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#2096 男子一生の仕事:若い頃はおっかなかった高橋珠算研究塾塾長 Sep. 28, 2012 [22. 人物シリーズ]

 

 9月27日に高橋珠算研究塾の高橋尚美先生が76歳で亡くなった。
 思い出を書き留めておきたい。

 団塊世代が小学4年生の頃だったか、本町4丁目いまAUのあるところはお米屋さん(中学3年生の時の副担任だった大岩朋子先生(ご結婚されて半田姓)のご実家)だった。その隣に2階建ての建物がある。大地みらい本店前の建物がそうだったのではないか、裏側に階段があり2階が珠算研究塾となっていた。ちょうど一回り上のT先生が根室で珠算塾を開いた。家から歩いて1分の距離だった。
 当時は学習塾もなく、初めての珠算塾でたいていの小学生は数年間通ったことがあっただろう。私は5年生の頃に通い始めた。級があがるのはうれしかったが、誰かに誘われて通い始めたから、最初のうちはあまり熱心ではなかったかもしれない。
 その頃Yさんという人が根室支庁長から市長選挙に立候補して、市長となった。高校3年生のご子息がいて、1年通って商工会議所1級に合格してしまった。考えられない上達速度である。札幌の進学校から転校してきてよほどヒマだったのだろう。わたしはこの話しを、根室に十年前に戻ってきてから毎年正月に新年のご挨拶に先生のお宅にお邪魔したが、その折りに聞いた。
「あいつが一番だったな」
 高校生で転校してきて、三年生で珠算を習って日商珠算能力検定試験1級に合格し、根室高校から初めて東大現役合格。卒業後は道庁に勤務して川上支庁長を最後に退職したという。すごい先輩がいたものだ。
 6年前にスキルス胃癌の手術をしたあとからは、正月にお伺いするのをやめた。抗癌剤で体調がよくなかったとと、顔色が悪かったし、体重も10キロ近く落ちていたので心配掛けたくなかった。つい、ご無沙汰が長くなり、今日新聞の折込で訃報に接した。

 高校1年生のときに、2学年上のS山先輩(市内で珠算塾と学習塾を経営)が中央大学文学部に合格して、汐見町の分塾を担当する人がいなくなった。そのあとを頼まれて、1年ほど「塾長代理」をしていたことがある。お世話になった先生からの依頼だから否やはない。S山先輩に続いて二人目の「塾長代理」だった。
 高橋先生は商工会議所の珠算能力検定試験1級満点合格に何回も挑戦したが、乗算・除算・見取算・伝票算・暗算のどれか1科目が90点あるいは95点でついに満点合格は果たせなかった。日商一級合格証が何枚もあった。

 男子一生の仕事と言っていたから、仕事の姿勢は厳しいものがあった。たまにだが、だんだん熱が入ってくると、大きな声で本気で叱りだすのである。塾生はビビッて指がなおさらうまく動かなくなる。やめる生徒が出てもお構いナシだった。
 汐見町の分塾を担当し、金曜日だけ交替して曙町の本塾を私が教えたのだが、金曜日に本塾へ行くと塾生たちの中には、ほっとした顔をするものが何人かいた。自分が叱られていなくても、そばで誰かが叱られていると怖かったのである。本気というのは生徒にびんびん伝わるものだ、こういうタイプの先生がいなくなった。

 私が教えていたころ、小学5年生で突然、全珠連珠算検定4段が出だした。一人が4段取ると4から5人が続いた。5段取るとまた続いた。結局十段位が数人出たのではないだろうか。私は高校を卒業してから35年間根室にもどらなかったので、そのあたりのことに詳しくない。だが、根室の珠算を全道トップレベルにしたことは間違いのない事実である。根室の教育関係者でこれほどの実績を上げた人を他に知らない。遅まきながら根室市は功労賞ぐらい送ってもいいのではないか。

