SSブログ

#2167 中学生の生活時間の使い方と基礎学力 Dec. 30, 2012 [64. 教育問題]

 生徒の話しに中標津広陵中学がよくでてくるので、学校のホームページを見たら、面白い資料を見つけてしまった。
 11月23日に開催された「中標津小中PTA研修交流会」の資料「中標津町の学力向上のために」とう題された資料がそれである。PTA連合会事務局が作成した資料だから、担当したのはおそらく学校の先生だろう。広陵中学校のホームページにぶら下げてあるから、広陵中学校の先生が作成したものではないか。自分の学校の生徒へのアンケート結果を全国データと比べている。

広陵中ホームページ
http://www1.nakashibetsu.jp/kouryo-jh/

資料:「中標津町の学力向上のために
http://www1.nakashibetsu.jp/kouryo-jh/h24/1123.pdf

 町が豊かであり続けるための条件として三つ挙げている。
============================
  一、人々が集まる
  二、安心と生きがいのある暮らしが織り成される
  三、そのことが持続する
 三つ目の主人公は「子ども」です。
 子どもたちが、自分の人生の中で、自分の生きがいを、できれば自分のまちで、主体的に見つけられるようになることで、そのまちの豊かさは持続します。
============================

  この点は根室も同じだ。
 わたしが注目したのは、ここに引用されているベネッセが2009年に作成した「子供の24時間調査」資料とその分析である。

 小学校の子どもたちの生活実態チャートを見ると家庭学習のピークは17時になっており、約3割の生徒がこの時間帯に1時間ほど勉強している。夕食前というのがキーポイントだろう。食事をしてからでは集中力が違う。家庭学習のピークは17時から19時である。
 これと中学校の子どもたちのチャートを比較してみてもらいたい。家庭学習のピークが19時から21時半へとシフトしている。中学生の30%が夕食後に勉強している。当然、集中力は落ち、勉強の効率が悪くなっているだろう。
 原因はブカツである。中学生になると内申点に不利にならぬように大半の生徒がブカツをやる。勉強が苦手な生徒ほど「強迫観念」が強いから、ブカツで内申点を稼ごうとする。ベネッセのチャートでは約6割がブカツに参加しているように読み取れるが、根室市内のブカツ参加比率はそれよりも20%ほど高いのではないか。だれか資料があったら教えてもらいたい。

 この資料を作成した人は勉強時間数と成績の向上は比例しないという。その通りだと思う。
 勉強スタイルつまり、集中力とかやり方にも成績は依存するからだ。要領のいい生徒は短時間で効率よく勉強する自分なりのスタイルを確立している。
 わたしは授業が終わった後で2分ほど目をつぶり黒板に書かれたことを頭の中に映像として再現することで復習をしていた。暗記物(社会や理科や英語)はこれでOKだ、数学と英語は問題集と参考書を買って自分でやった。小学校の頃から家業のビリヤードを手伝っており、勉強する時間があまり取れなかったからで、必要は発明の母とはよく言ったものだ。成績上位層の生徒はそれぞれ自分の置かれた環境に適応したやりかたを見つけているのだろう。*(1)

 もう一つの問題はメディアにかかわる時間である。インターネット、携帯のメール、ゲーム、テレビ番組に費やす時間が大きい。小学生は夕食後から22時ころまでがピークだが、中学生は18時から23時がピークである。ウィークデイには4時間半メディアに費やしている。学校で過ごす時間についで大きいのがメディアにかかわっている時間帯である。
 小学生は22時少し前に半数が就寝しているのに、中学生は23時過ぎであるが、ブカツとメディアが睡眠時間を食っていることがわかる。小学生は午前零時過ぎまで起きている生徒がほとんどいないのに対して、中学1・2年生は20%が午前零時過ぎまで起きており、恒常的に睡眠不足の生徒が20%近くいることになる。昔は中学校で授業中に寝る生徒はほとんどいなかったが、中学校の授業中寝ている生徒が散見されるのは理由が二つ(ブカツとメディア)あることがわかる。

