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#2556 基礎学力問題対話(2) : 労働時間と仕事時間 Jan. 5, 2014 [A7. J&K対話]

 基礎学力に関する問題を日本語語彙が小学4年生以下の中学生が25%ほどもいて、そうした低学力層の半数以上が高校を卒業しても働く場所がみつからないことになる。
 北教組シンパのJはそのような低学力層の働くところがない社会が悪いから、社会改革をすべきだと主張し、Kは小・中学校で放課後補習を数ヶ月やれば解決できる問題だと主張する。意見は平行線だった。
 この対話は、お互いの意見がどこで対立しているのか、どこで一致するのかをつまびらかにするためのものだ。正月で酒を飲みながらの話だから、議論がかみ合わなかったり、それたりするところはご寛恕ねがいたい。

K:先生たちが忙しいとJはいうが、それでは仕事している時間を比較してみたい。
J:労働時間の話か。
K:それがいけない、仕事時間だ、労働時間の「労働」ということばはマルクスや古典派経済学の濃い色がついている。労働の労はワカンムリの上の点は旧字では火が二つ並んでいる、そしてテヘンがあった。白川静『字統』には次のように載っている。
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労:声符は労(ろう)。労はもと聖火をもってスキ(力)を祓い清める意で、農耕儀礼に関する字であるが、のちひろく労働をいう。

