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#2389 複雑な心境(塾に行かなけりゃ勉強ができるようにならない)  Aug.30, 2013 [64. 教育問題]

  釧路の友人二人のブログを紹介します。どちらも「釧路の教育を考える会」のメンバーです。「複雑な心境」、事情は根室も似たようなもの。

 釧路に比べてサイズが1/6しかない小さな町の根室は教育に関しては大きな可能性を秘めている。何しろサイズが小さいから、どこかが先進的な動きをすれば全体への影響が大きいということ。そういう点から見ると根室の教育改革は案外やりやすいのかも知れぬ。
 根室のC中学校の具体的な動きを紹介しておきます。「平成25年度1学期学校授業評価アンケート」を実施、その中に9項目の評価項目があります。
 「3家庭学習」を見て驚きました、家庭学習時間ゼロが37%です。これは大問題です、成績下位層の生徒が復習しないで基礎学力が身につくことはありません。この層の生徒は家で勉強しないくらいですから、おそらく読書習慣もないでしょう。語彙力不足から日本語能力が著しく低くなるでしょうね。それは算数の文章題も社会も理科も、授業内容が理解できないことを意味します
 ちなみに、家庭学習習慣がゼロの場合は塾へ通っても成績は上がりません、お金のムダです。基礎の部分は繰り返しトレーニングによって身につきますから、成績下位層で家庭学習習慣のない生徒は習ったことを家へ帰ってから「繰り返しトレーニング」をしないので身につかないのです。翌週、また同じところから復習ということになります。賽の河原の石積みです。あまり同じところばかりやっていられませんから、次へ進むともう元の木阿弥です。生徒とお母さんと塾とスクラムを組んで生活習慣に問題のあることを再認識しそこから直すしかありません。
(小学校低学年での家庭の躾けに問題がある、だから、小学校の先生たちと問題点の共有が必要です。C中学校とHa小学校は連携して問題点を共有し、こどもたちの学力向上に動き始めています。)
 家庭学習時間数の少ない順に37%、32%、20%、11%(最多時間層)です。どのようなアンケートのとりかたをしたのかを含めて、追ってとりあげます。

 「先生聞いて、聞いて、ちょっと聞いてくれる」という生徒の説明によれば、この学校の校長先生は全校生徒を集めて、「勉強が本業、部活や学校行事もしっかりやるように」と説明したそうです。先生たちに本末転倒になっているよとは言いにくいので、生徒に語りかける形で日頃の部活のあり方に反省を促したものでしょう。(笑)
 なにしろ、毎週のように対外練習試合や合同トレーニングを組んでいる「熱心な部活」があるくらいですからね、もちろん熱心なのは生徒や先生だけでなく、親達が勝たせたくて熱くなっています。(笑)
 中学校の部活は勝つためではないのですが・・・、座学を週に一度組み合わせたら、もっと強くなるのでしょう。

