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#2051 金比羅さんのお祭り(2):ふるさとへの思い   Aug. 11, 2012 [88.金刀比羅神社のお祭り]

 8月11日は祭りの最終日、MTBで緑町まで出かけた。
 元塾生のSが友だちと二人で花咲街道の交差点にいた、すぐに気がついた。2年ぶりだったが何にも変わっていない、口に手を当てて「あ!先生」と髪型も表情も一緒、「おう元気だったか!」と言いながらMTBが人ごみの中を時速5キロでゆっくり通り過ぎる、一風変わった絵を描く生徒だが夏休みでもどってきたのだろう。
 神輿は御旅所に停まっていたので、MTBを乗り捨てて歩いていく。毎年神輿の先導役をやっている同期のKから声がかかって立ち話をしていたら、元教員のTが奥さんと来ていたので声をかける。二人の話しを聞いていたら、「オサムが帰って来る」という。標津に住んでいると書けば同期ならわかるだろうが、あいつが根室へ引っ越してくる。これでややこしいことがひとつなくなる。背が大きくて光洋中学校のときは3年のときに隣のクラスにいて褌を締めて一人で「相撲部」をやっていた。あいつとは高校では生徒会での付き合いだ。65歳の同期会をやることになるのだろう。

 神輿が動き出したので一緒に歩いたら、誰かが声をかけながら小走りに追い抜かしていった。サリーさんが「クリリンが・・・」と言いながら、望遠レンズのついた愛用のカメラを片手に道路の向こう側へ渡って神輿を担いでいる人に焦点を当てている、北海道新聞記者のクリリンが担いでいるのかと探したが、反対側を担いでいるのか見つけられなかった。
 神輿は2グループで合計120人が交替で担ぐのだが、半数の60人は航空自衛隊の隊員である。団塊世代のわたしが高校生のときに担いだときにもそうだったから、おそらく50年近く続いている。
 ひまわり弁護士事務所の初代Sさんが着任の翌年に神輿を担いで、うれしそうに話していたのを思い出した。道新根室支局の記者は祭りの取材で忙しいはずだから、「クリリンが・・・」はわたしの聞き違いだったかもしれない。なにしろ周りはたくさんの見物人でごった返しており、すれ違いザマに声をかけて走り去ったのだから聞きなおす隙もなかった。
 そのときに高3の生徒とすれ違った。祭りだから彼氏とデートかと思ったらお母さんと一緒だった。お母さんには挨拶したが、「彼氏と一緒じゃないのか」という顔をしたらわかったのか当のご本人は笑っていた。

 根高野球部3年のNが祭りの装束を着て賽銭箱を担いでいたので声をかけた。高校生になってから身長がだいぶ伸びた。一時は3人にまで減った野球部だったが、今年の春に新入生がどっと入部して試合に登録できるようになったから、満足だろう。釧路武修館へ進学した弟とは残念ながら試合でまみえることはなかった。わたしもそういう場面を想像して楽しみにしていた。
 第一祭典区の子供たちのお守りに高校32年生のFがついて歩いていた。気がついて微笑む。子供といるのが楽しそうだ。進路はふたつ、子供に係わる進路と別な道、その間で揺れているのだろうが、今日は屈託のないいい絵顔をしていた。

 昨日は雨がひどかったので、祭りの行列は順路をショートカットして1時間で神輿は新築された御旅所へ納まったという。定められたコースをショートカットするのは4つある祭典区の間でももめそうだが、よくまとまったなあ、なかなかたいしたものだとほめながら、先導役をやっているKに実際とうなっているのか聞いてみた。一度台風に見舞われてことがあり、トラックに神輿を積んで回ったことがある、そのときに順路でもめたんだそうだ。祭典区ごとにそれぞれ事情を抱えているのだから、もめるのは当然のことだが、それを土砂降りの雨の中ショートカットをまとめてしまうのだから、祭りの運営スキルはなかなかたいしたもの。
 これだけ仕事ができればマチの衰退も食い止められるはずだが・・・、祭りにエネルギーが結集できても、旧弊を破壊するのはそれで得をしている人たちもいるから、うまくいかないのだろうか。祭りは3日間だが、旧弊との戦いは十年単位だから、不利益を我慢する期間が長く、辛抱も並大抵ではできぬ。