 このベネッセのチャートではわからないことがある。これは平均値をチャートにしたものだから、どの程度のばらつきがあるのかわからない。そしてウィークディのみの集計だから土日の事情が不明である。基礎学力との関係を考えると土日の生活時間の使い方も影響が大きい。
 たとえば、ブカツをやっていない生徒が中学1・2年生で40%程度いるようだが、この生徒たちの家庭学習は時間の分布とブカツをやっている生徒たちの時間分布ははっきりと分かれるのではないだろうか。つまり、ブカツをやっていない生徒は4時半頃には帰宅して、夕食前の7時まで高い集中力で勉強時間を確保できる。自分なりの効率のよい勉強法をもっている生徒が多いだろう。
 それに対して、6時までブカツをやっている生徒は夕食前には勉強時間を確保できない。食事の後でも長時間のブカツのために、集中力が持続せずに集中力を欠いた勉強になる。そうならないでしっかりやれるのはブカツをやっている生徒のせいぜい2割だろう。ブカツをやっているのが全体の6割で文武両道はその中の2割とすると全体の1割2分が文武両道派である。体力があって意志の強い子供は多くはないから、健全な家庭学習習慣を育むという教育目的からブカツの時間を制限するべきだというのがわたしの意見である。

 長時間(4時から6時)のブカツはこうして中学生の健全な家庭学習習慣を破壊する装置として作動している。また、4時から6時までの2時間も毎日長時間やらせると短時間で効率よくやるという意識が育たない。そういうブカツを繰り返した生徒は手を抜くことを知らず知らずのうちに憶えてしまい、癖になる。ただ試合に勝ちたいために練習時間を延ばすだけで、練習メニューの工夫も概してしない。そういう癖のついた人間は就職のときや、就職してからたいへんだ。会社の人事担当者から言わせるとこういう人間は採用したくない。短時間で効率のよい仕事の工夫ができない人間が半分もいたら会社はおかしくなる。

 土日に2部練習をやっているブカツもある。小学校からやっている例が散見される。親が夢中になって、試合に勝たせたいために、土日の2部練習を要求する。過度な競争意識というのはこういうことを言う。釧路の「基礎学力保障条例」が「過度の競争を助長」するものだと言って反対している先生たちの政治的グループがあるが、足下の「過度な競争を助長している」「過度なブカツ」には何にも言わず、現状改善もしないでおいてなにおかいわんや。
 2部練習を要求する親が小中学校生のときには、ブカツは好きだが勉強はあまり好きではなかったというケースが多いのかも知れぬ。文武両道を通してきた親なら、土日の2部錬など要求するはずがないからだ。
 先生たちは保護者の土日二部練要求には断固として「ブカツは教育の一環だから、文武両道があたりまえ、土日は基本的に家庭学習時間に当てるべし」と言い放ってもらいたい。学校は教育の場であって「学習が主」、「ブカツは副」であるのはあたりまえ。

 過度な練習でスポーツ障害を抱える生徒が少なからずいる。その種目が強い学校ほどそういう「犠牲者」がでる。ブカツに夢中でそうしたことが視野に入らぬバカな保護者が少なからずおり、強い発言権をもっているとそうなりやすい。
 バトミントンが活発で管内でも強豪校の小学校・中学校で長時間の練習をして膝に障害を抱え、高校でスポーツをあきらめた者、野球で肘を痛め高校で他のブカツに転向せざるをえなかった者など、特定の筋肉に負荷のかかるスポーツをする生徒が「犠牲」となっている。本格的なブカツは高校でいい、小中はスポーツの基礎作りの期間である。成長期に特定の筋肉や関節を酷使したら、それ以降は楽しめなくなる場合がある。長時間やるよりは、短時間で効率のよい練習メニューの開発をすべきだ。そこにスポーツを通した教育のチャンスがある。考えてみてほしい、会社で長時間の残業だけ強いる管理職がいたらそいつはペケだ。短時間で標準以上の効果をあげうるメニューを考え、実行して指導できる人材こそが理想である。