 参考までに生徒達にビリヤードの研究ノートを見せてあげようと本棚を探しているのですが、どこに埋もれたか見つかりません。セミプロクラスの技術トレーニングの解説ですから、種目は違っても参考になるはずです。スリークッション世界チャンピオンの小林先生(天皇のビリヤードの師匠)に質問して教えていただいたことや町田プロ(アーティスティック・ビリヤード世界銀メダルのお父さん)に習った技術を書き溜めたものです。駿台予備校の数学の重鎮、A.S先生から図面のフォーマットを戴きました。彼はヨーロッパで五種目チャンピオンのディリスのサマースクールに何度か参加してるので、そのスクールで同じフォーマットを使っていたのではないかと思います。
 座学をやると格段に技術が上がります。昭和天皇にビリヤードの手ほどきをしたのは、札幌駅前大通のビルに白馬というビリヤード店を経営していた吉岡先生です。品の良いおじいさんでした。この方は座学はしません、やってみせるだけでめったにやり方を教えてくれませんでした。見て自分で工夫して習得できなければものにならない、プロを育てるのはそれでいいのだろうと思います。短クッションでのアメリカンセリの名人芸は魔法を見ているようでした。形が悪くなるとマッセをして直す、自由自在にボールを操って見せてくれました。その際のマッセの撞点と構えはしっかり教えてくれました。セリの力加減がまるで真似ができませんでした、あたりまえですが小学生のebisuには無理でしたね。腕が急速に上がりつつあった中学3年生ならすこし真似できたかもしれません。
 わたしがお会いした中では一番品の良いおじいさんです。最後にお会いしたのは19歳の夏でした。彼女と札幌駅前大通を歩いていたら、ニコニコして「トシボー」と呼ぶ人がいるので、誰かと思ったら吉岡先生でした。ライオンズクラブの献血呼びかけのお手伝いをしていました。デートの途中でしたが先生の笑顔に釣られて献血車の中へ、もちろん献血しました。その1年前にお店へ寄ったときには、一番上手な常連の紳士の方をゲームの相手に紹介してくれました。18歳の私にはとてもかなう相手ではありませんでしたが、勉強にはなりましたよ。その頃は見ただけで札幌でトップクラスの人の技が真似ができるようになっていました。しばらくの間は、目をつぶるとその人が玉を撞いているところが映像として浮かびました。それで何度も何度も復習しました。記憶したイメージどおりに実際のテーブルで再現できるとうれしいものです。「なるほどな、こういうことだったのか」、納得しながら技術は勝手に上がっていきます。
 一生続ける趣味を持つことはいいことです。30年もやっているうちにプロの領域に近づきます。そのあたりでようやく何かがつかめたような気になります。いまでもたまにですが「素振り」だけはしています。ビリヤードをはじめてからもうもうすぐ60年たちますね。やりはじめたころは、「失礼」と言ってときどき背が届かない配置のときは台の上に乗って撞いていました。ヨーロッパの貴族がやるビリヤードはマナーも品もとってもいいのです。「ハスラー」が米国の下層階級のマナーの悪いビリヤードを普及させてしまいました。映画の影響は大きい。映画の中のマックィーンかっこよかったですね。キュウの切れがよかった。
 あれよりもずっとすごいキュウ切れの人が根室にはいました。小林先生のお店でアマチュアチャンピオンと常連会の月例会で試合をしたことがあるのですが、その人もキュウ切れのいい人でしたが、それよりもだいぶよかった、町田正さんクラスでした。写真が残っています。玉を撞くときに静かな構えですが、獰猛なオーラがまつわりついていました、Nさん、当時は本町、郵便局の近くにお住まいでした。バラ玉を撞かせたら日本一だったかもしれません。あれはどんなプロでも真似のできない技です。正真正銘のビリヤードの天才でしたね、プロの真逆をいってました。
 失礼しました、つい懐かしくて話題がそれてしまいました。

http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/6761035.html
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2013年08月28日

複雑な心境(塾に行かなけりゃ勉強ができるようにならない)

私も、合格先生と同様に多少複雑な心境になります。我が釧路に、我が北海道に蔓延する、「塾に行かなけりゃ勉強ができるようにならない」といった風潮。情けないったらありゃしません。悲しいったらありゃしません。腹立たしいったらありゃしません。

一方、自分の業界に対してはこうも思います。「おいおいおい。口先ばかりで、子ども達のために何もやっていないだろうが!」今朝の北海道新聞朝刊。全国一斉学力テストの記事が多い中、とある学習塾の大々的な宣伝広告。「北海道の学力水準の向上を目指します」って、あっそ。それって塾生限定ね。世のため人のため、北海道のため、北海道の子ども達のため。そのために、返り血を浴びる覚悟で、本業以外のところでの社会貢献といったものは如何に?「漁夫の利」って、ちょっとみったくないって思うけどね。

さて、本題です。直球ストレートの結論ですよ。もはや我が釧路では、小学校低中学年内容でつまづいている子が約半数。そうした子の「駆け込み寺」の役割を塾が引き受けているという現実があります。それって、健全な姿なのか?当事者である我々には、とてもじゃないけれど健全には思えません。例え、塾の存在が《必要悪》であるとされても。

普通にこの地に生まれ、普通にこの地で育つ。普通にこの地の学校に通い、周囲と同じように普通に勉強をする。そうしたところ、極めて高い確率で低学力に育ってしまい、それを甘受しなければならない。九九ができない。小数・分数の計算ができない。でもそれって本来、塾へ通って建て直しを図るべきものなのでしょうか?真っ先に救いに行かなければならない者、真っ先に手を差し伸べなければならない者は、誰なんだい?

●「塾に行かなきゃ勉強ができるようにならない」の真実
http://www002.upp.so-net.ne.jp/singakukouza/jijimonndai.html#Anchor-10354

《引用開始》
本当に塾が必要ですか?

