう安易な方向に流れる人が多いと思いますよ。
 そして、その原因も、実際は「小学校の漢字や計算すら満足に出来ない~お父さん・お母さんの頃なら1や2がついているレベルの学力の子」に3や4がついてしまっているため「うちの子、平均くらいは行っているから、ちょっと勉強すれば何とかなるだろう」という感覚が蔓延してしまっているのではないかと思います。

 ここを回避するには、まず、お父さん・お母さんが子供さんの学力を適切に判断できるか、という点にかかっています。もちろん、学生時代、勉強に自信のあったお父さん・お母さんであれば、小学校レベルであれば比較的すぐに判断できると思いますが、「そうではない」と言う人は、とにかく「全国レベルの検定」などに挑戦させてください。漢字検定・算数検定あたりを出来ていると思われる所から順に受験させていくのです。たぶん、自分の見立てでは、今の中学生が受験すると、漢字検定は小学校6年生までのレベル、算数検定では小学校5年生レベルで、クリア出来ずにひっかかる子は半数近く。さらにその手前の小学校3・4年生の内容で引っかかる子は1~2割程度いると思います。
 そして、実際に、今、子供さんが置かれている状況から将来の事を考えてください。小学校の3・4年生はもちろん、小学生内容をクリア出来ない時点で「将来の就職が危ない」と思ってくれればいいと思います。

 釧路の学力、とりわけ中学生の学力は、今のところ年々下がっていっています。そして、その原因の一つが評価体制。これが隠れ蓑になってしまっていること。本来「絶対評価」とは、全体に不公平が無いように、市や道や国が一定の基準を設けて、全市・全道・全国レベルの評価、ということにならなければならない訳ですが、それが学校に丸投げされてしまっていること。この点が、隠れ蓑としての機能をより強固にしてしまったということです。
 そして、テストの難易度を下げ、いかにも学校ではきちんと出来ているように見せながら、その実、全国基準で見た学力はどんどん落ちて行っている、というのが実状なんですね。

 もう一点は、本来、子供達を評価する場合、その授業科目の内容をきちんと身につけているかどうか、が一番の判断の基準となるべきで、当然、テストが中心になるはずなのです。そして、宿題などの提出物の提出状況や内容を細かく見る、授業中の姿勢も常に気を配る、と言ったところが評価の中心となるべきなのです。丁寧な先生は、宿題のチェックをきちんとして、小学校辺りは教室に一覧表にして貼ってあったりするのですが、雑な先生は「何か好きな勉強をしてこい」でお終い。決められた課題も満足に出さず、提出の義務もなし。こんな状況で何を評価するつもりなのか、ということです。
 釧路で結果を出した中学校では、毎日各科目10分程度の宿題を出す、生徒の家庭学習状況をデータに取り「全体としていつの時期に勉強から離れがちになるか」、また、個人で見たときに「急に勉強から離れてしまったのはなぜか」というところまでしっかり追いかけて、指導に当たっているのです。当然、個人的に勉強から離れてしまっている子に声をかけたり、というような事を当たり前の事としてやっているわけで、これがきちんと出来ているということは、とりも直さず、生徒に丸投げせずに「チェック体制がしっかりしている」からです。こういうところでなければ、生徒の評価は出来ないでしょう。
 そして、子供達をしっかり見ているという姿勢を教員全員が持っていれば、生徒の勉強に向かう姿勢が良くなり、当然、荒れたり・いじめが起こったりということも、予防できる事になるんですね。
(2014/01/18)


========================

釧路の学力低下を探る(2)


評価体制の甘さ(2)

