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#2541 竹田恒泰著『古事記完全講義』を読む Dec. 24, 2013 [44. 本を読む]

 根室はうっすら雪がある。例年はクリスマスイブには根雪が10センチほど積もっているのだが、今年は少ない。明治公園のクリスマスイベントに22日の夕方4時半頃行ってみた、ちょうど氷の中の蝋燭に灯を点すところだった。暗くなった中に光の輪ができていた。前日まで暖かかったので、バケツに水を入れて冷凍庫で氷のキャンドル台をつくったそうだ。あの日は風があってとても寒かった。バケツをひっくり返した形の氷の中の蝋燭に点火するのはコツがあるようだ。ツリーは風で大きく揺れていた。寒風吹きすさぶ中、イベント関係者のみなさんありがとう、たくさんの人が楽しんだようだ。

 新潮社版日本古典集成『古事記』をもってはいるが、なんだか読みにくく通読しがたい本というのがいままでの感覚だった。しかし、明治天皇の玄孫である竹田恒泰の解説を読んでその面白さがわかった。
 伊耶那岐と伊耶那美の神が国産みをする件(くだり)は腹を抱えて笑える。竹田は古事記の現代語訳もしているがそちらを対照しながら読むのも楽しい。

 たとえば、国産みのところで伊耶那岐神と伊耶那美神は次のような会話をしている。
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 一息ついたところで、伊耶那岐神は、自分の下半身に何か不思議なものがぶら下がっているのにお気付きになり「あなたの体はどのようになっているか」とお尋ねになりました。
 すると伊耶那美神は「私の身体はすでに出来上がっているのですが、一箇所だけ何か足りずに、くぼんでいるところがあります」とお答えになったので、伊耶那岐神は「わたしの身体もすでに出来上がっているのだが、一箇所だけ何か余って、出っ張っているところがある。それでは、私のでっぱっているものを、あなたのくぼんでいる穴に挿し入れて、塞いで、国を産もうかと思うが、どうだろう」と仰せになると、伊耶那美神はこれに賛成なさいました。
 そして、天之御柱を廻り逢って、美斗能麻具波比(みとのまぐわい)をあそばされ、国をお生みになることになさいました。「まぐわい」とは夫婦の交わりのことです。また「みと」とは性交する場所を意味します。
 伊耶那岐神は左から、伊耶那美神は右から天之御柱を回り、出会った所で、伊耶那美神が「あなにやし、えおとこを」、つづけてイザナギの紙が「あなにやし、えおとめを」と仰いました。
 言葉には力があるといわれます。よい言葉を話すと幸せになり、悪い言葉を話すと不幸になるので、二柱の神は国をお生みになるにあたり、お互いを褒める言葉をお交わしになったのです。
 それぞれいい終わった後で、伊耶那岐神が妻に「女のほうから先に言ったのは良くなかった」と仰せになりましたが、それでも二柱の神は寝室で、まぐわいをなさいました。
 しかし生まれてきたのは手足のない水蛙子(ひるこ)でした。二柱の神はお悲しみになり、その子を葦の船でお流しになりました。ところが次に生まれたのも淡島で、泡のような不完全な島でした。これもまた、子の数には入れません。
 二柱の神は相談なさり「今私たちが生んだ子はよくない。天つ神のところに参って相談しよう」と仰せになり、ともに高天原にお帰りになって、天つ神の指示をお求めになりました。そこで、神の命令にしたがって太占(ふとまに)で占ったところ、女神が先に声をかけたのが原因だったことが分かりました。・・・今度は伊耶那岐神から先に「あなたは、なんていい女なんだろう!」、伊耶那美神が続けて「あなたは、なんていい男なんでしょう!」と仰せになって、再び交わりました。
 そうすると、次々と立派な国が生まれました。 ・・・竹田恒泰『現代語古事記』20㌻
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 「美斗(ミト)」とか「ホト」はアソコを表す大和古語のようだ。ここでは「美斗」をいう漢字を当てている。原文をあたって大和古語にどのような漢字が当てられているのかを調べるだけでも当時の人々がその大和古語にどういうイメージを抱いていたのかがわかって面白い。
 この国産みのシーン、原文のほうはもっとあっさり書いてあるのだが、竹田の訳は西暦712年書いた当時の卑猥さとおおらかさがよく出ているように感じる、ここは「つかみ」の部分なのだろう、国内向けに国の成り立ちを説明する重要な部分だ。荒唐無稽に見えながら、わが国は男女の神々の神聖なるセックスから生まれたと語るのである。それほどソレが神聖で大切であることを教えている、あだやおろそかにいたしてはならない。こういう場面を『古事記』はさらりと書いて読み手の想像力に任せて、お洒落である。そのような文章作法は源氏物語などへしっかり引き継がれているように思える。
 キリスト教ではマリアが処女受胎したということになっているが、米原真理によるとヘブライ語からラテン語に翻訳されるときに「未婚の女」が「処女」に誤訳されたのだという。未婚の女が何人かの恋人と交わって妊娠したということになったら、キリストが神の子であるという根拠が失われてしまう。それはキリストの神聖さを根拠付ける「一つの装置」ではあるのだろうが、マリアの処女性を過度にあがめることでキリスト世界からセックスに対するおおらかさが失われてしまったように見える。わが国の神話はセックスに対して素直でおおらかであることは実にありがたいことなのだと思える。
 さて、エッチは男のほうから声をかけるべきでという件(くだり)は、草食系男子が多くなったいまでは相当無理がありそうだ。草食系男子が増えれば肉食系女子が増えざるをえない。いま神話を書いたらどういうことになるのだろう?
 若者たちよ、『古事記』を読め、源氏物語を読め、年頃の大和乙女たちは声をかけられるのを待っている。恋愛に関するお作法が随所で語られているからそこから学べ。倭健の后である弟橘比売の犠牲的愛も至高の愛の一つのあり方、美しい物語となっている。