 文武両道で勉強とブカツを理想的に両立させた子供たちの多くは都会の学校へ進学し根室へは戻らない。だから地元にそうした文武両道派の保護者がほとんどいない。地元へはブカツに熱心だったもので、勉強がきらいだった生徒が多く残りやすいということ、残念だがそれが事実である。そうしたことを45年(1.5世代)繰り返したら、その地域の基礎学力が低下して当然。現況を変えよう、変えられる。

 中3年生のチャートにはブカツ時間がほとんどないのだが、。このアンケート調査は中体連以後の秋の調査なのか、それとも首都圏だけで全体の三分の二だから中3になったら三年生は早々とブカツから引退してしまうのか、そのあたりの事情が書き込まれていないので、全国データと違いがあるのかないのか、判断は保留。サッカー部もフットサルの大会を10月頃にやっていた。
 根室の中3生たちは夏休み後に引退だ。ブラスバンドだけは3校とも12月に定期演奏会を設定しているから、それまで練習に余念がない。

 気になるのは、メディアの生徒たちの脳の発達に与える影響だ。ブカツやメディアで過ごす時間が長くなると、我慢のできない性格の子どもたちが増える。きらいな科目の勉強をガマンしてやりぬくことのできない子どもたちが増えている。中学生の成績下位20%層にはそういう生徒が圧倒的に多い。
 本を読まないから、簡単な日常会話しかできない。使える語彙は中学2年生でも小4並みで、数学の問題のたった2行の文章の意味が理解できない。
 日本語語彙が飛躍的に発達するのは小学校高学年である。この時期を逃すと、後で取り返すのはたいへんだ。我慢力は3歳くらいから小学校入学前に育まないと後のしつけが困難になる。我慢力を育むのにも「旬の時期」というものがある。年齢に応じて、脳の各部位や機能を充分に発達させておかないと、あとからいろんな弊害がでてくるのだ。ほうっておいたらほとんど取り返しがつかない。我慢力も基礎学力もまったく不十分なまま、高校を卒業することになる。正規雇用の職に就くのはほとんど困難だし、職も選べぬことになる。

 今年は用事があって4回東京へ行ったが、スマートフォンの爆発的な普及に驚いた。もちろん根室の子供たちにも爆発的に普及してしまった。電車の中でスマホを操作している人がたくさんいる。今年度貿易赤字が7兆円と32年来(石油ショック時)の規模の赤字を計上しそうだが、その要因の一つにスマホの輸入激増が挙げられている。
 わたしの塾では中学1年生のもっているのはほとんどがスマートフォンになっている。2009年のこの調査時点より、現在はもっとメディアの影響が大きくなり、費やす時間も増えている。事態はさっぱり改善の兆しが見えず、ますますメディア依存、混迷を深めていっているようにみえる。

 多少ebisuの見解を付け加えたが、この資料を作成した広陵中の先生の分析をベースに解説を行った。
 さて、これだけきちんと問題把握が行われていたら対処法も具体的に挙げられるだろう。思いつくままに羅列してみる。

①小学1年生の入学時の説明会で家庭学習習慣の大切さと、それをどのように躾けたらいいのかを説明する。これには地域で先進的なあるいは伝統的な子育ての仕方をした経験者の協力を仰げばいい。毎月1回(土日のいずれか1時間程度)、情報交換の場を校内に用意したい。
②読書習慣は語彙の拡張に役立つし、日本語理解力はすべての科目の基礎でもあるので、読み書きの家庭での指導の仕方に関する講習会と情報交換の場を定期的に学校にもうける。できたら、週1度50分間、学校で良書を選び音読トレーニングを実施する。
③学校での土日2部練や土日連続のブカツは禁止する。ブカツは教育の一環だから、学習と両立できないようなブカツのやり方は断固として改める。
④中学校のブカツは、6時間目が終わったら3時45分から開始し、5分で準備、10分で後片付けをする。だらだらやらない。ストップウォッチをもって号令をかけてやればいい。⇒キビキビした動作の躾け
⑤5時半までにブカツを終了し、家に帰って夕食までの1時間を学習時間に充てるように保護者と学校が協力する。⇒健全な家庭学習習慣を育む

