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#2272 根室 「57年間の人口推移+27年間の推計一覧表」 Apr. 23, 2013 [19. 人口減少に関わる問題]


 日本の人口は2007年から死亡数が出生数を上回り減少に転じたが、根室の人口はいつから減り始めたのか?その「転機」の瞬間をご覧いただきたい。そして推理してもらいたい、その辺りでなにがあったのかを。

【根室市の人口データ】
人口対前年増減数%CH
1957年36,813
1958年37,6117982.17
1959年39,6292,0185.37
1960年41,5691,9404.90
1961年43,3071,7384.18
1962年44,9121,6053.71
1963年46,7511,8394.09
1964年48,6291,8784.02
1965年49,4468171.68
1966年49,8964500.91
1967年49,641-255-0.51
1968年49,8922510.51
1969年47,696-2,196-4.40
1970年45,172-2,524-5.29
1971年44,515-657-1.45
1972年44,7071920.43
1973年44,8561490.33
1974年44,9851290.29
1975年44,763-222-0.49
1976年44,688-75-0.17
1977年44,291-397-0.89
1978年44,073-218-0.49
1979年43,766-307-0.70
1980年43,449-317-0.72
1981年43,133-316-0.73
1982年42,549-584-1.35
1983年42,266-283-0.67
1984年41,814-452-1.07
1985年41,317-497-1.19
1986年40,444-873-2.11
1987年39,541-903-2.23
1988年39,010-531-1.34
1989年38,335-675-1.73
1990年37,856-479-1.25
1991年37,250-606-1.60
1992年36,799-451-1.21
1993年36,447-352-0.96
1994年36,041-406-1.11
1995年35,560-481-1.33
1996年35,217-343-0.96
1997年34,835-382-1.08
1998年34,534-301-0.86
1999年34,183-351-1.02
2000年33,859-324-0.95
2001年33,488-371-1.10
2002年33,028-460-1.37
2003年32,668-360-1.09
2004年32,266-402-1.23
2005年31,771-495-1.53
2006年31,381-390-1.23
2007年30,881-500-1.59
2008年30,469-412-1.33
2009年30,081-388-1.27
2010年29,596-485-1.61
2011年29,139-457-1.54
2012年29,015-124-0.43
【推計データ】
2010年29,201国勢調査データ
2015年27,203推計値-1.37
2020年25,390-1.33
2025年23,494-1.49
2030年21,571-1.64
2035年19,697-1.74
2040年17,892-1.83
年平均変化率





 1967年にはじめてマイナスになっています。この年は昭和42年でebisuたち団塊世代が高校を卒業した年に当たります。
 根室高校卒業生は350名、中学校の同期は根室市内合計でおおよそ1000名でした。根室中学が名称を変えて光洋中学校と柏陵中学校に分かれたのはその6年前の1961年で、光洋中学校は1学年10クラス、550名、3学年あわせて1500名の大規模校でした。
(根室中学が光洋中学校と柏陵中学校へ分裂したのですが、2年間根室中学で最後の一年間は光洋中学生だった2学年上の先輩たちは11クラス560人だったそうです。)
  1959(昭和34)年から1964(昭和39)年(東京オリンピック)までは1738~2018人の人口増加を毎年繰り返していました。「高度成長期」の根室がありました。1966年までは人口増加が続いていましたが、'65年は増加が817人、'66年は450人と急激に落ち込んでいます。団塊世代が高校を卒業して根室に就職がなくて全国各地へ散っていったのでしょう。

 '75年からは38年間連続して人口減少が続いています。'76年には道内最大の水産缶詰会社である日本合同缶詰が倒産しています。根室の老舗の缶詰会社でした。金比羅さんのお祭りにもたくさんの若い女工さんや元気のいい男工さんが参加していました。あのころは金棒の音がきれいにそろっていましたね。富良野に野菜や果物の缶詰工場を開設してうまく軌道に乗せることができなかったようです。根室の4工場には約800名の女工さんたちが道内や青森県から出稼ぎに来ていましたが、倒産の十数年くらい前から集めるのが困難になっていました。条件のよい働き口が他にできて根室の水産加工場は道内から「出稼ぎ」を集める力を失っていったのです。いま働いている人を大事にする、そういう感覚が根室の企業には昔も今も希薄です。加工品質を上げるためには、地元採用の人間を大事に育てることが条件の一つでしょう。それが経営者の能力というものです。