  スサノオの命とヤマタノオロチの戦いは、圧倒的に力に差がある場合には相手をだまして殺しても構わぬという話で、日本人の価値観に少なからざる影響を及ぼしているように思える。
 因幡の白兎はワニ(鱶のことをワニと言った?)をだまして海を渡ろうとするのだが、ばれて皮をはがれてしまう。人をだまくらかして有頂天になっていると危ないぞということなのだろうか。

 景行天皇の息子である倭健(小碓命)は父親に兄の大碓命を諭せと頼まれて、兄が言うことを聞かないので簡単に手足を引きちぎって簡単に殺してしまう。無邪気に父親に「言うことを聞かないのでバラバラにしてやしました」と報告するが、こいつは危ない奴だと父親に疎まれて各地の強い敵を成敗に行けといわれて熊曾健や出雲健を成敗して帰ってきます。
 出雲健と友達になり、偽の剣を作って交換してだまし討ちにして殺します。だまされたあんたが悪いと無邪気そのもの。叔母の倭比売命から霊力の強い草薙の剣をもらって、・・・・
 弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)が登場します。弟橘比売命の物語は363㌻を読んでください。愛とは何か、美しい物語があります。
 倭健は霊剣である草薙剣をもたずに出かけて、結局、死んでしまいます。その息子が何人かあとで天皇になります。
(景行天皇以前については『ほつまつたゑ』を読むべきかもしれない。三輪神社に伝わる書であり、どうやら古事記よりも古い。表音文字である神代文字と表意文字である漢字交じりの訳が載っている。五七調の1万行の詩からなっている。)

 古事記を読むと、男系で皇位が継承されてきたことがよくわかる。何度か途切れそうな危機的状況があったが、それを乗り越えて2000年以上も続いてきている。女系へ移ることがあってもそれはピンチヒッターで、すぐに男系の本筋へと皇位は戻されている。2千年以上も男系で天皇はつながっているから、日本は2千年以上も王朝交代がない世界最古の国なのである。その国の成り立ちを解説した神話が国民にとって大事でないはずがない。

 310㌻から「序」が書かれているが面白い趣向だ。古事記の原文は漢字で書かれているが、大和言葉に漢字を当てたのと、漢文とが混じっている。このような使い方をしたのは太安万侶の工夫で、稗田阿礼と彼がいなかったら、現在の漢字、平かな、カタカナ交じりの日本語は数百年遅れたであろうというのが竹田の意見である。
 「そこで、たいへん高度なことを思いつくんです。文法的には漢文をそのまま使う。ただし、固有名詞、人の名前や地名は、万葉漢字を当てる、と。だから『古事記』の原文は全部漢字で埋めつくされているんですけど、よくよく見ると、表音文字として使っている漢字と、表意文字として使っている漢字がごちゃ混ぜになっているんです。これはとてもすごいことです。普通、表音文字として使っているものは表音文字だけ、表意文字を使っているものは表意文字だけなんです。」
「表音文字と表意文字をミックスして使っているのは、主要言語では日本語しかありません」(317㌻)
 そういうわけで、竹田は稗田阿礼と太安万侶を有史以来の大天才と崇めている。