働:声符は動(ドウ) 動はもと農耕に従事することを意味する字。重の部分はもと童、すなわち家ドウ(ドウの字はニンベンに重の字)、すなわち召使をいう。働はわが国で作られた字であるが、中国の字書にも入れられており、労働の字に用いる。
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 労働の労の字は火をもってスキを祓い清めるという意味だ、手で掬い取ることを意味する。働の字が意味深だろう、自ら働くのではなく、ご主人様がいて、召し使われるという意味だ。西洋のlaborの訳語としてふさわしい。「汗水流して働く」「苦しむ」「苦役」という意味がlaborにはある。本をただせば、ギリシアの市民社会=奴隷制社会にいきつく。ご主人がいてその命令で汗水流して働くことをいう労働の本来の意味がここにある。
 奴隷制度のなかった日本には古来「労働」をいう概念はない。あるのは「仕事」だ。「仕」は「学ぶ」「仕える」の意であり、「仕えるために学ぶ」こと。「事」も「つかえる」の意で、「宦学して師に事(ツカ)ふ」という語があり、「仕官のために学ぶことをいう」。
 日本語の仕事は八百万の神々あるいは天照大神に捧げるものをつくることをいう。神々に仕える、事(つか)えるということだから、仕事は神聖なものだ。だから年の仕事始めには禊をして仕事をし、神に捧げる。刀鍛冶の仕事を想起してもらいたい。仕事が神聖なものなら手を抜くことは許されない。一人前の職人はけっして仕事の手を抜かない。抜けばそれは仕事に対する冒涜だから。必要なスキルは日々磨くし、仕事のできばえに直結する道具の手入れも怠らない。それは工場労働者ですら同じだ。工場の機械の手入れ、清掃の手を抜かないのが日本人の工場労働者だ。それは工場の職人という意識があるからだろう。米国の労働者なら5時のチャイムがなった途端に、仕事を放り出してそのまま終業だろう。日本人は片付けの時間を計算して、周りをきちんと片付けて仕事を終える。これは職人仕事の伝統からきている。仕事を始める前よりも終わったときのほうがきれいだと思えるくらい片付けと清掃の手を抜かない。
 製造業の5S運動は職人仕事の文化の上に咲いた花だ。その淵源はおそらく縄文土器の製造にまだ遡るから、5000年の文化的背景がある。日本製品の品質を高めている理由の一つは5000年培ってきた職人文化だ。
 結論だ、「労働」という言葉で考えることから間違いが生まれる、日本人は「仕事」という言葉を使うべきだ。労働といったとたんにそれは苦役を語っている。
 仕事は神と関係があり、それをすることは歓びだ。
 西洋では退職は苦役からの解放を意味し、日本では仕事からの疎外を意味する。それほど違うということに、日本人なら気を配ってもらいたい。
J:たいそうな定義をもち出したな、おれは「労働」でこの歳までやってきたし、マルクスが好きだし使い慣れた用語だからから労働という用語を使いたい。でもKの論はちょっと気になるな。
K:ではもう一言付け加えよう。マルクスは「生産手段からの疎外」をいう、意味は労働者が生産手段をもたないことだ。ところが、日本人の職人は自分の道具をもっており、手入れも自分でする。道具の良し悪しが仕事のできを左右するからだ。いい仕事はいい道具を使わなければできない。職人仕事とはドイツでいったら、「マイスター」の仕事だ。マルクスの『資本論』にはこういうマイスターの仕事が入っていない。工場労働だけしかその範疇にはない、実に狭い経済学だ。西洋にも職人仕事=マイスター制度はある。おれは職人仕事をベースにした経済学を考えている。工場労働経済学のマルクス『資本論』を超えようというわけだ。
J:たいそうな勢いだな。マルクスを否定するなんてオレには考えられない。Kは「仕事」と言い、おれは「労働」だ、それでいいだろう?
K:では違いがハッキリしたところで、話しを元に戻そう。仕事時間の話だが、昨年学校の先生の投稿をどこかのブログで観た記憶がある。毎日仕事が終わるのが7時で、忙しくて自分の時間がとれないと不平を述べていた。民間企業では20代後半あるいは30代前半で7時に仕事が終わるようなら、仕事に力の入っていない者だろう。仕事をする人間は特定の分野の知識が実務とすり合わせることでどんどん深くなり、境界領域を意識しだすと守備範囲も広がるから、他の専門分野の本を読み勉強しないと目の前の仕事がこなせなくなる。年齢とともに責任も重くなるから当たり前のことだ。どこの会社でも事情は似たようなものだ。7時で帰宅することができて「忙しい」というのは、世間の常識外の発言だろう。
J:俺の知っている首都圏の小学校の先生は毎日のように8時9時まで仕事している。あの仕事はたいへんだ。だから、先生たちにこれ以上負荷をかけるのは酷というものだ。
K:根室管内に毎日8時9時まで学校に残って仕事している先生はほとんどいないだろうな三人に一人くらいの割合でいる*。7 8~9時ころには家についているというのが実態だろう。
 差の大きいところから見ていこう。春休み、夏休み、冬休みがとれる民間会社がどこにある?産休を取った後で、元の職場にもどれる民間会社はどれだけある?官民格差は気にならないのか?
J:それは労働者の権利だから当然のことだ。それに、長期休暇中は生徒は休みでも教職員は休みではない。
K:長期休暇中に授業はないのだから、たまった仕事があればいくらでも片付けられるということだ。教材研究だってまとめてやれるだろう。授業の準備もそうだ。それでも時間がないというのはもう無能としかいいようがない、それが民間企業で働いてきたわたしの実感だ。
 古代ギリシアは市民社会だがそれは奴隷制度を前提とした「特権市民」という意味だ。古代ギリシアの市民社会をいまの日本に見る思いがする。労働組合のある公務員や民間会社の社員は「特権労働者」だ。いまや非正規雇用が「労働者」全体の40%にもなっている。低賃金にあえぎ、内心は雇用不安にふるえている。むかしのジローなら、弱い者の味方だったはずだが、どこでそれを棄ててしまった?
J:非正規雇用労働者も組合をつくればいい、労働者の権利だ。権利は自ら行使しない限り守られないものだ。組合はそうしてできてきた。
K:非正規雇用は不安定ですぐに首を切られるから、組合をつくって自己防衛なんてできるか?現実を見ない観念論に聞こえるよ。むかしは観念論は悪で、唯物論が正しいといって言ってたはずだが、四十数年の歳月はジローを足元の現実を見ない観念論者に変えたのか。
J:バカを言っちゃいけない、おれはいまでも唯物論だ。
K:ここでも話は平行線のようだが、もうすこし具体的な議論をしよう。ブカツの問題だが、これを先生の側からみたら、4時以降は超過労働時間ということになるのだろう。擬似残業手当が中学校の先生には毎月4万円ほど出ているようだ。強いブカツは6時半が「定時」で、土日も練習しているところが多い。親がブカツの指導に横槍をはさむ例が小学校にはよくある話だそうだ。それで地区大会に勝つためには土日の2ブレンをするのは当然だというような圧力をかけるとか、ブカツ指導に直接介入する例まであるようだ。そういうブカツ時間をいれるとたしかに「労働時間」は長いに違いない。
J:たしかに、中学校のブカツには労働時間という点からも問題がありそうだ。先生たちがいそがしい理由の大半はブカツだろう。
K:労働時間ではない仕事時間だろう。それとも学校の先生にはご主人様がいてやらされているのか?ブカツは学校教育の一貫だから、週に4回、一日は放課後補習に当てるとか、時間は5時半までとするとか、土日連続のブカツは禁止とか、ルールを決めるべきだ。本来なら、学校教育の一環ということを意識して、現場の先生が自ら時間制限をやるべきだが、そんなことすら自ら決めて、生徒とその保護者を説得できないことが問題だ。方針を決めて毅然と言い渡す気迫がほしい。
J:無理だよそんなことは。モンスターもいるし、気の弱い先生が多いから。市教委や道教委や文科省が決めればいいことだろう?
K:ジローは変ったな。高校時代はそんなこと言ってたか?「主体性」とか言っていなかったか?相手がどうあろうと、問題は自分だ、そうではなかったのか。イジメの問題だって、弱いものイジメは卑怯な行いで人間として最低だと言い切らなければダメだ。ダメなことはダメとはっきり言うのが教育者だ。
 できない理由を挙げだしたら、できることは一つもなくなる。常にできない理由は10でも20でも挙げることが可能だ。民間企業でそんなことを社員が言い出したら、そいつは一生うだつが上がらない。できない言い訳をするために社員を雇っているわけではない、今日は不可能と思えることを明日は可能にするかもしれないから雇っている。
J:どうやら平行線だな。これくらいにしておこう。

