#2109 学力テスト総合B 結果と分析: 全国最低レベルの学力実態を憂慮する Oct. 29, 2012 [64. 教育問題]
10月11日実施の学力テスト総合Bの市街化地域の3校の結果を学校別に並べてみる。
【事実】
平均点 210点超人数/生徒数 2011年
A校 116.4 3/88 112.3 3/74
B校 123.1 6/74 114 5/73
C校 109.2 1/50
合計 116.2 10/212 (4.7%)
階層の区切りがずれる学校は比例配分した。
比較のために釧路の中学校の昨年度の総合Bの学校別結果一覧表を貼り付けておく。
16校合計2068、平均129.3、最高平均点195.8点、最低平均点109.0。
学力テスト総合Bの学校別平均点も順次追加されることになっている。友人のZAPPERさんのブログからの転載。
●釧路教育活性化会議(C-PEK) 情報
http://www.kitamon.com/cpek/datas/
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10/31追記
ブログ情熱空間に釧路の中学校の学力テスト総合Bの学校別・科目別平均点が載ったので紹介する。
●平成24年度 学力総合B試験結果 学校別・科目別平均点(釧路)
http://www.946jp.com/meiko/adat2/images/28_2.pdf
【11月18日追記】
2012年10月11日学力テスト総合B 学校別・科目別平均点表 | ||||||
国語 | 数学 | 英語 | 社会 | 理科 | 合計 | |
光洋中学校 | 30.9 | 23.4 | 19.2 | 21.2 | 21.0 | 115.7 |
柏陵中学校 | 33.0 | 22.6 | 18.5 | 22.2 | 26.8 | 123.1 |
啓雲中学校 | 26.8 | 19.6 | 16.5 | 20.5 | 24.8 | 108.2 |
3校平均 | 30.2 | 21.9 | 18.1 | 21.3 | 24.2 | 115.7 |
*合計点はエクセルの自動集計値である。学校が配布した表とすこしずれている。端数処理の関係だろう。
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根室は釧路の中学校に比べて、学校間格差が著しく小さい。平均点で13点ほど根室のほうが低い。しかし、教育大附属中学校Aを除外すると釧路の中学校の学校別平均の単純平均値は117.0点で根室とほぼ同じである。Aを除いた平均点の分布の幅は、Max-Min=38.9点となっているから、学校間格差は釧路のほうがずっと大きい。
5科目合計300点満点だから、平均70%で210点である。7年前の根室高校普通科の合格最低点は150点超、合格者の平均点は180点台だった。商業科はいいときは合格最低点が120点超。生徒数は3校あわせて約290人。その当時の210点超の成績上位層は約12%で36~40人。
ところがいまや成績上位層は5%しかいなくなった。減った分はどうなったか、この数年間に成績下位層が急激に膨らんでいる。平均得点25%は五科目合計75点であるが、その階層人数を学校別に並べる。参考値として90点以下と60点以下で挟んで表示する。
90点以下 75点以下 60点以下
A校 29 22 11
B校 27 20.5 14
C校 19 12 8
合計 75(35.4%) 54.5(25.7%) 33(15.6%)
高校では30%未満は赤点であるが、それより低い25%未満が4人に1人もいるのは驚きである。B中学校では7年前は60点未満の生徒がほとんどいなかったはず。B校は昨年の3年生から成績が悪くなっている。授業中に生徒が騒ぎ、先生の説明が聞こえないクラスがこの学年が1年生の頃からあった。そうなってから平均点が25点くらい下がったのではないだろうか。
高校3年間で生徒一人当たりに200~250万円の税金が使われているから、60点未満の生徒は高校進学の資格なしとしていい、中学校の勉強をやり直すべきだ。
どの学校も7年前に比べると、平均点が約20点下がっている。
【指示待ち人間製造工場
⇒根室高校のレベルダウンが始まってしまった】
五科目合計点がおおよそ150点未満の生徒は、根室高校普通科の授業に独力でついていくことができないだろう。根高普通科では週末課題と称して数学のプリントを毎週渡している。英語の単語も毎週テストをしている。そうしなければ授業についてこれないからだ。