 団塊世代のころは高卒で就職する人が大半でした。専門学校への進学も少なかった。このころようやく札幌に電子関係の専門学校ができはじめました。大学進学率は同期1000名のうち40~50人くらい?大学の定員は40万人ほどでしたが、「定員オーバ」が当たり前の時代でした、定員割れしているいまとは事情がまるで違いますね。
 高度成長期に入って景気がよくなり、経済的に大学進学させられる家庭が増えていきました。ebisuもそうした幸運に恵まれた家庭の一つでした。両親が一生懸命に働いて進学させてくれました。もちろん私は中学・高校の6年間は毎日3時間ほど家業を手伝っていました。家業を手伝うのは当たり前のことでした。
 町には高卒の優秀な者たちが多かった時代です。中卒で働く人たちが3割くらいいました、この中にも学力の高い者たちが含まれていました。現在に比べると日本全体が貧しかったので、経済問題で進学がままならなかったのです。しかし、将来には希望の光が見えていました。一生懸命に働けば何とかなる時代でした。
 私たちが子供のころは戦後まもなくで物資が不足していました、物も少なかったし好きな物が買ってもらえる時代ではありませんでしたから、辛抱力や我慢力はみな鍛えられて育ちました。だから社会へ出てもガマンができました
 近頃の生徒達を見ていると、辛抱したことがない者が増えています。社会人となってもやっていけないだろうなと考えざるをえない者が4人に1人はいそうです。親は子どもを甘やかしてはいけません、爺さん婆さんも孫をあまやかしてはいけません。甘やかして育てると、辛抱力のない人間になって社会人としてやっていくときにたいへんな苦労を背負い込みます。かわいそうではありませんか

 話しは飛びますが、団塊世代の頃は東京へ進学しても住民票は写さないのが普通だったのではないでしょうか。ふるさとへの帰属意識が強かったのかもしれません。当時は米が配給制で、米穀通帳がないとお米の買えない時代でした。わたしも根室から米穀通帳を分筆してもらって送ってもらい、それで米を買いました。就職するときには住民票の提出が必要ですから、そのときに住民票を移した記憶があります。専門学校へ進学した者たちは2年で卒業すると同時に住民票を移したのでしょう。人口増から人口減へと転じた辺りには、住民票の移動にそういう事情があったことを加味する必要があります。まもなくお米は自由化されて自主流通米が出始めました。米穀通帳ナシにお米が買える時代が到来したのです。ようやく戦時体制が終わりました。

 根室の町が人口減少へ転じた辺りの話しはこれで終わりで、将来推計にかかわる話しを少ししておきます。
 2040年には根室市内の学校全部をあわせても1学年約100名に縮まってしまいます。団塊世代に比べると10分の1のサイズです。27年後には保育所も幼稚園も小学校も中学校も高校も半分以下で充分です。7年後を考えても三つに一つは不要になります。空き家となる建物は約4割、土地は買い手がつかぬほど安くなるのかもしれませんね。
 2040年の根室の人口は推計によれば17,892人ですから、最大値の3分の1強。子ども達は10分の1、これでは2040年以後もまだまだ人口減が続くということになりそうです。
 魅力的な地元企業を育てて、若い人たちの流出を食い止めないといけませんね。それにはダメな地元企業がつぶれ、優良な地元企業が残る、そして有能な起業家たちが輩出し切磋琢磨するような風土をつくりあげること。基礎学力がしっかりしていることは最低条件ですね。仕事に必要な本も読めないようではお話しになりません

 2003年からの10年間を見ると、人口減が400人を超えたのが6回あります。その前の10年間は400人を超えたのは3回です。根室の人口減少はこの10年間は加速しています。
 根室の未来はいま私たちが何をするかで決まります、あなたはどういう役割を担いますか?

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*#1555 根室の人口減少とビジョン:縮小を前提にビジョンを作ろう
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-06-15

 #1901 根室市の人口2.9万人割る
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-04-11

  #2247 根室市予算案をチェックする(6): 補助9億円「高すぎる」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-03-19

  #2270 人口減少の衝撃: 2040年の日本の人口は1億727万人:"Japan's depopulation time bomb"
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-04-22

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2020年11月21日追記
 平成30年に社会保障人口問題研究所から新たな推計値が発表されています。それによれば前回推計よりも2040年の根室の人口は2702人低いものになっています。前回推計値が甘かったということです。根室の人口は加速的に減少するということ。

2015年 26917
2020年 24461
2025年 22005
2030年 19610
2035年 17330
2040年 15190
2045年 13210
   

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道東の住人

毎年今頃に成ると、別海町で「根室市外三郡医師会」なる道東(根室、別海、中標津、標津、羅臼)の医師が集まる会議(殆ど宴会)が開かれます。昨日その会合が有りました。
最近は次第に出席率が悪くなって来ていますが、このところ市立根室病院の医師は殆ど参加していません。市内の開業医は以前からまめに出席しています。

市立病院は「病病連携」「病診連携」などの”耳触りの良い”キャッチフレーズを謳っていますが、年に一度の全体会議にすら出て来ないようでは、〇〇連携など烏滸がましいにも程が有ります。他の医療機関からは「何様のつもりだ」との批判の誹りを免れません。

市立根室が参加しなくなった分、町立別海病院からの参加者が増えました。

実は、この流れは道東の医療圏の行く先を暗示しているのかも知れません。

「根室市外三郡」と言う呼称は、根室市+他の町村と言う根室を別格に扱った言い方です。道東では根室だけが”市”なので当然の事かもしれません。しかし実際には地理的な影響も在ってか、他の町村の医療機関と市立根室の間には殆ど患者さんのやり取りは見られません。