 メディアの利用時間の制限についてはebisuは具体案がない、この資料を作成した人にもないようなので今後の検討課題としたい。
 しかし、メディア依存症あるいはメディア中毒というべき症状を呈している生徒が10~20%いるのは事実で、今後も機器の機能拡張によって増えるだろうから、そうした生徒たちは医療的にはすでに心療内科の領域である。そうした受け皿を用意しなければならないのだろうが、それは国家的な規模の仕事である。これが原因の低学力層は基礎学力の低さと辛抱力のなさから、将来、正規雇用の職に就くことは困難といわざるをえない。仕事に就けても辛抱できなければスキルは身につかぬ。男子は結婚すらできないか結婚生活維持がむずかしいだろう。
 人口減少とともに高齢化が進み日本経済は縮小へと向かっている。貿易収支は32年来の大幅赤字を記録した、来年も今年並みの7兆円の赤字が予想されている。経済の基調は変わった。構造的な変化がすでに数字に現れ始めている。1300兆円の金融資産も取り崩しがはじまった。子供たちの未来はいまよりずっと困難が待ち受けている。

 総じてこの資料はよくまとめられている。先生や保護者や生徒たちはこの資料に眼を通して考えてもらいたい。どういう人間に育てるのか、そしてどういう人間に育ちたいのか、学校の先生と保護者と生徒たちが問われている。


----------------------------------------------------- 
【脚注】
*(1): 読書力はすべての科目の共通の基礎だから、他の人の参考になるかもしれないので個人的経験をメモしておく。
 わたしは小学1年生のときに本を読むときに吃音(ドモリ)の傾向があったが、母親が一緒に音読してくれて治った。それからは漫画を含めて手当たりしだいに読むようになった。小4になって母親から北海道新聞の一面下段のコラム「卓上四季」と社説を読むように言われ、辞書を引きながら読み始めたら面白くて一面の政治経済欄も眼を通すようになった。政治経済に関する語彙力は小学5年生の時には大人並みにあっただろう。
 記憶にある限りで、小学校時代に読んだ一番厚い本は担任のT先生が貸してくれた『リア王』である。中学時代はSF小説の濫読時代。クラスには「学級文庫」があったし、学校の図書室からもめぼしい本を借りて読んだ。中学時代に読んだ一番厚い本はパールバックの『大地』である。
 高校に入学してから何冊か岩波新書を読み、中央経済社から出版された公認会計士の2次試験参考書を半分くらい通読した。当時は7科目である。簿記論、会計学、原価計算論、経済学、経営学、商法、監査論である。公認会計士受験参考書の経済学は近代経済学だったので、マルクス『資本論』も第1巻のみ読んだ。その関連でヘーゲル『小論理学』や当時出版されだした中央公論社の「世界の名著」シリーズからニーチェやハイデッガーも読んだが、ずいぶんと背伸びした読書だった。マルクス『資本論』だけは100ページほども読んだところで深い森に迷った気分になり、高校生のわたしにはなにがなんだかさっぱりわからなかった。今になって振り返ると『資本論』のなかで一番むずかしいところだから、高校生にわかるわけはなかった。ずっと後になって、あるときユークリッド『原論』に眼を通していて演繹的体系構成という点で類似していることに気がついた。アインシュタインの「思考実験」にも類似性があった。マルクスは基本的な経済学的概念を析出して、相互の関係をさまざまな諸関係(価値関係・交換関係・生産関係・市場関係・国際市場関係)の中で検討して周到に経済学体系を構成していたのだから、高校生のころはさっぱりわからなかった。
 専門書を読みこなす読書力は小4から読み始めた北海道新聞のコラム「卓上四季」と「社説」が育んでくれたのだろうと思う。高校卒業して根室を離れるまで北海道新聞を読み続けていた。
 大学時代は経済学と哲学の専門書及び専門雑誌(『エコノミスト』『思想』『現代思想』)を濫読していた。ある時期から専門雑誌をやめて原典の精読に切り換えている。大学に入学して5月の連休明けから歴史小説を読むのをやめた。小説全般から手を引いたといったほうが適切だろう。時間が24時間しかなく、やわらかい読み物に費やす時間がもったいなかったからである。司馬遼太郎の『竜馬がいく』(6分冊?)を連休中に全部読み、これではいけないと思った。面白くて最後まで読まないと気がすまないのである。読んでいる間は他のことができない。いまにして思うと、古典文学もある程度読んでおけばよかったと反省はするが、なにしろ時間は一日24時間のみだから、どうにも足りなかった。大学では断続的に2週くらいずつ連続で毎日十時間ぐらい集中して専門書を読み、あれこれ思索していることが多かった。わからない箇所に線を引き、頭の中にそれを思い浮かべたり引っ込めたりして考え続ける。だからいつでもどこでも勉強できた。翻訳原典だけでなく大事なところはオリジナルを確認する習慣もこの頃ついたが、原書を読む力はヨチヨチだった。

