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#2360 通塾の副作用について(ブログ「情熱空間」より転載) July 21, 2013 [64. 教育問題]

【毎日やる勉強は性格を形づくり、運命を左右する】
 ZAPPERさんのブログから。
 こんなたとえ話を言ってました。自転車に乗るのに、補助輪をつけて練習させるようなもの、補助輪が外せなくなる危険を孕んでいる。
 五科目全部を教えたらそうなりがちだということ。数英の2科目、それに読解力が劣っている生徒は国語をいれたら十分だという話しです。社会や理科は塾でやっても一時的なほうがいい。全部を面倒見てもらわなければ不安になるような生徒を作ってはいけない。
 自分でやる部分を残してやらせないと、社会人になったときに困ります。依存心の強い人間に育ててはいけない。ツケというものは往々にして時間が経つほど大きくなってしまうものです。社会人になったときには、塾はありません。自分で課題を発見し、自力で取り組まなければならない。中高生のうちに、自力でやるトレーニングしておいたほうがいいのです。
 中高の6年間依存心を育て続けたら、それは性格になってしまいます。30代40代50代になって、時間が経てばたつほどツケは大きくなってしまいます。長い時間で見ると、勉強の仕方は性格まで左右します。性格が依存心の強いものに変わるということはその人の運命まで変えてしまうということです。

http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/6675311.html
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2013年07月20日

通塾の副作用について

「どうせ塾に通うのならば、習う教科は多い方が良い」「その方が、お得なはず」そう考える保護者は多いものです。なので、5教科対応(中学生)についての問い合わせも多くいただくのですが、私は個人的に5教科履修は、「やりすぎ」(講習会を除く)であって、むしろ「副作用」の方が強いものだと思っています。多くの場合、その子の地力を削ぐ方向に働いてしまうからです。

例えば中学生。英語と数学の「勉強の仕方」が身についたならば、理科・社会科などは基本的に自力で何とかなるものです。わざわざすべての単元を懇切丁寧に習うべきものではなく、基本は自力でやり抜き、今一歩理解が不十分な点に関してのみ、スポットでの履修を用いるべきものだと思います。(もっとも、国語力が低いとなれば英語以前の問題なので、まずはそれを固めるべきことは言うまでもありませんが)

もう一点。履修教科が多くなると、当然ですが(塾で)その教科の勉強に費やす時間が多くなります。ところがこの部分、「塾でやっているから、いいや…」となってしまい勝ちなんですよね。つまり、そこに依存が生まれ、大切な家庭学習が疎かになってしまう傾向が強まるということです。本来重視すべきは「勉強の仕方」のはずが、それが身につかずに終わってしまうことが往々にしてあるわけです。

実際、高校受験を終え、無事に合格はしたものの、いざ高校生になった途端に、何から手をつけるべきまったく分からない状況に陥る子が多くいます。なぜそうなるのか?目先の点数を追うがあまり、何よりも肝心な「勉強の仕方」を疎かにしたからと言えるでしょう。まさしく、「私塾の功罪」と言える部分です。

我が釧根の子ども達には、実はこうした傾向があります。-(高校入試において)数学の得点は相当に低いが、社会科の得点は遜色ない- これが何を意味するか、お分かりになりますでしょうか?積み重ね教科である英語・数学を捨て、いわゆる暗記教科である社会科に逃げ込む受験生が多いということです。そしてこの部分もまた、「私塾の功罪」といった側面を否定できない部分があります。

受験は合計点の勝負であって、「追い込み時期」の受験勉強には得点を伸ばしやすい教科に頼らざるを得ないという現実があります。実際、「困ったときの理社頼み」(英数の得点力が低い子は、理科・社会で伸ばさざるを得ない)といった風潮が、塾の現場に根強くあるわけです。また、塾の専任講師は自分の指導教科に自信とプライドを、そして一定以上の指導力を有しているので、どの教科に優先順位を置くべきかという発想が希薄になり勝ちで、どの教科を勉強するかしないかは、子ども達に委ねられることになってしまうものです。

さて、以上の理由があって、原則として私は5教科履修(講習会は除く)には反対です。ちなみに私、元々は社会科学習指導のプロフェッショナルですが、大いなる反省があるのです。「本来は英語・数学に割くべき勉強時間を、随分と随分と奪ってしまった…」という(笑)。以上を別の点から見てみると、こしたことも言えるわけです。-目先の5点・10点を追い、自力をつけることに目をつむるのか?それとも、多少の失点には目をつむり、自力をつけることに力を注ぐのか?- 例外的に、成績超上位生には両立が可能ですが、普通はそうは行きません。

講師時代の私自身はそうしたことを考える余裕もありませんでしたが、今にして思うのは「前者をやり過ぎてしまった」(徹底的に「教え込み」をやってしまった)という反省です…。いよいよ夏期講習会シーズン、塾のチラシを多く目にする時期になりました。講習会準備に忙殺される教室長を横目に、こうしたことを思った次第です。実は通塾には、「副作用」というものがついてまわるものです。それを、限りなくゼロに近づけなければ…。