 根室で珠算大会を初めて開催したのは私が高校2年のときだった。商工会議所との折衝は先生が担当し、高校側の根回しはebisuがやった。根室高校の柔剣道場で初回の大会をやったが、暗算だけ選手として出さしてもらって、後は主催者側。選手宣誓もやった、ebisuは初回の暗算種目で優勝している。なんだか自作自演のお芝居のようでヘンな気分だったので、翌年は主催者側で通した。他の部門も出場すればほとんどの部門で優勝ということになったかもしれぬ。暗算部門だけで充分だった。

 高校生のときに、全珠連の集まりに誘われて帯広まで先生の運転する車で一緒に出かけたことがあった。あの当時の国道は砂利道で、時速60キロも出すと、前に車が走っていると砂利がタイヤではじかれて飛んでくる、道路事情がよくなった。
 郊外にレストランを経営したこともあったがこれは程なく手仕舞いした。
 T先生はビリヤードをよくやったので、こちらは私のほうが先生だった。高校生のころはほぼ互角だったかもしれない。珠算の腕は遠く及ばなかった。

 高校の珠算競技(全道大会)は日商珠算能力検定試験1級と実務計算試験1級の問題を半分の時間で点数を競う。団塊世代が高校生のころは根室高校は2部校だった。5年後くらいには小学生だった優秀な連中が5人ほど根室高校に入学したはずだから、1部校に鞍替えできたのではないか。
  私は根室高校では珠算部員ではなかったと思うが、生徒会へ引っ張ってくれたN先輩から「いくぞ」と言われて、「はい」としか返事のしようもなく、全道大会のときだけの幽霊部員だった。N先輩は大学も一緒だった。

 商工会議所1級は全珠連の3段あるいは4段くらいに相当する。Yさんのあとの商工会議所検定1級合格者は私だった。1年間で日商一級に合格した大先輩とは比較にならない。
 1級検定試験に滑ったときに、毎週日曜日1ヶ月間、先生が2時間ほど直接指導してくれたので合格できた(あのころちょうど長女が赤ん坊で長男が元気に遊んでいた。その長女のお子さん(先生の孫)が中3のときにニムオロ塾へ通ってくれた)。
 あのとき、時間を半分にして合格点がとれるようにトレーニングした。練習時間を2倍にしたから、練習量は4倍に増えた。不器用だったのだろうが、練習時間を2倍にすればゆるぎない力がつくのはあたりまえ、へこたれない精神的強靭さが培われた。
 受験勉強はしっかりやらないと落っこちる、200%のところまで努力を徹底すればかならず合格でき、80%と思うあたりなら、落とし穴に引っ掛かりほぼ落ちる。
 だがそのあとも受験では、日商簿記一級、大学受験と詰めの努力を怠って手痛い失敗を重ねた。合格して当然だと思ったとたんに努力の手がゆるむ、人間とはおろかなものだ。三度の失敗があったので、大学院受験だけは手を抜かなかった。度重なる失敗は最後の勝負のための準備にすぎない、失敗から学べ。

 小学生には3年くらいソロバンを習わせるといい。これは日本の伝統文化だ。10分単位で時間を測ってやるので集中力が抜群に強くなる。暗算は10問2分間である。競技の時には1分間でやらなければならないから、爆発的な集中力が養われる。「運算用意、はじめ!」の声でスィッチが入り、エンジンはいきなりレッドゾーンに達する、気分爽快。
 小中学生の基礎計算力が驚くほど低下しているが、小学生のときにソロバンを習っていればこんなことにはならない。英語は高校生から始めても根室高校なら模試で学年一番をとることはできるから、小学生のときはソロバンを習わせたほうがいい。
 集中力と基礎計算力が人並みはずれていると高校数学で絶大な効果を発揮する。二次関数でも三角関数でも対数関数でも微分でも積分でも、最後は四則演算の速度と正確性が勝負を決める。ebisuは問題数が多くても、全問やるのに30分以上かかったことがない。100点とりたいときは、全問見直しする時間が充分にとれる。90点でよければ30分でやって後は次の科目の試験に備えて寝て休養をとっていたほうがいい。
 社会人になってから、産業用エレクトロニクス輸入商社時代は長期計画も資金繰りも、利益を増大させるためのサブシステムもどこをどのようにいじれば、利益率がどれだけ上げられるのか、頻繁に頭の中で暗算でシミュレーションして、具体策を見つけ出していた。売上300億円の国内最大手の臨床検査会社へ上場準備要員として30代半ばで転職して予算を統括してからも、いつも頭の中は3桁の概数でシミュレーションが走っているから、なにかあった場合でもどこにどれほどの影響が出るのかおおよその見当がつくので、臨機応変に対応ができた。高いところから会社経営の全体が見えてしまうのである。
 すべては、「男子一生の仕事」と言い切って、トレーニングを課してくれたT先生のお陰である。
 先生が小樽出身で、釧路江南高校を卒業後1年働いてから根室に来て珠算塾を開いたと、お通夜に代理で出席した女房が報告してくれた。釧路出身の人だと思っていた。まったく関係ない話だが、「釧路の教育を考える会」の会長と事務局長も同じ高校の出身、縁とは不思議なもの。 