だが、このような指導は「指示待ち人間」をつくるという危険な副作用があることを高校の先生達はご存知だろうか。
進学講習(放課後補習と夏休みなどの講習)も頻繁にやっているし、科目数も多い。学力の現状を考えれば仕方のないことではあるが、ほとんどの生徒たちが自主的な勉学という最も基本的なことを学ばずに高校を卒業していく。社会人となってほんとうの競争にさらされたときに副作用が出てしまう。会社で扱いに困るのが指示待ち人間である。係長までならそれでもいいが、まともな会社なら指示待ち人間は課長職以上にはしない。間違って課長職に昇格させると仕事ができずにつぶれてしまう。管理職への昇格判断はむずかしい。
これほど放課後補習と宿題を繰り返しても、授業速度は落ちている。7年前は1月下旬からγクラスは数Ⅱをやっていたのだが、今年は3月。7年前のβクラスの能力の生徒が現在γクラスの能力レベル。個人で突出している者が例外的にいても、集団で見たときには、"劣化"が否めない。
【基本的な学習法は人格の一部となる】
ここからは耳の痛い人もいるだろうがしばらく我慢だ。我慢する力は脳の前頭前野の機能であり、そこは同時に思考の座でもある。前頭前野を適切に発達させた人は、忍耐強く人の話しを聞き、己の行動を軌道修正できる。しかしこの部分が未発達で器の小さい人は誤解・曲解でキレるのみ。
一部の塾にすぎないが、テスト対策に夢中になっているところがある。釧路も根室も全国いたるところにそういう塾はある。毎回テスト対策ありきの勉強、そのような勉強が習慣になったらどういう大人・社会人になるのか想像したことがあるのだろうか?
典型的な指示待ち人間を量産していることに気がついていないのだろう、わかっていたらやるはずがない。えてしてそういう塾経営者はサラリーマン生活の経験がないケースが多い。経験がなくても、どうなるか想像くらいはできそうなものだが、大学を卒業して社会経験のないまま塾経営をやり、「先生」と呼ばれることに慣れてしまうと視野が狭くなってしまうものらしい。
テスト対策を繰り返すような学習塾に通って、それが習慣になった生徒はかわいそうに社会人になってからもほとんどが身についた悪習慣を治すことができない。何年もかけてつくりあげてしまった学習習慣をただすのがむずかしいのは生活習慣病と同じ理屈だ。アルコールでもタバコでもゲームでもパチンコでも生活習慣病でも、生活習慣を変えるのは容易なことではない。
受験勉強のやり方はいろいろある。パターン学習偏重、考えるよりも記憶重視の勉強習慣を身につけてしまうと、あたまはよほど硬くなってしまうものらしい。一緒に仕事をしたことのある一橋大学出身者三人の内二人がそうだった。一橋大学といえば、文系大学では国内トップレベルのひとつで、北大よりレベルが高い。受験勉強をしすぎてようやく入学した者たちは、中年になり職位が上がって大きな仕事を任されたときにボロ(副作用)がでてしまう。係長のままなら害は少ないが、それではストレスで本人が参ってしまうだろう。だから、上を見にも下にも逃げ道はない。会社にとっても本人にとってもたいへん危険で深刻な情況が生まれる。どこかで仕事を外すしかなくなる。まともだったお一人は、人間国宝クラスの人々を従えて、国立劇場で悠然と能を舞っていた。おそらく受験勉強をあまりしないで進学した人なのだろう。副作用のあろう筈がない。
悪いことは言わぬ、塾で習うものは、せいぜい数学と英語だけにしておけ、それ以上習わなければならないなら、それは勉強の能力がないのだ。
たとえば、国語は中学時代から濫読でいい、それが国語の成績を飛躍的に伸ばす最も有効な方法だ。国語の成績は濫読した量に比例する。日本語の本を濫読した生徒は、英語の長文にも強い。自然に文脈を読んでいるからだ。
百人が百人とも勉強に向いているなんてことはない。人のお役に立つことで他に向いていることがある。何かを見つけて没頭してみればいい。数年間はわき目も見ずに全力でやりぬくことだ。
健全な学習習慣を育むために、わたしはあえてそういう(近視眼的テスト対策)方法をとらない。成績不振の生徒が入塾したら、ブカツを休んで放課後1ヵ月半ほど毎日通うことを勧める。まっとうな方法で成績は上げられるし、そうすべきだ。
ふるさとの低学力の生徒を何とかするためにこちらが好きでやらせていただいていることだから、追加の授業料はいただかない。4時から5時半まで毎日塾で「放課後個別補習」をやって、問題をやらせながら生徒を観察し理解できていないところを「発見」し、そこまで遡って丁寧に教えるだけ。私塾をやる醍醐味は5時半までのこの時間にあるのかもしれない。