《追記》
数学の勉強は、「手順を踏み、順を追って考える」ことを、英語の勉強は、「ちゃんと理解をして、覚えるべきを覚える」ことを鍛えるわけですね。理科の勉強には双方の要素があり、社会科の勉強には後者の要素が強いわけですから、英語と数学を鍛えることが、結果として《急がば回れ》になるという理屈です。

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実際、高校受験を終え、無事に合格はしたものの、いざ高校生になった途端に、何から手をつけるべきまったく分からない状況に陥る子が多くいます

 ここが大事なポイントです。大学受験に成功し一流企業に入社できて管理職になれても、たとえば、一事業部を任されるとか、子会社経営を任された途端にどうしたらいいのかまったく分からなくなる人がいます。そういう事例が少なくないのです。チャンスに恵まれなければ大丈夫ですが、40代50代になってからチャンスに恵まれたときに副作用が出てしまうケースがあるのです。自分で課題を見つけ、具体的な解決案をつくり組織を動かさないといけないのですが、なにをどうしたらいいのかわからず、心身症になってしまいます。ほとんどの人が40代になってから自分の仕事のスタイルは変えられないのです。部長の指示の下で動く課長職なら有能だった人が、部長職になった途端にまるで無能になる。あるいは部長職が赤字の子会社社長として経営を任された途端に心身症に陥る、そんなことがあるのです。マジメで几帳面な人が危ない。
 中高生のときの勉強スタイルはとても大事です。6年間毎日繰り返したらそれは性格を形成してしまいます。依存割合の高い勉強スタイルを繰り返したらそういう性格になってしまうのです。依存心の強い性格はその人の運命を変えてしまいます。
 思春期の人間の土台をつくるときはたいへん大事な時期なのです。


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  URLをクリックしてコメント欄も読んでください。「後志のおじさん」というハンドルネームの方の投稿がたいへん参考になります。「音読200回」、たくさんの文のストックを頭の中に作るのが英語をマスターする早道です。何回やるかはその人の覚悟次第ですが、百回じゃマスターできないでしょうね。本気でやるかどうかです。
 Hirosukeさんも音読トレーニングを推奨しています。「文の意味を頭に思い浮かべながら音読すること」、と要点を説明しています。



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コメント 4

ZAPPER

「私塾の功罪」の部分だと思います。とは言え、入試突破こそが私塾の至上命題ですから、そこまで先を見据えての対処ができるか否かとなれば、それはなかなか難しいものと思います。

学校現場においても私塾の現場においても、共通するキーワードは「自立」であるべきだと思います。一方は、自主性を尊重するという名目でそれを阻害し、他方は目先の結果最優先でそれを追い求めるということで、やはりそれを阻害する。

学校も私塾も、「自立」というものをもっと突き詰めて考え、そのために今何をなすべきか?そうした発想に立ち返ることが重要なのだろうと思います。何せ、主役は子ども達ですから。
by ZAPPER (2013-07-22 11:40) 

ebisu

功あれば罪あり、切れる刃物ほど危ない。それを分かってやるのと、知らずに突進するのでは結果に大きな違いが出ます。

私塾は教育ビジネス、商いには守るべき倫理がある。

「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」

迷ったときには日本人が育んできた伝統的な価値観へ回帰して考えればいいのでしょう。

学校の先生たちも卒業させればいいという考えからではなく、生徒の一生を考えたときにいま何を教えておくべきかという観点から生徒指導にあたってほしいですね。
学校も私塾も教育改革は自己改革から。
by ebisu (2013-07-22 12:12) 

後志のおじさん

私のコメントまでご紹介して頂きありがとうございます。


子供たちには、ステップを分けて回数を伝えています。
学校のテストなら5回、入試なら30回、ホクダイに行きたいなら100回。英語を「使える」ようになりたければ、200回。


でも、この前提には、理論とイメージがあるのですね。

やみくもに覚えてもお経の暗記になってしまう。
理論とイメージをしっかりと理解した上で、それを自分のものにするための回数設定なのですが。


ebisuさんのおっしゃる座学、よく理解できます。私はかつては、将棋のアマチュア初段(全然大したことはないですが。)まではいけたのですが、
ただ、指すだけではだめなのですね。
指してみる。
局面を頭に焼き付けておく。
失敗した時の先例をさぐる。
上手くいった時、勝因は敵失か、無意識にやった新手かをチェックする。
勝ち負けだけに一喜一憂しても力はつきませんよね。


座学を大切に、というお考え、私はこのように受け止めています。


そして、「学校」がいかに座学のできないところであることか!