 これら2著を若い人たちにぜひ読んでもらいたい。

古事記完全講義

古事記完全講義

  • 作者: 竹田 恒泰
  • 出版社/メーカー: 学研パブリッシング
  • 発売日: 2013/09/17
  • メディア: 単行本

現代語古事記: 決定版

現代語古事記: 決定版

  • 作者: 竹田 恒泰
  • 出版社/メーカー: 学研パブリッシング
  • 発売日: 2011/08/30
  • メディア: 単行本


ほつまつたゑ

ほつまつたゑ

  • 作者: 鏑 邦男
  • 出版社/メーカー: 溪声社
  • 発売日: 1998/08
  • メディア: 単行本

 この本は平成6年の出版で、もう絶版のようだ。わたしはたまたま新宿紀伊国屋書店(旧本店)で見つけて立ち読みし、買った。上下巻2冊セットで9600円の本だ。現在2倍ほどの価格で取引されている。大和民族にとって大切な本は絶版にしないでほしい、そのためには国の成立ちに関心をもち、本を読む国民が増えなければならない。

 ついでに、今年の8月に読んだ本も紹介してしまいましょう。

古事記 不思議な1300年史

古事記 不思議な1300年史

  • 作者: 斎藤 英喜
  • 出版社/メーカー: 新人物往来社
  • 発売日: 2012/05/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

<古事記専門家から寄せられたご意見>2018・5/28追記
 専門家からの投稿とはつゆ知らず、失礼なお返事をしてしまいました、汗顔の至りです。そう感じ取れなかったわたしの感覚が鈍い。(笑)
 専門家のご意見をお聞きできたのは幸いです、滅多にこういうことはありません。
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『古事記』って、所謂日本の古典文献なわけで、あまりふざけてる現代語訳を通してみたところで『古事記』を本当に読んだことにはならないと思います…
日本の文学って、字の列びとか使い方に当時の美しさが表現されているわけですし。
外国の歌を聴くのに、変に日本語訳されたやつを聞いて「この歌いいね~」なんてダサいじゃないですか(笑)
by 通りすがり(2018-05-12 19:42)
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古事記は、真福寺も兼永本も読んでますよ。っていうか関係論文も3つほど書いてますし、学会でも5、6回講演いたしました(笑)
古事記伝も、鈴屋遺蹟保存会のものを全冊もってます。いわゆる江戸仮名でかかれた原文の復刻版です。

古事記が大和言葉で書かれたいたので、江戸時代までは読めなかったと思ってらっしゃるみたいですが、そんなことはありません…
江戸時代までは、江戸仮名が使われていましたし、上代特殊仮名遣などの細かい発音の別を考えなければ、当時にしても古事記は誰にでも読めました。ただ注目されていなかっただけです。

実際に、宣長が最初に手に入れた古事記は本屋で売っていた寛永本です。これは誰でも読める様に楷書で書かれており、尚且つ訓点が振ってありました。


宣長の業績というのは、江戸時代では使われなくなった仮名表記などに注目し、校訂と注釈を施して、正史に近い史料性があるとものと主張したことなんですよ。

また大和言葉が使われる処ってのは、いわゆる神名、地名、物の名前、歌なの箇所なんですが、何故か竹田氏はそこを重視していません。加えて先行して施された文飾を使用していますので、恐らく原文を読んではいないと思われます。

あと古事記に大漢和辞典なんかで解読をこころみたら、申し訳ないのですが大学院レベルでは零点ですよ(笑)
古事記は、真福寺を越える史料はないと思われますので、山田氏の解題付きの影写本が一番良いと思われます。
by 通りすがり(2018-05-27 20:21)
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通りすがり(古事記専門家)の方へ