根室は問題が起きると直接釧路に相談します。一方根室外の各診療機関は、直接釧路に搬送するケースも勿論有りますが、一旦町立中標津に相談するケースも多々あります。
つまり根室外はそれなりにまとまっているのですが、根室は孤立しているとも言えます。

今後地域医療は益々医師の減少に拍車が掛かり大都市への集約化が進むと思われます。ですが地域に残存する各医療機関がそれぞれの立場を最大に活かして連携して行かなければ、やがて地域住民は地元の医療機関への信頼を捨て去るでしょう。


by 道東の住人 (2013-04-25 11:43) 

ebisu

こんにちわ。

うーん、むずかしそうでしね。

元々根室は閉鎖的な町で、他となかなか交わるのが苦手というのが一つ。
勢いのあった昔といまを勘違いして、現状が理解できていないというのが二つ目の理由。
そういうわけでプライドが高い("三郡とは違う")というのが三つ目の理由。
市立根室は町医者とは違うという意識が四つ目の理由に挙げられるかな?
五つ目は、なにか行きにくい事情がある。(笑)

オープンにお付き合いしたらいいのですがね、年に一度のいい機会です。地域医療に携わる医者として地域の病院や医院とコミュニケーションをとらなければいけないのですから。
病病連携、病診連携などと口当たりのいいことは言いますが、市立根室と三郡の病院との連携はほとんどないのですね。
根室管内の中での市立根室の役割について市立根室自身が方針を表明すべきなのでしょうが、そういう自覚がいつかは生まれるのでしょう。
大きなデザインを描ける人材がいないのでしょうね。こういう話しをするには複数の分野の専門知識と幅の広い教養が必要です。

ところで「根室市外三郡」という言葉には「根室は入っていないよ」という響きがあります。元々根室以外の三郡の集まりで、根室はあとからオブザーバー参加だったのではないでしょうか?会の発足の経緯を知りませんが、そんな気がします。
「根室+市外三郡」なら「根室管内医師会」という呼称がふさわしいように思えます。
根室の人口が5万人だった頃はたしかに大きな差がありました。中標津と比べてみても当時は3.2万人も人口差がありました。
いまはまったく別です。中標津と根室は横並びです。意識の転換はむずかしいもののようですね。

by ebisu (2013-04-25 13:24) 

NO NAME

いや、「根室市外三郡医師会」と言う表現は、やはり「根室&根室以外のその他大勢」と言うニュアンスなんです。因みに「ねむろし ほか さんぐんいしかい」と読みます。
そこで最近ではEbisuさんが仰るように「根室」と「中標津」を横並びにした呼称が考えられています。しかしその場合でも、根室以外の地域の病院には「根室と同等なの?」と言う不満(偏見?)も有ります。勿論根室から見れば「あちらが自分と同等?」なのかも知れませんが。

一応現在の各病院の学閥(支配大学?)系列を覗いてみると、つまり院長や所長の出身大学ですが、市立根室と町立別海、知床らうす国保診療所が札医大系、町立中標津が北大系、そして町立標津が九州の久留米医大系です。

これを見て??と思われる方もいらっしゃるでしょう。同じ札医大系なのに根室と別海はあまり付き合いが有りません。また羅臼(最近釧路孝仁会がバックアップしていますが、その孝仁会も元々が札医大脳外科)は根室と良い関係に成る筈ですが、実際にはどちらかと言えば町立中標津寄りのスタンスです。

この道東の医療勢力図を俯瞰して気が付くことは、同じ大学の系列だからと言って大学と病院間はそれぞれ繋がっていても、横の病院同士は必ずしも相互連絡が良くないんですね。つまり親分はどの子分とも上下関係で繋がっているが、しかし同じ組員である子分同士は仲が悪い・・・(笑)。
by NO NAME (2013-04-25 23:10) 

ebisu

なるほど、どこで区切るかで会の名前の意味が違いますね。

>「ねむろし ほか さんぐんいしかい」

>そこで最近ではEbisuさんが仰るように「根室」と「中標津」を横並びにした呼称が考えられています。
>しかしその場合でも、根室以外の地域の病院には「根室と同等なの?」と言う不満(偏見?)も有ります。
>勿論根室から見れば「あちらが自分と同等?」なのかも知れませんが。

学閥の説明をきいたあとならそういう「雰囲気」は合点がいきますね。すでに根室は管内では中標津と横並び、いや商圏の大きさでは半分に過ぎないサイズの町になっていることに根室人が気がついていないか、気がつかない振りをしている。
根室人としては痛い指摘です。

地域の医療機関の連携についてのご意見は、病病連携が近いところとほどむずかしい現状を突いていますね。どちらが上ということではなく、同じ根室管内という地域の病院としてどういう連携がありうるのかという問題意識を院長と行政がもたなければならないのでしょう。
そのためには年に一度の懇親会への参加は不可欠ですね。
by ebisu (2013-04-26 08:33) 

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