 前項の(1)では、生徒の評価についてでしたが、こちらでは「教育委員会の学校評価」に視点を移して行きたいと思います。

 教育委員会の学校の評価体制を見た場合、筆頭に挙げられるのが「学校改善プラン」です。各小・中学校で毎年提出しているもので、教育委員会のホームページでも確認が出来ます。
 実は、これ、書式自体は年々進化し、だんだん充実したものになってきていて、今年はついに「2ページ以上の学校」が大幅に増えました(笑)。ちなみに、東京品川区の公立の学校で出しているプランは、研修内容から何から事細かに書かれていて、ページ数はちょっと失念しましたが、冊子になっていましたから、多分、50ページ程度はあったと思います。
 ですから、何をどのようにやるか、具体的な部分まで突っ込んで計画するということが大切。もちろん、現在やっていて効果のあるものであれば、それの計画書や実践に当たって出てきたものを資料として一緒に添付するのでも構わないわけですし、この方式であれば一度作ってあるものをそのまま流用すればいいわけですから、それほど手間がかかるわけでもないんです。ですから、なぜ、そこまでを報告させないのか、ということ自体、実におかしな話なんです。
 だから、進歩がない。良い取り組みを行った学校のノウハウが蓄積されない、ということになるのです。こんなことを毎年繰り返していては、学力向上なんていうこと自体あり得ません。
 ただでさえ、釧路はボンクラ校長・教頭が多く、共栄中などで実践した学力向上策が、教頭が替わったとたん、元の黙阿弥になってしまう訳ですから。こういう素晴らしい実践は、継続されなくては意味がないでしょう。ですから、きちんと学力状況を把握し、今までの取り組みをフイにしてしまった校長や教頭は格下げをする、くらいの評価体制を築いていかなければならないでしょう。学力テスト結果を公表しないのであれば、内部できちんと評価をし、ダメなものはダメときちんと扱う。それが出来ないのであれば、きちんと公表し、市民の意見を募る。どちらかです。
 ハッキリしているのは、学校のテスト結果を公表しろ、と言われているその原因は、教育委員会がしっかり評価をしていない、というところにあるのです。だから、教育委員会の活動がしっかりしているかどうか、市民に確認させろ、という話なんです。
 さらに教育委員会が「学力テストの結果は評価として扱わない」ということであれば、当然、結果を公表し、各家庭に「市内の他の学校と比較して自分の子はどの位置にいるのか」をしっかり見せていかなければならないでしょう。当たり前の事です。教育委員会が評価を放棄しているのであれば、その評価を家庭に委ねるしかありませんよね。少なくても「いつまでも隠して追求されず、ぬるま湯に浸かっている状態」にしておくわけにはいかない訳です。
 この点に関しては「教育委員会がしっかり評価をする」。それが出来なければ「家庭に委ねる」。評価から逃げてばかりいる状況を正さなければ進歩はありません。

 次に、その評価が、結局は「学校からの報告書だけ」~いわゆる字面だけで終わらせているのではないか、という懸念です。実際に「学校改善プラン」に書かれている内容をどのように執り行っているのか、学校に直接足を運び、確認をおこなっているのでしょうか。以前、学校の授業進度状況を確認もせず、単に報告書を鵜呑みにして「問題はない」と発言していた人がいましたが、こんな杜撰な状況で何をどう評価するつもりなんでしょうか。
 前項で書きましたが、子供達の評価をするためには、逐一、チェックを入れなければならないんです。一般の企業の人事考課でも、細かい項目を確認するのです。ですから、当然、評価をする側の立場として、細かい事にメスを入れなければなりません。そしてこれも当然、プランを出しているなら、それをきちんと実践しているかどうか、報告書だけではなく「結果」と合わせて「自分の目で確認」するのが義務でしょう。
 それとも、教育委員会というのは、特に市教委は「道教委の意向を伝達するだけ」に存在するんでしょうか? それなら、市教委は要りません。全員首にして、その分の予算を学校の管理・運営の費用として当てればよろしい。少なくても市の税金から給料をもらっているのなら、もらっている以上の働きをするのが義務です。市教委は役立たずの教師や市職員の逃げ場ではないんですよ。

 某教員研修団体では、学校の先生に級位を認定して、それによって先生の授業力を評価しています。それであれば、市教委も独自に学校の教員や校長・教頭にA~Gランクくらいをつけて、評価を行ってもいいのではないでしょうか? そして最後のGになった教員は研修所行き、とか、校長・教頭でGになったら、次に結果を出さなかったら格下げとか、そのくらいの措置を講じて構わないと思います。
 そして、こういう評価体制がきちんとすると、しっかり指導力のある教員が指導主事などに選ばれるようになるでしょう。少なくても前任者のように、これから学力向上に向けて頑張ろうとしているときに「体育系」の教員が選ばれるなどという愚かな事は起きないと思いますよ。
(2014/01/19)


========================

釧路の学力低下を探る(5)