 こんな事を書いたら、同業者も、また、自分自身も困ってしまう話なんですが、よく巷では「お金が無いから塾にも行けず、うちの子、勉強できるようにならないんです」というお話が出ています。でも、決してそんなことはありません。ここでは、その真実をお伝えしましょう。

 さて、今まで、基礎学力の事について、いろいろ書いてきましたが、結局、小学校2年生や3年生の漢字が書けず、そこが根本的な理由になって、勉強が出来なくなっているんですね。また、子供達の中には「帯分数の計算が分からない」「余りのある小数のわり算がうまく出来ない」なんていうものもあります。この計算については、釧路では、おそらく半数程度が出来ていないのではないでしょうか。
 また、先日、ニュース「ZERO」で、「生活保護」を受けていて、その子は「お金がないから塾に行けない」と自分で勉強していたのですが、結局「平方根の計算」が全然分からない、と言っていました。

 で、これを聞いて「おかしい」と思いませんか? 小学校2年生・3年生の漢字が書けるようになるために、塾に通わなければならないんですか? 分数や小数の計算が出来るようになるために塾に通わなければならないんですか? 平方根の計算が出来るようになるためには、塾が必要なんですか? 要するに、このレベルでも塾が必要なんですか? 

 別の視点で見てみましょう。もしも、上記の内容が塾に通って出来るようになったとした場合、塾では出来るのに、なんで学校で、この程度のことすら出来るようになっていないんですか? わざわざ、お金をかけて習うものなのですか? 
 もう一度、聞きます。おかしいと思いませんか?

 実際には、学校だけでなかなか理解しきれない、という子もいます。でも、そういう子って、ほんの一握り程度です。40人いたら2・3人程度じゃないですか? 実際に、自分は生活保護を受けている子に教えたこともありますが、普通に教えたら普通にできますよ。真剣にかけ算の九九を覚えなさい、と言ったら、1週間で、ちゃんと出来るようになりますよ。小数・分数も、他の子よりちょっと宿題は多めになりますが、1・2週間程度で、ちゃんと出来るようになりますよ。

 ところが、釧路市教委で行っている独自のテストや、昨日、発表になりましたが、全国学力テストの結果をみて下さい。どう考えても、「普通に出来る子さえ、きちんと出来るようになっていない」という数値になっています。

 果たして、今の状況で、本当に塾に行かなければ勉強が出来るようにならないんですか? それ以前に、勉強が出来ない原因は無いんですか? 
《引用終了》

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【追記】8/31午前11時
(投稿欄へコメントをいただいたので本欄へ追記します。家庭学習習慣はどうやって躾けるべきか、「親力」が落ちている、どうやら釧路や根室だけではない、親力の低下は全国的な広がりをもつ現象のようです。興味のある方はURLをクリックしてHirosukeさんの意見を読んでみてください。
 Hirosukeさんは栃木県にお住まいの方で、塾講師をされています。英語教育に関する彼のユニークなブログは読者が多い、ebisuもその中の一人です。)

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これは全国的な現象です。
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塾って一体・・・。 [塾講師として]
http://tada-de-english.blog.so-net.ne.jp/2007-01-27-1
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親の役目、教師の役目(1) [わが里程標]
http://tada-de-english.blog.so-net.ne.jp/2008-05-01-2
---------------------------------------------
by Hirosuke (2013-08-31 09:37)

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おはようございます。
親力の低下はたしかに全国的な広がりをもつ問題です。
投稿を本欄へアップしました、了解ください。

団塊世代の親の世代は戦争を経験しています。日本がまだ貧しかった時代に幼少期を過ごしているので、旧制中学へ進学した人は稀です。釧路にも根室にも旧制中学はありませんでした。
 勉強したくても経済事情で進学できなかった人が多かったので、自分の子どもにはできるだけ進学をかなえてやろうという強い思いがあった。根室では団塊世代で道立高校へ進学できたのはおおよそ三人に一人でした。全国平均では大学進学率はおおよそ18%ですが、札幌や東京から遠くに位置する根室は仕送りがたいへんですから10%をかなり割り込んでいました。おそらく全国平均値の半分以下。
地理的位置関係は団塊世代も現在も変りません。大学定員60万人に対して120万人ですから、50%の大学進学率です。団塊世代の道立高校進学率よりも15%ほども高い。経済的に豊かになりました。

いまの中学生の親達は高校全入時代を過ごしています。だから、勉強や学力への思いが薄いのでしょう。高校進学という点からはたいした競争もなく幸せな世代です。勉強しなくても高校進学できた世代は自分の子どもに対しても甘くなるようです。歯止めのない部活三昧は親の熱心さに押されてはじめて成り立ちます。小中学校の部活三昧で、悪しき生活習慣に染まってしまい、抜けられないこどもが多い。勉強と部活が両立できている生徒は10人に1人かな?半数は生活習慣がガタガタ。C中学校では替地学習習慣のない生徒が37%もいます。そのほとんどが部活に熱心な生徒達。しっかり勉強しているのはたったの11%です。両立させているのがおおよそ10人に1人と書きましたが、アンケートの数字がebisuの推定を裏付けています。学校はこの数字を深刻に受け止めるべきです。
文武両道がまったく指導できていない証拠です。