K:仕事のナカミに移ろうか、昨年と一昨年にフリー参観授業を3校、6回見てきた。ちょっと一息入れよう。


***追記*** 5日午後6時半ころ
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*【投稿欄へ寄せられたご意見】(抜粋)

ebisuさんのご意見には頷ける部分も多いのですが、今回の記事の「根室管内に毎日8時9時まで学校に残って仕事している先生はほとんどいないだろうな」というのは事実誤認です。はっきり言って、いくらでもいますよ。それなりの規模の中学校なら、日付が変わるころまで仕事をしている先生も珍しくありません。やり方の巧拙はあるでしょうが、本人がやる気であればあるほど仕事が増えるのがこの職業です。
確かにebisuさんがおっしゃるように部活動の指導をしている影響もありますし、この仕事が他業種に比べて取り立てて忙しいとも思いません。しかし、ebisuさんがおっしゃるほど早々に帰宅できる職業ではありませんよ。早く帰宅している人の中には、授業準備をほとんど持ち帰りでこなしている教員も多いですしね。
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 実情を知らせてくれてありがたい。そんなに忙しいとは知らなかった。自宅近くの母校はそんなに忙しくなさそうだから、例外かもしれない。
 そんなに努力しているのに、根室管内の中学生の学力が都道府県別偏差値で41だということは、大きな問題だ。先生たちの自助努力ではもうこれ以上、学力を上げられないということだろうか。先生たちは自分の担当の生徒の学力向上の具体案をスケジュールつきで示さなければならない。
 何年間もなぜ有効な改革案が出てこないのか、数学にいたっては授業の進捗管理すらまともになされていない。教科書の後半の半分は前半よりも難易度が高いが、端折るように短期間で終わったことにしている。翌年の学力テストの点数が手抜き授業を実証している。なにか本筋とは違うところで余計な仕事をたくさん抱えているのだろうか?
 学力の数値管理を無視したやり方では、いつまでたっても先生たちは「忙しい」と言うのみで、成績下位層の学力向上ができないのではないかと心配になる。
 根室市内の中学校の学力テスト総合ABCの平均点は、前回示したように下がっている。6年前の資料を見て驚いた、8月の同校の学力テストの平均点は160点を超えていた。いま105点前後だ。
 先生たちの四人にひとりでも、毎日8時9時まで仕事をしているとしたら、努力の方向が完全に間違いなのではないだろうか?根室市内の中学生の学力は低下しつつある。