授業の基本を徹底させよ

 新聞記事によると、全国学力テストの結果から「教員が授業の最初に授業の目的を話し、授業の最後にその日のまとめをする」というところが学力が高いと判明したそうです。となれば、役に立たない理屈を並べた研修を行うより、授業の基本がきちんと出来ているかどうか、という研修を行った方が、より、子ども達のためになる、ということですね。そこで、ここでは、授業の見学などで実際に見てきたところの状況をふまえて、改善点を述べていこうと思います。

1 服装
 子どものだらしないところは、先生の服装もだらしないです。年がら年中ジャージで過ごしているような教師がうろうろしていたり、生徒と先生の区別のつかないような服装をしているところほど、子ども達の授業中の姿勢や勉強に向かう姿勢が悪いです。学力を下げてきている学校、特に小学校では、その傾向が高いのではないでしょうか。
 酷い例を一つ挙げると、教師がジーパン・トレーナーで授業を行っている学校がありましたが、この学校の生徒、自分たちが見学に行ったときにも、遅刻してきた生徒がいたのですが、その生徒は、急ごうとはせず、ダラダラ歩いて、おまけに授業が始まってもトイレかどこかで遊んで来たのでしょう、自分たちが入室してからしばらくして教室に入ってきました。どんな服装でも大差ないと考えている教師は、考え直さなくてはいけません。見た目の影響って、非常に大きいんですよ。

2 板書
 ノート指導の基本となるのが板書です。見学した授業はプリント指導が多かったため、実際の板書は多く見ることができなかったのですが、黒板で説明をしていた小学校の教師のほとんどは、出来ていません。
 黒板のど真ん中に大きな字で2~3行の文を書いてお終い。高学年でも低学年に向けて書いているかと思われるような板書。算数の途中計算式も適当にその場の空いているスペースを使ってお終い。立ち位置についても、例えば算数の授業の際には、黒板が子ども達からしっかり見えるように、子ども達から見て必ず右側に立つようにするのですが、左側に立って、字を書く度に黒板を体で覆ってしまうという状況になっています。

3 授業中の姿勢
 まず、黒板に字を書くときにきちんと立たない教師がいます。立ち位置の問題にもなるのですが、小学校は基本的に、教卓を左側においている学校が多く、そこから移動して板書をするのに、とりあえず、手を伸ばして届くところから書き始めるんですね。当然、板書をする際には、常に左側に体をおいて書く、という事が主流になっているようです。こんなずぼらな姿勢で授業を行って、子ども達が一生懸命勉強すると思いますか?

4 ノート指導
 授業の際には、ノートの取り方の指示も出しながら、板書をするはずなのですが、この指示をしていた学校は皆無です。例えば、「ここは1行あけて」とか「イコールはここに書きなさい」とか、そういった指示が常に出るはずですが、教師の板書が適当ですから、当然、そのような指示を出すこともないのでしょうね。
 また、鉛筆の持ち方、字の丁寧さの点に関しても、ほとんどが出来ていません。学校の先生に言わせると「指導はしているのですが・・・」ということでしたが、一時的に注意するくらいなら素人でもできます。教師であれば、子ども達がきちんと出来るようになるまで、しつこく言い続けるくらいの覚悟はないのでしょうか。これが「一事が万事」です。勉強の内容も「教えてはいるのですが・・・」なんでしょうか。

5 生徒の姿勢
 足をブラブラしたり、机にベッタリ寝そべってノートに字を書いている子。これは、それほど多くはありませんでしたが、中にはそういう子もいました。でも、教師は一言も注意をしません。この教師の感覚、大丈夫なんですか?

6 教室環境
 掲示物がはがれかかっていたりしても、あまり気を使わないような教室がいくつかありました。自分が見学に行ったときには、見つけ次第直してきましたが、日頃から気を使っているかどうかは、その教室に入ったとたん、一目瞭然です。また、夏休み・冬休み中なのですが、生徒の作品がいつまでも教室の後ろに残っているところと、きれいになっているところがありました。こういうものについては、教頭や学年主任は指示を出さないのですか? 
 また、学校内が汚いところほど、生徒の勉強に向かう姿勢が悪いです。これは、塾での話ですが、自分が担当だった教室は、窓拭きをしただけで、生徒が宿題をきちんとやるようになり、授業中の姿勢も良くなり、学力も向上。もちろん、生徒数も増えました。人がいたくない、人が集まらない、そんな環境で、子ども達が良くなると思いますか? ある学校では、生徒がお菓子を持ってきていて、その包み紙が教室の床に落ちていましたが、それを踏みつけて歩いて平気な教師がいました。自分は、その包み紙を拾って、そのまま校長先生に見せましたが・・・