 大事なことを書き忘れるところだった。
 学生時代の学習スタイルと社会人になってからの仕事に関連する知識や技術の修得と思考方法のかかわりに密接な関連がアルということ。頭の中の引き出しに同時に10個くらいのテーマを放り込んでおき、ボーっとしながら記憶の引き出しからそれらを思いつくままに引っ張り出し思考を重ねているうちに、問題解決策がひらめく
 会社の利益をあげるには何をどのようにいじればいいのか、会社のさまざまな仕組み・実務を分析しながら問題点を頭の中に放り込んでいく。そして先端知識をさまざまな分野の専門書からインプットして頭の中で問題意識との融合を待つ。時間がたつと問題の整理がなされて行き、全体の新しいデザインがみえてくる。
 自分は考えていないのに、頭の中から自動的に個別の問題が引き出されてはフル回転しだす。他人と会話しているときでもおかまいなしにそういうことが起きると途中から話しが聞き取れなくなり、意識が二重の働きをしだす。勝手に暴走する部分と、それを脇で眺めている部分に分裂している。脳の容量が小さいせいか、そちらのほうにメインメモリーが食われてしまうようだ。会話をつかさどる部分の反応が鈍くなっていき、しまいには意味をもった音として聞こえなくなる。そういう時は脳が勝手に暴走している。考えがまとまらないときは、問題をいくつか頭の中に放り込んでから眠ると空回りがとまる。一段深いところの部位が問題の処理をはじめる。論理的ではなく、感覚的・イメージ的な部位のようだ。とにかく問題を放り込んでおけば勝手に処理してくれる便利な機能である。この部位は既成概念や固定観念から自由になることができるようで、ここが働き出すと脈絡なしの"飛躍"が起きる。フランス人がワインを飲みながら哲学的な問題を考えている場面を創造してもらえばいい。好い加減でルースな思考にはもってこいだ。
 整理にめどがついたらあとはそれをホワイトボードやA3の大きな紙を使いながら、書き出して相互の関連をチェックし、チャートを描き、文書にまとめていく。KJ法やビジネスデザイン法、産能大式実務フロー、データフロー図を作成して、PERTチャートにまとめて実行する。
 こんなことを繰り返していた。
 社会人になってはじめて勤めた紳士服の製造卸の小さな会社、大学院を修了してから勤めた産業用エレクトロニクスの輸入専門商社、そして転職した臨床検査の子会社Tラボ、H県の医師会検査センター、F県の臨床検査会社、一部上場企業同士の治験合弁会社などの経営改革にかかわって、赤字会社を高収益の会社に変えてきた。最初の二つは大きな仕事をいくつも任されて社長の片腕として動いた、プロジェクト・チームの一員として動くこともあったし、出向という形で経営を任されることもあった。
 一つだけは赤字会社があまりに劇的に優良黒字会社に変わるので、親会社の社長と副社長からストップがかかってしまい実現できなかった。これは例外だ。社内や業界内部の政治力学が働いたのだが、それをとめるような仕掛けをしなかったわたしが悪い。よく考えたらありうることだった。
 中学・高校で育んだ学習スタイルは大学や大学院でも変わらなかったし、社会人となってから絶大な効果をもたらした。受験勉強でパターン学習はほどほどにすべきだ、頭が硬直化しやすいから要注意。
 また長くなってしまった、頭は使い方次第で「育つもの」だから、そのうちに別稿にまとめることがあるだろう。