 ebisuのコメントは投稿欄にあるが、さらに付け足しておきたい。
 学校の仕事は授業がメイン、教科内容に毎年毎年そんなに変化があるものではない。その周辺の仕事だって毎年のように改善がなされれば、昨年は10時間かかった事だって30分にできることがあるはず。競争がないから仕事の改善が進まないのか、仕事の要領が悪いからなのか、いまはわからないからこの点は判断を保留するしかない。
 実際に授業をしていて、3年間授業をやったら、授業の準備にそれほど時間がかかるわけはない。サポートしてくれる事務職員もいる。
 ①授業、②ブカツ、③学校行事、④成績評価、仕事時間の大半はこの四項目だろう。
 三年生のクラス担任は面談にもけっこうな時間がとられる。空き時間に処理できる仕事も多いのではないか。

 OJTがないから、自己流で授業準備に時間を掛けすぎているのではないか?仕事の管理上の問題も潜んでいるように感じられる。授業準備はきりがないから、あまりのめりこんだらバランスを失う。専門分野の学習時間とのバランスは大丈夫か?

 わたしは、学校サイドで仕事をしている方々の意見を聞いてみたい。ブログの内容が現場の実情を踏まえてもっと具体的になる。
 異論があれは投稿欄にどんどん書き込んでほしい。学校の先生たちとたくさん意見交換してみたい。

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*#2555 基礎学力問題対話(1) :社会が悪い⇔低学力層は就職が困難 Jan. 4, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-01-04

 #2556 基礎学力問題対話(2) : 労働時間と仕事時間 Jan. 5, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-01-05

 #2557 基礎学力問題対話(3) : 教師の仕事とは? Jan. 5, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-01-05-1

 #2558 基礎学力問題対話(4) : 勉強の躾け方 Jan. 5, 2014  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-01-06
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ゆのき

久しぶりにコメントをさせていただきます。

ebisuさんのご意見には頷ける部分も多いのですが、今回の記事の「根室管内に毎日8時9時まで学校に残って仕事している先生はほとんどいないだろうな」というのは事実誤認です。はっきり言って、いくらでもいますよ。それなりの規模の中学校なら、日付が変わるころまで仕事をしている先生も珍しくありません。やり方の巧拙はあるでしょうが、本人がやる気であればあるほど仕事が増えるのがこの職業です。
確かにebisuさんがおっしゃるように部活動の指導をしている影響もありますし、この仕事が他業種に比べて取り立てて忙しいとも思いません。しかし、ebisuさんがおっしゃるほど早々に帰宅できる職業ではありませんよ。早く帰宅している人の中には、授業準備をほとんど持ち帰りでこなしている教員も多いですしね。

ebisuさんの学力向上への意識の高さには共感を覚えますが、そうした考えを広めていくためには、正しい現状認識を持つことは必須ではないでしょうか?
もし、私の言っていることが事実ではないとお思いになったら、フリー授業参観の際にでも校長や教頭に聞いてみてください。
by ゆのき (2014-01-05 17:02) 

ebisu

ゆのきさんへ

おばんです。
ゆのきさん、ハンドルネームは記憶にあります。

事実誤認ですか。
日常的に8時9時まで仕事をしている先生が三人にひとりいたら、たくさんいるといっていいでしょうね。4人にひとり以上ならたくさんだと言い切っていい。

ひょっとして、小学校の場合ですか?

わたしの自宅の近く中学校がありますが、そんなに遅くまで電気がついているかな?学校行事があるときは別ですよ。
わたしが見た7時まで仕事をしていて時間がないと不満をこぼしていた教員さんはむしろ例外なのかな?

どれくらいの割合でいるのか教えていただけたらありがたい。

うちに持ち帰ってやるというのは、どうでしょう。仕事が片つかないからでしょうね。なぜかたつかないのか。
中学校の先生達の授業時数はそれほど多くないと思います。半分くらいは空き時間と思いますが、その時間内で片付かないほど仕事が多いのでしょうか?それとも片付けられないほど仕事の要領が悪いのでしょうか?
何年も同じやり方をしてませんか?
競争の激しい業界の民間企業では仕事のやり方はいくらでも改善されますし、不要な仕事は優先順位をつけて廃止していきます。

全学年で6クラスしかなくて教科担当が2~3名いたら、担当授業時間がそんなに多いいはずがありません。中身の議論をする必要がありますね。
できたら、この欄で議論していただけるとありがたい。事実誤認だとしたら実情を知る必要がありそうです。

>早く帰宅している人の中には、授業準備をほとんど持ち帰りでこなしている教員も多いですしね。

初めて担当するなら授業準備には時間がかかるでしょうが、2年目は半分以下、3年目は数分の一で済むでしょうね。小学校の先生は科目が多いからたいへんでしょうが、中学校の先生はそうではないと思うのですが、この点も事実誤認ですか?