核家族化もまずかった。うるさい爺さんや婆さんが同居していない。
姿勢が悪い、その鉛筆のもち方はなんだ、箸はこうやってもつもの、弱いものイジメなんてクズのやることだ、そんなことをしたら家にはいれない、晩飯抜きだ、威張った年寄りがいることが子供の躾けには大事でした。

孫がほしがるものは何でも買い与えるのは甘くなっただけではない、経済的にもずっと豊かになったからでしょう。そして同居していない孫をひきつけるにはお小遣いをやることと、物を買い与えることが手っ取り早い。それがうれしいのです。孫を甘やかしたらろくなことにはならぬと「わかっちゃいるけど、やめられない」、植木均のスーダラ節の通りです。(笑)

いまの中学生が子育てするときにはシツケをきちんとやれるのは30人に一人かな?
日本人の社会がわずか3世代でとてつもなく変質していくのがみえるようです。
伝統的な価値観、形の文化を今一度考え直す、見直すべきでしょう。でも、元には戻りませんね。

正しい持ち方で鉛筆をもち、箸を使い、背筋を伸ばして食事や勉強する。こんなことを学習指導要領の中に取り入れなければならない時代なのでしょう。
先生はお手本を見せられるかな?
by ebisu (2013-08-31 11:47)



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*#2386 『学力危機 教育で地域を守れ北海道』 :本の紹介
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-08-28-1

 グーグルで「学力危機北海道」と入力して検索してみてください。息が合っています、ブログ「情熱空間」と弊ブログが1ページ目に出てきます。(笑)

学力危機 北海道 教育で地域を守れ

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Hirosuke

これは全国的な現象です。
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塾って一体・・・。 [塾講師として]
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親の役目、教師の役目(1) [わが里程標]
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by Hirosuke (2013-08-31 09:37) 

ebisu

おはようございます。
親力の低下はたしかに全国的な広がりをもつ問題です。
投稿を本欄へアップしました、了解ください。

団塊世代の親の世代は戦争を経験しています。日本がまだ貧しかった時代に幼少期を過ごしているので、旧制中学へ進学した人は稀です。釧路にも根室にも旧制中学はありませんでした。
だから、勉強したくても経済事情で進学できなかった人が多い。自分の子どもにはできるだけ進学をかなえてやろうという強い思いがあった。根室では団塊世代で道立高校へ進学できたのはおおよそ三人に一人でした。全国平均では大学進学率はおおよそ15%ですが、札幌や東京から遠くに位置する根室は仕送りがたいへんですから10%をかなり割り込んでいました。おそらく全国平均値の半分以下。
地理的位置関係は団塊世代も現在も変りません。大学定員60万人に対して120万人ですから、50%の大学進学率です。団塊世代の道立高校進学率よりも15%ほども高い。経済的に豊かになりました。

いまの中学生の親達は高校全入時代を過ごしています。だから、勉強や学力への思いが薄いのでしょう。高校進学という点からはたいした競争もなく幸せな世代です。勉強しなくても高校進学できた世代は自分の子どもに対しても甘くなるようです。歯止めのない部活三昧は親の熱心さに押されてはじめて成り立ちます。小中学校の部活三昧で、悪しき生活習慣に染まってしまい、抜けられないこどもが多い。勉強と部活が両立できている生徒は10人に1人かな?半数は生活習慣がガタガタ。C中学校では替地学習習慣のない生徒が37%もいます。そのほとんどが部活に熱心な生徒達。しっかり勉強しているのはたったの11%です。両立させているのがおおよそ10人に1人と書きましたが、アンケートの数字がebisuの推定を裏付けています。学校はこの数字を深刻に受け止めるべきです。
文武両道がまったく指導できていない証拠です。

核家族化もまずかった。うるさい爺さんや婆さんが同居していない。
姿勢が悪い、その鉛筆のもち方はなんだ、箸はこうやってもつもの、弱いものイジメなんてクズのやることだ、そんなことをしたら家にはいれない、晩飯抜きだ、威張った年寄りがいることが子供の躾けには大事でした。