この方法で数学が零点から十数点の生徒を何人も一気に80点台に押し上げてきたが、これで全員がうまくいくこともない。生活習慣を正すことができずに呻吟する生徒が半数程度いる。そういう生徒でもあきらめない、塾長はますます気が長くなる。
(中学校ではついにダメだったが、西高校に入ってじつに立派な高校生になった生徒がいた。家業を継ぐことに迷いがなかったから、1年生の夏に小型船舶免許を取得した。ずるさがなくて、まっすぐな奴で、卒熟してから折に触れて報告にきた。教室のドアのガラスが暗くなるくらいの大男で、礼儀正しく挨拶をきっちりしてから話しをする。今年の春から双沖で家業のコンプ漁師をやっている。いい男になった。北海道新聞根室支局の栗田記者が机を並べて勉強していた二人を5月に取材してくれた。いい面構えで二人の写真が載っていた。どちらも180センチを越える巨漢であるがめんこい。一人は西高、一人は根高、どうみても今年5月の時点では西高卒のほうの勝ちだ。勝負は始まったばかり、いいライバルがいてあいつらは幸せ者だ。)
*#1955 タクヤとカズキのデビュー :「歯舞 コンブの浜 春(下)」 May 31, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-05-31
できない生徒を教えるのは、それまでの生活習慣をたださねばならぬケースが多く、じつに手間がかかり、厄介なのであるが、そこが実に面白く、塾をやる醍醐味でもある。
(成績優秀な生徒は予習方式でがんがん先に進ませて、センター試験レベルの問題集に早く取り組ませたいから、なおさらテスト対策などやっている暇はなくなる。)
学校の先生達はこういう厄介な仕事から逃げて、ブカツを言い訳にしているが、それは仕事の放棄に等しい行為だということに気がついてほしい。民間会社なら業務規定違反で解雇事由になる。校長先生も一般教員も、世間一般の常識をもちあわせてもらいたい。
零点や一桁から80点超に急にテストの点数がよくなると、生徒の変化に気がついた先生の中には生徒に何をしたと問いただした人もいた。ニムオロ塾で1ヵ月半放課後補習で個別指導をしただけである。この先生ではないが、別の先生は成績のよくない生徒に「勉強したっておまえができるようになるはずがない」という暴言を吐く者もいる。そういう先生の生徒は、その先生の言った通りになる。「必ずよくなるから、努力しろ」と放課後補習する先生の生徒の中からは、先生のいった通りになる生徒が輩出する。
数学が得意になったら今度は英語だ。この両方が得意になれば、国語に問題のない生徒は他の科目も勝手に点数を上げていく。
一昨年の中3年生に二学期期末テストで社会のテスト対策をやったことがある。社会が苦手の生徒はふだんは30~40点だが、そのときの塾生の平均点は80点を越えた。一番悪い生徒でも70点台。効果はあるがそれだけのこと。3年生最後の学年末テストの「テスト対策」はやらなかった。自力でやってみろとつきはなした。
社会科の勉強法はある。三階層にわけて記憶していく方法だ。高校では世界史でプリントを渡されて地域別にまとめた年表を作らされるが、それの進化系である。
基本は数学と英語だが、放課後まっすぐにくるなら社会の勉強の仕方も教えている。
教えてほしい中学生はニムオロ塾に来たらいい。目からうろこの学習法を具体的に教えてあげる。
団塊世代が光洋中学校で学んでいたときは1学年10クラス、生徒数550人だった。全国学力テストが一度だけあった。日教組を中心とする先生達の反対でたった一度っきりしか実施されなかった。全国レベルで5段階評価で5の成績は一人だけだった。全国学力テストがなければ、うのぼれていただろう。たまたま550中トップでも全国レベルではたいしたことはないのである。
成績がよかったのは単に勉強法がよかったからだろう。高校でも結果は同じだった。成績のよい者は勉強法も合理的で普遍的なやりかたを編み出し、使っていることが多い。その個人にしかできない特殊な方法を用いている生徒が稀にある。こういう生徒の成績がよいのはあたりまえだろう。
もうひとつ付け加えておく、信じられないことだが教科書リーダを使って授業をするような塾もある。
しかし、同じような理由でお薦めできない。考えないで覚えるだけの勉強スタイルが身についてしまうからで、そうなったら社会人になったときに大きな副作用がでる。こういう勉強スタイルは自ら努力して生活習慣病になるようなもの。おおかたは高校生以後のノビシロがなくなり、社会人になる前に後遺症が出始める。