-------------------------------------------------

*#2160 全国学力テスト根室管内版データの分析(1) :本論  Dec. 21, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-12-21

*#2161 全国学力テスト根室管内版データの分析(2) :余談 Dec. 24, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-12-24

 #2162 クリントン 州知事時代の教育改革 Dec. 26, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-12-26

 #2163 全国学力テスト 根室市教委の見解は大丈夫かいな?(北海道新聞より) Dec. 27, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-12-27


にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 根室情報へ
にほんブログ村


nice!(1)  コメント(5)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 5

もやしさんま

根室新聞の正月号で根室の教育問題が各校の取り組み等合わせて特集されていました。こんなことはかつてなかったので意識が変わってきているのでしょうか。

一方で広報ねむろ1月号では病院の特別会計相変わらずの黒字ですから、せめて実態を誤らないように歳入のうち市からの繰り入れいくらで実質赤字は10億?とか()でいいから書いて欲しいものです。変わらないものは変わらない。
by もやしさんま (2013-01-06 17:14) 

ebisu

もやしさんまさん、おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

根室新聞で各校の取り組みが特集されていましたか。いいことですね。教育への関心を高める取り組みをさらに積極的にしてもらいたいですね。ふるさと唯一の新聞ですから。

同時に、この5年間ほどで500点満点で400点以上の高学力層が50~60人が10人以下になってしまった事実も報道してもらいたいですね。なぜそうなったのかも考えて報道してもらいたい。
いろんな問題がでてくるはずです。子どもたちの学力問題を抜きに、根室の未来や「根室再興」を語ることはできません。

病院赤字は2012年度14億円を超えるようですが、たしかに市の広報12月号ではたしか1億円以上の黒字と出ていましたね。こういう報道は事実と違うのですから企業会計原則に則った決算表に組みなおして報道すべきです。

なかなか変わりませんね。しかし、変えたいものです。それが世のため人のため。
今年も、「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」、「仕事は正直に、誠実に」をモットーにブログを書きます。(笑)
by ebisu (2013-01-06 18:08) 

もやしさんま

そういえば「根室まちくら」が2月6日に「根室の未来を考える教育向上フォーラム」(仮称)  根室市総合文化会館 小ホール、ですね。なぜかebisさんは根室村のニューリーダーと思しきそこの座長が好きではなさそうですが、こういった機会を利用して接点を持たれることをおすすめします。
ebisさんに賛同するわけではありませんが、根室村が変わらなければ根室は変わりません(賛同しているとあるのは根室村が根室を仕切っているという部分です)。


by もやしさんま (2013-01-07 21:47) 

もやしさんま

そういえば面白いことにまちくらのインフォをみると講師にはこれまたebisさんの評価のおぼしくない松下政経塾出身のかたが多いですね。
http://matikura.web.fc2.com/information.html

犬猿の仲だった薩長が手を組んで倒幕がなったように、水と油のebisさんとまちくらが手を組むくらいでないと根室は変わらないでしょう。でも龍馬は現れないかもしれませんね。
アハハ

by もやしさんま (2013-01-07 22:05) 

ebisu

もやしさんまさんこんばんわ。

面白そうな情報ありがとうございます。

フォーラムをやるのですか。
マチの未来にかかわるオープンな会議ならわたしは参加しますよ。好き嫌いとは関係ありません。

2月6日がほんとうなら、水曜日です。
日曜日にやればわたくしはじめたくさんの人がくるでしょうに。
せっかくのお薦めですが日曜日でないと行けません。

あれは根室の旧弊そのもので、抵抗勢力です。
たとえるなら新選組かもしれません。(笑)

薩長連合はとんでもないところで進んでいますよ。
「釧路の教育を考える会」は面白いチャンネルなのです。

マチクラは存分にやればいい。根室の町は縮小しています。
うかうかしていると商売の存立基盤が小さくなり、いずれ消えてなくなります。生き残れたらそれはそれでご立派。
ほうっておいていいのです。

接点はいずれできます。

by ebisu (2013-01-07 23:08) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0