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#2147 (過去ログの再掲)小選挙区制と比例区重複立候補に見た生き様・死に様 Dec.2, 2012 [B7. 政治に求めるもの]

 昨日は雨、夕方になって雪に変ったがすぐにやんだ。夜9時半に仕事が終わって家に戻るときには道路が凍てつきツルツルだった。裏道の交差点は街灯で黒く光って見えた。カーブを曲がるときやけに車輪が滑るので、四駆に切り換えていないことに気がつき、今冬初めて四輪駆動のありがたさを味わった。気温はマイナス2.8度、ついに本格的な冬の到来。「スピードは控え目に、車間を充分とってブレーキは早めに」、運転に気をつけましょう。
 寒い朝はうっすら積もった雪で銀世界。野生の鹿たちは林の中で群れをなして身体を寄せ合い段を取っているのだろうか。

  弊ブログのアクセスが急増しているので、リンク元を確認したらヤフーニュース「野田首相、重複立候補へ 現職では森氏以来」から飛んできていた。ニュース配信後、たった一時間で弊ブログへのアクセスが急増している。検索ワードをみると、関連のあるのは「吉田松陰」(8)「粗にして野なれど卑に非ず」(6)のふたつだけ、だから、どうやって弊ブログの記事を検索してアクセスが集中しているのかさっぱりわからぬ。ソネットのアクセス集計にトラブルでもあり、誤集計ではないだろうか?こんなに硬くて、冗長なブログは珍しいのだから。(笑)

*http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/proportional_representation/?1354402683

 
 朝日デジタルニュースが7時7分に配信したニュースに対する反応である。弊ブログの1時間当たりアクセス数では2時間連続で最高を記録してしまった。
  8時:一時間当たりの訪問者数892人、アクセス数は1048
 9時:一時間当たりの訪問者数4513人、アクセス数は5036
 グーグルで「小選挙区と比例区重複立候補」と入れて検索したら、1ページ目にウィキペディアやコトバンクに続いて7番目に弊ブログ記事がランクインしている。この問題に関する国民の関心の強さに驚く。日本的情緒が最も嫌悪する「卑怯」「潔さ」に触れるから、心の奥底で嫌悪感を感じた国民が多いのだろう。野田氏は日本国民の大多数を敵に回すという決定的な失策をやってしまったのかも知れぬ。

 野田首相が南関東比例区に重複立候補するという。まことにあさましく、一国の指導者としての覚悟も潔さのかけらもない。わたしの目には日本人の情緒を失った亡者がみえる。天は彼の醜態を通じて日本人に魂を取り戻せと教えている。
 吉田松陰や西郷隆盛の生き方・覚悟・死に様と対比してご覧戴きたい。
 これは3年前の9月に書いた記事であるが、再掲にふさわしいことが起きてしまった。日本国民の一人として残念である。

*#728 小選挙区と比例区重複立候補に見た生き様・死に様
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2009-09-04
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小選挙区と比例区重複立候補に見た生き様・死に様

  小選挙区比例代表制でどうにも納得がいかないのが重複立候補である。小選挙区で選挙民が落選させても比例代表の上位にリストされていれば、比例代表での復活当選となる。

 道内の例を挙げて説明しよう。一番問題なのは、たとえば武部勤や町村信孝のような人の復活当選である。
 武部氏は小泉チルドレンの親玉である。80人いた議員が10人に減った。80人中70人が落選である。屍累々としているのに、親玉は復活当選である。兵が前線で全滅に近い討ち死にしているのに、武部氏のみ保険を掛けて生き延びる。なんと卑しいこころだろう。
 町村氏は森派を継承し、自民党最大派閥「町村派」の親玉である。この派も多くが討ち死にしているが、親玉は保険がかかっていて復活当選である。小選挙区で落選し、狼狽して敗戦の辞を述べた。そのあと比例代表での復活当選を知らされたときのあの顔のいやらしい表情は見るに耐えなかった。画像がハイビジョンでないのが救いだ。自派の落選議員への憐憫の情や選挙惨敗の責任が微塵も感じられなかった。最後まで、自分は正しいと主張し具体的反省の弁はひとつもない。敗戦が勉強にならぬ人のようだ。これでこれまでどおりついていく人がいたら大ばか者だろう。
 道内ではないが他にも派閥の長や重鎮で比例代表での復活当選組みが何人かいる。

 もちろんすべての復活当選が悪いとは言わぬ。ミスター年金の長妻昭が前回の衆議院選挙で自民党の候補者に1万票あまりの僅差で落選し、比例で復活当選した。長妻氏がいなければ年金問題は闇に葬られていたかも知れぬ。今回の選挙で長妻は4万票増やし15万票獲得し、自民党候補者に8万票の大差をつけて圧勝している。

 では、何が悪くて何が善いのか。
 西郷隆盛は負けを承知で薩摩にもどり、西南の役で郷党の親玉に座った感がある。「ほうっておけない、やむにやまれぬ気持ちもわかる、せめて一緒に死んでやろう」、そういう心情が伝わってくる。自分だけ前線から逃げるような卑怯な振る舞いはしない、最後は前線で死んでいる。
 吉田松陰は海外渡航に失敗し、従容として人形町で刑死した。首切り役人さえ感動させるような腹の切り方であったらしい。松下村塾からは明治維新を担った人材が多数輩出した。
 西郷隆盛、吉田松陰、どちらも逃げなかった人だ。

 責任ある立場のものは卑怯なあるいは卑しい振る舞いをしてはならぬ。己の生き様、死に様で後進に範を垂れねばならぬ。そういう覚悟のない者は、人を率いるべきではない。

 「粗にして野なれど卑に非ず」・・・石田礼助


 2009年9月4日 ebisu-blog#728
  総閲覧数:157,101/649 da
ys(9月4日7
時10分)




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 マスコミ各紙は民主党惨敗を予測している。自民党ではなく今度は民主党、まったく同じことが繰り返されようとしている。野田氏は派閥の一領袖という立場を超えた総理大臣である。拡大再生産といってよいだろう。屍累々の風景の中で、どういう顔でドジョウ殿は挨拶するのか、卑しい顔は見たくないが、避けられぬようだ。悲しいね。


**#3144 男の進退:下村文科大臣 Sep. 25, 2015  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-09-25-1


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