あなたからの貴重な投稿2回分は本欄の末尾に転載させていただきました。ご了解ください。

古事記を読む人が増えることを期待します。
子どもたちが楽しめるような形式のものがもっとあっていい。
東京の自宅に古事記から採録した話の絵本が数冊ありました。孫に読み聞かせてみました。年に1一度、楽しいひと時でした。
小学生バージョン、中学生バージョン、高校生バージョンまで揃うとありがたい。
研究者の方々にはこういうことはあまり興味のないことかもしれませんが、子どもたちの心に日本的情緒を育む材料としてはぜひ欲しいと願っています。

by ebisu(2018-05-28 10:23)
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通りすがりの方へ

わたしがもっている『古事記』は新潮社の日本古典集成です。これは真福寺本を底本としていますが、原文が載っていません。この本のよいところは神々のお名前と解説が巻末にまとめて掲載されているからです。
神様のお名前に使われている漢字名は、何らかの意味を固くして選ばれた漢字と思われます。だから、神々のお名前とその性格を理解するためにも、使用されている漢字が気になります。大漢和辞典をつかって読み解きたいというのはそういうことなのです。

古事記のなかに出てくる兎(うさぎ)という字は音の関係から赤土(はに)と関係があるようです。兎の性格と赤土の意味の関係に言及した本があります。藤村由加著『古事記の暗号』です。わたしにはとっても面白い本でした。
専門の研究者にはとるにたらぬ本かもしれませんね。

原文対照しながら読みたいので、小学館の日本古典文学全集版を買おうと思っています。

by ebisu(2018-05-28 22:37) 
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  一度根室出身の英語の専門家というハンドルネームで柳瀬尚樹さんと思しき方から、投稿いただいたことがあります。あの時も冷汗三斗のおもいをしましたが、良い辞書を紹介してくださいました。『形容詞副詞辞典』『基本動詞辞典』の二冊です。投稿してくれた柳瀬さんは根室高校の先輩、推挙していただいた辞書はどちらもときどき使っています。昨年お亡くなりになった。ご冥福をお祈り申し上げます。

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通りすがり

『古事記』って、所謂日本の古典文献なわけで、あまりふざけてる現代語訳を通してみたところで『古事記』を本当に読んだことにはならないと思います…
日本の文学って、字の列びとか使い方に当時の美しさが表現されているわけですし。
外国の歌を聴くのに、変に日本語訳されたやつを聞いて「この歌いいね~」なんてダサいじゃないですか(笑)
by 通りすがり (2018-05-12 19:42) 

ebisu

通りすがりさん

『古事記』の原文読んだことありますか?漢字で表記されていますから、大和言葉への読み下し方すら実際のところはわからないのです。本居宣長は『古事記』を読むために一生をかけました、それでも本当のところが読めているかどうか、あやしい。彼の古事記解説書である『古事記伝』もまた、古事記そのものを読んだことになるのかどうかさだかではない。彼の解釈と受け止めるべきでしょう。
なぜそんなことを言うのかは理由があります。解説書を百冊読んでも、原文の一読にかなわないから。重要な論点、それも最大の論点を見逃していることがあります。

原文が大和言葉の漢字表記になっているため99.999%の現代人に『古事記』原文は読めないと思います。神代文字で、オシデ文字で表記してほしかった。それに漢字が当てられていたら、理解はずっと楽になったでしょう。

とはいえ、漢字表記された原文と現代語訳を比較対照しながら読むのは楽しいものです。
好奇心はおありのようだから、暇つぶしにやってごらんなさい。

読んでいるうちに大漢和辞典の必要が痛いほど感じられるようになりますが、40万円もするのでね、購入をためらっています。時間も膨大にかかる、とても素人が踏み込める領域ではありません。『古事記』をマジで読むというのはほんとうに敷居が高い。わたしには絶壁に見えます。

小学館の日本古典文学全集版の『古事記』がよさそうです。同じページに注釈と現代語訳と原文が載っているので、比較対照作業が楽です。
by ebisu (2018-05-13 08:25) 

通りすがり

古事記は、真福寺も兼永本も読んでますよ。っていうか関係論文も3つほど書いてますし、学会でも5、6回講演いたしました(笑)
古事記伝も、鈴屋遺蹟保存会のものを全冊もってます。いわゆる江戸仮名でかかれた原文の復刻版です。

古事記が大和言葉で書かれたいたので、江戸時代までは読めなかったと思ってらっしゃるみたいですが、そんなことはありません…
江戸時代までは、江戸仮名が使われていましたし、上代特殊仮名遣などの細かい発音の別を考えなければ、当時にしても古事記は誰にでも読めました。ただ注目されていなかっただけです。