by 後志のおじさん (2013-07-22 23:24) 

ebisu

後志のおじさんへ

ブログ「情熱空間」の投稿欄ではさりげなく「200」と回数を明示していましたが、やはり一筋縄ではいかない。その奥に具体的な方法論がある。一知半解な人は回数だけをみて、その奥にある装置を想像しません。真似しても似て非なるものになります。

>子供たちには、ステップを分けて回数を伝えています。
学校のテストなら5回、入試なら30回、ホクダイに行きたいなら100回。英語を「使える」ようになりたければ、200回。

段階論ですね。何を目標にするかで「回数」は違う。そしてさらに、

>でも、この前提には、理論とイメージがあるのですね。

職人は師匠の仕事を見て、形を真似て繰り返すことでその奥にあるものを体得します。頭がよくなけりゃ一流の職人にはなれない。

将棋ですが、初段は中飛車、四間飛車、矢倉囲い、美濃囲い、穴熊などを一通り勉強して、自分に向いた戦法を2個研究するくらいでなんとかなるでしょう。あとは基本手筋に関する本を一冊、そして詰め将棋の本も一冊やれば十分です。

弱い相手同士で指していても腕は余りあがりません。上手な人と指すとたいへん勉強になります。ああ、なるほど、こういうきつい手があるのかと、感心しきり。しばらく負け続けて悔しい思いをするうちに、たまに勝てるようになります。そうなればしめたもの。じきに対等に指せるようになります。
その上で、基本手筋の本を読み返すと、今まで見えなかったものが見えてきます。詰め将棋も手順の長いものが解けるようになってきます。
そうしたらアマ2段は超えています。
あはは、こんな講釈を書くといかにも上手なようですが、私の将棋はヘボ将棋です。
会社にアマ4段クラスが二人いて、それぞれ下級者と昼休みに対局していましたが、数ヶ月で負け始めると将棋を指さなくなってしまいました。悔しかったのでしょうね。時に人間は相手の上達を喜ぶ心の余裕がなくなってしまいます。それでいいのです。(笑)

わたしはビリヤードが趣味だったのですが、あれは手の技術と理論と両方が融合した「芸術」ですから、座学をやり、それを実際の台で試してみることで一つ一つの技が身につきます。
それと道具の手入れができないと上達は無理です。
タップの手入れを自分でできないとダメ。わたしは40年近くもビリヤードをやって、タップの調整の仕方の理屈がわかりました。
プロが教えてくれました。アーティステックビリヤード世界2位の町田プロのお父さんです。
昭和天皇にビリヤードを教えた吉岡先生のタップの調整の仕方は知っていたのですが、全然違いました。
吉岡先生は無理な撞点は突かない。だからタップの調整もそれに合わせていますが、町田プロのお父さんはシビアな撞点を突いてもミスしないようなタップの調整法を開発していました。
一言聞いただけで理解できるようでないと教えてはくれません。キュウの先を30センチぐらい離して、さらにその1mくらい先にボールを置いて、重なるように半円に近い状態にタップを削ります。これがじつに具合がいい。理屈は球の接点です。
その点についての説明は一切なし。自分で考え理解するしかありません。
ここまでタップの削り方にこだわると、今度はチョークの品質が気になり始めます。あるんです、世界最高品質のチョークが。滑り止めなのですが一辺が2.5cmくらいの立方体の形状をしています。きらきらとダイアモンドが混じったようなチョークがあるのですが、メーカは30年ほども前になくなっています。スリークッションの世界チャンピオンの小林先生があるとき常連会の賞品に出してくれました。わたしがいただいたのですが、ぎりぎり端を突いてもミスショットにならないすばらしいものでした。練習のときに使って小林先生に叱られました。
「ebisuさん、そのチョークはわたしは試合のときにしか使っていないんだ」
と、慌てていましたね。数箱の手持ちの在庫うちの1箱(1ダース)、貴重品だったのです。いまでも11個あります。そのうちに世界大会に出場する方に差上げなくてはいけませんね。

八王子の町田先生のお店には素ぶり用の鉄のキュウがありました。アーティステックビリヤードには必要なトレーニング道具です。鋭いフリができてキュウの切れがよくなります。鉄工場に頼んで作ってもらったのでしょう。はじめて見ました。もちろん振らせてもらいました。あれでぶれない素振りができたら、思いっきり突っ込めます。

趣味はプロになれるほどトコトンやれというのがわたしの持論です。
30年続けると私のような鈍才でも、プロテストに合格できるくらいの腕にはなります。繰り返しトレーニングすることで深く深く理解できるようになります。そうしてようやくつかめるものがある。
おそらくものごとを学ぶ極意に通ずるものなのでしょう。

そういうわけで、技だけみて真似ようと思っても、プロの技は道具の手入れも込みで支えられているので、容易に真似できるものではありません。
でも、研究熱心な人にはたいへん参考になるでしょう。
そう思って、後志のおじさんのコメントを紹介させていただきました。(笑)

by ebisu (2013-07-23 13:05) 

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