孫がほしがるものは何でも買い与えるのは甘くなっただけではない、経済的にもずっと豊かになったからでしょう。そして同居していない孫をひきつけるにはお小遣いをやることと、物を買い与えることが手っ取り早い。それがうれしいのです。孫を甘やかしたらろくなことにはならぬと「わかっちゃいるけど、やめられない」、植木均のスーダラ節の通りです。(笑)

いまの中学生が子育てするときにはシツケをきちんとやれるのは30人に一人かな?
日本人の社会がわずか3世代でとてつもなく変質していくのがみえるようです。
伝統的な価値観、形の文化を今一度考え直す、見直すべきでしょう。でも、元には戻りませんね。

正しい持ち方で鉛筆をもち、箸を使い、背筋を伸ばして食事や勉強する。こんなことを学習指導要領の中に取り入れなければならない時代なのでしょう。
先生はお手本を見せられるかな?
by ebisu (2013-08-31 11:47) 

ZAPPER

文は下手ですが、魂の叫びです。
お読みくださった学校の先生方。
悔しいと思ったなら、いっちょ、この地からひっくり返してやりませんか?
日本の公教育を。
簡単ですよ。
同志を募って、同志と共にやればいいだけ。
あなたは、一人なんかじゃない。
そこかしこに、内に外に、同志がいるから。

by ZAPPER (2013-08-31 22:20) 

Hirosuke

僕は1966年(昭和41年)生まれです。

ちょうど高度経済成長期の真っ最中で、
ゆとり教育に突入する直前でした。

ただいま大流行中の、
ドラマ「あまちゃん」の頃です。
(まったく見てませんが。)

自分が親として立派だとは、
これっぽっちも思っていません。

むしろ真逆です。

僕は病気ですから、
家族は当然のことながら、
自分自身さえ支え切れていません。

こんな人生を歩んだが故に、
父親・母親・家族の役割など、
自分の過ちを自覚できているに過ぎません。

それとも、
過酷な運命を背負わなければ、
教育や人生の意味なんてものは、
理解しえぬものなのでしょうか。

YAMATO高校♪合唱部『わが◆マイルストーン』2
by Hirosuke (2013-08-31 22:21) 

ebisu

ZAPPERさん、学校の先生の役割は大きいですね。
なにせ学校にいる時間が長いですから。
だから学校の先生が変れば生徒の学力も変る。

やれることからはじめればいい。
そしてそういう先生たちが手をつないでいけばいい。

わたしたちは外から応援します。
志が同じなら先生たちとスクラムを組むこともあるでしょう。
by ebisu (2013-08-31 22:46) 

ebisu

1966年というよりも昭和41年と言ったほうがピンときます。
わたしは高校3年生でした。
舟木一夫の「高校三年生」は東京オリンピックの前の年にヒットしました。
昭和40年代はぜいたくを言わなければほとんどに人に社員で働き口がありました。
団塊世代がどっと社会人になっても就職口があったのですから、いい時代だったのでしょう。

でも、大学は定員オーバーがあたりまえ、300人も入るような大教室での講義、そして人数が多いことによるあらゆる場面で大競争の時代でした。
そういう激動の時代を競争しながら生き抜いてきたので、団塊世代はしぶとい。

>過酷な運命を背負わなければ、
>教育や人生の意味なんてものは、
>理解しえぬものなのでしょうか。

何かがあれば、それをきっかけにして考えたり、何かを感じたりすることはできるのでしょうね。

わたしは、スキルス胃癌を確信したときに、ここで死ぬならそれまでのこと、生かされたらまだやるべきことがあったということ、
天の意思のままに死ぬもよし、生かされるもよしという心境でした。
6時間の手術が終わった後、低体温症のために集中治療室でエビのように身体が跳ねていました。このまま死ねるならずいぶん楽だな、苦しくないぞ、ちっとも怖くないぞ、死ぬってこんなことだったのかと瀬戸際の淵で死について考えていました。そうしたら電気毛布を持ってきてと叫ぶ声が聞こえて、数人の看護師さんがわたしの身体を押さえてくれました。そのうちに暖かくなってきて痙攣がとまりました。ああ、助かった、麻酔がまた効いてきました。

あれ以来、生きることへの執着も、死ぬことへの恐怖もなくなりました。不思議です。いまはただ生きています。それがたいへんにありがたいと感じます。

内緒ですが今日もひとついい事がありました。福をひとつ分けてあげることができました。生かしてくれた天へのお返しです。生きて人のお役に立てる、そういうことができることを天に感謝します。

さっぱり答えになりませんね、すみません。
生きるってどういうことなんでしょう。
誰か教えてください。
by ebisu (2013-08-31 23:22) 

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