実際に、宣長が最初に手に入れた古事記は本屋で売っていた寛永本です。これは誰でも読める様に楷書で書かれており、尚且つ訓点が振ってありました。


宣長の業績というのは、江戸時代では使われなくなった仮名表記などに注目し、校訂と注釈を施して、正史に近い史料性があるとものと主張したことなんですよ。

また大和言葉が使われる処ってのは、いわゆる神名、地名、物の名前、歌なの箇所なんですが、何故か竹田氏はそこを重視していません。加えて先行して施された文飾を使用していますので、恐らく原文を読んではいないと思われます。

あと古事記に大漢和辞典なんかで解読をこころみたら、申し訳ないのですが大学院レベルでは零点ですよ(笑)
古事記は、真福寺を越える史料はないと思われますので、山田氏の解題付きの影写本が一番良いと思われます。
by 通りすがり (2018-05-27 20:21) 

ebisu

通りすがりの方へ

失礼しました、専門家とは思わなかったものですから、ご無礼の段、ご容赦ください。

>外国の歌を聴くのに、変に日本語訳されたやつを聞いて「この歌いいね~」なんてダサいじゃないですか(笑)

なるほどそういうレベルのお話でしたか、恐れ入ります。(冷や汗)
竹田氏の本に限らず、巷に流通している「解説書」は危ういのですね。困りましたね、古事記原文はわたしにはけっこうきついのです。
漢字原文の訓読みの仕方が何通りあるかわかりませんが、読み方で伝わるイメージが違うようにかんじていますので、とまどいます。

>山田氏の解題付きの影写本

これは研究者向けのものでしょうか?
市販されているような本ではなさそうです。

手に入りやすい市販のものでおススメのものがありましたら、ご投稿いただけたら嬉しいのですが、お願いできますでしょうか。

by ebisu (2018-05-28 08:47) 

ebisu

通りすがり(古事記専門家)の方へ

あなたからの貴重な投稿2回分は本欄の末尾に転載させていただきました。ご了解ください。

古事記を読む人が増えることを期待します。
子どもたちが楽しめるような形式のものがもっとあっていい。
東京の自宅に古事記から採録した話の絵本が数冊ありました。孫に読み聞かせてみました。年に1一度、楽しいひと時でした。
小学生バージョン、中学生バージョン、高校生バージョンまで揃うとありがたい。
研究者の方々にはこういうことはあまり興味のないことかもしれませんが、子どもたちの心に日本的情緒を育む材料としてはぜひ欲しいと願っています。

by ebisu (2018-05-28 10:23) 

ebisu

通りすがりの方へ

わたしがもっている『古事記』は新潮社の日本古典集成です。これは真福寺本を底本としていますが、原文が載っていません。この本のよいところは神々のお名前と解説が巻末にまとめて掲載されているからです。
神様のお名前に使われている漢字名は、何らかの意味を固くして選ばれた漢字と思われます。だから、神々のお名前とその性格を理解するためにも、使用されている漢字が気になります。大漢和辞典をつかって読み解きたいというのはそういうことなのです。

古事記のなかに出てくる兎(うさぎ)という字は音の関係から赤土(はに)と関係があるようです。兎の性格と赤土の意味の関係に言及した本があります。藤村由加著『古事記の暗号』です。わたしにはとっても面白い本でした。
専門の研究者にはとるにたらぬ本かもしれませんね。

原文対照しながら読みたいので、小学館の日本古典文学全集版を買おうと思っています。

by ebisu (2018-05-28 22:37) 

通りすがり

いえ、此方こそ興味本意で人様のブログに書き込みをして、尚且つ冗談交じりで絡んでおきながら、相応の対応していただき申し訳ない限りです。今更ながら、不躾な無礼をお許し下さい。

転載は構いませんが、誤字などもありますので、その辺はご容赦下さい(笑)

ご質問の山田氏解題本ですが、これは現存する最古の真福寺本古事記を丁寧に模写したものです。

真福寺本は、現在の字体と異なる異体字などもありますが、比較的に綺麗に書かれているので、江戸時代のものより逆に読みやすいかったりします。

また同書は、国会図書館のデジタルアーカイブにも上がっていますので、購入しなくてもネット環境があれば誰にでも読めます(笑)
検索ワードは、「古事記 真福寺」で出てくると思います。