6回参観したので当分行くつもりがありませんでしたが、ゆのきさんのお薦めのように、ことしは学校管理職にそのあたりの実情を聞く機会をつくりたいと思います。


あなたのご意見は、脚注に載せておきます。

>本人がやる気であればあるほど仕事が増えるのがこの職業です。

この点は深く同意いたします。やる気でやる先生にはいくらでも仕事や勉強しなければならないことが増えます。
どこかでバランスを見つけないと身体がもちませんね。

by ebisu (2014-01-05 18:05) 

ゆのき

ebisuさん

さっそくのレスありがとうございます。
遅くまで仕事をしているのは、むしろ中学校が多いのではないでしょうか。学校によっては部活動を19:00までやっていますから、それより前に帰ることはできませんしね。この点の是非はあるでしょうが、現状として、ということです。
20時、21時まで仕事をしている人の割合は学校によるでしょうが、3人に1人くらいでしょうか。あ、でも小規模校の場合は早く退勤する場合が多いでしょうね。

仕事の進め方の工夫について、学校現場は確かに改善の余地があるでしょうね。ただ、これも誠実に仕事をすればするほど時間がかかる部分があるのも確かなのです。
例えば授業準備にしても、教科書改訂時の教材研究の焼き直しを繰り返していればすぐに終わります。しかし、真摯な教員は毎年より効果的な方法を追究しますから、相当な時間がかかるのです。
また、学級経営に関してもそうです。少しでも気になる生徒の家にはまめに家庭訪問を行う教員がいます。そういう教員は、空き時間や放課後に余裕がほとんどないのです。そのため事務仕事は部活動指導後、ということになりがちです。

事務仕事に関してはebisuさんのおっしゃるように効率化の努力が必要なのですが、そうした部分以外にこそ教員の仕事の「核」があります。私たちも、効率化していい部分と、どんなに時間が掛かっても取り組まなくてはいけない部分をしっかり見極めて仕事をしていかなくてはいけませんね。
by ゆのき (2014-01-05 18:39) 

ebisu

ゆのきさん

たくさんいるのですね。こころづよいですね。うれしいですね。
あとはやり方の問題。問題解決の仕方の具体論です。

本文のほうを二重線で訂正しておきたくなりました。
あとでそうしておきます。

これからも忌憚のない異論・反論、ご叱正をお寄せいただけたら幸甚です。

by ebisu (2014-01-05 19:13) 

ゆのき

ebisuさん、本文訂正をしてくださったんですね。ありがとうございます。
現状を基に考えていただきたいと思い、差し出がましいコメントをいたしました。ご容赦下さい。

by ゆのき (2014-01-05 19:41) 

ZAPPER

横槍失礼します。
よく、「教材研究が忙しい」などと聞きますが本当でしょうか?
我々、受験指導のプロに言わせたなら、教材研究などは単なる「たしなみ」です。
ご存知のように、教科書大改訂があれば教科書は一新されるわけで、それは5年に一度。
そうであっても、それこそ山のように問題を解き、また同じように作問もしてきているので、改めて解くまでもなく、「見て確認」しただけでこと足ります。
その際、教科書準拠教材を自前で作成している塾はたしかに忙しくなったりしますが、それは単に教科書固有の内容の指導とその網羅のためであって、それ自体は単に「微調整」でしかありません。
教科書大改訂があっても、学習指導内容自体はそうそう変わるわけではなく、通常は単に順序が入れ替わったり、指導内容が若干変わったりするだけのものです。
学習指導にあたっての教材研究などは、繰り返しになりますが、我々にとっては単に「たしなみ」でしかありません。
教材研究にそれほどまでに時間を割かれるという実態があるのならば、まったくもって解せません。
その点につき、ご教授いただければ幸いです。
by ZAPPER (2014-01-05 20:35) 