 Yさんと比べるべくもない不肖の弟子であったことが残念だが、先生のご冥福を祈りたい。
 合掌

【見送り】追記
 29日朝7時半、出棺前の読経に参列した。棺の中に納まった先生はずいぶん小さくなっていた。病気を患うとみな小さくなる。遺影の写真は元気な頃の先生だった。出棺を見送ってもどってきた。
 老人は2.9万人の人口のうち8000人を占める。市立根室病院の終末医療機能はますます重くなるが、根室に医療療養病床はゼロである。
 新病棟がまもなく完成するが、病院経営は赤字がさらに増え、年間15億円を越すだろう。建て替えが完成したあとは、経営改善に努め、市立病院の灯を守ってもらいたい。
 市長は未だに建て替え後の病院収支を明らかにしていない。市議会で工事着工前に明らかにすると約束したのに、反故にしている。正直にシミュレーションすれば年間15億円を超える赤字になるからで、職員給与をカットするしか財源の当てがない。
 市立病院が夕張市のように診療所になっていいと思う人は市民には一人もいないだろう。だが、現実は危うくなってきているように見える。
 仕事は正直に誠実に、そしてやるべきときには全力でやるべきだ。珠算塾を「男子一生の仕事」と言い切っていた先生のような人が現れて、次の市長となってほしいもの。

<横田先輩のこと>
 根室から初の東大現役合格者である横田さんは、高校生の時に中標津から転校してきたという。中標津で珠算塾に通っていたのだそうだ。ある時、横田さん話題になったときに中標津で育った叔母が教えてくれた。根室へ来てから短期間で腕を挙げたことは事実だろう。高橋先生の記憶に強く印象を残した弟子だから。
 それにしても、高校生になってから、しかも東大受験をするつもりの生徒が、珠算塾の門をたたくなんてことは考えにくい。師と弟子は磁石のようなもので、近くにいると自然に吸い寄せられるように出遭うのではないか?
 卒業後は道庁へ就職、最後は上川支庁長で退職されたようだ。高橋先生のところへ年賀状が来ていて、正月に伺ったときに見せてくれた。


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Hirosuke

小学生時代に珠算塾に通っていました。

私は「アスペルガー症候群」の特徴の1つとして、
非常識なまでに手先が不器用な故に、
ほぼ必ず算盤の珠を弾き間違えてしまうため、
検算するたびに異なる答が出て、
パニックに陥ること度々でした。

検定にも昇級試験にも合格できず、
塾長の内緒のお情けで2級クラスまで進んだものの、
ととうとう挫折しました。

こんな障害を持つ子供もいる事を、
教育者の皆様には理解頂ければ幸いです。

by Hirosuke (2012-09-29 14:07) 

ebisu

そういう生徒には塾長代理のわたしがフォローすることになったでしょう。

「汐見町の分塾へおいで、金曜日だけは本塾で教えてあげる」

不思議なもので、自然に役割分担してしまいます。
阿吽の呼吸(笑)
by ebisu (2012-09-29 14:58) 

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