 結局、この町はなるようになってきたし、これからもそうだろう。それでいい。町の人口はあと9年で2.5万人を切り、最盛期の昭和43年頃の5万人弱の半分になり、人口減少への対応能力を欠いた「旧弊」は自然に壊れ、「オール根室」を自称しているほんの一部の者たちの何割かが消え、新しい企業も生まれ、新陳代謝が進む。
 ショッピングセンターができて外部資本が影響力を増し、自己改革力と将来性に魅力のない地元企業が消えていく。人口を減らしながら、根室はいまより住みよくなるのかもしれぬ。
 地元企業経営者たちが夢を社員に語り、自己改革を社員とともにやり遂げて繁栄し、十年二十年後にそういう企業群が残り、旧態依然とした企業がなくなっていけば、風通しのよいのびのびした町になる。
 がんばれ、夢と希望を語り、それを実現する企業の担い手たち、根室の未来は君たちの手の中にある。

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【北海道三大祭を自称するのはやめにしよう】
  理由はカンタン、虚言はみったくないからである。百歩譲って他の都市の人がいうのはいいが、自称するのはみったくなしだ。
*根室市観光協会ホームページ
 
http://www.nemuro-kankou.com/
 「北海道三大祭りの一つと言われる根室市の金刀比羅神社例大祭が・・・」

 根室以外ではでだれもこんな事を言う人はいないだろう。
 根室人は小さいなと笑われるだけだから、
金比羅さんのお祭りを「北海道三大祭」と宣伝するのはやめにしよう。小さくていいではないか、ナカミの充実に智慧を使おう。
  国後・択捉が日本のものだったときに根室のお祭りは道内有数だったかも知れぬだが、遠い昔のこと。事実として違うことを広言するのは恥ずかしいことと心得たい。
 観光客の中には何かで「北海道三大祭」と書いたものを見てくる人もいる。そして見てがっかりする、「え、うっそー、小さい」、事実と違うからだ。これより大きい祭りは道内にいくつもあるから、10大祭りにだって入らないだろう。虚言はならぬのである。根室市観光協会はずいぶん好い加減なことをホームページに書いていると、仕事の好い加減さが笑われる。
 団塊世代のわたしが10年前にふるさとに戻って祭りを見たときにも、昭和40年頃に比べて山車はオモチャっぽくなり、参加人数も半分以下になって一抹の寂しさを感じたが、総人口は最盛期の6割、子供の人口は四分の一になっているのだから、しかたがない。
 浅草三社祭のひとつ神田明神の神輿に比べても根室の神輿は引けをとらぬほど立派だが、三社祭りに繰出す神輿は約百基ある。町内ごとに神輿をもっている。山車について言えば、なんといっても青森ねぶた祭りのそれが一番豪華だ。繰出す国道には電線がないから、山車は実に大きなものが製作可能で、おまけに伝統技術をしっかり受け継いでいる。根室の山車は昔とはまったく別物に変わってしまって伝統が受け継がれていない。
 今一度、根室の祭りのあり方、そして伝統の継承の仕方を見直すべきではないのだろうか。昨年の幹事から今年の幹事へなんとなく受け継ぐだけでは、いつのまにかお祭りの大事な何かがなくなってしまったことにすら気がつかない。
 話しが脱線したので、もう一度書いておく、金比羅さんのお祭りを北海道三大祭と自称するのは虚言に等しいからやめよう。市の観光協会さん、根室人は嘘つきだと宣伝しているようなものだから、ホームページのイベントの説明を改めてください。
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*サリーさんがブログに祭りの写真をアップするはずだが、しばらく時間がかかりそうだ。アップ次第、ここにURLを貼り付けるつもりだ。
 http://ameblo.jp/sommelier/entry-11326320041.html


 前回(#2048)はカツヨさんのビデオとクラブナビさんの2009年の「ねむろ金比羅神社例大祭」のURLをを貼り付けてある。
**#2048 金比羅さんのお祭り : 台風12号直撃の恐れあり Aug. 10, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-10

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