基本的な学習習慣はその人の性格や人格まで形成することになるから、おろそかにしてはいけない。自力で考え抜く習慣を育もう。
わたしは幕末に大阪の尾形洪庵の適塾で塾長の福沢諭吉がやっていた勉強法を近々ブログで取り上げたいと思っている。語学学習において効果的で普遍的な方法である。まっとうな学習法を高校卒業までにぜひ体験してほしい。それは一生の財産となるだろう。社会人となってから、強力なアイテムに化ける。
【学力テスト五科目合計点400点超
⇒市街化地域3中学校合計で10人以下の時代が来ている】
中学2年生はさらに学力が落ちている。わたしは500点満点で400点超の生徒数が3校あわせて10人(5%)以下になっていることを危惧している。C校に400点超がゼロのことが何度かあった。こんな現象は、ふるさとに戻って塾を開いて12月で10年になるが、一度も見たことがなかった。比率で見てもこの階層には7年前は15%以上の生徒がいた。
この事態がどれほど深刻なのか考えてほしい。偏差値55(おおよそ上位1/3)以上の大学へ根室から進学できる生徒がたったの10人になることを意味している。このままでは30年後の根室の人材枯渇はもっともっとひどいことになる。
*大学入学試験偏差値40は下位16%、偏差値45で下位1/3、偏差値50で真ん中、偏差値55で上位1/3、小樽商大がちょうどこの辺だ。偏差値60で上位16%、旧帝大系は偏差値65以上で上位7%。
ちなみに、根室高校普通科は高校入学試験偏差値で42となっている。大学進学者は高校進学者の約半数である。高校入試偏差値42は大学入試偏差値換算では40をかなり切ることになるのだろう。相当勉強しないと就活に困るような偏差値40未満の学力低位校に進学せざるをえなくなる。下位16%の大学就職課に優良企業の社員採用募集ファイルはほとんどないだろう。
就活情況はお父さんお母さんの時代とはかなり違う、交通費や宿泊費はでないのが普通になっている。道内の学力低位校に進学したら、東京の企業の就職説明会や試験や面接は自費でやらないといけない。50社ぐらい受けるのはあたりまえだから、100万円前後は覚悟しなければならない。たいへんな時代になったものだ。
【進学実績への影響必須】
もうじき根室高校の先生達がびっくりすることになるだろう。300点満点で210点を越していないと、偏差値50以上の大学へ一般入試で合格することはかなりむずかしい。
学力低下はまもなく進学実績に如実に顕われることになる。根室高校普通科の先生達は放課後補習を頻繁に繰り返してくれているが、もう、小学校と中学校に手を入れないとどうしようもない。小・中・高の先生達が集まって根室のこどもたちの学力問題について意見交換ができないのか?
PTAが校長先生と話して動けばいい。あるいは先生達が自主的に集まってくれてもいい。
【優良な人材がほしいなら地元企業の経営改革は不可欠】
道内の就職状況は厳しい。偏差値40前後の道内の大学へ進学したら就活で苦労する。
道内に優良企業はすくないし、偏差値の低い大学へは優良な企業は募集を出さないから、大学の就職課に行っても、そういう優良な就職先ファイルはほとんどないことになる。
中小企業は会社規定すら満足にないところが多い。雇用保険・厚生年金はあるのか?退職金規程はあるのか?経理規程が守られているか?予算制度はあるのか?決算は社員に公表されているのか?監査(本来は外部監査が望ましい)は適正にやられているのか?中小企業でも外部監査を導入している会社なら合格だ。
道内中小企業経営者は規程類を整備し、自社改革をやるべきだ。学力や教養が足りないのは子ども達よりも自己改革がやれぬ道内中小企業経営者達だ。
【東京には激烈な競争がまっている】
東京には札幌の2百倍以上もの企業本社が林立している。全国から学生が集まってくるから競争も激しい。偏差値40以下の学校では死に物狂いで4年間勉強して学力を上げてその学校で上位3%のトップ層になっておかないと、屍累々、偏差値50超の他大学の学生に学力で負ける。
【学力トップレベルの人材が残らなかった後遺症】
都会の事情はどうでもいいとしよう。
根室はどうなるのだろう。地域の学力低下はマチの長期的な衰退を確実に招くことになる。学力トップ層が地元企業や市役所や市議にほとんど残らなかったから、根室の町は長期衰退を続けてきたと人材面から言えないだろうか?