Hirosuke

>教材研究

恐らくは、
【授業プランの作成】と推測しますが、
僕(塾講師25年超)もZAPPERさんに同意です。

ただし、
僕も最初の1年は、
寝ても覚めても【授業プラン】を考えていました。

それでも、
その効果なのか、
翌年からは授業直前に多くても30分程度。

実際の授業中では、
時計をチラチラと見ながら、
【授業プラン】を随時修正。

具体的には、
「もうちょっと早口で。」
とか、
「これは宿題に変更しよう。」
とか、
「これは次回に回そう。」
とか。

で、
大体は、
授業前に想定した範囲を、
ほぼ狙い通りに終了します。

これには、
相当の経験が必要でしょうか、
皆々さま?
by Hirosuke (2014-01-05 21:06) 

後志のおじさん

横から口出しすみません。アウトプットを生み出す「密度」は、どうかという観点が北海道の教育関係の方には希薄なのではないかとの疑問を抱かざるを得ないものですから。一学年3クラスの中学校に、例えば英語教員の配置が一人だけだったとしても、公立中学校では、45分×3回/週・クラス×3クラス/学年×3学年=20時間15分なんです。
一週間当たり所定労働時間の50%を授業にあてて、残りの半分を「授業研究」にあてたとしても、「(アウトプットをだすために)忙しい」と主張するのは如何なものかと思わざるを得ません。北海道では学年3クラスの中学校には、2人は配置されるようですから、「お客様」(つまり、知識を伝える相手の生徒)の前に立つ時間はさらに減るでしょう。――――――授業が入っていない時間は、職員室で他の先生方と「おしゃべり」をするのが職場の慣習だから「仕事」ができないというのでは誰も納得できません。JR北海道の「レール計測値に異常があったら、直して入力するように先輩から教えられた」というのと、同じくらい異常な世界だからです。――――被拘束時間の長さ=忙しい、ではないのです。―――――――――――――そもそも、教科の基礎知識レベルがあまりにも低すぎて、教壇に立った時にどんな風に話をしたら分かりやすくなるかが掴めない先生が北海道には多いのでは?
だから、「教材研究」などに時間をとられるのではないでしょうか?因みに、私の場合、冬の生徒たち相手には一週間分一学年当たり一教科5分なのですけど。
(つまり、3学年5教科教えて準備には75分ということです。)

by 後志のおじさん (2014-01-05 22:05) 

ebisu

皆さん、具体的な数字を挙げて議論していただいてありがとうございます。

根室の市街化地域の中学校3校は一学年2クラスがほとんどです。たとえば数学の教員は2人+補助教員1人だったと思います。
半分は空いていますね。新米教員は補助教員のみですから、ベテランの先生達が授業準備にそれほど時間がかかるとはとても思えません。
だからわたしの疑問は、何を残業しているのかということです。

毎日、8時9時まで学校に残ってしなければならないような仕事はなにかということ。

不思議です。ルーチンワークにそんなに時間のかかる人は、民間会社なら相当に処理能力の劣る人です。
週に10時間かかる仕事ならどうやれば数時間短縮できるのかを考え、実現するのが民間企業のやり方です。

半分以上も空き時間があるのにどうして毎日8時9時まで仕事があるのか、その仕事はなんなのか教えていただけたらありがたい。

どなたか、こうした議論に参加していただける先生がいたらありがたい。きちんと事実を知りたいのです。
民間企業では常に数値を挙げてものごとを議論します。年間計画は数値だらけです。
by ebisu (2014-01-06 01:06) 

ZAPPER

(塾生活25年です)塾講師になった最初のころ、先輩講師に言われました。「あの棚にあるテキストと問題集、あれ全部やってみるといいよ」(40~50冊程度)で、1ヶ月でしょうか2ヶ月でしょうか、全部やってみました。最初の数冊はたしかに時間がかかりましたが、その後はほぼ瞬殺でしたね。

Hirosukeさんもご指摘なさっていますが、塾のいわゆる専任講師の学習指導力は、はっきり申し上げて、その8割方は最初の1年間で完成されます。その後は、その精度を高めることと、「微調整」「さじ加減」に過ぎません。

最初に刃をしっかりと砥ぎ、その後は手入れ。そういったイメージでしょうか。後志のおじさんもご指摘なさっていますが、ですから我々にとっては学習指導の下準備とは、基本的には「見直し」の作業でしかありません。