あと、あくまでも私の個人的な意見になりますが、古事記に書かれていることを神話として伝えるのであれば、デホルメされた翻訳本は意味をなさないと強く感じます。

日本を語るのに他国を例にするのもおかしな話ですが、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教、道教、儒教、仏教にしても、神話や伝統の核心に当たる部分に関しては、子供にいたっても原点をそのまま読みます。

つまり古典を読むということが、そのまま古来の文化を教わるということに直結しているのです。

近年までは、勿論日本でもそうでした。寺子屋で教わっていた稚児にしても、幼いからといって絵本で簡略化したものを聞かせるということはありません。確かに手習本などもありましたが、古典などは原典の史料から読み書きを始めます。読めなければ、読めるように努力をするだけということみたいです。

正直私には、古事記に書かれていた神話を切りはぎにして小学生に聞かせる意味が全くもって分かりません。

それはもう古事記ではありませんし、ましてや古来の言葉を綴ったものでもないと思うのです。強いて言えば、出版したもの達の意図を刷り込ませたものでしかないでしょう。

神話は、古代の人達が変わらずに伝えたものであるから重要なのであって、おかしな翻訳本を後世に伝える意味はないと思います。
by 通りすがり (2018-05-29 03:24) 

通りすがり

あと追加の回答になりますが、私なんかは国史大系本を使用しています。いえ、本当は真福寺本を使用したいのですが、異体字のフォントが出ないので仕方なくです(笑)使用するわけは、無難だからの一言です。

日本古典文学全集版もいいと思いますよ。たまに大学の購買部などで格安で売って(恐らく売れ残り)いますので、そうした経緯で買うのも良いかも知れませんね。

それと「兎」の字についてですが、これが因幡~のことであれば、本来は「菟」になります。この辺の考察は、宣長も本当にウサギでよいものか苦戦した様ですね(笑)
by 通りすがり (2018-05-29 03:41) 

ebisu

通りすがりさん#2

古典を読むということは、原文をそのまま読むということ、この意見はびっくりです、そしてなるほどと思いました。そのまま伝えなければ伝わらない、一字もたがえてはならない。そういう営為があってしかるべき。
意味がわかるわからないは読む人次第、とにかく原文をそのまま読み伝えるのが当代のわたしたちの役割、認識を新たにしております。
でも、幼児向けの絵本「いなばのしろうざぎ」「やまたのおろち」「小人の神様」「国譲り」などは古事記への好奇心を育てるためにもあってよしとわたしは思うのです。高校生からは原文を読んでほしいですね。
学校でも国立国会図書館所蔵の真福寺本を数ページ印刷して、音読するトレーニングを国語の時間にしていただきたい。高校国語担当の先生、チャレンジしてみませんか?
わたしは小学館日本古典文学全集版の『古事記』と対照しながら読んでみます。なれたら、画面で真福寺写本原本を見ながらすらすらつぶやく…(笑)

投稿欄であなたの意見に触れることができて本当によかった。
by ebisu (2018-05-29 09:42) 

ebisu

通りすがりさん#1

丁寧なご返事ありがとうございます。
国立国会図書館の本を初めて検索しました。便利ですね。極東の根室から国立国会図書館所増の本を画面上でお茶を飲みながら閲覧できます。(笑)
経済学研究科院生のときには大学図書館の書庫が出入り自由で、ボックス型の机も書庫の中に設置してあったので、静かに本が読めました。日比谷の国立国会図書館にいることを想像しながらページをめくる、なんということでしょう。
高校生に薦めたい。真福寺本を閲覧できるURLを書いておきます。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184132

by ebisu (2018-05-29 13:03) 

立ち止まったもの

古事記を原典から読む必要性というのは、あくまでも私の意見ですのです。多角的にアプローチされてる事例を、全て否定するものではありません。

スポーツや武道で例えると、礼儀、ルール、技術、努力の段階を飛び越えて、初めから勝つ喜びを教えてしまうことへの危惧感みたいなものです。

ただ竹田氏なんかの事例をみますと、自分で版社を立ち上げ、外部からの募金という形を募って資金を調達し、各地に自身の本を寄贈するという古事記普及の在り方は大変遺憾で嘆かわしい限りです。