地元金融機関も例外ではなかったから、地元企業を育てられなかった。店頭公開企業の一つぐらい根室から出てもいいはずだが、大地みらいにそういうスキルはまったくなさそうである。経営層の学力レベルが問題と言い切って差し支えないだろう。
3社の上場準備と数社の経営改革を実体験から言い切れる。苦言は耳に痛いもの、すなおに忠告を受け止めてトライしてみたらいい。生まれ変わる地元企業がでるだろう。
【統合の前に、公立高校は入学希望者に最低学力基準を課そう】
根室高校と根室西高校の統廃合が問題になっているから、あえて言う。私は300点満点で5科目合計点90点未満の生徒を公立高校で教育する必要はないと思う。
高校で勉強したかったら、90点以上の学力を身につけるべきだ。高校進学が当たり前の権利になっているようで、権利には義務が伴っていることが忘れられている。入試で最低90点取ることが義務でいい。
普通科に入りたかったら最低150点はとることだ。平均点が30%未満は高校進学ダメでいい。これぐらいきびしくすれば、キチガイのような根性論のみの一部のブカツをとめられる。
採択する教科書や問題集のレベルを下げない限り、普通科の科目は五科目合計点が150点以下では理解がむずかしい。
普通科150点、商業科と事務情報科は100点を合格最低点とすればいい。そうしたら中学生は最低ラインをクリアするために、1年生からきちんと勉強せざるをえなくなる。こいう厳しい基準を採用するとおおよそ半数が必死に努力せざるをえなくなる。今回の総合Bだと40%が高校進学できない。
【学力問題に無関心な情けない根室の大人たち】
全国最低レベルの北海道の子どもたちの学力、そしてその北海道の14支庁管内で最低レベルの根室管内の子どもたちの学力。こうした事実があるのに、市長も市議も経済団体もなぜ学力を問題にしないのだろう?
市民の学力レベルがあがると市政にとっては何かとうるさいことになる。しかし、そうならないとマチの発展もない。
釧路は「釧路の教育を考える会」中心に、市議会にも学力問題を検討する超党派の基礎学力問題研究議員連盟がある。いま、「基礎学力保障条例」素案を作成中だ。中心メンバーの月田市議が学力を何とかしたいという十数名の同志の市議とともにがんばっている。
釧路の教育を考える会には釧路市役所の管理職も数人メンバーとなって活動を支えている。中学生の子どもを通じて学力を憂えてたまたまそれぞれの偶然の事情で会に集い、活動を支えることになった。会のメンバーは総じて学生時代に勉強が好きだったものが多い。
根室は・・・
*#1280 中3年生:5年前との学力比較 Nov.16, 2010
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2012-10-29 23:57
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親の世代の中卒の平均点。
もはや、そちらの学校平均はそれ以下と言えますね。
ひどい。
ひどすぎです。
by ZAPPER (2012-10-30 11:20)
ふるさとに帰ってきてからたったの10年間で、こんなに中高生の学力が低下するとは思いませんでした。
市民の教育へへの関心が薄いことが学力低下に歯止めがかからない主要な原因でしょう。
だから、市長も、教育行政も、市議も、経済団体も動かない。
それでいいのでしょう、根室の町は30年後さらに人材不足にみまわれます。
凪の海を見ています。
静かでいい。(笑)
by ebisu (2012-10-30 13:01)
その後の努力を否定するものではありませんが、中学卒業時点の学力で十中八九はこうなります。私見ですが。
90点レベル
使える使えない(ただし定型ルーチンワーク)のまさしくボーダーライン。まるで勉強はしなかったが実は…、という伸びしろのある子は使える可能性が高い。
60点レベル
超高確率で使えない。正採用に至ることは本当にまれ。
by ZAPPER (2012-10-30 14:37)