で、塾講師になって最初の給料日。「本当に、こんなので給料もらっていいんだべか?」そう思いました。年間休日は40日程度、残業(補習)は月に60~80時間ペースでしたが、別に忙しいなんて思いませんでしたね。ええ、それが与えられた仕事でしたから。
by ZAPPER (2014-01-06 11:43) 

Hirosuke

>「これは次回に回そう。」
------------------------------
    訂正
     ↓
「この【余談】は次回に回そう。」
-------------------------------

やるべき事は先送りしません。
by Hirosuke (2014-01-06 12:15) 

naritomo

「なにか本筋とは違うところで余計な仕事を
たくさん抱えているのだろうか?」

教育機関とはなんら関係の無い、いち保護者としての
横レスすいません。

この「余計な仕事」とは教育委員会からおりてくる
雑事務などがも含まれるのかなと思ったのですが。

幼稚園のPTAで副会長を経験した際、行事について
の指示(隣国色の強い踊りを取り入れろ等々)や
報告用書類等、園長の愚痴ついでに聞かされて
なんて無駄な雑務が多いんだろうと、呆れた記憶が
あります。

でも、それを考慮したとしても、行事の進め方、書類の
準備等々、要領が悪いというのは、強く感じます。

おしゃべりも多いですね。そんなに毎日見張っていた
わけでもないのに、行くたんびに見かけるって??
「「おしゃべり」をするのが職場の慣習」こんな慣習が
あるのなら、納得?

所属していた剣道会が、体育館を借りて、火木土と
六時から稽古していましたが、八時前には
学校内は真っ暗でした。
(以上は、大阪南部の一部状況ではありますが
こちらで語られている学力低下は、大阪でも同じかと
思います。)

某行政機関で、事務パートとして働いておりますが
経費削減の為、過去5人配置の箇所が3人となり
その補助をしております。

国家公務員さんといえども、やはり能力の個人差が
著しくて(仕事が早い職員さんの談ですが)
仕事の遅い方は、仕事中の愚痴も多いような。
とにかく、仕事の早い斬れる方はもくもくと仕事を
こなされていて、それでも終電までなんてざらのよう
ですが(ここだけの話) 公務員でもこんなに違いが
あるし、教員の方の激務の基準に、ズレを感じます。






by naritomo (2014-01-06 23:07) 

tsuguo-kodera

 素晴らしい意見だと思い初めてコメントさせていただきました。アクセスした理由は、先生なのに労働時間と作業時間の対比のような表題に好奇心がわいたから。
 北海道の先生のブログに度々コメントし、東京との違いに興味があったのも理由の一つです。
 またコメントさせていただくかもしれません。よろしくお願いいたします。
by tsuguo-kodera (2014-01-07 08:04) 

ebisu

naritomoさん

その通りですね。民間企業だって仕事の能力は個人ががとっても大きいものです。
ほかの能力もありますが、職位が上がるにつれて淘汰されていきます。
学校が小規模化して、学校内部では競争原理が働かなくなってきているのかもしれませんね。

仕事が忙しいという人は、民間企業でも仕事の能力の低い人が多いことは事実です。能力が高ければ翌年には仕事に優先順位をつけて2割くらいは廃止、残りはやり方を変えて半減、それくらいのことはします。
ルーチンワークを毎年そのまま踏襲する人は「忙しい」と始終いいます。残業も増える。
仕事の能六の高い人は、一時は残業が増えても、自分でやり方を変えますから、短時間でやれるような工夫をしてしまいます。

あなたが某行政機関で実際にみられたのは、仕事のやり方や能力差に関しては公務員も民間企業と差がないという厳然たる事実です。

根室管内の学校は、職場としては零細企業レベルです。規模が小さくなりすぎて校内での先生達の競争原理が働かなくなっているようにみえます。
教員に競争=切磋琢磨を促すためにも、1学年100人以上の規模を維持したいものです。この辺りがぎりぎりの閾値かな。
by ebisu (2014-01-07 10:31) 

ebisu

tsuguo-koderaさんへ

初コメントありがとうございます。
気の向いたときにまたご訪問ください。

by ebisu (2014-01-07 23:38) 

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