 その他、冒頭に書いた授業の構成の仕方、生徒への発問の仕方など、実践的な事を挙げれば、きりがありません。で、上記の内容も含めて、これは教育委員会の指導主事が行うことではないでしょうか。いったい何をやっていたんでしょう? 上記の内容など、一回見に行っただけですぐに分かるはずです。このことに対して改善指示などは出ているんですか? それとも、見に行ってもいないのでしょうか? 前任者はその担当期間に何度学校を視察に行ったのか、その際にどのような指示がでたのか、教育委員会できちんと改善指示が出来ていないようですから、その報告書をホームページにアップし、市民の有識者に評価を問う、くらいのことはやってください。釧路がこのような低学力になっている以上、新規事業の担当校の話などより、日頃の授業が大事です。

 また、一部の学校では、宿題や教室掲示について、学年毎に話し合って統一しているところもありました。校長・教頭曰く、「クラスによって指導の格差があってはいけない」とのこと。これ、当たり前の事じゃないですか。学校にいる以上、その学校のルールに従うのは当たり前です。
 もしも、自分の好きなように学級経営をさせてくれ、と言うのなら、その教師は学校を辞めて自分で塾を開けばよろしい。自分で好きなことをやる以上、収入から何から、すべて自分の責任で出来る状況でやってくれればいいです。少なくても、税金から給料をもらっている以上、全体の指示に従い、統一すべきところは統一するのが当たり前です。

 教員によっては、研修で模擬授業を行い、授業力を向上させようと努力している先生方もいます。非常に真剣に取り組んでいます。一方で、上記の悪い例に書いたような杜撰な授業を行っている教師もいます。いいですか。「言語活動」だの何だのと言う前に、自分の黒板の前での立ち位置くらい、しっかり出来るようになりなさい。
(2014/01/22)


========================


にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 根室情報へ
にほんブログ村


nice!(2)  コメント(6)  トラックバック(0) 

nice! 2

コメント 6

Hirosuke

>宿題や教室掲示について、
>学年毎に話し合って統一しているところもありました。
>校長・教頭曰く、
>「クラスによって指導の格差があってはいけない」
     ↓
いかにも公務員らしい発想で、
すごく引っかかります。

「話し合い」「統一」とは、
響きの良い言葉ではありますが、
僕は「玉虫色」「談合」の類義語と認識します。

自らの【知・徳・体】さえ実現できていない、
そんな低レベルな烏合の衆に向けて、
そんな間抜けな指示を上が出したら、
何が起きますか?

こうした「話し合い⇒統一」は、
概して低い方へと流れがちであり、
工夫・改善・向上意識をも抑圧します。

大方を占める烏合の衆は、
図抜けた経験と力量を持つ、
数少ない能ある鷹の助言を聞き入れ、
自らを変革する事などしません。

能ある鷹は飼い殺しです。

死にたくなくば、
鷹は飛び去るのみ。

このようにして、
学校現場に限らず、
集団のレベルというものは、
ほぼ一定に保たれるのです。

by Hirosuke (2014-01-24 01:31) 

合格先生

Hirosukeさんへ
 このルールに関してなんですが、実は、自分が実際に学校見学をしてきたところで見ると、実際にルールを明確にしている学校の方が、指導がしっかりしていました。このルール決めですが、校長や教頭がしっかりしていないと、なかなかルール自体も決められないようです。
 また、外部の人に対して、おかしなルールを提示するわけには行きませんから、ルールを決めている場合、おおむね子供たちにとっていいものになっています。