そもそも彼の翻訳本にしても、先行する翻訳本の解釈を切り貼りし、それを現代語にするという変わった手法を採られています。何故分かるのかというと、先行する研究者が訓読する際に入れた本来の古事記にはなない助詞などの表現を、何故か動詞などに訳してしまっているからです。原典から現代語に訳すならば、その様なことは起こり得ません…

また国産みの件などで、イザナミのみがイザナギに対して敬語を使うなどの表現にしても、根本的な男女の在り方や我が国の国語表現に誤解を生んでしまいます。イザナミは、イザナギの臣下ではありませんし、二柱の神が共同して日本を造るという表現を全く無視してしまっています。挙げ句のはてに、古事記は日本最古のエロ本だと…

古事記を敬愛し、より理解して広めようと考える者であれば、表現を考慮することは必然になりますが、それには先ず古事記が現在までどの様に読まれているのかを調べ、当然のことながら研究する必要性があります。

自身の収益のために、いい加減な現代語訳を出版し世に広めようと努めることは、はっきりいって弊害以外の何者でもありません。

長年研究してきた多くの専門家たちが、下手な現代語訳を出していないというのは、その辺の事情を危惧しての配慮になります。

それはさておき、古事記を読む上での参考書を切望されていましたので、以下に幾つか挙げさせていただきます。


『説文解字』
漢字の意味や成り立ちを説いた書物。謂れは諸説ありますが、後漢代には読まれていた様です。

『郭璞注爾雅』
漢字の意味を説いた『爾雅』に対して、晋代の郭璞が更に注を加えたもの。

『玉篇』
梁代に書かれた名称に対しての辞書的なもの。

『一切経音義』
同名のものが二つありますが、何れも仏教経典の漢字に対して、読みや意味を説いた唐代の書物です。

『和名類聚抄』
平安時代初期に書かれた辞書的なもの。後代の加筆や、信頼性の薄い解釈もありますが、奈良時代に使われていた『漢語抄』なとが引かれています。宣長も『古事記傳』で参考にしていました。

『藝文類聚』
唐代に書かれた名称に対しての辞書的なもの。

『太平御覧』
宋代に書かれた名称に対しての辞書的なもの。比較的新しい書物になりますが、北斉の『修文殿御覧』を基本にしています。

他にも挙げればキリがありませんが、何れのものも10世紀までに成立した書物で、字義的な解釈を説いたものになります。考察の参考にしていただければ幸いです。
by 立ち止まったもの (2018-05-31 00:59) 

ebisu

「立ち止まったもの」さん

「通りすがり」でしたが、「立ち止まったもの」にハンドルを変えていただきありがとうございます。

『古事記』を原点で読むというのは言うは易し行うは難しですから、あなたの私見であり、あなたの専門的能力を前提にしてのお話、一般化は無理なことは重々承知しております。
すくなくとも、大学で国文科を卒業したぐらいの知識は最低限必要でしょうね。
「えらいこっちゃ!」(笑)

リストしていただいた辞書類、なるほど、この分野の専門家はこういうものを利用しているのかと、妙に納得がいきました。
古事記が書かれた時代に手に入りうるものだけをベースに考えるべきなのでしょうが、手にしうる古い時代の辞書類をベースに考える。
神々のお名前とそのお名前に込められた意味と役割を知るには充てられた漢字が唯一の手掛かりです。興
味と関心は人それぞれ、そういうことへの寛容性もお持ちだ。

竹田氏の現代語訳古事記はイザナギとイザナミの会話一つとっても、日本古来の男女の在り方に対する重大な誤解を与える恐れがあるという指摘はわたしにも当を得たものに思えます。
男女の在り方は国の成り立ちにもそして倫理観や性風俗にもかかわる重要なテーマですから、このあたりは誤解が広がってほしくない部分です。

こうしてみると、五七調の1万行の詩文である『ホツマツタエ』が表音文字で書かれているので、音読しやすい読み物になっていることにあらためて気がつきます。現代のわたしたちがそのまま音読できます。なれたらあの神代文字をそのまま音読できます。そういう点では古事記よりも優れています。漢訳がついていますが、あれがなければ意味が分からない言葉がたくさんあります。先人の研究に感謝です。

ところで『古事記』は日本古典文学全集版を購入して原文と対照しながら読みます。
by ebisu (2018-05-31 10:13) 

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