 そして、一番まずいのは、おそらく「暗黙の了解」というやつでしょう。実際にルールを決めているところでも「そんなこと言ったって、できないよね」という、教員の「暗黙の了解」が成り立っているところが、一番、危ない状況です。
 ですから、まずルールをしっかり決め、それを徹底させるところからスタートでしょう。
by 合格先生 (2014-01-24 04:51) 

ebisu

おはようございます、面白い論争ですね、楽しそうですから参戦します。

合格先生は現場を見て、現象から判断しています。ルーチンワークの乱れがその教室の子供たちの学力低下と相関関係が強いというわけです。落書きを放置していたら犯罪が増えるという論ににたところがあります。事実であり、そして一面の真実でもあるしょう。
他方、Hirosukeさんは企業の現場での話です。しかも大企業レベルの話です。これも実際の経験が主張の背景にあると私は感じます。これも一面の真実です。じつに現実は多面的であります。

わたしは十数人規模の企業と200人弱の中小企業、500人規模の企業、単体で2500人(グループ全体では5000人)規模の会社で働いた経験があります
じつはHirosukesんの意見はわたしの経験でもその通りなのです。

>大方を占める烏合の衆は、
>図抜けた経験と力量を持つ、
>数少ない能ある鷹の助言を聞き入れ、
>自らを変革する事などしません。

ルーチンワークを担当している普通の社員は、前任者の実務を踏襲するのみで、「変革しない」のではなくて「変革できない」のです。そのために必要な技術を習得していないし、習得する能力、その企業に応用する能力もない。実務を支障が出ないように配慮しながら実務デザインをまるで別のものに変えて、省力化と同時に精度を飛躍的に上げることは常人の能力では無理です。
200人規模ではそういう能ある鷹が一人いたら、その企業は5~10年でたいへんな高収益で財務基盤の安定した(無借金)企業となるでしょう。
2000人を超える企業でもそういうレベルの人間は一人です。
5000人規模なら複数いるかもしれません。
日本の企業集団なんてそんなものです。

また話を戻すと、掲示板をきちんとする、机のならびに配慮する、つまりは整理整頓が徹底している教室できちんとしつけられた子供たちの学力が高くなることは事実でしょう。

もう一つの問題を合格先生が問題にしています。「釧路の学力低下を探る(3)」で教員の質の問題をとりあげています。これは解決策が示されていなかったようです。一朝一夕にはいかないということでしょう。
だが、先生たちの学力はもっともっと高くあるべきだというのが、フリー参観を繰り返したわたしの意見でもあります。これもまた大きな問題であるというのが合格先生とわたしの共通した問題意識でもあります。

わたしはなんどか解決案を弊ブログで取り上げています。法科大学院と教職大学院を除く大学院学位取得者に教員免許を交付して、20%くらい給与を上げて採用すればいいのです。
オーバードクターを何人も抱えている大学院が少なくないでしょうよ。研究分野の専門知識と研究方法に関しては学卒とは比較にならぬ量があることは確かです。
by ebisu (2014-01-24 08:46) 

Hirosuke

◆真摯な医療現場の場合◆
http://tada-de-english.blog.so-net.ne.jp/2011-07-14

【「非番の救急救命士」事件】に関する記事です。

by Hirosuke (2014-01-24 12:09) 

ZAPPER

低学力モード全開のわが街の場合です。

裁量を与えると、とてつもないほどに手を抜こうとするんです。それを与えられると、「よし、自分の裁量でできるぞ!」と思う者と、「ちくしょう!仕事を押しつけやがって…」と思う者に分かれるわけですが、ウチの場合は後者がやたらめったらに多いわけなんですね。

あまりにレベルが低すぎて、裁量なんか与えちゃダメな状況下にあるわけです。なので、例えば学校が学校として基準(って、指針程度のものですが)を策定するなどしたら、今までがあまりにひどかったわけだから、ただそれだけで上がっちゃうんです。

と、私は解しています。^^
by ZAPPER (2014-01-24 12:13) 

人間ドッグ

公務員廃止
公立学校廃止

誰も仕事を評価されたくない

ゆとり教育の本当の理由は教師がゆとり?

ちなみに人間ドッグで一番モンスターは?

人間何か行動を起こす時、理由がある
なぜ事務長が参事?
なぜゆとり教育?
またゆとり教育廃止?
なぜ教育?
なぜ教育しない?


今北海道では考える力がなくなってきているのか?

認知症の方を騙す振り込め詐欺
みんな認知症にさせら、、、、

病院がおかしいのに誰も言えないのは根室が認、、、

by 人間ドッグ (2014-01-24 22:06) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0